大人の都合に巻き込まれながらも征十郎を説得し、来る遠足当日。
全学年合同とは言えわざわざバスまで出して連れてこられたのは、小学一年生には少々ハードな山の入り口だった。
(情報としては知ってたけど…)
小一の遠足が登山って、どうなの。
学年別に遠足場所も変わってくるのが普通だと思っていたのだけれど、最近は違うのだろうか。
改めて疑問を抱くも、とりあえずは班員を集めて整列を呼び掛ける。
因みに、登山はグループを分けて順に始まるらしい。その上でも教師の目が行き届かない場合を考慮し、最小学年は最高学年と組んだ二倍の人数のグループで行動することになっていた。
六年生の班員に挨拶も済ませそっと横目に隣の班を見れば、案の定表情だけは一定してつまらなさげだが、そつなく班員を纏めている征十郎を見つけて安堵した。
今のところ、あちらに問題はなさそうだ。
ほっと息を吐き出しながら、当面の心配は私の目の前の事情かと班員を見渡す。
(問題はこっちなのよね…)
視線を戻した列の半ばから、じとりとした目で睨んでくる一人の女子に溜息を飲み込む。
班員までクラス合同というのは、コミュニケーション能力の向上を狙った作戦なのかもしれないが…こういう時には、かなり面倒だ。
クラスでは見掛けないその女子は、例により征十郎に淡い恋心なるものを抱いているらしく。同じような気持ちを抱く人間は彼女だけではないとは思うが、どうやら特にその態度は顕著な方のようで。
私と征十郎の仲の良さは既に同学年には知れ渡っているので、目の敵にされる理由はよく解った。解っても面倒なことに変わりはないが。
同クラスの女子達は既に征十郎の極端な執着を見て知っているので、気分を損ねるような地雷はもう踏まないだろう。しかし他クラスとなるとそんな事情を知っているはずもない。
(妙なことにならないといいけど)
征十郎の気分を害するようなことが起こらなければいい。
そうは思うも、このような願いは総じて叶いにくいということも経験上よく知っている私は、殆ど諦めた気持ちでその女子から顔を逸らすことにした。
考えたところでその場で解決できないことなら、時間の無駄なのだ。
*
「きつーい」
「まだつかないのー?」
登山開始から、十五分は経った頃だろうか。最初は初めての遠足ということで浮き足立っていた同級生達が、ひたすら頂上を目指して歩き続けるという行為に口々に文句を紡ぎ始めたのは。
所々に休憩スポットは設けてあるが、幼い子供にはそこまで辿り着くだけでも疲れることなのだ。青々と葉の生い茂る周囲に子供の気を引くようなものは何もないのだから、退屈から疲れは溜まる一方。
最初から過度な期待はしていない六年生でさえ、その顔には不満と疲れがありありと窺える。そんな中私はと言えば、しっかりと地を踏み締めながら森林浴を楽しんでいた。
元々身体を動かすのは好きだし、今生での身体は特によく出来ている。征十郎と共に様々な事に日々奔走しているため、持久力も其処いらの子供よりも遥かにあるだろう自信もあった。
街の喧騒より、自然の静けさの方が好ましいのも、中身が中身なので当然のことで。
珍しい植物や山菜を見つけては引っこ抜き、持参した袋に放り込んでいる。ビバアウトドア。超楽しい。
ちなみに山菜は持って帰って、明日のおかずにする気満々である。
植物の方は征十郎にも後で見せてあげるつもりだ。しっかりと覚えておいて、帰って図鑑で探してみるのもきっと楽しい。
「なまえちゃんは元気だねー」
「うん、たのしいから!」
六年生の班長だという女子は、私の行動力に驚きながらも面白そうに話し掛けてきた。
「それ、持っていってどうするの?」
「こっちのおはなたちは、ともだちにみせてあげるの」
「こっちの袋の方は? 何?」
「ワラビとなのはなだよー、かえったらにつけとおひたしにするの」
「へ、へぇ…なまえちゃんよく知ってるね」
「おいしいから」
土筆も獲れたらよかったけど、時期が過ぎてるからなぁ…。
そんなことを考えながらも見回した先、群生した椎茸を見つけて更にテンションが上がった。
こんなに生えてるのに獲らないなんて意味が解らない。自然の恵みは有り難く頂戴して然るべきだ。
ぶちぶちと引っこ抜いて新たな袋に放り込んでいると、不平不満を溢していた班の子供達がわらわらと寄ってきた。
どうやら、私の自由な探索に気付いて興味を抱いたらしい。それはなにこれはどうするの、と次々に投げ掛けられる質問に答えながら、それでも好き勝手な行動は続行しようとして。
そんな中、聞こえた声に私の探索は打ち切られることになる。
「ひろっちゃだめなんだよ!」
きつく、鋭く響く高い声で叫んだのは、整列の最中から私を睨み続けていた女子だった。
「どれにどくがあるかわからないんだから! かってにとっちゃだめなんだから! それにあいり、ほんでみたもん! なまえちゃんのもってるそれ、どくのおはなだもん!」
「…なのはなだよ?」
「おかあさんだっていってたもん!」
お母さん、という単語は子供には確かに効ける単語かもしれない。が、そのお母さんの教えた花を子供が正確に記憶できるかは別の話だと思うのだが。
ていうか菜の花だしね、実際。
片手に持った袋を見下ろし、一応確認だけはするが、菜の花以外の何物でもない。恐らく毒の花、とは花粉が有害な花のことだろう。同じ時期に群生する黄色い花があった。勿論、菜の花とは別の植物だ。
「うんと…あいりちゃんがそういうなら、あとでせんせいにきいてみよっか?」
あまり子供のプライドを傷付けたくはないが、私が語ったところで聞き分けてもらえるとも思えない。
効力のある大人の発言を頂こうと提案すれば、眉を吊り上げて怒っていたその子は更に叫んだ。
「せんせいにいいつけてやるから!」
「あ、ちょっ…」
急に踵を返した彼女に、慌てたのは私だけではなかった。
言い付けるのは構わない。別段私に非があるわけがないので、構わない。けれど。
「あぶなっ」
「っ…きゃあああ!!」
足を踏み出した先が、悪かった。
踵を返した彼女は、憤りで状況が頭から抜けていたのだろう。天気がいい山道でも、日の当たりにくい場所はある。湿った苔に足をとられ、小さな身体が道脇の崖に放り出された。
「きゃー!!」
「あいりちゃん! どうしよう、あいりちゃんが!」
「せ、先生! 呼ばないと!」
一瞬で緊迫する空気に、頭を痛めながら深く息を吐く。
残念なことに、近場に教師の姿はない。植物探索の最中に足場は確かめていたから、周囲環境は頭にあった。
崖は、そう険しくはない。
「馬鹿が」
この状況で、動ける“大人”は私しかいない。
「荷物と先生への報告、お願いします」
「えっ…ちょっと!?」
先程話していた六年生の彼女に手持ちの荷物だけを預け、リュックをクッションに足を踏み出す。
後ろから聞こえた悲鳴に眉を顰めつつ、うまい具合に衝撃を殺せることを願いながら。
落ちる、身体
彼女であれ私であれ、そう簡単に死にはしない。
けれど、そう思うのが私だけだということまでは、考えている余裕はなかった。
20130411.
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