シリーズ | ナノ


校内行事とは言えど、年に一度の祭りとなれば様々な方面に張り切る人間は出てくるもので。
空気に押されて、普段より大胆な行動に出る者も少なくない。

とは言え、校舎内ということで教師の見回りが当然ある。そんな中でそうそうおかしなことは、できないはずなのだが。



「メイドさん可愛いー」

「ねえねえ、休憩時間とかあるよね? オレらと回んない?」

「ついでにご奉仕なんかも頼んじゃったりしてー」



おかしいな…ただの文化祭だと思ってたのに、いつからここはイメクラになったのかな…。

普通に給仕を行っていたはずなのに、他校生らしき男子の集まりに捕まってしまい、つい現実逃避に走る。
いつものぱっとしない外見なら確実にスルーされていたはずなのに、衣装とメイクと祭りの力は侮れない。
可愛い女の子は、こういうことも日常茶飯事なのかもしれないのだ。それはさぞ大変だろうなぁ…なんてことを考えながら、断るために頭を下げた。



「申し訳ありませんが、そのようなサービスは行っておりませんので…」

「いやいや、メイドっつったらご主人様の言うこと聞かなきゃなー?」



頭を下げながら掴まれてしまっていた腕を然り気無く抜き取ろうとしたのだけれど、予想よりしぶとく食い下がられる。素晴らしいハングリー精神だ。全くもって嬉しくない。

一応客なので強く出ることもできず、他のクラスメイト達は自分の仕事で忙しく気付いてくれない。
どうしたものかと困りきっていると、それを良いことに強く腕を引かれてその拍子につんのめった。



「っ、わ」

「おーっと、倒れちゃったー」

「うっわズリィ」

「っ!?」



腕を引かれたのだから、そちらに倒れこむのは解る。けれど、倒れこんでしまった先の男子の手が、すかさず腰に回ってきたことに思考ごと身体が固まりかけた。

何で、見ず知らずの人間とここまで密着してるの…っ?

ひっ、と喉が引き攣る。
なにしろこんな経験は初めてで、対処の仕方も判らない。
やたらと身体を押し付けさせようとするように付加がかかって、泣きそうになった。
すごく気持ち悪い。



「は、離して…っ」

「言うこと聞かないメイドだなー…」



何でこの人達楽しそうなの…!?

ぞわぞわと這い上がってきた嫌悪感に、本気で泣き出す寸前だ。こんなことをして楽しむなんて、信じられない。
どうにか逃げ出そうと身体を捩っていると、にやにやと笑いながら見られるし。
完全に箍が外れている男子達の行動にいっそ叫んでしまおうかと思った時、今度は腹部に硬い感触を感じて、一瞬力の抜けた身体が後方に引き抜かれた。

その感覚には、覚えがあった。



「申し訳ありませんがお客様、生徒に対する不埒な行為は禁止されています」



お分かりいただけたら、直ぐ様お帰りください。

冷たく重苦しい声が背後から響き、白い手袋に包まれた手が出口を指し示す。
振り返った先で微笑んでいる口元と、モノクル越しの冷めきった瞳に思わず私まで肩が跳ねそうになったのだから、向けられた張本人達は堪ったものじゃなかっただろう。
ただならぬ雰囲気を醸し出す彼に圧されてか、しつこかった男子達は顔を引き攣らせるとそそくさと退散していった。

さすが、美人の睨みは迫力がある。



(でも、助かった…)



本当に、今のは怖かった。
鳥肌が立った腕を擦って、感謝を伝えようと開いた口から飛び出した声は掠れていた。
そのことに自分でも驚いていれば、少し上から深い溜息が落とされる。
見上げてみると、彼は何とも複雑そうに眉を顰めていて。

そのまま無言で手を引かれて、彼に注目していた女性客の多くが悲鳴を上げるのが聞こえた。若干、そちらにも身の危険を感じないでもない。
しかし彼の方は興味がない様子で、ちょうど調理場から出てきたゆっちゃんを見つけると、少し早いが休憩に入る旨を伝えてそのまま教室を出てしまった。そうなると、手を引かれたままの私も従うしかない。

未だに完全には慣れない執事姿の氷室くんの言動に、備わる力は計り知れなかった。
特に文句を言われることなく二人して教室を抜け出して、人の溢れる廊下をこちらも注目を集めながら歩かされる。

