我が洛山高校バスケ部には、超人がいる。
顔良し頭良しスタイル良し、スポーツも天賦の才能を保持しているという彼の名前は赤司征十郎。
十を征するとは、名は体を表すとはよく言ったものだと思う。彼の場合は十どころか百は軽く征しそうな気もするが。
そんな彼と私の共通点と言えば、同じバスケ部に所属しているということに絞られる。
彼は当然期待の選手で私はしがないマネージャー。どう見ても立場の差が激しいが、私は入部当初から一方的に彼を観察していた。
ちなみに甘ったるい感情が付き纏うことはない。観察理由は純粋な好奇心だ。
赤司征十郎は笑わない。
今まで一度も、何かを心から楽しむような笑顔を浮かべたところを見たことがないのだ。
笑顔を浮かべてもどこか空虚さが付き纏うその姿は、同じ高校一年生にはどうしても見えない。
勝利することは基礎代謝だとか、酔ったようなことを言うわりに飢えながら老衰してゆく大人にも近い表情を浮かべる彼を、私は心のどこかで哀れんでいたのだ。
「精が出るね、赤司征十郎くん」
部活終了後もいつもの如く黙々と個人練習を続けていた彼が動きを止めたところを見計らい、タオルを差し出す。
他の部員は帰った後だったので、まさか私が残っているとは思わなかったのかもしれない。珍しくきょとんとした顔で見つめ返してきた彼は、その雰囲気も直ぐに消してそのオッドアイを猫のように細めた笑みを浮かべた。
「ありがとう、みょうじなまえさん。それで、僕に何か用でもあるのかい?」
「さすがに察しがいいなぁ…うん、ちょっと気になることがあるから質問してもいい?」
「聞こうか」
受け取ったタオルで髪から滴る汗を拭き取りながらも視線を逸らさない彼に、こういうところにも威圧感は漂うものなのかと納得しながら、私は彼の自主練を見守りながら時間を潰すに至った原因である疑問を口にする。
「赤司くんは、勝利することは呼吸することと同じだっていうよね」
「ああ…言ったな。君にではなかったと思うが」
「うん、それは先輩に聞いたからね。それで疑問に思ったんだけど、基礎代謝だと言うからには楽しみがあるわけではないのかな、と」
「何だ、そんなことか」
ぱちりと瞬きを一度して、当然のことだと彼は答えた。
「当たり前の勝利を喜ぶのもおかしいだろう」
「ふむ。じゃあ、今まで一度も楽しく思ったことは無いわけね?」
「さぁ…昔はどうだったかは忘れたな。今がそうだからそれだけだ」
「そっか」
なるほど、と呟いて私は彼から目を逸らし、宙を睨んだ。
やはり私の想像は当たっていたらしい。彼には楽しみ、喜びが欠落しているようだ。
才能と引き換えの退屈なら、大多数の人間が才能を取るだろうことは解る。けれど、その例が目の前に立つ彼だと思うと、いるかもわからない神様を少し恨みたくもなった。
だってきっと、彼は幸せを感じとる力が稀薄だ。
「じゃあねぇ…好きな食べ物はありますか?」
唐突に会話の路線を変更した私に訝しげな視線が突き刺さる。
「それは何の役に立つんだ?」
「んー…合宿とかがあったらもしかしたら役に立つかもよ?」
なんて建前、彼にはお見通しなのだろう。
にこりと笑う私に特にそれ以上は何も発さず、湯豆腐かな、と呟いて返した。
「ヘルシーだなー…豆腐かぁ。私は揚げ出し豆腐が好きかな。紅葉おろしを添えていただくの美味しいよねぇ」
「…みょうじは変わってるな」
「いやいや、赤司くんほどではありませんよ」
私なんてどこにでもいるような平凡を絵に描いたような女ですから。
チート男子に変わっているなんて言われるほどの個性は持ち合わせていない。
けれど、そうか。好きな食べ物くらいはちゃんとあったことに少し安心する。
何か、特別な何かがなければ、人の心は退屈で腐ってしまうものだ。
本来心から喜ぶべきもの、勝利を手にしても当たり前だなんて言いきってしまう彼が笑わない理由は、そういうことなのだろうから。
「それじゃあ、そろそろ帰った方がいいよ。もう外も暗いし私も帰ります」
「ああ、そうだな。そろそろ切り上げる」
「あ、あと最後に一つだけ」
体育館を出ようとしたところで振り向き、私は最後にお節介だと理解しながら彼に微笑んだ。
「心から楽しめること、見つかるといいね」
きっと君は笑ったらもっと魅力的だから。
それじゃあね、と手を振った先の彼は、驚いたように目を瞠っていた。
観察対象絶対君主
そして何故かこの一件で私を気に入ったらしい彼に、楽しみの要因として認識されてしまうのはまた別のお話と言うやつだ。
20120724.
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