学生には、避けられない行事というものが多々存在する。
その中の一つ、最も盛り上がりの強い文化祭を近く控えた学生達は、皆どこかしら浮き足立っていた。
それは私の所属するクラスも例外ではなく、先日行われたクラス会議で模擬店を希望することに決めた後の、女子達の行動力と言ったら…まだ他クラスとの話し合いもしていないのに、既に当日の衣装や細かな割り当てまで決めているのだから凄いとしか言い様がない。
その内容や張り切りぶりには、中々着いていくことができないけれど。
「衣装の手配するから、M以外のサイズの人は申告よろしくー」
クラス名簿をちらつかせてそう呼び掛けるのは、纏め役を勝って出たゆっちゃんだ。
今は家庭科の授業後で、男女で選択が異なるので終了時間帯もずれたらしい。女子しかいない教室の中に響いたその声に、私は浮かんだ疑問を素直に吐き出した。
「まだ決まってないのに衣装手配するの?」
それだと、模擬店以外を割り当てられた場合に困るのでは。
金銭が関わる部分は取り返しがつかない。だから大丈夫か、と心配になっての問い掛けにゆっちゃん含む女子メンバーはやれやれ、といった顔で私を振り向いた。
…私そんなおかしなこと言ったかな。
「勝ち取れないわけないでしょ。他クラスだって優遇してくれるわよ」
「うちのクラスに誰がいると思ってんのなまえちゃん」
「…なるほど」
いましたね、氷室くんが。
彼女らの言わんとするところを読み取って、私は二度ほど頷いた。
模擬店となれば接客は絶対。陽泉の誇るモテ男とお近づきになれる機会を逃す女子は少ない。
しかもうちのクラスの企画する模擬店は所謂コスプレというものを含むらしい。となると、やはりイケメンを拝みたい女子にしてみれば美味しい口実になるわけで。
そりゃあ、氷室くんのコスプレを見たいという人は多いだろう。
(恐るべし氷室効果…)
それで本当に勝ち取れる気がするところが、更に怖い。
意味もなく胸に右手をあてながらその存在の強さにうち震えていると、サイズ変更を確認するゆっちゃんの声が再び耳に入ってきた。
あ、忘れてた。
「ゆっちゃんゆっちゃん、私Lでお願いします」
「は? あんたMでよくない?」
「いや、Mだとちょっと胸が」
入らんとです。多分。
軽く手を挙げて主張したところで、ぎしりと室内の空気が固まった気がした。
そして名簿を机に捨てたゆっちゃんが、ゆらりと近付いてくる。
え、何この空気。
「なまえ…」
「? なにゆっちゃ…ひぇ!?」
「あんたが! あんたが着痩せするタイプとは知ってたけど何この肉は!?」
「うぇ、に、肉です…けど…っ」
「何で腹より上にこんだけつくのよ意味わかんないわ!!」
「いややや揉まないでちょっや、やめてって、ゆっちゃん!?」
ぐわし、と伸びてきた手に両胸を掴まれて思わず固まった私に構わず、ご乱心状態の友人は制止も聞かずに揉み拉きまくる。
それが短い時間ちょっと触られたくらいなら私だって気にしないけれど、長々と人の手に触られると女子同士とはいえ羞恥心に襲われるもので。
むにむにと他人の手で揉まれて形を変える自分の胸も、それをどこか楽しげに注目してくる女子達の目も。
じわじわと奥底から恥ずかしさを引きずり出してくるから、どうにも堪らなかった。
集団セクハラだよこれ…!
「や、やだって…ゆっちゃ、もう離して…」
「ちょっと待ってマジこれいくつか吐きな! EかFか、それともまさかのGか!?」
「こ、声おっきいっ!…も、やぁ、誰か助けてっ」
「あと三十秒」
「長いぃっ!」
というか、何でこんな目にあってるの、私…!
恥ずかしいし居たたまれないし、揉まれ過ぎて痛くなってきたし。
しかも周りの女子まで次々と習おうと集まってくる恐怖と言ったらない。その怪しい手の動きに、ひぃ、と情けない声が漏れた。
男が狼なら女はハイエナだ…。
半泣きになりながらなんとか抜け出そうと藻掻いていると、少しして急に周囲の声が収まる。
それを不思議に思うより先に、腰に回った固いものに後方に引き摺られる。それにより離れた手にほっと息を吐いた時、すぐ近くで同じように吐き出される溜息を聞いた。
「あまり、口出しはしたくないんだけど」
「! ひ、氷室くっ…」
「ごめんね。女子同士でも、ちょっと今のはまずいかと思うよ」
いつから、背後に。
よく見てみれば腰に回っていたのは彼の腕で、すぐに離れていったその手は今度は慰めるように私の頭に置かれる。
どうやら、助けられたらしい。けれど問題は、言葉を読み取るに話を聞かれていたというところで。
「っ、氷室くんいつから…いや、違う。待って。氷室くんがいるなら他の男子もいるんじゃ…」
「…廊下にね。入れないでいる」
「………」
なんてこったい。
ぶわあ、と顔面に流れ込む熱に、本気で泣きたくなった。
さっきまでのやり取りが、女子だけでなく男子にまで聞かれて、見られていたなんて。
「ご、ごめんなまえ、調子のったわ…」
「つい面白がっちゃって…みょうじちゃんごめんねっ?」
「……消えたい」
「ごめんね…耳を塞がせるにしても人数が多くて」
申し訳なさそうに、よしよし、と頭を撫でてくる氷室くんに思わず泣きつきたくなった。
セクハラ女子より優しい氷室くんの方がいい。けれど、彼にだって見て聞かれていたことに変わりはないので、それも憚られた。
寧ろ私が一番意識しなきゃいけない相手だし…抱きつくとか、どう考えてもアウトだ。
(なんというか…)
皆の記憶を抹消したい。
さすがの私も、こんな羞恥心には耐えきれないよ。
「…しばらく、落ちます」
「なまえ、本当ごめん」
「オレも、ごめんね。みょうじさん」
「…氷室くんとか、男子に罪はないから、ね…」
でも、ちょっと本気で放っといてほしい。恥ずかしすぎて普通に接せられる自信がない。
気まずげに謝ってくる女子達の相手もできず、私はふらふらと自分の席に戻るとそのまま突っ伏した。
ああこれ、何時間で回復できるかな…。
狼狽九十秒
それから暫くの間、男子から向けられる視線を遮りながら傍で慰めてくれた氷室くんは、相変わらず優しかったのだけれど。
(はい。ミルクティー好きだったよね)
(…うん、好き)
(あんまり気にし過ぎないようにね。もし妙な目で見てくる奴がいても、すぐ止めさせるから)
(…じゃあ氷室くんも、忘れてくれる?)
(それは…正直、無理だな)
(え…)
(あんなに照れるみょうじさんを見たのは初めてだったし、忘れるのは勿体なくて)
(…氷室くんは優しいのに、意地悪)
(ごめんね。でも、可愛かったから)
(……Sか)
20130225.
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