シリーズ | ナノ


眉目秀麗にして文武両道を地で行くポテンシャルの持ち主。智勇兼備と讃えられる彼の名は、格式の高い家柄まで伴って、学年を問わず学校中を独り歩きしている。
特に年頃の女子生徒の間では、間違いなく学校一の憧れの的だ。
今日も今日とて高く甘い声で紡がれる彼の名を、私はというと肩を縮めながらできる限り聞かないようにしていた。

名前を聞いて、思い浮かべてしまわないように。



「そういやだけどさー、なまえ、赤司様と仲良くなかった?」

「へっ…?」



友人の集う輪の中で、所謂コイバナというものを聞く側に専念していたところ、不意に振られた問い掛けにぴしりと背筋が凍る。
自分からこんな話に加わるのは得意ではない。だからこそ、敢えて振られることはないと完璧に油断していた。

赤司様。
友人の口から自分に向けて、しっかりと出されてしまったその名のお陰で、頭の中に浮かんだ鋭利な光がある。
くらりと、一瞬目眩がした。

思い出したくない。



「ほら、秋頃までは結構喋ってるとこ見たってゆーか…わりと気にかけられてなかっ…なまえ?」

「ど、どうしたの? なまえちゃん顔色!」



思い出したくない。とても思い出したくない。できれば忘れてしまいたい。
そんな思考に脳内が占領されて、私はどれだけ酷い顔をしてしまったのか。

焦り顔で身を乗り出してくる友人達に私も慌てて、何でもないから、と笑って誤魔化す。多分相当ぎこちなかったはずだけれど、簡単に人を詮索しない心得のある彼女らは、一応は納得したように身を引いてくれた。

大丈夫。きちんと深呼吸すれば、元に戻れる。
頭の中の光景を振り払うよう、淡々と友人の質問へ意識を向けた。



「えっと…仲も、ね、そうでもないよ」

「そーなの?」

「うん…というか、あんなに凄い人といるの、私なんか肩身狭くて」

「あー、それはあるよねー。なまえちゃんがどうっていうより、赤司様と一対一とか絶対緊張しちゃうし!」

「なまえ目立つの好きじゃないしねぇ」

「あはは…」



うん、そうなの。
笑いながら、軽く頷いておく。何の取り柄もなく特別愛らしいわけでもない私が、抱く思いとしては何もおかしくはない答えを並べて。それだけではないことを、隠し込む。
大きなコミュニティーの一員でありながら、支持を集める人への批判や不満を口に出してしまえば、自分に跳ね返ってきてしまうだろうことは予測がつく。だから、これからも地味で平穏な学生生活を送るためには口外するわけにはいかない。
こんなに讃えられている人を、苦手だ、なんて。私なんかが絶対に、口に出してはいけないのだ。

心の中に怯えを抱えていようと。
誰もが憧れ敬う赤司征十郎という人を、私が大の苦手であるということは、知られてはいけない。



そもそも、出会った当初から彼を苦手としていたわけでもない。寧ろ友人の記憶に残る程度には、普通の友人同士のように接することができていたのだ。

高校の部活動に部員の少ない園芸部を選んだ私は、先輩の補助や活動要望等の打ち合わせで何かと生徒会と関わることが多かった。
その流れで、まだ同じ一年生だというのに生徒会長の座に着いていた彼と知り合ったのだ。

多忙な彼だけれど、手の空いている時には世間話に付き合ってくれもしたし、時に丹精込めて育てた花を届けたりすると、ほんの少しだけ相好を崩して褒めてくれたりもした。
周囲の人間が気にする威圧感や近付き辛い雰囲気は僅かずつでも取り払われていって、一線はきっかりと引かれていたかもしれないけれど、警戒心が強いだけで根は優しい人なのだろうと……思っていたのだ。その頃は。

とある、冬の日までは。






 *



「わっ!」



寒さも極まる一月下旬、時折降る雪が溶けきれず、ところどころ外の道は凍ってしまっている。
気を付けてはいたものの視界が半分ほど塞がれた状態では、安全な通路を確認して選ぶことはできない。

つるりと滑った足に思わず目を閉じて、衝撃に備えようとした。その時、強い力で肩を何かに支えられて、後ろに倒れ込むことは免れた。



「…えっ?」



何が起きたのかと目を開けた瞬間に、ゴミ袋を詰め込んだ段ボールが私の手から滑り落ちる。
ぼすん、と音を立てて転がったそれを、気にするような余裕は視界に広がる赤い色によって打ち砕かれた。



