シリーズ | ナノ


真太郎からの助言にならない助言を受け取って数日。
私はそれ以前に決断したことを守るべく、とにかく氷室くんの観察に努めた。

心臓を強靭に鍛え上げ、動揺を抑えて慣れられるように。まずは普段の彼と私の前での彼の姿の差違を捕らえて、ギャップを掴もうと。
そう、自分では思っていたつもり、なのだけれど。



「ふ、ふおおぉ……やっぱり負けるぅぅぅ」

「うん? 何が?」

「解って言ってる…絶対氷室くん解ってて言ってる……しかも楽しんでる…」



もうやだよ…この人Sだよ…!
机に突っ伏した顔を上げてみなくても判る。絶対に今、満足げに涼しげな瞳を細めているに違いない。
彼を観察するなんて、なんて無謀なことを考えてしまったのかと今更自分を責めたくなった。

これは、つらい。視線を向ければ八割型目が合うし、それでも逸らさずにいれば負けじと見つめ返されるし、それだけでも何だか恥ずかしいのに色気を含んだ美の象徴とも言うべき笑顔を見せつけられるし。
しかも大概観察するまでもなく、何故か二人きりになることが多いし。今だって昼休みを図書室で過ごそうと思っていたら、いつの間にか向かい側に座っていた氷室くんに逆に観察されていたりして。



(古書スペースだから人もいないし…)



大声を出さなければ会話ができるのはいいけれど、重要なのはそこではなく。
氷室くんファンの方々に申し訳なくなるくらい、実に美味しい思いをし過ぎていたりして…。
代わりに私の脳内は大混乱だし、心臓は激しくポンプしてることを考えると、ライフをごりごりと削られまくっている方が大きいわけですが。



(息が苦しい…)



本気で命狙われてる気すらしてきたのだけれど…どうしよう。

現実逃避に内心でそんな呟きを漏らしていると、充分に時間を使って慣らされていた感覚が頭を擽る。



「なまえが可愛いからいけないんだよ」

「ひっ…う、近い。声近い…っ」



頭を撫でられた、と思う前にぞくりと耳から背筋に走った電流に、勢いよく机から身を起こす。それからすぐに恨みがましい視線を上げたのに、返ってきたものと言えばそれは艶やかな満面の笑みだった。

私の反応がそんなに楽しいんですか氷室くん…。



(やっぱりSだ)



軽く椅子を引いて遠ざかってみると、酷いなぁなんて肩を竦める彼には、貴方の方が大分えげつないですと声を大にして訴えたい。
私がそういうやり取りに慣れてないと解っているくせに、手加減してくれないのは誰だと。



「でも、本当にどうしたの? 最近やけにオレのこと気にしてくれてるよね」

「…それは、普通気にせずにはいられないと思うんだけど」

「それとは別に。まるで対抗しようとしてるみたいに見えるよ」



さすが氷室くんは侮りがたい。
笑みを湛えながらも奥底を探るような目を向けられて、うぐ、と息を詰まらせる。



「あと、これは何?」

「…テキスト、です」



伸びてきた指先が、私の手に収まっている本の縁をちょん、と叩く。それと同時につい、立てた本の影に顔を隠した。
『初心恋愛100ヶ条』という文字と可愛らしいイラストが表紙の、かなりベタな方法の綴られた中身のそれを、つっこまれて平然としていられるほどはさすがに私も図太くない。

氷室くんに見られたくなかったから、図書室まで来て読んでたのに…。
本当に、予定通りに進まない。そもそもこの本の内容によっても、予定通りに進むようなものではないらしいけれど。



「なまえは本当に可愛いな。オレのことで悩んでこんな本まで読み始めるなんて…最高に可愛い」



はぁ、と悦に浸るように吐かれた彼の溜息の方が、断然色っぽいと思う。
いい加減本気で氷室くんの眼と判断力を疑いたいけれど、ここまで来るともう今更なのかもしれなかった。

