シリーズ | ナノ



「だから気をつけろって言ったのに! このおバカ!」

「…ふみまへん」



ぐにぐにと抓られる頬はされるがままに、真正面から怒鳴る先輩に一先ずは素直に謝罪を口にした。



(ここまで怒るとは…)



両親も両親で過保護なところがあるが、学院内の仲間にも中々に人が良い人間がいたらしい。
眉を吊り上げた秋下祭は気が済むまで私の頬を抓っていたかと思うと、ふん、と鼻を鳴らして腕を組む。
食えなそうなキャラクターだという印象は撤回すべきだろうか。今や彼女は私の身を案じ、本気で怒ってくれていた。



「でも、何もされなくてよかったです……あっ、いえ、されなかったとは言えませんけど…怪我もなくて」



おろおろとしながらも先輩と私のやり取りを見守っていた北川来夏も、ほうっと安堵の息を吐く。
そちらにも、ごめんね、と苦い笑みを向けることしかできない。

暴行事件が未遂に終わったのは、一昨日のことだ。
翌日は被害確認に警察署まで出向いた所為で丸々時間を潰され、午後になっても学院に顔を出せなかった。
その一日の間で、事件は学年問わず、学院内の大方の生徒に広まってしまったらしい。公欠として計らってもらえた一日を置き、両親の心配を振り切って登校してみれば、朝には既に諸々の事情がクラスでも話題に上がっていた。
情報が漏れ出したのか、教師の口から説明されたのか……その場にいなかった私には判断がつかないが、駆け寄ってきたクラスメイト達の反応は凄まじいもので。それだけでなく、これまでの計画の中で関わりを持ったことのある複数名の先輩方にまで、わざわざ教室に出向かれる始末。
身体的な部分も精神的な部分も、とにかく隅々まで無事を確認されてしまい、有り難いながらも朝から無駄な疲労感を負うことになってしまった。

そして今、昼休みの間だけでも喧騒から逃げようと生徒会室に顔を出してみれば、これだ。
呼び出しが掛かったわけでもないのに集合した、一人を除いた雑務処理班の面々にまで詰め寄られることになってしまっている。

そこまで気を揉むことかしら…と思わず乾いた笑みを溢しそうになったけれど、狙われていたのが私でなければこうはいかなかった。更なる大事になっていた可能性が決して低くはなかったことは、確かに理解している。
ただ、対象が自分だと言うだけでどうでもいいことのように感じてしまう部分があるだけで。
この癖を幼馴染みは指摘したかったのだろう。解っているんだけどなぁと、治らない悪癖にぼんやりと思いを馳せた。



「まぁ…あまり心配しないでください。特に何かされたというわけではないですから。ほら、愛梨ちゃんも助けてくれましたし…」

「そりゃー不幸中の幸いってやつだろ。確かに、やっと顔出しに来る気になったのはいいことだけど」

「っ…す……すみません、でした…」

「来づらい理由があったんでしょ。そーゆーのは私は気にしないから会長に謝んなよ。今は、なまえを反省させるのが先」



私と改めて顔を合わせられたことで吹っ切れたのか、室内には今まできちんと雑務処理班の一員として加わっていなかった柚木愛梨の姿もあった。
申し訳なさげに肩を落とす彼女ともあっさりと打ち解けたらしい秋下祭は、軽く手を振ると再び私に、柔らかくない視線を向けてくる。

