シリーズ | ナノ


赤司征十郎という人間は幼い時分より強く賢く、凡そ子供らしくない眼力を保持していた。

近付こうとする同年代の子供は極端に避け、その為に必要とあれば厳しい言葉遣いで傷付け、自身が疎まれることすら許容するという子供らしからぬ部分が強く表に出た人間だった。
己に劣る存在を傍に置きたくなかった彼を、徐々に周囲は避け始める。そうして孤立し、誰からも理解されず諦められてしまった子供だった彼に、ある時唯一同じ足場に立ち、目線を合わせようとする人間が現れた。

言い負かされず、泣かされず、逃げも隠れも怯えもしない。
聡く強いその人間に、彼が子供ながらに覚えた感覚は尊敬の念に近かった。それは彼に新鮮な衝撃を与えた。
そうして初めて親しみを覚えて接した他人、みょうじなまえを懐に入れて暫しの時が流れ、彼は一つの大きな事実を悟ることになった。

みょうじなまえの聡さや強さを裏打ちするものの正体が、一体どんな形をしているのか。






「嫌いなものでも入っているのか?」



訝しげな声に顔を上げれば、近場で弁当を開いていた部活のチームメイトが眼鏡の奥から不可思議なものを見るような目を向けてくる。
その問い掛けに一旦止めていた箸を再び動かし始めた赤司は、首を振るでもなく落とすように笑った。



「まさか」



まさか、嫌いなものなど入っているわけがない。入っていたとしても、この口に合うよう調理に工夫は施されている。

親しんだ料理の味に舌鼓を打つ自分に向けられる視線が弛まないことに気付きながらも、赤司は気にすることなく手元の弁当に意識を傾ける。
彩りも美しければ栄養面のバランスも申し分ない、見た目にも綺麗に飾られたおかずには、必ず一つは自分の好物が並んでいる。
この作り手が毎度どんな顔をして、何を思いながら小さな箱の中の空間を埋めているのか。想像に浮かび上がる面影を追いかけては、こちらは一向に埋まらない胸に空いた隙間を意識させられた。

見慣れた部室、関わり慣れ始めたチームメイト、容易に達成される学業、滞りなく進む日常。
歯牙にかけるようなことは殆どない学生生活の中に、足りないものは確かに何一つないように思える。
特に外観からは、何一つ不備も不自由もない赤司征十郎、そのように認識され始めていることは明らかだった。

本人の思うところには、注目されず。



(つまらない)



ああ、そうだ。まだつまらない。
つまらないんだよ、なまえ。

この目に新しい世界を映すことを願っている、たった一人の幼馴染み。誰よりも自身の幸せを望んでいるであろう彼女に、直接は届かない不満を投げつける。
離れて見える世界は、確かに存在するだろう。けれど、内に入れ込める人間を捕まえることは、そう容易なことでもない。

何より、突き放されて見えなくなったもの。彼女の世界を、それこそ長い時間追い求めているという事情、心情を無視されることが、赤司にとっては何よりの辛苦だということ。
それを彼女は、真実理解はしていない。



「緑間は、幼馴染みはいるか」

「は?…いや、いないが」



途切れたまま続かなかった会話が唐突に湧いて、再び訝しげな視線が返ってくる。
突然何なのだよ、と眉を寄せる、友人と呼ぶべきかあやふやな関係上にある男子生徒に向けて、顔を上げた赤司はほんの少しだけ表情を弛緩させた。



「なら、兄弟は」

「妹ならいるが…」

「そうか。なら訊きたい。可愛い妹に、ある日突然突き放されて、家の中でさえ最低限しか顔を見せてもらえなくなったとする」

「別に可愛くはないが」

「嫌われたわけでもないのに、だ。お前なら何を思い、どんな行動に出るかな」

「赤司…?」



殊更に渋面になる緑間真太郎という男の実直さを、既に赤司は知っていた。
疑問を抱いたとしても、他人からの問い掛けを無いものにはできない。その推測は正しく、数秒惑うように揺れた瞳は、すぐにまた真っ直ぐに向き合ってきた。



「何か理由があるようなら、訊ねるのだよ。その上で…一応は、元に戻るよう働きかけるだろうが」

「そうだな…それが普通の行動だろう」

「…お前は一体今何を考えているのだよ」

「至って普通の、面白味もない思考だが」



中身の片付けられた弁当箱は、持ち帰れば使用人に洗われる。後にその手で持ち主に返され、翌日の早朝にはまた使用人を通して手渡される。
そのやり取りは、もう一ヶ月は続いている。返却時に添える小さなカードに並べる短い文字に、反応があったことは一度もない。

あの日に欠けてしまった赤司征十郎を形作る一部分は、今も空いた穴を塞げずに鳴き声を上げている。



(普通の、ことだろう)



お前の望む内の一つ。何もおかしくない、普通と称される人間らしい感性だろう、これは。
懐に入れる程大切にしたい人間に、離れて行かれたくないと思うことは。

何一つおかしな部分はない思いだと、吟味した上で理解している。未だ噛み合わない理由は認識の齟齬、求める未来の決定的な隔たりなのだと。
母か姉か保護者か、いつまでもそのような扱いで終わらせようと画策されていることも。

本音を言えば、不愉快で堪らなかった。



「お前が諦めないように、オレも諦めないだろうということさ」



離れてしまえば、完全なる元の位置に戻ることは望めない。そもそも、戻る気も既にない。
組み替えられた歯車をもう一度重ねるためには、切っ掛けとなる歯車が必要だ。そして心から納得させるだけの、説得力が。
今まで傍で過ごしてきた中で交わしてきた気持ち、言葉や行動を上回る、圧倒するだけの何かが。



(まだ、足りない)



個人にここまであからさまな執着を持ち神経を注ぐことは、後にも先にもないだろう。
誰に指摘されるまでもなく、赤司はそのことを自覚している。

それは初めて顔を合わせ、言葉を交わした日からか。
隠し通される脆い部位に、気付いてしまった日のことだったか。
それとも、消えそうなほど小さかったその手を握りしめて眠りについた瞬間か。

何れにせよ、その感情は歴然として根付いている。
目を逸らし続けることは、どう転んだとしても不可能だった。





間接←欲求




意地でも理解しようとしないのは、彼女の根底にある本音、それ一つきりだ。

20131023. 

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