シリーズ | ナノ


いつだって正しい道を選んでいけるほど、世界は優しくできてはいない。
望みを叶えるには相応の代償が必要で、払ったとしても確実とも言えないのが、残酷なところ。






「なまえといられれば、それでいいのにな」



隣に並ぶ幼馴染みとは、出逢ってそろそろ二桁の年月に近付きつつある。
五年ほど前から私以外の人間を完全に切り捨て、狭いパーソナルスペースに閉じ籠ったままの征十郎は、彼の父親から渡されたのだという中学の資料を眺めながらぽつりと溢した。

それを相変わらずと思いつつ、ずるずると肩に寄り掛かってきた赤い頭に片手を差し込む。男子にしては柔らかな髪を掴んだり撫でたり、あやしながら嘆息する私の視線も多くの資料に落ちた。

有名校の名前ばかり、表紙に書かれた資料が床に散らばっている。
どこか疲れた様子の征十郎は、甘えるように私に寄り掛かったまま離れようとしない。



「行きたいところ、ないの?」

「お前がいるなら何処でも同じだ」

「…そうだね」



確かに、それはそうだろう。私が傍にいれば、今までと何も変わらない日常しか訪れないに違いない。

歪んでしまった征十郎の内側の世界には、今や私しかいない。古びたお気に入りのぬいぐるみのような、そんなものしか。



(大きくなったのになぁ…)



子供の柔らかさも備えたままでも、骨や筋が目立ってきたその手足を見ると、愛しさと寂しさが胸の中で鬩ぎ合う。
見守ってきた可愛い子供は、本当なら一人で立ち上がれることを私は気付いて、とっくに知っていて。

タイミングを計っていた。ずっと前から。大切なものを落としてしまったから、拾い上げて元の位置に置きなおしてあげるタイミングを。
元の位置には戻せなくても、転がらない位置に返してあげようと。



「なまえは何処がいいんだ」

「うーん…ある程度通いが楽で、勉強に力を入れられるところかな」

「まぁ、妥当か」

「征ちゃんは? 本当にやりたいことないの?」

「…どうなんだろうな」



何かやりたいことでもあれば、力を入れられる学校を選ぶべきだろう。征十郎にはあらゆる才能があるのだから、目指して手に入らないということもあるまい。

けれど、肝心の本人の関心が薄い。
私さえいれば何処でも同じだという言葉に嘘はなく、今ある資料の中から選びさえすれば、彼の父親も口出ししてくることはないらしかった。

そんなつまらない生き方をしてほしかったわけじゃないのにな…。
内心で、もう何百回目かも判らない溜息を吐き出す私の心は重く息苦しい。



「征ちゃん」

「何だ」



声をかければ、幼さを残した大きな目がくるりとこちらに向けられる。
征十郎は変わらない。変わりたくないのだ。

でも、それではいけないよ。
軋む胸に気付かないふりをしながら、口角を上げる。



「中学に入ったら、また楽しめるものを探そう」

「…部活か?」

「征ちゃんなら何でもできるだろうけど…頭も身体も使うものなんかいいかもね。きっと後々役にも立つし」

「なまえは?」



ぐずり、傷から膿がにじむような、言い得ぬ痛みが体内で広がる。
至近距離から真っ直ぐに、私を射る瞳の強さに一瞬逸らしたくなった目を、ぎりぎりで堪えて合わせなおした。



「運動部となると、なまえはマネージャーにでもなるのか」



一寸の疑いも持たない目に、打ち負けそうになる。負けたくもなる。
絨毯の上で重ねた手は変わらない温もりを私に分けてくれた。

きっとこの手も、すぐに私のものをすっぽりと包み込めるようになるのだろう。



(ああ)



ああ、もう。本当に。
私は、弱いな。

握り返したくて仕方がない、なんて。



「そうだね…それも楽しそう」



こんな簡単に揺らぐようでは、駄目だ。
思い出せ。私は嘘吐きだ。綺麗事ばかり並べる汚い大人。理想を並べて騙すくらい容易い。そうでしょう?

征十郎のため。この子のため。そんな言葉で飾りながら。
本当は、大切なものを崩すような私が。私の所為で崩れるものを、見たくないだけ。



(ごめんね)



ごめんね、征十郎。
ごめんね、本当に、大好きだよ。
汚い大人で、ごめんなさい。

それでも許してほしいなんて、思っているの。








砕ける、約束





タイミングを計っていた。ずっと前から。大切なものを落としてしまったから、拾い上げて元の位置に置きなおしてあげるタイミングを。
道を潰したくなかった。世界を見てほしかった。懐古に浸って執着されたままで、いたくなかった。

でも、でもね。本当はね。



「裏切り者…っ!」



傷付けたくなかった。揺らがせたくもなかった。



「嘘を吐いたのか、オレに! あんなに傍にいたのに、今更っ…!」



傷付いた目を、掠れた声を、恐らく私は忘れない。これも一つの報いだと思う。
握り潰された合格通知と、悲しみ憤る幼馴染みの姿を脳裏に刻み付けた。



「ずっと、傍にいるって言ったのに…!」



私の声は届かない。何を言っても今は通じない。
向けられる怒りは愛着の証で、だからこそ愛しく、きつく首を絞められる。

ごめんね。私にはこんなやり方しか選べない。
それでも、どうしても、君には間違ってほしくない。



(私の一番、愛しい子供)



大好きだよ、征十郎。
幸せになってほしいと、心から思うほどに。

だから、今のまま傍にはいられない。
解ってなんて、酷いことは言わないから。



「ちゃんと、征ちゃんには外を見てほしいんだよ」

「っ…いらない! そんなもの今更必要ない! 今までだってそれでやってきたんだぞ…何でいきなりっ…」

「嘘吐き。要らなくないって解ってるくせに、駄々をこねないの」

「お前はっ…独りになっていいのかっ!」

「いいよ」



どうせこの子の考えることだ。何を言われるかも予測できたこと。
間髪いれずに頷いた私を、睨み付けていた赤い目がこれ以上なく歪んだ。



「…っ……馬鹿、だ」



救いようのない、馬鹿だ。

力なく項垂れた征十郎は、その後は一言も発することはなかった。
握りしめてぐしゃぐしゃにされた通知書を投げ捨てて、小さな背中が私の部屋から出ていく。
かける言葉は何も、見つからなかった。



(だって)



だって、こうするしかなかったんだよ。

拾い上げた合格通知には、全国的にも名門の女子校名が並ぶ。
こうでもしなければ、あの子の選択肢は広がらないままだった。後悔はない。
後悔なんてするはずがない。これでいい。



「征十郎くん、帰っちゃったね」

「…うん」



開け放たれたままの扉から、顔を出した母は苦い笑みを浮かべていた。
一方的な怒号も聞こえていたのだろう。これでよかったの?、と柔らかな声で訊ねてくる母に、私はこくりと首を縦に振った。



「…きっと、すぐに仲直りできるわ」



今、何か言葉を返せば、弱音の全てをぶちまけてしまう。
近付いてきた母の私の髪を梳く手が優しくて、溢れそうになる感情を押し留めるよう目蓋を下ろした。



とても尊い約束も、与えられた温もりも優しさも、自分の手で崩してしまえた。
だってそれは全て、あの子のためだから。

躊躇いも後悔も、なかった。



(私では見せられない世界を見て)
(私以外の大切なものを作って)
(私じゃないものを選んで)
(でも、本当は)



口にできない願いを、確かに胸に抱いている。

20130715. 

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