シリーズ | ナノ




「戦果は先ず先ずとのことですが、報告書の内容が雑だと」

「はぁ。それはつまり?」

「要点を絞り文体を整えて再提出しろ、と仰せつかっています」



ぴきりと、自分が二次元のキャラクターか何かであれば、顔に青筋が浮かんでしまっていたに違いない。苛立ちを煽る発言をした小さな獣型ナビゲーターは、不穏な空気を悟りでもしたのか体を大きく跳ねさせた。
超高性能なロボットに式神を降ろした科学と神仏の集合体というオカルティックな存在は、存外敏感に人の機微を拾い上げてくれる。些かデリケート過ぎるところもあるけれど、それくらいでなければ本丸全体の監視役は務まらないのだろう。近年増加傾向にあるという、刀剣に対して真っ黒な本丸の摘発にも一役買っていると聞く。実は出来る狐型ロボット(式神憑き)、格好いいところもあるのだ。

というわけで、政府との情報伝達はナビゲートサポート兼監視役でもある彼、こんのすけを通して行われるのが審神者の間で定形となっていた。
今回も、五日程前に提出した書類についての彼方の意向を伝えてくれたのは、人語を操る見た目はファンシーな顔の白い小さな狐だ。隈取りが子供向けキャラクター感を演出していていつ見ても実にキュートである。
仕事が絡まなければ餌をあげて飼い慣らしてモフりたいくらいには、枯れかけた乙女心をも擽ってくれるこんのすけ。なのだが……生憎私は審神者で、そして今も仕事の真っ最中。見た目の可愛さよりその口から発せられた言葉の方に意識は持っていかれるわけで。



「五日間も待たせておいて不備調整の目処については触れられず、加えて書類は見直して作成し直せ……と?」

「申し訳ありませんが、私には何とも……上からの回答ですから」

「使えませんね」



思わず鼻で笑ってしまうと、うっ、と言葉に詰まったらしいこんのすけは俯いてしまう。動物というものは姿形が可愛らしければ無条件に許してしまいそうになるから悔しい。そしてその愛され体質が羨ましい。
いやまぁ、私も審神者になってからやたらと慕われる状況に置かれてはいますけどね。持って生まれた魅力とは別物だよね。生体からして別物だから仕方ないけどね。

そもそもこの子は謂わば中間管理職のようなものだから、苛めるのは可哀想か……なんて思い直してしまって、頭を掻く。純粋な生き物ではないにしても、板挟みである獣を苛めるのはいい大人のすることでもない。
万人受けする見た目の生き物をナビゲーターにしたことには、人間の良心に付け込む卑しい思惑を感じるから、政府側はしっかり呪っておくが。突き返された書類と受け取り不可との通知に目を落として、私は深く溜息を吐き出した。

本丸と政府を繋ぐシステムについての不都合、不安要素。それから歴史修正主義者と新興勢力についての情報に付随する理論考察……それらをオブラートに二重三重と包んで咽奥までするりと流れ込みやすく記してやったつもりが、彼方は愚痴だけを嗅ぎ分けてくれたようだ。
あなた方はちゃんと働いているんですかー?、という、文面に込めた嫌味は届いたようだから、目は付けられたにしてもその鼻っ柱を折ってやることはできたのだろうが。仕返しが短絡的で子供っぽいな。



「嫌がらせで追い詰める…とは。暇なこと」



一応此方は仕事らしい仕事をしたというのに。
必要箇所は詳細に纏めてきちんとした手続きを踏んで提出した内容に、ろくな返事もないとは酷い話である。お役人も人間だ。色んな人間がいるな…とは分かっていたことでも、強く実感した。



「あー…寝れますかねぇ今晩……」

「…申し訳ありません」

「もういいですよ。私から喧嘩売ったことも事実ですし」



命懸けの任を預ける側にいるなら隅々まで目を配り怠慢は控えろ、と。そんな生意気を口にする審神者は、彼方にはさぞや目障りなことだろう。
そう思われるような行いをしたのは自分だ。私の言葉に肩を落とす小動物(?)は可愛らしいが、こんのすけは政府の犬でしかない。狐だけど。
一審神者の多くの要望(という名の我儘も含む)に応え続けたりしたら、この狐も参ってしまうだろうし、誠実に仕事に取り掛かる者を責めたりすることは流石に私もしたくない。

