シリーズ | ナノ


まるで、母が子を見守るようなたおやかさで。とても穏やかで、優しい瞳をした人なんだ。

そう、普段から迷いのない振る舞いの身に付いた後輩を思うとあまりにも異質で、どこか夢を見るような口調で語られた言葉。
いや、言葉だけには限らない。負けず劣らず緩められて険の抜けた表情を部活仲間が見ていたら、空気も読まずに騒ぎ立てたことだろう。
この場にいたのが自分だけでよかった。副主将という立場もあって、他部員よりは関わりの濃い実渕は動揺を封じ込め、心の中で呟く。

部活中に限らず、様々な場面でも頼られがちな彼が、自分の感情を欲へと発展させる様を目に写せることは少ない。
分かれ道があればどちらが正しい道か、冷静に見極め成功を収める方角へ足を進めるような人間だ。迷いもなく、そこに正否以外の原動力は存在しないと言わんばかりの振る舞いを、ずっと近くで目にしてきた。
成功、勝利こそが正義であると。
そう豪語していた彼には手に入らないものなど何一つなく、叶わない願いなどないだろうと思われた。いや、今もその思いは消せたものではない。
彼が望んで手に入らないものなどないと、無条件に信じさせられてしまう。それほど、あらゆる分野で十割近い勝利を収めてきた男の姿は印象に焼き付いていた。

けれど、だ。
今、目の前で顎に手をやる赤司征十郎は、間違いなくその勝ち組路線を闊歩してきた人間その人なのである。
どうしたものかと、見るものを惹き付ける鮮やかな瞳を伏せて顎に手をやる、男は。紛いもない、入学年度にして洛山高校の生徒会長に就任し、強豪バスケ部の主将までをも務める、赤司征十郎なのだ。

彼は、初めて芽生えたと言っていい感情を認めはしても、戸惑いを覚えているように窺えた。
純粋に湧き上がる欲求から眼を逸らすことはしないが、前例のない心情に不用意に手出しもできないのだろう。
形をなくす程ではなくとも、局面を確認した彼は、手を打つべきと口にしながらも明らかに困っていた。
そして、常に前に立ち厳しくも正しい指揮をとってきた男のそんな不似合いな姿を見せ付けられて、見放せるほど実渕も薄情ではなかった。



「協力するわ!」



と、言うより、この状況を誰より一番浮き足立った気持ちで見据えていただけだった。

全力で頷いた実渕は、部活とは別のベクトルで恋愛事にも強い力を発揮する。乙女より乙女らしい乙女心を今こそ存分に役立てるべきだと、騒ぎ立てる第六感に迷わず従った。
その胸には既に、恋愛にだけ不器用な少年と淑やかで儚げな想い人とのラブロマンスが広がっていた。
字面だけ見ればロマンチックと言えなくもない情景を、その時、夢見てしまったのだ。

現実に立ち塞がる問題を、僅かばかりも知ることはなく。






 * * *



「みょうじさん…みょうじなまえさん、いるかしら?」



赤司征十郎の中の仄かな恋情が発覚して数日。自ら協力を申し出ただけあって実渕は張り切っていた。
赤司の握っていた情報より無理のない計画を立て、まずは彼を射止めたという女子がどのような人間なのか、自分の目で見極めるべく行動を起こす。勿論、その点への許しを赤司本人より得ることは忘れない。彼女に迷惑にならない範囲でなら…と、慎重に気遣っていた様子を胸に留めて、実渕は下級生のクラスの並ぶ階へと出向いた。

上級生がクラスを訪ねてくることは少ないというわけではないだろうが、実渕自身目立つ姿や言動をしていることは自覚している。
入り口から覗き込んだ室内がざわりと揺れて、複数の目が振り向いた。しっかりとした男声から発せられる女性言葉に集まる興味は気にするだけ意味がないので、ないものとする。

昼休みだし、もしかしたら教室にいない可能性もあるけれど…。
ぐるりと見回した視界の中、運が良かったのだろう。椅子を鳴らして立ち上がった小さな影が小走りに近付いてきた。



「あの、みょうじです、けど…」



おどおどとした様子を見せるその女子は、実渕の前で立ち止まると不思議そうに見上げてくる。恐らくは平均身長は満たしているのだろうが、上背もあり運動部らしい体格をしている実渕からするととても小柄に目に映った。

