はてさて、どうしてくれようか。
ぶっすりと頬を膨らませて黙り混み、完璧に私から身体を背けてしまっている子供を可愛らしく思うと同時に、私は今現在困りきっていた。
「征ちゃーん…きげんなおそうよ」
「……」
「じゃなかったら、わたしもうかえるから…はなして?」
「………っ」
ぐ、と力の入った小さな拳を見下ろし、溜息を吐きたくなる。
身体を背けて私を無視しているにも関わらず、スカートの裾を掴んで離さないとは何事か。
今日は母に外せない用事があったらしく、幼稚園からは征十郎の母親が私も一緒に連れ帰ってくれた。
そしてそのままなんとなくな流れでお家にお邪魔して、いつものように征十郎の遊び相手になっていたのだが。
(失敗したなー…)
話題選びをしくじってこの様だ。
ちらりともこちらを見ない強情な子供に、私は内心頭を掻いた。
元々、最近の征十郎は過敏になっていた。
原因はお遊戯会の劇が原因で…なんというか、園児にあるまじき演技力を見せつけた私を見る女児の目ががらりと変わった、というか。
ぶっちゃけ、征十郎より私がモテ始めてしまったというか。
とにかく女の子達の興味が私に集まりまくった所為で、征十郎のいない隙に取り入ろうとアタックしてくる子供が増えてしまったのだ。
女が女に、とか、深く考えない園児に若干の恐ろしさも感じたり。
けれど基本的に威圧感を放つこともなく、人当たりも悪くはない私だ。そして中身が年上…というか大人なおかげで、つい子供には優しくしてしまう。
クラスが違う征十郎はそんな光景を目にする度に、こちらも園児とは思えぬ顔つきで一掃しに駆けつけてきたりしているのだが…。
そんな日々が続いていたところで、私の失言だ。
拗ねないわけがなかった。私もうっかりしていた。
習い事をしたいから会う時間が減る、だなんて。
「あのね、征ちゃん…わたし、どうしてもいろいろ、できることをふやしたいの」
でも、これは絶対に、私だって譲ることはできない。
制服のスカートを握ったままの小さな手に、同じく小さくなってしまった手を重ねれば、ぴくりと反応する。
聞いていないわけではないのだと解るから、私はそのまま続けることにした。
「わたしたちが、ふじゆうなくしあわせにくらせているのは、おかあさんやおとうさんのおかげなの」
「………」
「とってもこうふくなことなんだよ、征ちゃん。それはわかるよね」
いくら賢くったって、生きる力は最初から備わっているわけじゃない。
庇護され、愛され、時間やお金を存分にかけられて、子供は育つのだ。それは無償の情で、当たり前に与えられるものでは決して、ない。
私は、こんなに優しく幸せな世界を知らない。
あんなにあたたかい家族を、知らない。
無償で与えられる愛情に、幸せ過ぎて恐ろしさすら覚えそうになるくらいだ。
有償であった方が安心できる私は、子供には二度と戻れない。
けれど、だからこそ。
子供でいられないのだから、もう、彼らやこの世界に返せるものは一つしかなくて。
結局、私には金銭への拘りが芯まで染み付いてしまっているから。
(稼げる人間にならないと)
まともに学ぶ環境の望めなかった過去とは違う。
今、できることがあるなら全部やって、未来に活かす。私の選べる道はこれしかない。
稼いで、稼いで、稼ぎまくって恩を返す。
将来、まずは巡り会えた今生の両親を、誰よりも楽させる。贅沢させる。私が幸せにする。
その為にはやはり今、私は様々なことを学ばなければならない。
「おかあさんとおとうさんに、おんをかえしたいの」
それには、現状は金銭的にも頼らずを得ないけれど。
でもそれもいつかは返しきるくらいの人間に、私はならなくてはいけない。
「……いってることはわかる。けど…なまえは、へんだ」
「征ちゃん…?」
それまで黙り混んでいた子供がゆるりとその身体を捻って、私と目を合わせる。
幼い相貌に不似合いの、何もかも見透かすような赤い瞳が軽く細められた。
「だって、それじゃあまるで」
できる子供じゃないと、愛されないみたいだ。
痛いところを的確に突く言葉に、私は咄嗟に表情を作り替えられなかった。
「ぼくがきにいらないのは、なまえにいらないにんげんがちかづくきかいがふえること…だけど」
「…ひととかかわるのは、だいじなことだよ?」
「ちがう。そこじゃない。いまのおまえはへんだ」
「……へん、かな」
それなら、最初から変だったと思うのだけれど。
私は何も変わっていない。変われないから、隠していただけで。
だって、どうしたって子供にはなれないから。
子供を望んだ二人を、意図したわけでなくても、裏切っているようなものなのだ。
あの、優しく綺麗な両親を。
幸せで仕方がないけれど、だからその分逆に、申し訳ない気持ちもあって。
どうせ転生するのなら、記憶も何もまっさらな状態で生まれ直したかったなんて、贅沢にも思ってしまったりもして。
征十郎の言葉は鋭かった。
本物の天才児は困ったことに、洞察力にも長けているらしい。
「なまえがなまえならそれでいいのに、なんでむりしようとするんだ」
「…むりじゃないよ?」
「せっぱつまったかおで、せっとくりょくがない。おまえはかべをつくりたいのか」
「……征ちゃん、こわいね」
「ぼくはおまえのほうがこわい」
いつの間にか、握っていたはずの手は逆に握り返されていて、子供特有の熱にじわりと身体の芯が弛む。
私を見据える征十郎の目は、怖いくらい真剣だった。
「むりしてはなれていく、おまえのほうがこわい」
それは、語られることはなかったけれど、結局は心配から放たれた言葉で。
園児に諭される情けなさを感じながら、私は初めて素の苦笑を誰かの前で晒したのだった。
たまに、逆転
弱音も吐けない行き場のない大人は、簡単に変われやしないけれど。
それでも繋いでくれようとする体温は、悔しいけれど温かかった。
(でも、ならいごとはいくけどね)
(…はなし、きいてなかったのかなまえっ!)
(まって、ちがうの。きいて。征ちゃんもいっしょにくればいいとおもったの)
(!)
(どうせむだにはならないし…ね?)
(……わかった。なまえがいくなら、ぜんぶいっしょにいく)
(よし! じゃあさっそくなにからはじめるかきめようね)
(でも、いったさきでぼくいがいとなかよくしたらゆるさないからな)
(…はーい)
20121024.
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