シリーズ | ナノ


私が悪い魔法で人を振り回す魔女なら、かの帰国子女は甘い言葉で人を唆す悪魔かもしれない。
弱点を見誤らずぐっさりと突き刺してくれた氷室辰也の言葉は、私の脳裏に色濃く痕を残した。

好きになりかけてるみたいに見える。愛想を尽かされる未来に怯えてるみたいだ。
そう笑った男は、何が楽しかったのか。少しも笑えない私の無様さが面白かったのだろうか。
近付けないよう、彼のためだと言い訳をしながら、無くしてしまうのが嫌だと思い始めていた私の姿は、そんなにおかしかったのか。

思い詰めればそれだけ事実からも逃れられなくなっていくのに、考えてしまうのを止められない。
今はまだ、恋と呼べるほどしっかりした感情じゃない。けれど、簡単に切って捨てられない存在まで私の中で彼が伸し上がっていることを、もう否定できなかった。



(誑かし続けるなんて…無理)



だから、思う。尚更無理だと。
偽物の気持ちで好かれたって意味がない。どれだけ優しさを貰えても、私への好意が前提にあるから向けられるものだと考えれば、悲しくて苦しくて、五臓六腑が捻って結ばれてしまうような感覚に襲われる。

だって、嬉しかったのだ。私は。
劉くんのくれた言葉が、私の悩みを緩和してくれる思考が、胸が震えるくらいに。

切っ掛けより、好きになった気持ちの方が大事だと言ってくれた。
気持ちは育つこともあると。
嫌なことも困ったこともないなんて、そんなわけはないのに、言ってくれた。
自分では考えもしなければ、そんな言葉を掛けてもらうのも初めてで、本当に嬉しかった。同時に、どんどん苦しくなっていった。
劉くんがどれだけ本気で自分の気持ちや言葉を信じていても、一時的な感動を覚えることはあれど、私は同じようにそれを信じることができないのだから。



(だから、駄目なの)



全うな恋愛経験なんてしてきていない私でも、信頼のない愛情なんてあり得ないということくらいは分かる。

いつ魔法が解けて、消えてしまうか。怯えながら恋をして寄り添っていくような勇気を、私は持ち合わせていない。
きっと耐えられなくなって自分で関係を崩してしまう、そんな現実を想像することは難しくなかった。

もしかしたら一生、私はこうやって誰かを突き放して生きていくことしかできないのかな。
それは嫌だなぁ、と思いながらも、半分以上諦めている自分がいることにも気付いている。
この目の力がある限り、私は延々悩み、惑い、諦め続けるのだろう。そんな予感はずっとしていた。



「私は…劉くんに、私は相応しくないと思う」

「は?」



教室に戻りながら、隣に並んできた彼へ届くように呟いた。
一瞬呆気にとられたようにぽかんと開いた口は、すぐに顰められる眉と同じタイミングでへの字を描く。



「やっぱり何か氷室に言われたアルか」

「え、ちがうよ? 単に私が」

「なまえが何アルか」

「…私の、気持ちの問題…です」



ぐっと、詰まっていく息をどうにかしたくて、胸を撫でた。

植え付けられた恋心だと告げても、彼には意味を成さなかった。受け入れられてしまったから。
それならもう、不安に占領された私の本音を、そのまま告げてしまうしかないじゃないか。

この人を、騙して振り回すような今から、抜け出すためには。



「劉くんがどれだけ本気でも、私はそれを信じるのが怖い」

「…何故? なまえがよく怯えてるのは知ってるが、ワタシには理由がよく解らないアル」

「暗示みたいなものって言ったよね……私は、効果をなくした時、つらくなるのが嫌なの」



解って。お願い。苦しいの。
好きになったら泥沼に嵌まる。それは嫌だ。
魔法が解けた瞬間に愛想を尽かされフラレてしまいでもしたら、立ち直れる自信は今ですらないのだ。
これ以上近付かれたら、駄目になる。

