複数の候補の中から進学先に選んだ嶺華女学院は、格式を重んじる都内でも有数の私立校の一つである。
何かと人間関係の面倒は募りそうな女子校を選んだのは幼馴染みの不評を買うにしてもその程度を下げるためであり、そのためだけに学外ではお嬢様学校との呼び名も飛ぶような学校に身を置いている私は、結局のところ自分に厳しさを強いるふりをして甘い処置を下しているのだ。
彼に完全に見放され、嫌われてしまうことを恐れる気持ちは拭えない。そのことを別段誤魔化すつもりもない。たとえ本人に知られたところで、疾うに暴かれていることだろうから。
その罪悪感から、というわけでもないが、自分の能力に見合う仕事ならば快く請け負う態度を身に付けてしまったことには、私自身呆れてしまうこともあるけれど。
(まぁ…時間の問題だったわね)
学級管理、所属委員会の進行や取り纏め、仕事の肩代わり、それからいつの間にか自主的に開くようになった勉強会。
全て、一介の女子中学一年生がこなすレベルの域を超えていることは誰の目にも明らかなことではある。けれど、頼られてしまえば断る気にはなれないし、手を付けてしまえばこなせてしまうのだから仕方がない。
みょうじなまえという人間のキャパシティーの広さを理解した周囲の行動は分かり易く変化の兆しを見せ、媚びへつらい体よく利用しようとし始める姿は正直に言おう。滑稽極まりなかった。
転生前の情報のみならず、時代が時代なら神童と持て囃される能力を備えていたことは幼い時分から自覚していたことだ。
今までは隣に同じか、それ以上の能力を有する幼馴染みがいた所為で目立ちすぎることはなかったが、彼と離れてしまえば一人注目を集め、遠巻きにされることもあるということも軽くは想像できたことで。
だから、度重なる重責も真実重いと思えない以上、背負い続けることしかできない。
それがどうしたという話にしかならないのだ。
(委員の代行、会議の結果の伝達…資料収集…で、終わりか)
部活にも所属せずに便利屋のようなことをやっているな、と思いながらも指を折る。本日任されていた仕事はこれだけだったはずだ。
授業で扱う資料の選別まで生徒に任せた担当教師には呆れるが、同じ生徒の目線で使いやすいものを、と請われてしまえばすげなく断ることもできない。
前提に、私が既にその範囲を理解していなければ選別も何もあったものではないのだけれど。その辺りの心配をされることは一度たりともなかった。
信頼されていると受け取れなくもないが、教師の態度としては如何なものか。
体力より精神的に疲れを引き摺りながら職員室を目指す、私は模範を超越した優等生と成り上がっている。
一介の女子中学一年生なんて、なれるはずがないことは解っていたことだけれど。
(卒業までこれが続くか…)
だとしたらそれは結構疲れるなぁと、凝ってもいない首を軽く捻りながら廊下を進む途中、空の色を変え始めた窓の外に人の頭らしきものを見つけて、足を止めた。
校舎の造りとしてはよくある、大窓の下に小窓が並んでいるその外、黒い人の頭のてっぺんが見える。
歩いているのは一階の廊下なので、外で生徒が立っていればちょうどそのくらいの高さにはなるのだろうけれど。部活生はそちらに向かっている時間、校舎の一所に留まり動く様子のないその頭の持ち主に、興味を引かれて近付いてみることにした。
資料を探すことだけでもかなりの手間を要するものだし、時間制限はないから少しくらい遅れても大丈夫だろうと、結論が出るのは早かった。
「あの、」
「ふわっ!? いった!」
何をしてらっしゃるんですか、と問い掛けようとした途端、驚きに仰け反ったその人物の頭が窓枠にぶつかった。
その部位を押さえて悶絶する生徒は、上履きの色を見るからに三年生だろう。長い黒髪を一つ括りにしたその人に本来掛けようとしていた言葉は置いて大丈夫ですか、と再び話し掛ければ、軽い呻き声と共に顔を上げたその人は痛みに潤んだ瞳でこちらを見上げてきた。
「だ、大丈夫、大丈夫よ…えーっと…?」
「何をしていらっしゃるのかと、不思議に思って声を掛けてしまいました。驚かせてしまってすみません」
「ああ、うん。こちらこそ慌ただしくてごめんなさい。あなたは…噂の新入生代表さん、よね」
先生方の評価も厚いらしく、真実以上にお綺麗な噂話が流れていることは知っているので内容を聞き返しはしない。にこりと、嫌味のない笑顔を向けてくる顔には見覚えがあった。
そこまで気遣いは必要なさそうだと受け取り、こちらも合わせるように相好を崩す。
「そう言う先輩は、生徒会長さん」
入学式で、比較的近くで顔を見ていたから覚えていた。今年度生徒会長だと他の新入生より先に紹介されたことも。
おサボりですか?、と悪戯な笑みを向けた私に、内緒にして、と唇に指を当てた彼女は、人当たりがいいのだろう。大して会話をした仲でもないのに向けられる表情は年相応に可愛らしかった。
「少しね、外の空気を吸いたくなって。もう数分もしたら生徒会室に戻ろうと思ってたの」
「人間息抜きも大切ですからね。お疲れ様です」
「優しいね。みょうじさんもお疲れ様」
それも、お手伝いか何かなんでしょ。
両手で支えている積み上げた資料に目をやった彼女に、関わりの少ない生徒のことも立場上よく知っているのかもしれない。上辺をなぞるようなお礼は言われても気遣われるようなことは稀で、それが少しおかしくて吐息が漏れた。
孤独→転回
嶺華女学院生徒会長、波柴薫。その人の噂話も新入生の会話で取り上げられないということはない。
学業、運動共に成績は優秀。まだその立ち位置について長くないので仕事ぶりまでは話題に上がらないが、一言一行に育ちの良さが窺える人徳者とのもっぱらの噂だ。
実際近くで接してみても、気さくと見せて心遣いも窺わせる態度や言葉遣いは崩れない。
私が言うのもおかしな話だけれど、年齢のわりには落ち着いた物腰の彼女との出会いが、これから進む道筋の分かれ目だったと察するのは、もう少し後のこととなる。
20130930.
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