聞き分けのない子供を叱る時のような表情を向けられるのは、少しだけ新鮮だ。
こんな風に本気で私を叱ろうとする人間は、大人にもあまりいない。



「なまえが賢かったり弱くないのは知ってるけど。突っ走るのが危険な時もあるんだからね」

「はい、すみません」

「咄嗟でも録音とか、相手に発信器取り付けたっていう機転はさすがだけど」



体当たりした隙に仕込むとか、全く普通はできるもんじゃないよ。

大きな溜息と共に吐き出された言葉に、そりゃあそうでしょうね、と苦笑しか浮かばない。



「普通はそんなもの、身に付けてませんからね」

「その普通じゃないものを何処で手に入れたのかが気になるけど」

「プレゼントとして贈られて」

「どんなチョイスだよ」



それは私につっこまれても、答えようがない。

普段から耳のすぐ近くで揺れている赤いリボンは、一瞬の隙に一人の男子のポケットに捩じ込んでしまっていた。片方しか残っていないのも不自然なので、昨日今日は髪飾りは外してある。
過保護なことに、飾りのリボンの結び目内側に嵌め込むように仕掛けられてあった精密機器は、贈り手の思惑から外れた形でありながらも充分に役立ってくれた。

協力者を引き摺り出せれば、あとは芋蔓式に掘り返されるのを待つのみ。
恐らくは金でも握らされていたのだろう、他校の男子生徒数名。何の義理もない彼らは、自分の身が危うくなれば唆した存在を簡単に切り捨てられる程度の人間だ。
窮地に追い込まれれば、人は罪を押し付け合うものだ。音声の証拠も残っているとなれば、益々林道美奈に全ての責任を擦り付ける方向に事が運ぶ予想はつく。
だから本当に、その点は強みになった。確実な助けとなったのは本当、なのだけれど。

一昨日の夜、あの後何事もなかったかのように振る舞った幼馴染みの横顔が思い浮かぶ。
そうすると何とも言えない気持ちが込み上げてきて、どうしようもなく胸の内側を掻き毟りたくなる。
事件に関すること以外の無駄口は叩かず、家に辿り着いてからは狼狽える私の両親に、私に代わって粗方の事情を説明もしてくれた。慣れ親しんできた雰囲気に戻った征十郎は、翌日署に向かう時にも付き添ってくれた。
それは重要な手掛かりになるだろうということで、私に渡されていた発信器の端末情報を提供するためでもあったのだけれど。

前日にあんなことがあった所為で、どんな態度を取るべきなのか決め倦ねていた私の口数が少なくなっていた自覚はある。
それなのに、彼は特に何かを言うこともなかった。何も言ってくれないからこそ、余計に思考がこんがらかって。

何をされて何を言われ、何を考えたのか。
相手が相手でなければ、犬に噛まれたとでも思って流しきれるものが、胸か喉かその辺りにずっと滞ったままで、スッキリしない。



(キスとか)



今更勿体ぶるようなものでもなく、夢を見るような初な乙女でもない。何てことはない口唇の軽い接触だ。
そう割り切れる気持ちは確かに本物なのに、私を焦がそうとしてきた可愛いげのない視線も、声も、脳裏にこびりついて消えてくれない。

暗闇の中でも色を失いきれない赤が、解らなくなる。
下に、下に。子供のように、弟のように思っているのが正解のはずだった。
どうなりたい、だとか、どうしたい、だとか。自分の感情を混ぜ混んで、彼に関する物事に決定を下してきたことなんてない。
任された身で、勝手なことはできないと思っていたから。だから、彼にとって選ぶべき道を私だって選んで進んできたのだ。

誰より私をあたためてくれた子が、不幸になってしまわないように。私なんかに依存してしまわないように。
なのに、その選択がそもそも間違いだと、的確に本人から突き付けられてしまって、ぐらりと目眩に襲われた。

それなら、一体どうすればよかったのか。
これからどうすればいいのかも、視界が霞んで見えなくなっていく。
数式のようには解ききれない疑問が、霧のように頭の中に立ち込めて。



「やっぱり、怖かったですよね…」

「え…?」



思考に沈んで、ぼうっとしてしまっていた。
いつの間に近付いて来ていたのか、すぐ傍から気遣わしげに覗きこんできた北川来夏に、軽く肩が跳ねる。
僅かに遅れた反応には気付かなかったのか、彼女は特に何も感じた様子はなく言葉を続けた。