私の方がずっとずっと、彼が狂うよりも狂ってしまう。



「劉くんに、好かれ続ける自信がないよ…自分のことが信じられないから、劉くんの気持ちも信じることができない」



ねぇ、私は酷い人間でしょう。結局自分のことしか考えていない、最低な子でしょう。
解放してあげたいなんて言いながら、自分が傷付くことばかり怯えている。こんな人間、魔法が解けたら幻滅されてしまうよ。

だからどうかその恋を、一刻も早く終わらせるか避けるかしてください。お願いだから。
私がこれ以上狂ってしまわないように。おかしな判断を下してしまわないように。

信じたい気持ちを押さえていられる間に、離れてしまって。
あなたの想いは、私には勿体なさすぎるから。



そう、私は確かにお願いしたはずだ。
切に訴えた。涙も胸の痛みも堪えて、言葉を紡いだはず。

そのはずなのに。



(どうして…)



どうして、私は今、見ず知らずの男子生徒の前に突き出されているのだろうか。



「というわけで、困ってるアル」



助けろ、という意思を簡潔に述べる劉くんによって、捕まれた腕は振り払いたくてもびくともしない。
ずるずると引き摺られるままに着いてきてしまったけれど、本当に何が起こっているのか意味も解らない。

狼狽えている私と堂々とした立ち振舞いの劉くんを交互に見やった男子生徒は、劉くんに気付いて三年の教室から出てきた先輩だ。
訝しげな目を向けてくるその人は褪せた色の髪と少し三白眼気味なつり目を持った、随分と標準的な身長をした男子だった。

劉くんや氷室辰也と接したばかりだと感覚が鈍るが、先輩の身長が低いわけでは断じてない。一瞬小さく見えたのは、感覚が麻痺してしまっているだけだ。
私とだってそれなりに身長差があるのだから、間違いなくこの人の方も平均身長を越えているはず。

並ぶ人間が人間なだけに、そんな気はしないけど…なんて考える私は、軽く現実逃避に走っていた。

だってもう、劉くんの行動に着いていけない…。



「何でオレんとこ来んだよ」

「今までのアドバイスを全部参考にしてもうまくいかなかったアル」

「アドバイス?」



何かしたか?、と腕組みするその人は、もしかして…と疑ってはいたのだけれど、本当にもしかするのかもしれない。
数秒、宙を睨むようにして悩んでいたその先輩は、あ、と大きく目を瞬かせた。



「日本人は押しに弱ぇし、チャンスを窺ってアタックしろとは言ったかも?」

「それだけじゃないアル」

「あー…可愛いと思った時には素直に伝えた方が喜ぶぜ、とか」

「嫌がらない限りは押しまくれとも言ったアル」

「あー、言った。言ったわ」



ぽんぽんと掌を拳で叩いて頷く姿は、なんというか、軽い。軽すぎてこっちの顔が引き攣ってしまう。



(やっぱり…!)



間違いない。この人が例の偏った思考を劉くんに植え付けてくれた、“福井先輩”だ。

諸悪の根源という言い方は大袈裟だけれど、この人の戯言が彼の行動を余計に狂わせた。謂わば黒幕。
そう気付いてしまうと、どうしても恨みがましい目で見てしまう。この人の所為で私も劉くんも、必要以上に振り回されたのだ。

そんな恨みの視線には露も気付かない先輩は、劉くんを見上げ直すと困った調子で溜息を吐いた。
困っているのはこっちなんですけども。声を大にして主張したい。そんな勇気もやっぱりないけれど。



「でもなー、オレそんな間違ったこと言ってないと思うぜ? わりと的射てる気ぃするし…逆に何が駄目なんだよ。単純に好みの問題?」

「は…えっ?」



急にくるりと振り向いた顔に問い掛けられて、肩も声も跳ねた。
劉くんと先輩の二人だけで会話をしているものと思っていたのに、いつ私まで組み込まれていたのか。

というか、今、何を訊ねられたの。



「え…っと……」



好みなんて…そんなもの、今まで考えたことがないからよく分からない。
少なくとも、容易に切り捨てられないくらいには悪印象はないし、それどころか…好きになってしまわないか、不安なくらいで。

とどのつまり…?
彼は、私の好みに当てはまる…の……?



