シリーズ | ナノ


プリントや記録の類いをファイリングし、ページに不備がないかを確認しながらほっ、と息を吐く。
備品の補給や整理も終えたし、あとの仕事は他のマネージャーが既に済ませてくれている。今日やるべき仕事はこれで終わりだろう。

漸く帰る準備ができる…と暮れかかる空を磨りガラス越しに見上げて、筆記用具の類いを鞄に放り込んでいると、不意にすぐ後ろから声を掛けられた。



「終わったか」

「うわっ、あれ…征十郎いたの?」



しん、と静まりかえる部室に一人残っていたつもりだったのに、いつの間に背後に立っていたのか。
驚きながら垂直に仰いでみれば、呆れたようなオッドアイが真後ろから覗き込んでいた。



「僕に気付かない人間なんてお前くらいのものだぞ」

「ははは照れるね」

「褒めていない。女子の身で警戒心が低すぎるぞ、なまえ」



集中力が高いのはいいが、密室に男と二人になっても気付かないとは、感心しないな。

瞳を眇めながらのその台詞に、寧ろ君だから気配に慣れすぎて気づかなかったんじゃないの…?、と思いつつ、形だけは神妙に頷いておく。



「ごめんなさいお父さん」

「誰が父親だ」



ぺしり、と痛くない程度に額を叩かれて、少しだけ笑みが溢れた。

何だかんだ言いながら、心配してくれているのだ。嬉しくないわけがない。
芯から懐に入れなければ、ここまでの気遣いは見せられない。



「待っててくれたんだ?」

「そうだな。だとしたら何か問題があるか」

「いーえー。私ったら贅沢者だなぁと思っただけ」



何しろ、洛山きっての天才に気にかけてもらえているのだ。
価値度の高さは計り知れない。

にやける頬を隠しもせずに仕度の手を早める私に、彼の方は何か不満があったようで、室内に軽い静寂が立ち込める。
そこにいるだけで場の空気を変えられるというのは、征十郎だからできることだろうなぁと、慣れてしまった私はあまり気になりもしないのだが。

そこで油断してしまったのが悪かった。



「なまえ」

「はい?」

「Trick or Treat」



がしりと、頭上から伸びてきた両手に顔を掴まれて、滑らかに紡ぎ出された台詞にわりと本気で硬直した。



「ん、え? あ、ハロウィーンか」



それでも彼の奇行には耐性がついているので、すぐに正気に戻って納得したのだけれど。

慣れ、というのは恐ろしいもので。
ちょっとのことには動じなくなるということは、それ以上の行動に対しての警戒心は確かに、薄れてしまうということで。



「えっと…あ、チョコあった」



顔を掴まれたまま、何の疑問も持たずに鞄から取り出した焼きチョコ菓子を一粒、椅子の後ろに構えている彼に差し出せば、何を思ったか指ごとぱくりと持っていかれた。
能く能く考えてみれば、その両手は私の顔に添えられているわけだから、受け取るにはもう口しか残っていないことは判るはずだったのだ。



「っは!? え、ちょ‥征十郎氏!?」



なのに油断しまくっていた私は、そのことにやられてしまってから気づいた。

お菓子だけ持っていかれたくらいだったら、別によかった。少し唇が触れたとか、それくらいもまだ友人として許容範囲内だと思う。
でも、だ。
お菓子が無くなった後も丹念に滓まで舐めとろうとするように、這わされた舌にはさすがにストップをかけざるを得ない、というか。

何してんのこの人…!?




「ふ、ぎゃ、ちょっ、ストップ! 舐めるのやめっ!」

「…色気がない声を出すな、なまえ」

「いやちょっと待ってなんか理不尽…!」



何かとんでもないことをされたような気がするのに、何でもないような顔をしている征十郎が信じられない。
抜き取った指の方の手を隠しながら、漸く働いた危機感に煽られて椅子から立ち上がろうとするも、掴まれたままの顔の所為で立ち上がれず。

確かに私、警戒心薄かった。
そのことを今更悟っても、時既に遅く。



「イタズラだな」

「いや今お菓子食べたよね征十郎っ?」

「足りない」

「そんなルールいは、ん…」



許せるか、と、続けようとした言葉が切れ切れになる。
ふに、と額に感じた柔らかな感触と、近すぎる赤と黄の色彩に呆然として。



「そんな顔もできるんじゃないか」

「………何、したの」



今。

さすがにキャパオーバーで、頭が回らない。
とりあえず、物凄く質の悪いイタズラを仕掛けられた…ような…。



「今のところは額で見逃してやろう」

「ちょっ、と、征十郎?」

「いい顔も見れたしな」



不敵な笑みで見下ろしながら、最後に頬を擽るようにして離れていった手に、ひい、と声を漏らしそうになった。
なにその色気。怖すぎる。

対する私は、色を含むスキンシップなんて慣れていないのだ。
そこにこんなの、爆弾を落とされたようなもので。

混乱か、驚きか、羞恥か…それとも全部が原因なのか。
確かに額へのキスは友情の意味があるとか、どこかで聞いたことはあったけれど。
だけど実際やられたりすると、正直驚き過ぎて意味が解らなすぎて。

意図せずじわりと滲んだ涙を見て、征十郎は私の分の鞄まで手に取りながら満足げに瞳を弛めた。



「これに懲りたら少しは警戒することだ」



次は額で済むか分からないぞ、と。







Trick yet Treat




イタズラの範囲を越えているというか…。
それよりも次があることを匂わせるその発言に、再びひい、と震え上がりそうになった私は、正常だったと思う。



(征十郎との付き合い方を見直させていただきたい…っ)
(できるものならな)
(やだこの人自信満々過ぎて勝てる気しない…)
(当然、逃がす気はないからな)
(不敵な笑顔やめて怖い)
20121101. 

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