シリーズ | ナノ


寒い季節は嫌いではないけれど、さすがに秋田の冬は厳しい。
去年の驚きを思い出しながら歩く寮までの帰路、金木犀の香りを楽しめる期間も残り少ないことを寂しく思う。今年は去年よりはこちらの冬にも慣れているといいのだけれど。

そんなことを考えながら歩く私の隣には、高い上背の留学生がいる。
コンパスの差をゆったりとした歩調で埋めてくれる劉くんは、また後でと口にした通り、私の話を聞くための時間をとろうとしてくれた。
とはいえ、彼には部活がある。強豪と名高い部活の練習をサボらせるわけにもいかないので、私の方が校舎で時間を潰して彼の部活が終わるのを待った。

学校で関わることは、それが彼の一方的なアクションであっても少なくはない。
けれど、こうして登下校を共にするのは初めてのことだ。日暮れの空は青っぽい色の中に、千切られたわたあめのような雲が漂っている。
地面で形を変える二人分の影もだんだんと目視できなくなっていく。最初から本題に入るのは憚られて、何気ない会話を続ける自分の身体が硬くなっていくことに、気付いていた。

しかし空気を重く感じるのは、私だけのようだ。
隣を歩く劉くんの口からは、部活中の出来事がぽんぽんと飛び出している。
語られる内容は少し愚痴っぽくて、主将がモテたがりで煩いとか、例の帰国子女がそれを刺激するとか、一人何事にも構わない後輩がまた我儘だったとか…とにかく、何だかんだ愛着をちらつかせたものばかりだ。

部活仲間への好意に対しては、素直じゃないらしい。
意地の張り方が微笑ましいなぁ…と思ってはリラックスしようと内心奮闘している私に、けれど彼はどういうタイミングの計り方をしているのか、またも唐突に切り出してきた。



「それで、なまえの貰った手紙は結局何だったアルか?」



ごふっ、と。漫画ならその一言に刺されて血を吐いている描写が描かれたかもしれない。

ちょっと待って。待って、今の今まで部活の話してたじゃないですか…!
私にだって心の準備が欲しい。いや、もう四分くらいは歩いたし、準備時間として短くはないけれど。それにしたって会話内容の飛び様が酷い。

ばくばくと一気に速い鼓動を刻み始めた胸を押さえ、縺れそうになる足をなんとか動かす。
真っ正面から問われてしまえば、逃げ道もない。



「あ、えー…えっとですね…手紙は…」



ああ、言いたくない。
一瞬浮かんだ気持ちを、頭の中から追い出す。

今回はどうだろう。話を聞いて今度こそ、嫌われたり気味悪がられたりしないだろうか。
いや、されても、仕方ないのだ。どう転がろうと、転がってしまえば諦める他に道はない。
足は重くなって、動きも鈍くなる。すぐ傍からこちらを窺う視線を、見つめ返せるほどの勇気は湧かなかった。

ああ、胸が痛い。



「内容は…私のことを好きじゃなくなった報告…みたいなもの、だったの」

「わざわざそんなこと送ってくるものアルか? 日本人は不思議アルな」

「いや、それは…おかしくなっちゃってたから、なんだよね」



それも決して、相手の所為ではないのだけれど。

どういう意味だ、と素直に疑問を口にする彼には、まだ嫌悪を感じた雰囲気はない。
肺の中の空気が少なくなっていくように感じながらも、まだ私も表面上は平静を保てた。握り締めた拳は震えたし、手汗は酷かったが。



「私を好きになってくれる人、大概暗示に掛かったみたいに派手に好意をぶつけてくるから…迷惑かけてごめん、みたいなことが書かれてて」

「…それで落ち込んだアルか?」

「え…っ?」



つい、思わず顔を上げてしまったのは、少しも予測できなかった言葉が飛び出した所為だ。

落ち込む? 私が?
好かれ続けないことに安心はしても、落ち込むような謂われはない。
どうしてそんなことを言うんだろう。疑問を顔に出したまま隣歩く彼を見上げれば、やはりその表情は特に厳しく歪んではいなかった。



「確か、ワタシも被害者だとか言ってたアルな」

「え…あ、うん…」

「つまりなまえは、その暗示が解けたらワタシもなまえを好きじゃなくなると思っている。間違ってるアルか?」

「思ってるというか…実際、そうみたいだから」



冷たいものが胸の内側を滑り落ちる感覚から、意識を逸らす。

魔法が解ければ気持ちはなくなる。どうすれば解けるかということより、解けるものなのだという事実が大事なのだ。

だからどうしても、思ってしまう。
偽物の気持ちを植え付けているこの時間は無駄なものだと。
申し訳ないことをしている、と。



「もしかしたら劉くんにも…他に気になる子がいたかもしれないし」

「そんな者はいないアル」

「い、いなくても、出会う可能性を潰したかも」

「なまえ」



いくらか真剣さを帯びた声に名前を呼ばれて、びくりと肩が揺れる。
なまえはおかしいアル。そのままずばりと突き刺された言葉にも、息が止まった。



「どちらにせよ先に出会って好ましく思ったのはなまえアル。それに、気持ちが育つこともあると考えないのは、おかしい」

「…おかしい…?」

「ワタシはなまえを好きになって、嫌なことも困ったことも一つもないアル」

「そ…」



そんなわけないでしょう。おかしくなっているのに。
おかしくなっているから、おかしいことに気付けないのだろうか。

言い聞かせ、納得させるようにぐい、と近付けられた顔から、目が逸らせない。
どんな言葉をくれたって、あなただって、魔法が解ければ私に見向きもしなくなるはずなのに。
劉くんが優しいから許してくれるのか、好意があるから許してくれるのか。それすら判断が付かないというのに。