目鼻立ちのくっきりとした美人ではないが、そこそこに可愛らしい。規則に引っ掛からない程度の髪飾りや模範的な制服の着こなしからも、清潔感は窺える。
自らが確固とした手本であろうとするような赤司のことだ。おかしな女に惑わされることはないだろうとは思っていたが、見た目はまず及第点だろう。
そんな頼まれてもいない自己判定を数秒も使わずに下した実渕は、人好きのする笑みを浮かべた。



「あなたがみょうじさん? 私、二年の実渕玲央っていうの」

「実渕、玲央先輩…えっと、はじめまして。実渕先輩は私に何かご用ですか?」



浮かべられた笑顔に少しは警戒を解いてくれたのか、一歩教室の外に出た彼女は開きっぱなしだった扉を引いて中からの視線を遮る。
そのさり気ない動作と言葉運びに、なるほど、と小さな感動を覚える。
人の名前をきちんと覚える礼儀正しさには、育ちが窺える。最早気にもしていないが、この身に多数向けられる好奇の目を隠してくれたのは彼女の心遣いで間違いはなかった。

確かに、好感の持てる女子生徒だ。
じっと見上げてくる彼女自身の目にも明け透けな興味は窺えず、どうして自分が呼び出されたのかを不思議に思っているだけのようだ。
その疑問に答えるべく、ほんの少し腰を折って目線を近くする。



「私というより征ちゃん…あ、赤司征十郎から部活についての伝言を届けに来たんだけど」

「えっ…あ、はい……先輩が、ですか?」

「ええ。私バスケ部の副主将だから、上下関係なく征ちゃんとはわりと気兼ねない仲なのよ」

「そうなんですか…」



使いっぱしりにされていることを気にしたのかもしれない。一瞬目を丸くして驚いたなまえに妙な誤解を植え付けないよう説明しながら、実渕は手にしていた数枚に渡る用紙を彼女に差し出す。
口実であり、しかしきちんとした用事でもあるそれを、なまえが首を傾げながらも素直に受け取ったのを確かめて、実際に頼まれていた用件の内容を頭に浮かべた。



「保健室裏に、小さな花壇があるじゃない? 去年までは養護教諭が許可を得て整えてたらしいんだけど、今年来た先生は漸く学校に慣れてきた頃だし、事情も知らないからずっと放置されたままだったみたいね」

「あ、はい。せっかく場所があるのにあのままじゃ寂しいし、園芸部持ちにできたらいいのにって、話を…赤司くんにもしましたけど……もしかして」

「正式な申請として許可を得られたみたいよ」

「ほっ…本当に…!」



ぱあっと顔色をよくするなまえは、一気に瞳を輝かせて書類に食い入る。
親しくなくても分かり易い喜びように若干押され掛かったが、ここまで喜ばれると自分の成果でなくても嬉しくはなるものだ。
きっとこんな顔が見たかったのであろう、この用件を処理した本人を思うと少し申し訳ない気分にもなるが。



「あっ、でも、いいんでしょうか。私、ちゃんとした申請を出したわけでもないのに」

「いいんじゃない? 花壇だって放置されるより綺麗に飾られた方が嬉しいわよ。征ちゃんだって、任せられなければこんなことはしないわ」



はっと気付いたように顔を上げなおしたなまえに、実渕は即答する。自分自身は園芸部の活動状況までは知らないが、赤司が認める分の働きはあるのだろう。でなければ、いくら心を寄せる人間の願いであってもここまではしないはずだ。

勿論、彼女に喜んでほしいという思惑も、ないわけではないだろうが。いや、それはもうかなりの確率で含まれてはいるだろうが。
そんな赤司の心も知らず、嬉しげに頬を弛めるなまえは邪気の欠片もない。
初対面だというのに、いつの間にか同じ種類の笑みを引きずり出されている。心地は悪くない空気感に流されそうになった実渕は本来の目的を確かに握り締めて、話題を切り換えた。



「ええと…私の用事はこれだけなんだけど、よければ一つ、個人的な質問をしてもいいかしら?」

「? はい、私にお答えできることなら」

「ありがとう。あのね、この書類なんだけど…実は征ちゃんに、自分が行くよりあなたが怖がらないだろうからって頼まれて届けに来たものなの」

「…えっ」



どれだけ穏やかに会話できたところで、これまでの付き合いもないのに何を言えば琴線に触れるかなんて判断のしようもない。
実渕の言葉にそれまでの嬉々とした表情から一変、さっと頬を強張らせたなまえは慌てて頭を下げた。



