子供の感情表現というものは、酷く拙い。
特に身体と共に中身を成長させる男子は、その辺りが実に顕著で厄介だった。
「あ」
「へへっ!」
それは十分の休み時間があと数分で終わるかという頃。
授業のために机の上に出していた筆箱が、クラス内でも目立つ方のやんちゃっ子に取り上げられてしまった。
身長はそう変わらず、まだ男女の力の差もない今なら、恐らく少し本気を出せば取り返すこともできたのだろう。
けれど、その男子がにやにやと笑いながら吐き出した言葉に、そんな気は一瞬で失せてしまった。
「かえしてくださいっていえよ!」
「……」
ああ、なるほどね。
幼くても女が女なように、男だって男に違いはない。
冷静に考えずとも、その男子の行動理由が簡単に推測できてしまうから、逆に馬鹿らしくなってしまったのだ。
(まぁ、可愛い部類だからね)
私も、それなりに。
こう言うとナルシストみたいだけれど、あのイケメンな父と可愛らしい母の間に生まれれば、遺伝子だって恵まれて当然というものだ。
つくづく今生は都合よく出来ているとしか言いようがない。美形の家族って素晴らしい。
話が逸れたが、とどのつまり目の前のやんちゃっ子は、正に小学生男子定番の行動に出ているのだと思われる。
気になる子にはちょっかいをかけたい、いじめたい。そんな女子側からしてみれば傍迷惑で下らない行動に。
(…これは疲れるわ)
いや、まぁ、可愛いけども。
でもいつも征十郎を見てるから、年相応の子がどうしても、どうしようもなく幼い子供に見えちゃうというか。困ったことに、自分を対象にされるとかなり面倒臭く感じてしまうというか。
中身はいい歳した女が、そんな弄りに本気で反応を返せるわけがないと思う。
この子には悪いが、現実の厳しさというものは味わっていた方が後から失敗も少なくなるだろう。ということで。
「征ちゃん、えんぴつかしてくれる?」
やんちゃっ子を総スルーしてそう遠くない席で同じように授業の準備をしている親しい子供の元に走り寄れば、今までのやり取りを見ていたのか、既に筆箱から出されていた鉛筆をひょい、と手渡された。
さすが征十郎、子供とは思えぬスマートさ。
この子と過ごしてるから私の子供に対する評価基準が高まっている気がするが、まぁ今はそれはどうでもいいだろう。
「けしごむは?」
「かりれるならいちおう。ありがとう、あとでかえすね」
「どういたしまして」
頼られたのが嬉しかったのかいつもより上機嫌な笑顔で首を傾けて返されて、つい胸がきゅんとする。やだもうこの子可愛い。
何だかんだ言っても、子供らしくないからこそたまにこういうギャップを見せる征十郎は、私にとって可愛くて仕方がない子でもあるのだ。
(子供でも何でも、優しい子が一番だよねぇ)
うんうん、と内心何度も頷く。
残念ながら、現実的に小学生男子特有の行動は実る確率がほぼゼロなのだ。
だって女の子は優しい男に弱いからね!
因みにこれが歳を重ねるに連れて“自分だけに”優しい男という形容が付いていくことも、世の常というやつなのである。
けれど、未だ成熟にはとんと充たない子供には、そんな条理が通用するわけもなく。
私と征十郎のやり取りを見てショックを受けたのだろう。癇癪を起こしたらしいその子は、手に持っていた筆箱を教室の窓から投げ捨ててしまった。
「ばーか!!」
いや、どっちがよ。
私が悪いと言わんばかりのその態度には流石にイラッとくる。
大体、筆箱だって母が入学祝いに買ってくれた私にしてみれば大事なものなのだ。それを、子供とはいえ、あろうことか投げ捨てるなんて。
一発叩いてくれようか、と一瞬思った私より、動くのが早かったのは征十郎だった。
椅子を鳴らして立ち上がりつかつかとその子に近寄ったかと思うと、その迫力に怯んだ肩を力一杯押し退ける。
「どけ」
「うわっ」
突き飛ばされたようによろめいて尻餅をつく子供を気にもせず、換気のために開けられていた窓の隙間を広くとると、軽く飛び上がって窓枠に手を掛け、外へと身を翻した。
ざわめいたのは、クラス中だ。
いくら一年の教室が一階にあるとしても、窓の高さから外の地面に飛び降りるだけの身体能力が備わる子は少ない。
悲鳴を上げて窓に走り寄る子供の多い中、その能力の高さも把握していて心配こそしなかった私も、驚いたのは一緒で。
「征ちゃん、じゅぎょうはじまるよっ?」
慌てて呼び掛けたその声に、振り返った赤い目はそんなことはちっとも気にしていない様子で、応えた。
「なまえがだいじにしてるものだろ」
それは、私を愛してくれる親が与えてくれたもので。
何一つぞんざいに扱いたくないもので。
それを、あの子はちゃんと、知っていたのだ。
「あれ? みんな、窓に集まって何してるの?」
「せんせー、征十郎くんがそとにでちゃった!」
「え!? 何で!?」
「たけるくんがわたしのふでばこをそとになげたからです。それじゃあ」
「え? それじゃって…なまえちゃん!?」
生徒の言葉を聞いて慌てて近寄ってきた担任に捕まらないよう、私も素早く窓枠に手を引っ掛けて窓を滑り抜けた。
こんな芸当、前世でもやったことがない。悲鳴を背中で聞きながら危なげ無く着地して、私は鮮やかな赤に向かって駆け出した。
「なまえ、これで全部だ…っ!」
もう。本当に、もう。
私を、よく見ているのだから。
散らばった鉛筆や消しゴム、ペンと筆箱を抱えて、振り向いたその子に抱き着けば、軽くよろめくも踏み留まる。
幼くても、男は男。確かにそれは、正解なのだ。
「ありがとう、征ちゃん」
私の大切にしたいものを、同じように大切にしようとしてくれる。賢いだけではその結論には至れない。
その優しさがどれだけ尊いものか、きっと自覚はないのだろうけれど。
「…どういたしまして」
顔を上げた時、珍しく照れて色付いた頬を見れたから、私はそれにも頬が弛んで仕方がなかった。
小さな、魅力
その後二人して叱られた時には、容赦なくそもそもの原因を説明したので、主にお咎めを受けたのは私をからかおうとした男子だったということ。
それから、征十郎の女子人気が更に上がってしまったというのは、余談である。
(征十郎くんってかっこいいよね)
(やさしいし)
(あたまもいいし!)
(うんどうしんけいもいいよねー!)
(モテモテだね征ちゃん)
(なまえいがいにやさしくするきはないけどな)
20130210.
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