ぐらつかせることばかり、言わないで。
本当であればいいと、揺れる気持ちから目を逸らし続けていられなくなる。






病魔は密かに進行する




次の日から、私が取った行動もまたあからさまなものだった。

所属するクラスが同じでは完璧に避けることはできないが、休み時間や昼休みにはとにかく教室を出て、彼に見つからないよう隠れて時間を潰す。
彼の方も彼の方で私を探し回っていたけれど、何しろあの体格だ。ただ廊下を歩いているだけでも目立つ人を、避けて回るのは特に難しいことでもなかった。

これ以上、近付かれたくない。優しくされたくない。
解ける魔法なら早い内に解けてくれないと。私が、つらい。



「みょうじさん、だったよね」



花壇の傍でしゃがんで身を隠していた昼休み、聞き覚えのある声に名前を呼ばれて、勢いよく膝から顔を上げた。
すぐ近くから聞こえたと思った声の発生源は本当に近かった。慌ててさ迷わせた視線は三メートルも離れているかという場所で足を止めた、ちょっとないくらいの美貌の持ち主に定められる。

ヤバい。
穏やかに見える微笑と目を合わせた瞬間に、心臓まで強張る。
失礼なことだとも思うが、劉くん以上にまずいものと接触してしまった気がした。

一度止まった氷室辰也の足が、私に合わせるようにその場で折られる。



「な、何か…ご用ですか」

「そんなに警戒しなくても、何もしないよ」



劉くんを避けているこの状況で、同じ部活に所属する同級生を警戒するなという方が無理だ。

偶然見掛けて、少し話がしたくなったから。
にこりと笑い掛けてくる氷室辰也を無言で見返せば、ほんの少しだけ、その眉が下がった。



「劉が悩んでたよ」



みょうじさんの悩みが取り除けない、その上避けられる、って。
やはり彼らは通じていたらしい。氷室辰也の発言に、寒気が走った。

まさかここで捕まえて引きずり出す気かと、腰を浮かせて逃げ出す準備に入ろうとしたところで、まあ待て、という風に手を振られる。
特に大きな動きに入る動作もなく、美貌の帰国子女はある程度の事情を劉くんから聞いたということを語ってくれた。



「は…?」

「だから、気になってね。それって何か特別なアクションでも要るのかなって」

「まっ…待って、ください。だって……信じたんですか?」

「嘘じゃないんだろ?」

「う……劉くんが間違って解釈していなければ、嘘ではないですけど…」

「だろうと思った。そんなまどろっこしい嘘をわざわざ吐く意味がないしね」



まさか、相談するにしても私の事情まで話しているなんて思わなかった。
オレしか聞いていないから大丈夫だよ、と笑う氷室辰也の、どこが大丈夫なのかも私には解らない。

福井先輩やら氷室辰也やら、劉くんは相談相手を選び間違えている気がしてならない。
これが留学生の弊害かと、苦い気持ちが顔に滲んでしまった気がする。



「で、暗示ってのはどうやって掛けるのかな」

「…ウィンク…というか、片目を瞑ると、それを見ていた人が掛かる…というか」



バレてしまえば隠しようもない。
疑ったりからかうつもりもなさそうなことを確かめて、渋々口にする。

あまり、誰にでもは知られたくないのだけれど。
鉛が落ちてくるように胸の辺りが重くなるのを堪えていると、私の答えを聞いた不穏分子は一つ頷き、今度はまたとんでもないことを言い出した。



「結構簡単だな…それなら一度、オレにもやってみてくれる?」

「……はい?」

「一回やってみてくれないか? オレは君を好きにならない自信があるから」



何を言っるんだこの人。

愕然として固まる私に向けられる笑顔が崩れないのが、また怖い。
疑ったり馬鹿にした雰囲気はなかった。今もそうだ。変わらない。つまり私の望まない特性を理解した上での、発言ということだ。

この人、正気…?
自分からおかしくなろうとするなんて、それこそ元からとち狂っているとしか思えない。
目の前にいる人間が何を考えているのか、全く解らなかった。

油断している隙に、伸びてきた手が目蓋に近付く。しっかりとした判断力の欠けた状態ですぐ目の前に手を伸ばされて、目を閉じずにいることはできなかった。



(しまっ…)



やってしまった。最悪だ。
寄りによって、彼の部活仲間相手に。

閉じてしまった片目を開いた瞬間、反射的に立ち上がって逃げようとする。同じタイミングで腰を上げた氷室辰也は、それなのに、どうしてか。



「…ほら、何も変わらない」



数秒前と大差ない様子で、悠然とした笑みを湛えていた。

20140714. 

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