「いや、これお前が思うより脈ありだべ」

「っ!? ちょ…」



じわりと顔に熱が上がってくるのを隠す前に、いち早くそれに気付いた先輩は目敏かった。



「みゃくあり…?」



そしてこんな時だけ留学生らしく言葉の意味を把握できなかったらしい劉くんが、首を捻る。
私がそれを利用して誤魔化す前、にやりと笑った先輩にまたも先手を取られた。

ぽん、と彼の肩に手を置いた先輩は、私をもう片方の親指で示すと口にする。



「つまり劉、お前結構好かれてんだよ」

「マジアルか」

「マジマジ。あと一、二押しってとこだろ」

「!?」



な、なんてこと吹き込むのこの人…!!

私は劉くんに諦めてもらいたくて奔走しているというのに、悉く邪魔をしてくれる。
いい加減に耐え兼ねて抗議に出ようかと思った瞬間、ぱっと顔を輝かせた劉くんを見てしまった所為でその気持ちはしゅるりと身体の奥の方まで引っ込んでしまった。

見たことがないくらい、それは嬉しそうな顔をしていたものだから。意図的に崩してしまうのは心苦しくて。



「つまり、好きになる可能性はゼロじゃないアルな?」

「あ、ええ?」

「あとは…なまえがつらくないよう、ワタシが信じられるよう頑張るには具体的にどうしたらいいアルか」

「ぐ、ぐた…いや、でも、私は…」



私は劉くんを、困った魔法から解放してあげたいわけで…。
しかし例を見ないほど瞳を輝かせる彼に、言葉を喉奥に押しやられてしまう。

駄目だ。子供のようにテンションの上がっている劉くんを、突き落とすことができない。
だけれど素直に身を委ねるわけにもいかなくて視線をさ迷わせていると、不意に目の合った先輩に諦めろよ、と頷かれた。

だから、軽いですって…!



「言うこともやることも極端だけど、そいつが本気なのはマジだからさ」

「ワタシは教えられた通りにしてるだけアル」

「あー、そうだな。話し掛けるタイミングも守ってたくらいだからな」

「初めが肝心と言うから、ずっと我慢してたアル」

「……え…?」



何かが、おかしい。噛み合わない気がして、思考が一瞬鈍る。
なんだか、彼らのやり取りを聞いていると、前後がひっくり返って聞こえて混乱しかけた。



(我慢してた…?)



その一言だけにも、どういうことなのか気にかかる。
まさか、と。まさかそんなわけないのに、疑念が湧き上がる。



「ま…待って? ちょっと劉くん…訊いていい?」

「? 何アルか?」



捕まれたままの腕を揺らして、彼の意識を引く。

そんなわけはないと思う。けれど、よくよく考えれば、劉くんは最初から、福井先輩の教えに従っていたような…。



(最初、何て言った?)



可愛い。そうだ。あの日劉くんは、好きより先に、私の顔が可愛いと褒めたのだ。“福井先輩の教え”通りに。
けれど、そんなことがあるのか。自分に都合のいい勘違いではないのか。
確かめようとする声が、微かに震えた。

まさか……



「あの、私のこと好きになったのって…グラウンドで話し掛けてくれた時じゃ、ないの…?」

「まさか。好きになった日にいきなり口説くような真似はしないアル」



当然と言い切る彼の言葉に、とうとう息が止まってしまった。

まさか…嘘でしょう?



「特に日本人の感性は分からないアルから、勝手も違うし嫌われたら困るから先にどうするべきか相談を……なまえ? ぼけっとしてるがどうかしたアルか」

「……は…」



ひらひらと、大きな手が目の前で振られる。
その内我慢できないほど胸が苦しくなって、か細く吐き出した息に声が混じった。



「魔法じゃ、ない…?」



ウィンクの魔法が掛かる瞬間、既に彼は、私が好きだった…?
そんな…そんなことって、あるの…?



