本当は、難しいことなんかじゃない。
理解する、それだけならば。
「で…どうなったわけ?」
「……どうなったんだろう」
「判ってないんかい」
びしり、と友人から落ちてきたチョップは甘んじて受け入れることにする。
いや、私もね、自分でも凄く中途半端だなぁとは思っているんだよ。いるんだけども…。
「いやはや氷室くんの押しが強すぎてですね…」
今思い出すだけでも、膝から崩れ落ちてしまいそうになる。
あれは、酷い。酷すぎる。何がって氷室くんの色気が。
悶えたくなるような気持ちでも何とか耐えて、俯くだけに留めている私を褒めてほしいくらいだ。
何もかも暴露された後、クラスに戻る時間になるとスッキリとした笑顔で私の手を引いてきた彼を、記憶から消したくて仕方がなかった。
不快だということがなくても、キャパシティーを大幅に越え過ぎている。
「何て言うか…ハンターの目だった」
至近距離で、逃す気が更々ないといった態度で見つめてきた瞳を思い出して身震いする。
氷室辰也…おそろしい人だ。
元が麗しい分、本気を出した彼は壮絶に色っぽかった。というか、はっきり言ってエロかった。百戦錬磨という肩書きがよく似合いそうな佇まいに、今更気付かされた。
「いやそれ今更じゃない」
「皆はあれを見て怯えてたんだね…」
「さぁ? 今回私は見てないし何とも言えないけど…アンタに悪いとこ見せるようなヘマしないんじゃない? 氷室くんだし」
「…氷室くん何者」
「私が知るわけないでしょ」
アンタが一番傍にいるのにそんなこと聞くか、と呆れた顔をする、ゆっちゃんの発言は正しい。
あれだけ傍にいて知らない部分がまだまだありそうな辺り、本当に氷室くんは侮れない人である。
とりあえず、優しい人ではあっても、それだけじゃないということはよく解った。
まぁ、その辺は以前からどことなく感じていたところではあるんだけど…。
「で? 付き合わないの?」
「うー…んー……」
学園祭も後半、妙な連中に絡まれた私を心配して接客から調理担当になるよう進言してくれた彼はというと、相変わらず女子の視線を集めながら欠員分を埋めるように働いてくれている。
優しいだけじゃない。でも、私には確かに優しい。恐らくは激甘と言っても差し支えないレベルで。
けれど、氷室くんと付き合う、となると…
「心臓いくつあっても足りないよねぇ…」
あんな調子で迫られたら、押し負けてしまうことも確実だろうし…。
考えるだけで火照りそうになる頬を感じて、項垂れる。
逃げ切れる気は欠片もしない。だって、嫌いにもなれなければ疎ましくも思えないのだから。
「…なーんだ」
出てるんじゃん、答え。
鼻で笑いながら友人の差し出してきたカップに蒸らしていた紅茶を注ぎ入れて、嘆息した。
それでも、理由は欲しいのだ。
「ラスト三十分だって」
「!」
「お疲れ氷室くん」
「お互いにね、お疲れさま」
噂をすれば影とは、よく言ったものだと思う。
背後から掛けられた声に肩を揺らした私の横で、そ知らぬ顔で話し掛けるゆっちゃんの度胸に尊敬の念を抱いた。
聞かれてたかも…とか、そんな不安は一切感じていないようだ。
(いや、他人事なのかも…)
その辺ドライだからなぁゆっちゃん…。
お前の問題はお前が片付けろ、というメッセージなのかもしれない。そう考えると心細くて堪らなくなる。
氷室くんが嫌なわけじゃないけれど、私だって人並みに気不味い思いを抱いたりもするわけで。
なのに、告白までしてきた当の本人は吹っ切れた様子で躊躇いなく近寄ってくるから、どんな顔をしていいものか判らず、つい俯いてしまう。
人の目を見て話さないの、よくないって解っているのに。
「なまえも、お疲れさま」
「あ、う……ん?」
「うん?」
頷こうとした頭を、途中で捻る。
今凄く、ナチュラルだったけど…名前、呼ばれた?
数秒前の気持ちも忘れて顔を上げれば、すぐ目の前まで来ていた氷室くんが満面の笑みを浮かべている。
にこにことした整った笑みは正に美の化身…というか。
「名前…?」
「ああ、本当はずっと呼びたかったから…気持ちもバレたことだし、もう我慢する必要もないだろ?」
バレたと言うより自分でバラしたんじゃ…なんてツッコミは、入れる余裕はなかった。
ねぇなまえ、とそれはもう愛しそうな笑みと共に、彼に呼ばれてみれば解る。これは、ちょっとどころではなく。
(まずい)
心臓が、縮こまってしまったように痛い。
「あ、赤くなった」
「………」
「照れてるんだ。可愛いな…なまえはあまりそんな顔しないから余計に」
「……ひぃ」
もうやめてください。こんなの羞恥プレイ過ぎる…!
調理場には他のクラスメイトだっているのだ。そんな中でこんな氷室くんに注目しない人間がいないわけがない。四方から突き刺さる視線まで、痛い。
隣からうざったそうな視線を向けてくるくらいなら、ゆっちゃん助けて。
仕留める気満々の氷室くんに、私が殺される前に。
「可愛いよ、なまえ」
今までと変わらない、柔らかな手付きで髪を梳かれても安心できない。それどころか頭の中が沸騰してしまうような錯覚に襲われる。
(何で、こんな)
勝ち目なんか一筋も見えやしない。
惜し気もない好意の逃がしどころが、見つからないのが苦しくて。
一瞬で沈没
本当はどこかで、解っていること。
気付いてるけど、理由が欲しいの。
20130414.
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