「危なかったね」

「あっ…赤司、くん…っ!?」



嘘でしょ。何でいるの。

何か、というか誰かに助けられたのだろうということは察せられたけれど、顔を上げて確認してみて信じられない気持ちになった。
軽く眉を寄せた顔で私を見下ろしていたのは、昼間にも友人の間で話題にされていた彼だ。
そう自覚した途端に、全身に震えが走った気がした。

本当に、どうしてこんな中途半端な場所に彼がいるのだろう。
今は間違いなく部活時刻で、私は部活動で出たゴミを捨てに向かう最中だった。
収集場所が体育館付近にあるとはいえ、ただでさえ忙しいらしい彼と鉢合わせることなんて、相当タイミングが合わなければ起こらないことだ。
そのタイミングが今なのかと、嬉しくない運命を課した神様を恨みたくなる。
体勢を立て直すとすぐに、肩を支えていた腕は離れていったけれど、だからといって緊張で跳ね上がった鼓動は収まってくれなかった。

だって、できることなら、直接顔を合わせたくなんかなかった。
そんな私の気持ちは知らないのか、もしくは知っていたとして気に留めるつもりがないのか。彼は私の落とした段ボールを軽く持ち上げてしまう。

つい、ひっと息を飲んでしまった。心の中で、だけれど。



「みょうじが一人で運ぶには危ないな…他の部員はいないのかい?」

「え、あっいえ…」



ああ、どうしよう。どうしよう嫌な予感がする。望んでいない展開が来そうな、そんな気配が迫ってくる。
見るからにぎこちないであろう私の態度に顔色一つ変えない彼が、恐ろしい。
向けられる視線も口調も穏やかだけれど、それが余計に私には怖かった。

それでも一応、他の部員の名誉のためにも今にも掻き消えそうな小さな勇気を振り絞って、受け答えはしたけれど。



「それぞれ役割、分担してて、私は手が空いたので…決して他がサボってるとかじゃなくて、えっと…」

「ああ、すまない。疑っているように聞こえたかな…オレの方はまだ休憩時間だから、運ぶだけなら手伝おうか」

「え! いや、へい、き…です…っ」

「だが、みょうじは足元が見えていないだろう。現に今も転びそうに…」

「い、いいえっ、赤司くんの手を煩わせるようなことじゃないし…気を付けるから、大丈夫…!」

「あ…」



転んだところで、少しお尻を打つくらいだ。張り詰めた空気に圧迫されてしまうよりは、そちらの方が私にとってはありがたい。
親切なのだとは思う。そこまで疑って掛かっているわけではない。けれど、それでも、無理だ。



(赤司くんと二人とか、無理…っ)



お気遣いありがとうございました!、と頭を下げながらその手にあった段ボールを掠め取って、逃げる。
そう、まだ何か言いたげだった彼から私は逃げた。震える指は段ボールを力一杯掴むことで誤魔化した。
そのまま、足元には気を付けながらもできる限りの速足で、彼が立つ場所から遠ざかっていく。

気遣ってもらったのに、素直に感謝もできないのが嫌になる。優しいところもある人だと知っていたはずだ。
それなのに、私の頭の中は今、制御しようのない畏怖で満たされていた。

でも、これは仕方のないことなのだ。



(だって、)



だって本当に、怖いのだ。赤司くんは。

綺麗すぎる顔と冷静沈着な性質が手伝って、基本的に機微が読み取れない。だから、地雷の在り処もよく判らない。
彼には地雷なんてないもののような気すらしていた。厳しい部分もあれど穏やかで、優しい人だと思っていたのだ。
あの、冬の日までは。



『僕に逆らう奴は、親でも殺す』



その光景を目にしてしまったのは、偶然だった。

短い冬休みに東京に住む友人に誘われてしまったのが、運の尽き。
やって来たバスケットボールの冬季大会会場で、時間潰しに散歩していた私は彼の狂気を垣間見た。

立派な凶器を振りかぶり、他者を傷付けた彼の姿が、信じられなかった。
兄弟がいるなんて話は聞いたことがなかったから、他人の空似とでも思ってしまいたかった。
誰かと思うくらい、私の知らない冷たく威圧感のある目をしたその人を、赤司、と呼び止めようとする声を拾うまでは信じていなかったのに。