「劉くんは…私が、好きなの?」

「だから何度も言ってるアル。なまえが好きだと」

「っ……」



呆然とした問い掛けに対する返事は、今までに告げられた言葉も率いてどすんと胸の真ん中に突き刺さった。
そのまま全身に広がる痺れが、涙腺まで強く刺激する。



(なに、それ)



こんな馬鹿な話って、ない。
私、勘違いして、馬鹿みたいじゃない。みたいどころか、史上最高級の馬鹿だ。

私の方が魔法に囚われていた。それしかないと、思い込むほどに。
惜しんでいたのに、偽物だからと受け入れてこなかった気持ちが、今になって綺麗に胸の中に落ちてくる。



「なまえ?」

「き…教室戻ろ…っ」



気付いてしまうと唐突に、人目が気になって仕方がなかった。
どこか面白そうにこちらを窺っている先輩の顔もまともに見ずに、頭を下げて身体の向きを変えた。それから今度は、私が彼を引き摺るようにして歩き出す。

視界が滲むほどだ。今の私は、みっともない顔をしているに違いない。



「なまえ? どうかしたアルか」



振り向かなくても分かるくらい、気遣わしげな声をかけてくる劉くんに、ひくりと喉が引き攣りそうになった。
どうもこうもない。ちょっと、泣きそうなだけだ。

彼が私のどこに魅力を見出だしたのかは、全く予想がつかない。
けれど、知ってしまった。魔法じゃなかったのだ。偽物だと思い込んでいた想いも言葉も温もりも。
全部、正しい劉くんが与えてくれていたものだった。
それだけ彼は、魔法もなしに私を好きでいてくれているのだ。

そんなの、もう、堪えきれるわけがない。



「劉くん」



教室までの距離は、半分も縮まっただろうか。人気の少ない階段まで来て、歩く速度を落とす。

気付いたことは、まだあった。
本物の想いだって、無くならない確証はない。いつか愛想を尽かされる未来がないとも限らないのだと。その立場に立てた今だから考えが至った。
逆に、偽物の想いが長続きする可能性だって、ないわけではなかったのだとも。

劉くんの教えてくれたことは、間違いじゃなかった。今だって信じかけているほど、私の中で正しいものになっていく。
我ながら安直だとは思うけれど、どうしてか恐怖も不安も、飛んでいってしまって。

きっと、嬉しすぎておかしくなってしまったのだ。
鈍くなった足を止めた私を気にして、覗き込んでくる長身を見上げ返す。涙は一応、引いていた。



「なまえ…調子でも悪いアルか?」



そっと伸ばされる手がどこに触れても、もう心がささくれたりしない。

信じられないくらいあっさりと、頭の中には進むべき道が見えていた。



「劉くん…」



あなたが、この眼の魔力に惑わされたのでも何でもなく、私自身に恋をしてくれたのなら。



「私はあなたを、好きになってもいいですか…?」



劉くんなら、好きになれる。この人を好きになれば、自分のことだって少しは信じられる気がする。

頬に触れる直前、ぴたりと止まった指の持ち主を見上げる。
見開かれた瞳は私をたっぷりと写した後、噛み締めるようにゆっくりと伏せられたかと思うと再び姿を現した。



「駄目なわけがないアル」



しかし、その目を見つめ続けられはしなかった。

感極まったように、頬の横を通り過ぎた手に背中を引き寄せられた所為だ。
軽い圧迫を感じながら制服の胸に顔が埋まる瞬間、知らない香りが鼻腔を掠めた。






これまでの誤診が伝えられると新たな病が発覚しました



いつかもそうされたように柔らかく髪に落とされる唇に、大きく跳ねた心臓が苦しいのに、心地良さを覚えた。

きっと長い時間は必要ないのだ。
単純で仕掛けのない恋に、悪い魔法から解けた私は、落ちていく。

20140719. 

prev / next

[ back ]


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -