シリーズ | ナノ


首に感じる圧迫感と、酸素を失い急速に閉じて行く視界。
その先に何が見えたのかは分からないまま、手を伸ばそうとした瞬間に腹部に走った衝撃に、私は詰まって通らなかった酸素を必死に吸い込みながら覚醒した。



「な…に…っ?」



ごふぉっ、と。凡そ園児に相応しくない、しかも品のないうめき声を上げながら目を覚ましてみれば、すぐ下に見えたのは目に馴染んだ真っ赤な頭だった。

どうやら腹部に頭突きを食らったらしい。把握して、息苦しさも忘れて呆れに近い感情が沸き上がりかけたところだった。
頭上から、次なる衝撃を食らったのは。



「なまえちゃん! 大丈夫っ?」

「へ…?」



次に視界に入ってきた焦り顔のクラスの先生に、思わず気の抜けた返事を返してしまった。

大丈夫…って。



(何が…?)



今は、幼稚園の昼寝の時間。よい子代表である私は今日も素直に健やかに、惰眠を貪っていたはずだ。
…いつものように、クラスが違う征十郎を隣に。

眠っている間に、無意識に何かまずいことでもしたのだろうかと首を傾げる。
しかし無意識であれば分かるわけもなく、沸き上がる疑問を消すこともできない私は、腹部に顔を埋めたままの征十郎をスルーして教師を見上げた。



「わたし…なにかしたんですか?」

「えっ!? と、ちょっと待って?…なまえちゃん、夢でも見てたんじゃないのっ?」

「ゆめ…?」

「いきなり顔色が悪くなって魘されだして…揺さぶっても起きないから、どうしようかと思ったのよ…?」

「え…と……」



じゃあ、頭突きは善意だったのか。

夢やら何やらより先に、相当ダメージを食らった腹部をもう一度見下ろしてみれば、よく見れば小さな手は震えながら私の制服にすがり付いている。
その親しい子供が顔を上げようとしない理由に思い当たって、私はそっと、小さな頭を撫でてみた。



「征ちゃん…?」



どうしたの。なんて、無垢な子供のような訊ね方をしても、ぐりぐりと手に頭を擦り付けられるだけで返事はない。
仕方なく好きにさせながら、その時やっと私は寝汗が酷いことに気付いた。



(夢……)



思い返してみるも、内容はよく覚えていない。けれど、とにかく苦しかったことだけは覚えている。
呼吸ができなくなって、目覚める一瞬前には死を覚悟したような…。



「……なまえ…」

「…ん? なぁに、征ちゃん」



ぼそぼそと呼ばれた名前にできるだけ優しく、刺激しないように応じれば、ぎゅう、と強くしがみつかれる。
征十郎は、震えていた。



「っ…しぬ、かとおもった……」



正に今、考えていたことに重なる言葉を吐き出した子供に、どきりとする。



「せ、征十郎くん、そんなこと言っちゃ…」

「ころさないで、って…しにたくないって……なまえ、どんなゆめ、みたんだ…?」

「……どんな、だったかな…」



冗談にならない言葉を吐く征十郎を、止めようとする教師には首を横に振って黙ってもらった。
私は寝転がった体勢のまま、湿った声が途切れ途切れに語るそれに耳を傾ける。

夢の内容は覚えていない。けれど、何にしろいいものではなかった。
まるで最期を彷彿とさせる感覚は、以前の自分の死因を知らない私には、好くない予感を与えてきた。

もしかしたら、と。
思う心に、蓋をしたかったのに。



「っ…とうさん、って、いってたんだ…」



漸く私の腹部から顔を上げた子供の目からは、堪えきれなかったのだろう。涙が伝っていて。
そしてその戦慄く唇から飛び出した言葉に、私は強い目眩を覚えた。

とうさん。父さん。
死にたくない。

そんな寝言を吐き出す夢、その状況とは一体どんなものだろう。
考えなくても、答えは決まっていたようなものだった。



(私…)



