シリーズ | ナノ



「何か彼女に、恨みでもあったんですか」



放課後の生徒会室、分担された仕事の都合により二人きりになったのを見計らって、訊ねた。
振り向いた波柴薫は唐突な問い掛けにも関わらず、質問内容をすぐに察したようで唇を吊り上げた。若しくは、訊ねられることを予期していたのかもしれない。あんな現場を見てしまって、後から話題に上がらない方が不自然でもある。



「単純に、人としての好き嫌い。ああいうクズの極みって、現実叩き付けて踏み潰してやりたくならない?」

「……まあ、否定はしませんけど」



私も私で、ああいった我儘なクソガキは好かない。これから短くない期間通い続ける学院から一掃できて、清々しているのは同じだ。



「でもね、地力の強い賢いお嬢様は嫌いじゃなくなったから。これは誰かさんのお陰ね」

「それは…まぁ、光栄なことですけど」

「貴方って時々、私に近い側にいる気がするもの」



甘やかされて育った、って感じがしないのよね。
書類を放り出し、背もたれに寄り掛かりながら口にする彼女には、無言を返した。
じい、とこちらを射てくる黒い目は何かを探るようにも見えたけれど、要らないことは口にしない。そこいらのお嬢様と一緒くたにされないことには満足しても、だからといって自分の内面を明かしてみせる必要もない。



「……でも、同時に遠い存在でもあるね。みょうじさんは、ずーっと大人みたい。だけど、子供のままでいるようにも見える」



ずっと大人、というのは解っても、子供のままだという言葉には反応してしまいそうになる。
ひくりと音を鳴らしそうになった喉を押さえて、流されるな、と自分に言い聞かせた。

相手は中学生。自分のいくつ下の子供だと思っているの。
全ての言葉を真に受けることなんてないのに、弱ってでもいるのだろうか。つい他者の声に耳を傾けてしまいそうになるのは。



「本当のところは、何だったんですか」



このままではいけない。そう思って、こちらからも追撃を加える。
不自然さを感じることは私にもあった。目の前の状況改善を理由に後回しにしてきただけで、完全に忘れきれるような些細なものではない。



「貴方みたいな人が、好き嫌いなんて我儘な感情一つで人を貶めようとはしないでしょう。やり様は他にもあったし、愛校心から…という理由も、しっくりこない」



確かに波柴薫は、成績優秀でバイタリティーにも溢れた嶺華の誇れる生徒会長である。けれど、学院を最優先に動くにしては人格に癖がありすぎる。
私のように、近い未来に自分の汚点にならないよう、案じて動いていたわけでもない。何もかもが片付いてしまったという風に身を寛げる彼女の目的は、どう考えても林道美奈の排除、それ一つに限られているように思えた。



「……記憶も噂も、すぐに流れて忘れられていくよね」



数秒の間見つめ合っていた瞳が、落とされた目蓋に遮られる。



「一年から二年生の頃にかけて、とても好きな人がいたの」



そのまま眠ってしまうような体勢で、何かの願いを諦めるように、波柴薫は溢した。



「とても好きな人…私に好きでいさせてくれた人。だけど、こんな学校だから続かなかった」

「…生徒ですか」

「一つ上のね。憧れていたし、それなりに本気だったのよ。周囲によく思われないことなんて解ってたし、目立たないようにしていたのに……二年時になった時、あの女が入学してきて掻き回してくれた」



林道美奈。あの女が。

静かに紡がれた、今は去った女生徒の名は、穏やかな声に反してとても汚く聞こえた。



「彼女にとっては面白半分。自分以外の優秀だったり目立つ存在は許せないから、弱みを握りたくもあったんだろうね。女同士で盛り上がっているなんて端から見れば奇異なものだろうし、興味が湧くのも自然ではある。噂はそれはもう急速に広がったよ。私はその頃から教師ウケがよかったから、余計に大事のように扱われて……そうして周りは、誰を責め始めたと思う?」



瞑られていた目が開かれる。一つに括られた髪の色と同じ、黒い瞳は天井を仰いだまま、こちらへは向けられなかった。

私の好きな人は、この学院から追い出されるようにいなくなってしまったの。



「その人の代も中等部を卒業してしまって、もう誰も覚えていないようなことよ。思い出そうともしない。忘れられるのは仕方がない。けど…散々笑いものにしてくれたあの女自身がが忘れて、更には都合よく学院を牛耳ろうとしているなんて、許せる範疇を超えている」

「そんなことで…」

「そんなこと、って思うんだ。みょうじさんも酷いね」

「中学生ですよ。そんな子供じみた気持ちを理由に、そこまで復讐心を燃やせますか」

「子供が本気じゃないなんて、誰が決めるの?」



睨まれた、と感じた。
ぐるりと動いた瞳は、何処かでみたことのある、真っ直ぐすぎる光を宿していて。その口から発せられる言葉には、私にも測りきれない切実な想いが窺えて。