「その、いつもより元気がないようですし……無事だったとはいえ、酷いことをされましたよね」

「ああ……そうね。少し、疲れてはいるかも」



事件に関しては、最初から想定していたことでもあるから、本音を言えば恐怖も疲労も周りが思っているほど感じてはいない。

けれど、それ以外……本来揺らぐはずのない部分のぐらつきが、止まない。
それが崩れてしまわないよう、支えることに神経を使いきって、心が参りかけているような気はした。
そんな柔な作りは、していないはずなのに。

肺に溜まるガスを吐き出そうとした時、唇を引き結びながらも物言いたげにこちらを見つめている柚木愛梨と目が合った。
もしかしたら…もしかしなくとも、自分が去った後の私と幼馴染みのことを気にしているんでしょうね。
きっと推測は間違っていない。解っていて、気まずげな視線から目を逸らして逃げた。

その時、タイミングを読むようにがらりと音を立てて、教室の扉が開く。



「全員いるね」



室内に入ってきたのは、誰よりもこの場に馴染みきった影だった。
黒いポニーテールを揺らす彼女は、お帰りなさい、と首を傾ける北川来夏に笑顔だけで答えると長机に両手をつき、弧を描いた唇を開き明朗とした声を発した。



「決まったよ」



一点、自分に集まる下級生の視線を全て見つめ返し、最後に私に意識を絞った波柴薫は、その顔ににっこりと輝く笑みを浮かべる。

完璧な決め手だ、と。手柄を褒めるように。



「退学処分が、決定した」



教員会議を窺いに出掛けていた嶺華女学院中等部生徒会長は、害獣の末路を嬉々とした表情で語ってくれたのだった。






窮追→征服




残念だったね?、と、それはそれは楽しげに笑う彼女の姿を見掛けたのは、偶然にも似た事情からのこと。
会議での決定から、また数日が経った。遂に肉親からのフォローも限界に届き、下った処分を取り消す手立てはなきに等しく。それ以上の抵抗も意味をなくした林道美奈が、学院から立ち去る日が訪れるのは早かった。

私にとっては、計画の仕上げだ。最後の最後まできちんと見届けてやろうかと、校門へ向かう小さくなった背中を追い掛けた結果だった。
待ち構えるように門に寄り掛かっていた彼女は、同じようなことを考えていたのだろうか。

林道美奈の足が止まる。
その目にはきっと、満面の笑みを浮かべた生徒会長の姿が写りこんだ。



「アンタ…アンタが企んだの!? あいつをけしかけて私をこんな目にあわせたのはっ…!!」



屈辱に耳まで染めて食って掛かる相手に、緩く首を傾げる波柴薫。視界には私の姿も入っているだろうに、知らぬふりを決め込み彼女は嘯いた。



「私基本的に、金持ちって大っ嫌いなのよね」



にこりと、綺麗な笑顔を保ったままで、その身に宿った膨大な量の悪意を溢れさせる。



「お金自体は好きだけど。それに目を眩ませている頭の弱い人間は、見ていて吐き気がするくらい……嫌い」

「な…っ」

「貴方みたいに、何の能力も持たず苦労もなく金や立場にものを言わせて我儘を振りかざすお嬢様なんか代表例ね。視界に入る度に反吐が出て堪らなかったのよ」



きっと彼女は、これ以上ない爽快感を感じているのではないだろうか。
滔々と流れ出る言葉の波は、相手を飲み込み潰しきるのを目的としている。

硬直した林道美奈に、一歩二歩と足を踏み出した波柴薫の瞳が煌めくのが、遠目からでもよく見えた。



「だって貴方、底まで落ちきっても自力で這い上がれないでしょう。自分だけで打つ手を考えるだけの頭も、伝もない」



貴方の味方につくものは、人も能力も存在しない。



「無様ね、林道美奈さん」



敵に回す人間を間違えたね。

歌うように紡ぐ波柴薫の声は、空気に溶け込まずにいつまでもその場に残ろうとするようで。
言葉にならない喚き声を上げて泣き出した敗者を、どこまでも嘲笑い、見下していた。

20150111. 

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