それまで与えられた言葉や時間が、全て吹き飛ぶほどの衝撃に見舞われた私は、気付けば彼のことが怖くて堪らなくなっていた。
今まで通りに会話できる自信もなく、休み明けに学校で顔を合わせても話を早めに切り上げたり、そもそも出会わないように少しずつ避けていったりして。

あんな人だと思わなかった、なんて言えるほど近い立場にいたわけでもない。
それでも、彼の中の何も見えていなかった自分の鈍さ、私に悟らせず完璧な仮面を被り続けていた彼が、どうしようもなく恐ろしくなってしまったから。

私は、誰もが憧れ敬う赤司征十郎という人が、大の苦手なのだ。






成り損ないの成れの果て




みょうじなまえという女子生徒がいる。
特に目立つ性格はしていないが、人の好さが外見に出ていて周囲を和ませる雰囲気がある彼女に、密かに癒され休息を取っていた男がいた。
彼女は正に一片氷心という言葉が似合う女子で、その純粋無垢さに惹かれずにはいられなかったのだと思う。
澄んだ心に触れれば、心地好さに浸りたくなってしまう。それくらいの人間性は、“あれ”にも存在したらしい。

僅かな綻びから生まれた感情は仄かに色付いた執着で、しかしそれに気付く頃には既に取り返しのつかない失敗を負っていた。

彼女は、赤司征十郎を苦手としてしまっていた。



「あら、お帰りなさ…征ちゃん?」



体育館に戻ってすぐに、入口付近で休憩をとっていた実渕が振り向く。
その隣に並びながら息を吐き出せば、気遣わしげにその眉が寄せられた。



「どうしたの、何だか…元気がないように見えるんだけど」

「ああ…部には関係がないことだよ」

「征ちゃんが個人的な事情で悩んでるって方が、私にはなんだかピンとこないけど…」

「そうか?」

「ええ、こう…不思議な感じね」



他者から見た自分は、どんな人間に見えているのか。
言葉通り不思議だと顔に出す実渕に苦笑を噛み締めた。
比較的傍にいる人間がこうなら、彼女の目には更に人間らしく写っていないに違いない。
溢れそうになる溜息の出所は、幾らか沈んだ気持ちの中にある。



「“僕”が憎からず想っている相手に、避けられていてね」



色々と、人道的に問題のある言動を犯した記憶はある。
それがオレの判断でなされたものでなくとも、赤司征十郎が背負う過去に違いはない。



「完璧にマイナスイメージが植え付けられているようだ」



自覚して紡ぎながらも、語る口は重い。
出会って暫く、もう一人が見つめていた笑顔をオレ自身には一度も向けられないというのは、胸に苦いものが込み上げる。

あまりよく思われてはいないのだろう。認めたくはないが、認めざるを得ない。
上部だけでも取り繕えないほど、彼女は赤司征十郎を苦手としている。

何があったか、何をしてしまったのかまでは、把握できていないが。



「恐らく、引かれるだけの言動を見られたんだろうな…」



一体、彼女に何を見られてしまったのだろうか。
それを払拭するまで、掛けるべき時間や手間は幾らばかりか。

まずは近付く算段を。避けようもなく不自然でなく、尚且つ対話に持ち込める状況が欲しい。
彼女が気に負いすぎないための手配も必要だ。容易に作り出せはしないだろう展開を思い描いている最中、それを遮ったのは征ちゃん、と横から呼び掛けてきた声だった。



「それは、恋ね…!?」



判りやすく興奮に煌めく瞳を向けられて、一瞬思考が停止しかける。が。



「……恋、か」



突き付けられた言葉を、拒むほどの理由も根拠も見当たらなかった。
ああそうか、と。ストンと胸に落ちてきた。じわりと広がるぬくもりがある。惹かれていたのは、“あれ”だけには留まらないということなら。



「それなら尚のこと、早急に手を打つべきだろうね」



負の感情は長引かせるほど頑なになってしまう。好意対象に好く思われていない現状は、流石に辛いものもある。
弾き出した答えに協力するわ、と微笑むチームメイトは、目覚めて間もない目にはやけに力強く映った。

20140704. 

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