息を飲む。
私には覚えのない情熱に、畏怖を覚えた。



「…決められなくても、子供心の恋なんていつかは消えてなくなるものでしょう」



それでも、何とか反論を紡ぐ。虚勢を張る自分がとても小さく感じたけれど、間違ったことを言っているとは思わない。

忘れることはなくても、長く続くとは到底思えない。初恋や初めての恋愛なんて、記憶に残っても実り続けることはない。そんなものだ。
それは彼女にも解っていることなのか、否定は返ってこなかった。



「そうね。傍にいても永遠に好きでいることはなかったかもしれない。この先、私はきっとまたいつか、違う人を好きになるよ」

「それなら…」

「でもね、中学三年分くらいは、捧げてもいいと思えた。その程度には本気で焦がれた人だったの」



それが一体どのような気持ちなのか理解できない。永遠に実り続けられないようなものを、どうしてそんなに愛しい目で思い返せるのか。
これは、違う。似ているなんて、酷い冗談だ。私は刹那のことに、切実な想いなんて向けられない。

私には、解らない。
無意識に唇を噛む私に向けられた表情は、一際穏やかな微笑みだった。



「短い恋でも守って、散るべき時までは咲かせていたかった」



誰も彼も私も、結構我儘に生きてるのよ。

語りながら絶対に笑みを崩さない、彼女が似ているという人間は、きっと私ではなかった。



「まぁでも、私が気を付けて、そもそも想いを伝えたりしなければ…あの人は此処からいなくならずにすんだかもしれないんだけどね」

「……」

「『貴方の所為じゃない』とか、言ってくれないんだ?」

「言ったところで無駄でしょう」



ああ、苛立たしい。何か、とてつもなく大きな負けを、私までもが味わわされたような気がする。
残るプライドで口調が荒くならないように、それだけしか心掛けられなかった。余裕がないのもいいところだ。



「波柴先輩がそう思っているなら、誰がどんな言葉を掛けたって届かない。何の意味も持たないまま素通りされてしまうんですから」

「そう言うみょうじさんも、誰にも絶対に曲げられない罪悪感を持ってるみたいよね」



何が楽しいのか、ころころと笑いながら人差し指を立てる波柴薫は、年相応のかわいげもなく好き勝手言ってくれる。

私がいなければ、あの子は歪んだ執着を覚えることもなかった。
そんな想いを知るわけもない人間に、読み当てられて歯噛みする。情けないから悔しくて、腹立たしい。
どうして私がこんなことで、追い込まれないといけないの。



「そういうところ、気が合っちゃいそうだからちょっと苦手」

「本当、気が合いますね。私もついさっきから会長のことが苦手です」

「ふふ…でも、共犯者としてこれ以上の存在はいなかったな」



さて、と姿勢を正した生徒会長は、放り出していた書類を手に取り仕事を再開させる。
自分から切り出したとはいえこの場から立ち去りたくなっている私に、教師への言付けを頼む波柴薫という存在が殊更憎らしく思えた。
けれど、一瞬の油断も許さないとでもいうように、彼女は最後に鋭い棘を突き刺してくれる。

ねぇ、でも、思ったんだけど。



「みょうじさんって、誰かに恋したことがないんだろうね」






征服→劣勢




大きな問題が一つ片付いたと思うと、タイミングを読んだかのように体調を崩してしまった。風邪でも流行病にかかったわけでもないのに、急に上がった熱に倒れたのは、学院から帰宅してすぐの玄関でのことだ。
自分で気付かないうちに疲れが溜まっていたのかもしれない。昔から健康体であることには自信があるし、家まで耐えきったことには自分を褒めたいくらいだけれど。軽い食事と氷枕を準備してくれた母の方は、心配げな顔付きを崩そうとはしなかった。



「なまえが熱を出すなんて…学校の方でも色々あったみたいだし、やっぱり疲れていたのね」

「ごめんなさい」

「ああ、謝ることじゃないのよ。喜んじゃいけないけど、なまえはいつも甘えないから」



こんな時くらい我儘を聞かせて、と慰めに髪を撫でてくれる母の手は優しくて、何故だか泣きたいような気持ちになる。

私には不相応だと感じてしまうからだろうか。それとも、ただ嬉しいだけ?
くらくらと揺れるように痛む頭では、思考が繋げない。自分が弱っている、ということだけがよく分かった。



「一応、痛み止めの薬も飲んだし…あとはゆっくり休んで。明日になっても体調が戻らなかったら病院にも行きましょう」



病院。聞くのが嫌になるフレーズだ。
ぼうっと霞む意識の中に、まだ色濃く残る記憶が蘇る。



―ねぇ、なまえさん。一つだけお願いさせて。



優しく美しく、気丈さも持ち合わせた女性の声が鼓膜の傍で響く。
頷く選択肢しか用意されていなかった言葉。私以外には託されなかった責任。無視することは容易く、けれどそうすれば罪悪感が残り続ける。
重く儚い、願い事が、微睡んでいく頭の中に響き渡る。

頷いてしまったから、後戻りは利かない。
それでいいと、思っていた。正しいと信じていたものだから。

20150112. 

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