「そ、それは、あの、私の所為でご迷惑をおかけして…すみません!」

「あ、いいのよ、そんな頭を下げなくても! 責めてるわけじゃないの、他に用もなかったし迷惑でもないわ!」

「でも……すみません。赤司くんにも、気を遣わせてしまってたんですね…」



しゅん、と肩を落とすなまえは明らかに落ち込んでいて、下げていた頭を元の位置に戻した後も先程までの笑顔には戻らない。
発する言葉を間違えただろうかと焦る実渕は、同時に小さな違和感を感じて首を捻った。



「否定しないところを見ると…やっぱり、征ちゃんのことを怖がっているってことでいいのかしら」

「それは……はい」

「そう…理由を聞いてもいい?」



ぎこちなく、申し訳なさそうに頷く彼女には悪いと思いつつも、追究せずにはいられない。どうやら、嫌っているとするには敵意や悪意といったものが表情からは窺えなかった。
そもそも赤司自身、いたずらに敵を作ることはまずない。親しい相手であれば尚更、それも好んでいる人間に嫌われるような態度をとることはないだろう。
そしてなまえの方も、今日初めて話した浅い関係ではあるが、訳もなく人を避けるようなタイプにはどうしても見えなかった。

これは、染み着いたマイナスイメージの根本、理由から探るべきか。
そう考えて改めて問い掛ければ、なまえは視線を落としたままぽつりぽつりと語り始める。元々は、近付き難い印象は抱いてもそこまで怖かったわけではないのだと、最初に彼女は口にした。
多忙な中、世間話をしたり、時に育てた花を届けたりする仲だった。綺麗に咲かせた花を褒めてもらうのは嬉しかった、と。



「そこまで仲が良かったのね…」

「えっと…仲が良かったかは判りませんけど、優しくしてもらったと思います」

「それなら、どうして今は怖くなってしまったの?」



今までの話を聞くに、どちらかと言えば好印象を抱いていたように感じて、益々疑問は膨れあがる。こればかりは考えたところで意味はない。なまえ本人にしか答えに辿り着きようがなく、知ろうとすればやはり本人に訊ねる以外の手段はなかった。
実渕の質問に、今日一番というくらい身体を硬くしたなまえは、落ちたままだった視線を迷うように蠢かす。
とても口に出しづらい内容なのだということは、その態度からはっきりと分かった。急かすことはなく、いらない口は利かずに実渕は答えを待つ。



「あ、の…」

「ええ…何?」

「その、は…鋏を…人に向けてるのを、見てしまったんです…」

「……え?」



そして辛抱強く待った後に、空気に亀裂が走る音を、実渕は拾った。

鋏を、人に向けているのを、見た。
誰が、と問うのは野暮だろう。今話題に上がっているのはたった一人の男子、赤司征十郎に他ならない。

ちょっと待て。そんな話は聞いていない。
引き攣りかける顔をなんとか笑顔にキープしつつも、どういうことだと頭に浮かんだ主将の面影を全力で問い詰めたくて堪らない。問い詰めたところで、やはりここに答えはないとしても、つっこみの一つも入れたかった。



「えーと…それ、いつの話かしら?」



気を取り直すように、ごほん、と咳払いをする。
話題を振っておいてこのまま終わりにもできない。こうなったら原因理由ははっきりさせておこうと、平常心を取り戻す。
眉を下げた困り顔で、少しだけ目線を上げたなまえは冬休みのことです、と答えた。



「十二月末に…人に誘われて東京に行った時に、なんだか目立つ人達といるのを見つけたんです」



それは、全くの偶然だったらしい。
出場することは知っていても、人の多い試合会場で連絡もなしに知人と鉢合わせる可能性はそう高くない。それでも、折角見掛けたのだから声を掛けるべきかと、彼らが別れるのを彼女は待っていた。
ジャージの色で全員が他校であることは分かったし、会話が長引くことはないと思ったのだ。少し顔を合わせて挨拶して、応援の言葉だけ伝えて去るのに時間はいらない。だからそう遠くない場所から、独特の空気を醸し出していた彼らを見ていた。

直後、他校の誰かから渡された鋏を、後から現れた一人の男子に向けて突き出す赤司の姿を目にしてしまったのだという。
その時のことを思い出しているのか、語る口調はどんどん鈍くなり、なまえの顔色も悪くなっていく。



「大事には至らなかったようでした…でも、相手は頬に怪我をしていて、その…ちょっとあれは…」



理解できなくて…と肩を落とす彼女に非はない。当たり前だ。理解できないのが普通だろう。
あの赤司が心優しいと称した女子なら、その性質は如何ばかりのものか。想像するだに恐ろしく、目眩を感じた実渕は当然ながらもうラブロマンス云々とはしゃぐような余裕は残っていなかった。
自分で立てたフラグを派手に自分で折っていたことを、赤司は知っているのだろうか。いないような気がする。

これは、伝えるべきだろうが、どう言ったものか。
胃の辺りに込み上げる不快感に、つい両唇を噛んでしまう。



「それまで沢山優しくしてもらって、あたたかい人だと思ってたから…なんだか、尚更ショックで…変わらず接してくれても、あんな一面もあるんだと思うとどうしても…」

「……ええ…」

「あの…主将さんでもあるのに、こんなこと言ってしまってすみません」

「えっ? あ、いいえ!? というか、えっと…それ、見間違いとかじゃあないのよね…?」



最後の希望に賭けてみる。どうかそうであってくれと念じる実渕の願いも虚しく、気落ちした表情のまま復活しないなまえは静かに首を横に振った。



「そうだったらと思ったんですけど…名前を呼ばれていたし、外見はそのものだったし…。兄弟でもなければあんなに瓜二つなんてあり得ませんし、赤司くんに兄弟はいないと以前聞いていて…」

「……ああ…」


駄目だ。詰んだ。しかも、トラウマ化している。
うまいフォローも思い付かず、とうとう実渕はその目を手で覆った。

想像していたよりずっと、この恋は難関らしい。






シャクナゲ ― 危険,警戒 ―




「征ちゃん…征ちゃんが避けられてる理由、分かりはしたんだけど……とんでもないわ」

「いい知らせは来ないだろうな」



その日の放課後、部活前に心を決めた実渕からの報告に、赤司は分かっていたように頷いた。

彼女があれほどあからさまな態度をとるくらいだ。小さな問題であるはずもない。
そう口にした赤司の様子に実渕は深く息を吸うと、呼気と共に知ってしまった理由を吐き出した。



「征ちゃん、WCの最中に前髪切り落としたでしょう? あれ、あの子、見てたんですって」

「……いたのか。あの場に」

「いたらしいわ。東京に」



流石に予想もしない答えだったのだろう。一瞬だけ動きを止めた赤司の瞳は、今や大きく見開かれる。



「自分で自分の首を絞めたのか、“僕”は」

「ええ、まぁ…自動的にあなたの方のフラグも折られちゃってるけどね…」



素の表情をさらけ出すことで幼さの増した容貌の、口元を覆うようにその手が持ち上がる。
疾うに頭痛を感じていた実渕には、今の彼の心ならば少しは理解できるような気がした。

二人以外に人気のない部室に、数秒の間流れる沈黙は重かった。



「…いや、避けられるだけの問題はあると分かっていたことだ。それでみょうじは、用件の方には喜んでくれたかい?」

「ええ、あの報告に関してはいい反応だったわよ。とっても喜んでたし、征ちゃんにお礼も伝えてほしいって」

「そうか…なら、今日のところはそれでいいよ」



それでいい、とは、さすがに言えないと思うのだが。
彼女が喜んだという報告だけで表情を柔らかくした赤司に、実渕は何も言えなかった。
さすがに、藪をつついて蛇を出すような真似はしたくない。とは言え、このまま終わらせる気も更々なかったが。



「征ちゃん、頑張りましょうね」



一度夢見たラブロマンスを、そう簡単になかったことにできるほど実渕も諦めはよくない。

気合いを入れた声音に、バスケ部主将としての仕事に掛かろうとしていた顔が、再び振り向く。
一度瞬かれた赤い瞳は次の瞬間には細まり、笑みの形をとった。



「元より、そのつもりだよ」

20140826. 

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