身体の奥底から込み上げる、むずむずとした感覚に唇を噛み締める。
悔しいけれど睨み返す余裕はない。赤くなっているのが自分で判るくらい頬が熱くて堪らない。



「…仕方、ないんだもん……色々解らないから…」



本当に、恋愛のれの字も知らないような私だ。喉から漏れる情けない声には自分でも呆れるけれど、解らないものは解らないから、調べるしかない。
恥を忍んでそうしているのに、指摘されるとからかわれているような気持ちになって、つい唇が尖った。

氷室くんにそんなつもりはないのかもしれないけれど、私だって恥ずかしいことは恥ずかしいのだ。



「解らないことならオレが直接教えるよ?」

「…氷室くんに教わったら、丸め込まれる気しかしない」

「ははっ、信用ないな」



困ったように笑っているけれど、否定はしなかった彼に何とも言えない気分になった。

そんなことないって言ってほしかったよ切実に。今ので安心感激減だよ氷室くん…。



「でも、真剣に向き合ってくれるのは嬉しいな」



簡単に切り捨てる気はないってことだからね。

本当に心から思っているように嬉しいそうに呟かれる声に、ぎゅっと縮こまってしまいたくなる。
もう、恐らくバレているのだ。私の思考回路は概ね把握されていて、現状も掴まれている。



(…勝てるわけがない)



決定打がないだけで、状況は明らかに不利だ。納得するしかないくらい本気の彼から、私ごときが逃げられる気がしない。諦めた方が楽だとも思う。

でも、それでも、どうしても解らないから、私も中途半端に揺さぶられて身動きがとれなかったりして。



「そもそも…氷室くんは何で私なんかに、その…」

「好きか、って?」

「直球ですね…」



ずるり。完璧に机に沈む私に、くすくすと小さな笑い声が降ってくる。
どこまで余裕なのかなこの人は。私の方は全然慣れられないし、心臓が胸を突き破りそうなのに。



「唯川さんにも同じようなこと訊かれたけど…オレの方がよく解らないな」

「…?」

「好かれる理由なんていくらでも持ってるんだよ、なまえは。少なくとも、オレが好きになった理由全て語りきると一晩はかかるくらい」

「…ひ、一晩…は言い過ぎじゃ」



急に出てきたゆっちゃんの名前にちらりと視線を上げると、最高級の微笑みを食らわされた。慌てて再び顔を伏せる。



「なら語ってみようか」

「えっいや遠慮します」

「まずは…そうだな。身内に向ける笑顔が可愛い。信頼が全面に出てて…オレにも向けてくれたら更にドツボにはまるレベルだと思うよ」

「遠慮しますって、言ってるのに…」



わざと私を揺さぶっているとしか思えない。
氷室くんの方がよっぽど凶悪な笑顔持ってるじゃないか…と唸る私を見て、楽しんでいる節のある彼は序の口なのに、と笑った。



「なまえ、耳まで真っ赤だよ」



机に置いた腕に顔をくっつけていると、また髪を撫でられる感触が走る。
あまりにも優しい手付きが逆に羞恥心を更に煽って、泣きそうになった。



「………セクハラだ…」

「嫌がってないのに?」

「…氷室くんの、意地悪」



呟いて、より強く顔を隠し込む。

解ってるよ。嫌だなんて少しも感じていないもの。



(でも、まだ解らない)



あと少しで触れられそうな確信に、触れられない。
ただバクバクと響く血液の流れを感じながら、熱でもあるように火照った身体を持て余した。

私は、何を求めているんだろう。






相対四十分




(それで、結局何をしてたのかな)
(……氷室くんのアクションに、慣れようと…思ったけどやっぱり無理でした…)
(…へぇ…どんな風に無理なの?)
(っ…だから、そういうのが駄目なのに、解ってて近付く…)
(だってなまえの反応が可愛いからね…好きな子には、つい構いたくもなるよ)
(うー…っもう……いじめだよこれ…)

20130521. 

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