シリーズ | ナノ


帝都を離れて始めた寮生活には最初は戸惑いも不安もあったけれど、一年以上を過ごしてみれば慣れるものだ。
不自由も少なくはないが、実家にいてはできないような体験もできる。一概にいいとも悪いとも言えないけれど、部屋に籠っていれば異性を気にせずにいられる空間は、私にとっては特別悪いものではなかった。

そんな寮生活の一コマ、定期的に届く実家からの仕送りを受け取った夕方のこと。
小さくはない段ボールを慣れた手付きで開いて、荷物類の上に乗せられた小さなメモを一番最初に目に写した。
何かを送る際、一筆沿えるのは家では当たり前のことだ。けれど、今回は少しいつもと違うものも発見する。
詰め込まれた衣服やお菓子の他に、この目に飛び込んできたものがあった。



「…手紙?」



服と服の間に挟まるようにして入れられていたのは、モスグリーンの無地の封筒だった。

これは何だろう。不思議に思い、先に何か書いていないかとメモの方を確認する。
手に取った白いメモには見慣れた母の字で、いつものように当たり障りない挨拶と近況報告が書かれている。そして締め括られる寸前の行に付け足されていた一文に目を通した瞬間、私の指からメモが滑る。

ひらりと宙を舞って床に落ちたそれを、呆然とした頭のまま見つめて。
それから数秒を置いて、未だ一度も触れられず服に挟まったままの封筒へと目を移した。



「え…?」









(眠い……)



寝不足で重くなる頭をフラフラと揺らし、吐き出す息は自然と青色に変わる。
日常生活を送る上で気を抜かないように、普段から睡眠含む体調管理は完璧である私なのに、何たる失態だろう。
温かいミルクを飲んでから、ベッドに入って目を閉じて、昨夜はどれだけ羊を数えただろうか。
寝ようとしても意識が冴えて寝付けなかった夜が憎い。そのくせ朝になると眠たくて仕方がないなんて…だらしがなくて本当に嫌になる。

込み上げる欠伸を何度も噛み殺しては滲む涙を擦っていた休み時間。最早定番のように私の机の前にやって来る彼が、前後のない唐突な言葉を降らせてきた。



「何かあったアルか」



日本人にはあまり見ない率直な切り出し方に、つい肩が揺れる。



「っ…えっと、何かって…?」

「朝から表情が硬いし、随分眠そうで…何か悩みごとでもできたアルか」



ギクリとしながら視線を上げれば、腰を屈めて私を見下ろしてくる劉くんの手が伸びてくる。
避ける間もなくするすると、髪を潜って肌を撫でる感触が側頭部に走った。

あ、ちょっとまずい。気持ちいい。
うっかり微睡みそうになってしまって、振り払えない代わりに首を振った。
駄目だ。流されるな。慣れたりなんかしたら、後で痛い目を見る。

けれど、動揺には気付かれてしまったかもしれない。いや、寧ろあからさまに反応をしてしまったし、気付かれていない方がおかしい。
それでも一応、一縷の期待を捨てずに誤魔化すために口を動かした。



「何でもないよ」

「…嘘アル」

「う……どうしてそう思うの…?」



劉くんの手は、大きいのに意外と力加減がしっかりしている。
大きいからこそ、だろうか。下手に力を入れて痛みを生まないように、気を使っているのかもしれない。

生まれた国が違えば文化も違うけれど、そういう気遣いには人の優しさが滲むものだ。
するすると耳の傍を撫でられる感覚を心地好く思ってしまう気持ちを、今は横に追いやる。私はしっかりと開いた目で彼を見上げて問い掛けた。

いつの間にか、小さな接触には警戒が薄れさせられてきている。
あまり、いいことじゃない。私は異性が苦手だったはずなのに、触れられて拒否感を抱かなくなっているなんて、どう考えてもまずい。



「見れば分かる。何もないなんてことは絶対ないアル」



はっきりと言い切る口調は強く、同じようにじっと向けられる視線も真剣だ。
不意に、ぐっと胸を圧迫されたような感覚が走った。



(見れば…分かる)



ただの寝不足なのに、そこから悩みごとがあるというところに行き着くほど、彼は私を観察しているのか。
魔法の威力が恐ろしい。それが事実なら、掛かった人間の生活スタイルさえ崩しかねない。彼なんてもう、手遅れじゃないか。

手遅れだというのに、想いは偽物でしかないなんて。
本当に残酷なことだと思う。
恋に狂うなら、本人の意思で好きになった人に対してでなければいけないのに。

止めてあげられればいいのに。
偽物であっても優しい恋情を向けてくれる人だから、どうにかして勘違いを止めてあげたかった。
彼の想いは、ちゃんと、本当に好きな人に向けられるべきだ。