ああ、そうか。そうなんだ。
私は本当に、死んでいたんだ。

悟ってしまった事実は、今となっては昔の話だ。今更知ったところでどうしようもない。
それでも、どうしようもないけれど…胸に錘が落ちてきたように、気分が悪かった。



「……あの…なまえちゃん? その…何か、お家で困ってることとか…」



こちらの事情を知らない人間には、検討外れな予測しかつけられないだろう。
ぎこちなく問い掛けてくる教師にもう一度首を横に振りながら、私はゆっくりと起き上がる。

纏わり付く制服が、少しばかり不快だ。



「ううん。わたしのおとうさんは、やさしいよ。もちろん、おかあさんも」

「でも、じゃあなんでとうさんって…」

「ゆめのおとうさんは、べつのひとだったから…」



嘘ではない。きっと、見ていた夢の中で父親だったのはあの男だった。
だから今の父親には何の関係もないのだと否定すれば、二人は渋々納得してくれたようだった。

恩を感じている人に、疑いの目が向けられずにすんで本当によかった。
人知れず私は息を吐く。



(似ても似つかないもの…)



こちらの父をあんな男と混同させるなんて最悪にも程がある。

それから、珍しく泣いてしまった征十郎を慰めながら頬をハンカチで拭ってやれば、余程恐ろしい思いをしたのか、今度はべったりと首に抱き着かれた。
やはり、この子は賢すぎる。

物心がついて数年。死というものの本質を理解していなければ、ここまで怯えたりはしないだろう。
園児という幼さで私がいなくなるという現実を想像できるくらいには、征十郎はやはり聡いのだ。



「征ちゃん、だいじょうぶ。わたししなないよ」

「…あたりまえだ」



おまえは、うちにとつぐんだからな。

そんな傲慢な命令さえ不安を打ち消すための虚勢に聞こえて、私は苦く笑った。

死んでしまうよりはその方が全然マシだなぁ、なんて。






一抹の、闇




それから私の傍を梃でも離れなかった征十郎は、結局それぞれの両親を説得して家に泊まり込んでまで、私や家族の様子を見張っていた。

それが心配からくる行動だと解っていれば、強く拒絶ができるはずもなく。
子煩悩の気がある現在の父親と少なからずぶつかりながらも、征十郎は私の傍に居座り続けた。



「うなされたら、おこすからな。いたくてもがまんしろ」

「…はーい」



夕食やお風呂、歯磨きまで済ませて自室に戻れば、子供用としては広さのあるベッドに突き飛ばされた。
そして当然のように隣に潜り込んでくる征十郎に、殆ど諦めの気持ちを抱きながら素直に従う。

仕方ない。こんなに小さな子に心配させた私が悪い。
不安に思われるのは、大事にされているからだ。それがどんな形であれ拒む部類の感情ではない。



(さすがに、寝る時までくっつかれたりしたら寝苦しいけど)



一応そこは考慮してくれたのだろう。傍に寝転びながらも手を握られただけで、他の部分は拘束されなかった。
暗い部屋の中で身体を捻れば、くるりとした赤い目とぶつかる。

これもしかして、私が寝るまで見張るつもりなのか。
じい、と無言でこちらを見つめる双眸に一つ息を吐いて、私は仕方なしにその手を握り返す。
子供体温は暖かいを通り越して暑いくらいだったけれど、疎む気持ちは生まれない。

少しだけ、安心する。



(やだなぁ)



こんな子供に慰められるほど、ショックを受けていたのか、私。
泣き喚くような真似のできる年齢でもない。それなりにシビアな人生を見つめて生きてきた私には、通り過ぎた痛みのはずなのに。
血が凍るような感覚、呼吸の確保できなかった感覚だけは、簡単に忘れられそうもない。

だから、だろう。
今ここにある小さなぬくもりが、繋ぎ止めてくれるような気がしてしまうのは。
ここは過去ではないと、私に教えるのは寄り添ってくれる小さな子供だった。



「おやすみ、なまえ」

「…おやすみ、征ちゃん」



小さな手が辿々しく、髪を撫でてくる。その動きに従うようにゆっくりと目蓋を下ろした。
もうあんな夢は見ないと、信じながら。

私が今生きているのは、色鮮やかな子供のすぐ隣なのだ。

20130110. 

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