振り向く女子の羨望の視線を痛く感じながら、少し前を歩く大きな背中に呼び掛けた。



「あの、氷室くん…どこに…」

「気分、悪いだろ。人がいないところに行こう」

「……大丈夫…って、言いたいんだけど」



いつの間に外したのか、私を捕まえる彼の手は素肌だ。
見知らぬ男子に触られた時に感じたような悪寒は、そういえば彼に感じたことはなかった。



「無理はしなくていい」



綺麗なのに、大きい手だ。男子だし、当たり前なんだけど。

繋がれた手に僅かに込められた力に、身体がぎゅっ、と縮まる思いがした。
暫く歩いて辿り着いたのは荷物置きに使っている教室で、いつ預かって来たのか取り出された鍵で扉を開けた氷室くんは、入って、と私を促すと再び内側から鍵を掛けた。

その行動に軽く戸惑っていると、ここで漸く離れた手が、とん、と肩に置かれる。追って、もう片方にも。



「…怖かったね」



じわり、服越しでも染み込んでくる体温は温かくて、触れられた部分から力が抜けそうになった。

どうしよう。ちょっと、本気で…泣きそう。



「……うん…」



怖かった。だって、あんな風に男の人に寄られたことなんてない。
べたべたと触ってくる手は気持ちが悪かったし、少し冷静になった今なら判るくらい、パニックを起こしていた。

いつもはこんなに着飾らないから目立つこともない。好かれることだって、一度もなかったのだ。目の前の一人を除いては。

でも、違った。明らかに。
好意にも形はあるけれど、今感じている安心感は彼以外の男子の誰にも該当しない。



「駄目だな…やっぱり、よくない。この姿は確かに可愛いけど…」

「…っ」

「目を引きすぎる」



両肩から離された手が、するりと髪の中に差し込まれた。
いつもなら心地いいだけの感覚に、今は比較してしまうからか、やけに過敏に反応してしまう。

軽く跳ねた身体に気付いたらしい、氷室くんの目が細まる。閉め切った教室内は騒音が遠く、静かで。
自分の鼓動が速度を増すのを、とても強く感じた。



「誰も、気付かなければいいのに」



多分今は、モノクルがあってよかった。

硝子一枚隔てても、熱の籠った視線の威力は損なわれない。これが何の障害もなければ、逆に飲み込まれきっていた。

それでも逸らすことはできなかったのだから、仕方がない。
内側から胸を叩いてくる心臓に息苦しさを覚えながら、彼の言葉を聞きたいような、耳を塞いでしまいたいような、どちらとも言えない焦燥感に駆られた。

切なげな声が、耳の奥にこびりついて消えない。
髪を撫でていた手に引き寄せられても、抵抗感もなくその腕の中に収まってしまった。

こんなところ、誰かに見られたら恐ろしいだけでは済まない。そう思いはするのに。
すぐにでも抜け出せる拘束の中で背中を撫でてくる手に、緊張は解けて心までふにゃふにゃと柔らかくなる。



「怖くはない?」

「ん…大丈夫」



嫌な感覚はしない。腰に回された腕にも、ほう、と安堵の息しか漏れない。

ただ、胸が騒いで痛いという部分は、あるけれど。



(私…)



氷室くんに触られるのは、好きなのかな。

触られるのが好きというのも、どうかとは思う。けれど、全面否定もできそうにない。
誰からもこんな風に触れられたことはないのに…安心して収まっていられるのは、彼だから、なのだろうか。

火照る頬を俯き隠しながら、浮かんだ疑問に目蓋を伏せた。







転がる八秒




どれだけの時間、そうしていただろうか。
暫くして解放されても、どんな反応をしたものか戸惑う私に、彼はいつも通りの甘い微笑みを浮かべて。
休憩に入ったから飲み物を買ってくると言って、教室を出ていった。その際、自分が出ていったら鍵をかけるようにと若干過保護な言葉を言い残して。

そこまで心配しなくても…とは、すぐ前に絡まれた手前言えなかった。
それで彼に面倒をかけたことも事実なわけで、とりあえずは言われた通り、鍵を掛けようと扉に近づいた。そこまではよかった。

しかし、鍵に手をかける一瞬前。
がらりと再び開いた扉に驚いて顔を上げると、そこに立っていたのは数日ぶりに見る、顔見知りの女子生徒だった。



「ちょっとぶり、みょうじさん。話したいことがあるんだけど」



いい?、と訊ねてくる瞳は鋭く、可愛らしさの欠片も見つからない。

もしかして、今まで見られていた…?

ぞくりと、背中に走った感覚に唾を飲み込む。
沸き上がる恐怖感を誤魔化し、私は小さく頷き返すことしかできなかった。

20130318. 

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