「…昔」



劉くんにはもう、以前軽く話してしまったから、いいだろうか。
目を覚ますいい薬にもなるかもしれない。そう考えると苦いものも込み上げたけれど、可能性があるのなら試してみるべきだろう。

心を決めて言葉を吐き出そうとする私を見つめる彼は、黙って首を傾げていた。



「昔から、私…好意を集めやすいって言ったでしょ?」

「…ああ、前に聞いた話アルな。まだそれで悩んでたアルか」

「ううん。いや、その件が関わってるんだけど、ちょっと違うの」

「? どういう」

「その、被害者…っていうのかな。その中の一人から、手紙が来て…あ」



ざわめいていた教室が、静まる。
教卓に着こうとしている教師に気付いて言葉を区切れば、一度そちらを窺った劉くんもここまでと思ったのだろう。去り際に短く、また後で、と言い残していった。
離れた席に戻っていく背中を眺めて、自然と呼吸を深くしてしまう。

また後で、か。



(詳しく…まとめて話せるかな)



違う。話さなければ。そのために、語る内容も整理しなくてはならない。
荷物に埋もれていたモスグリーンの封筒と、その中身を思い出す。授業開始の号令に従いつつも、私の頭の中はその内容で一杯だった。

母のメモに書かれていたことだけで、充分に驚かされたことだけれど。
送られてきた封筒の正体、そしてその中身には、それ以上の衝撃を受けた。

翌日まで引き摺り、態度に出さずに隠しきるなんて真似もできないくらい。元々表情を取り繕うのも苦手な私だから、余計に顔に出ていたのかもしれない。
母のメモには、手紙は小学生時代の級友から届けられたものだと書かれていた。
並べられた名前は忘れもしない、忌まわしい特質による一番初めの被害者のものだった。

開けるか、開けまいか。開けないわけにはいかないと結論付けるまでも数時間を要した。
何が書いてあるのか、恐る恐る開いた二つ折りにされた便箋は封筒と同じモスグリーンのシンプルなもので、特に荒くもない、寧ろ落ち着いた丁寧な字が並んでいた。

まずは、冷静な気持ちで目を通せそうなことに安堵する。
文頭も軽い挨拶で、数年前の恋に狂ってぶつかってきていた頃のような必死さは感じられなかった。
距離を置いたのは正解だったようだ。彼の文面には、学校が離れて顔を合わせなくなってから冷静に過去を振り返れるようになったこと、私を困らせることばかりしたことを今更でも謝罪したくて手紙を言付けたという旨がしっかりと書かれていた。

第一の被害者の中でも一番良識を持っていた人だから、年月が流れた今でも気に掛けてくれたのだろう。
今は新しく好きな人がいるという自身の秘密も、付け足されている。それを読んだ私の胸は、ほんの少しだけ晴れた。

悪い魔法は、解けたのだ。
よかった。この魔法は、いつかは解けるものなのだ。



(よかった)



個人差はあるかもしれない。距離を置くという条件も、大事だったのかもしれない。
その辺りは詳しくは判らないが、少なくとも私が関わり続けなければ、きっと一生を狂わせたりはしない。

だから私も、相手を好きにならなければ問題はない。
いつかは魔法は解けるのだ。
それが数日後か数年後かは判らないけれど、まやかしでしかない気持ちは最後には消え果てる。そう、分かったから。
喜んでいいことだ。喜ばしいことのはず。

だから、今度こそ間違いは犯すまい。
今まで以上に気を配り、距離を置く努力をしよう。
そう、頭では考えているのに。



(馬鹿みたい)



やだなぁ、なんて。
馬鹿なことを、考える気持ちに気付くのは、感触を追うように自分の指が先ほどまで撫でられていた部分に触れる時だ。

嫌なことなんてあるはずない。
きっと彼だって、解放してあげられる。その術に一歩近付けたというのに、何を嫌がる理由があるのか。

偽物の気持ちは、いつかは消える。そう教えられて悲しく思っているのなら、本当に愚か者だ。
優しい人を騙しているような現状を気に入るなんで、私はいつからそんな最低な人間に成り下がっていたのだろうか。

不自然な魔法で好かれ続けても、未来はないのに。
彼にはきちんと、聞かせなければならないのに。

離れた席で教師の説明に耳を傾けている、クラスメイト達よりも高い位置にある横顔を目で追って、深呼吸する。
空気を吸い込んだ肺が痛んだように感じたのは、きっと、気の所為だ。






適切な処置法が見つかりました




解けるものなら早く解きたい。
心が逸る理由から目を逸らしていられる内に、決着を着けてしまいたかった。

20140713. 

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