再提出期限は三日。手続きの手間を考えると、明日には終わらせたいところだ。理不尽な罰則や追加任務を食らいたくはない。
もっと手間や審議時間を省いてもよさそうだけど…と此方が辟易してしまうような政府側の手続きにも、一応意味はあるのだろう。要望ばかり突き付けてくる割りに政府職員の仕事の速さは鈍い気がするが、それにも意味はあるのだろう。自分達は戦に直接関わらないまま如何にも至らない審神者のフォローに追われていますというような顔をよくしているが、それにも意味が……あって堪るか。いい加減にお役人には愛想も尽きるわ。内心中指立てまくりだわ。許されるならとっくにスプラッタにしてるわこん畜生。
しかし、これも可愛い刀剣達のため。豊かな生活を保ってあげるには必要な仕事なのだと思うと、完全に切り捨てるわけにもいかない。
腹の探り合いも定着しつつあるお上である政府と比べて、歴史修正主義側は倒すだけでいいんだから楽だよなぁ…という思考に取り付かれつつある、私にも赤の疲労マークが確実に出ている。書類仕事は肩が凝るから好きじゃないのに、今晩も徹夜になりそうだ。

しゅん、と申し訳なさげに背を丸めるこんのすけを癒し補給に撫でさせてもらいながら、近衛に誰もつけていなくてよかった…と深く深く溜息を吐いた。
刷り込み込みで忠誠心に溢れた刀剣達は、それが関わりを切れない政府職員であっても、主人に仇なす者ならば容赦しない。しかし、理由があれど一度暴走させてしまえば、管理不行き届きとの烙印を押されるわけで……審神者もこんのすけと似たり寄ったり、中々に板挟みな立場なのである。



そうして、突然増やされた書類仕事に一区切りつく頃には、草木も眠る丑三つ時…と唱われる時刻に差し掛かっていた。
流石にそろそろ休まねば起きてからの通常任務に響いてしまう。寝る前に軽く温かいものでも入れて休むか…と思い付き、寝静まった刀剣達を起こしたりしないよう、足音を殺して廊下を歩いていた。

若干重たくなる目を擦りながら角を曲がったところで、唐突に暗闇に銀の線が浮かび上がる。
それが何か、悟る間もなく踏み出された一撃を、反射的に後ろに跳ぶ形で避けた瞬間に目が覚めた。もう、それはパッチリと覚めてしまった。
予期せぬ事態に一瞬パニックを起こしかけたが、何のことはない。私にとってはよくある出来事である。今が夜だから少し驚いてしまっただけで、今は視界が広く保たれているのだ。



「っ! ちょっ…と待ってください。私です、審神者です」

「え? あ……」



灯りのない闇でも、慣れてしまえばうっすらと辺りは窺える。
追撃に構えた刀を握る手から、直ぐ様力が抜けるのをこの目で確かめた。相手の方も、声を聞いた途端に慌てた様子で刃を鞘に納める。



「見掛けない顔だと思って、つい抜刀しちゃってた…ごめんなさい」

「いや…うん。吃驚しましたけど、怪我はないから大丈夫です。大和守くんでしたか」



近付けるようになってうっすらと見えた表情は、失敗してしまったと言わんばかりに眉を下げたもの。それでも、上から下まで眺めて怪我のないことを確かめれば納得はしてくれたらしい。避けてくれてよかった…と息を吐いた彼に、私も苦笑を返した。
確かに、避け損なってたら危なかったかもしれない。なんて、この子の前で口に出せば面倒だから、絶対に出したりはしないが。戦闘訓練を欠かさずにいてよかった。これからも頑張ろうと密かに決心する。



「もう遅いけど、こんな時間まで起きてたの?」

「急な仕事が入りまして…大和守くんは?」

「僕は……夢だと思う。初めて見たから」

「ああ、目が覚めちゃったんですね」



他に人の話し声は聞こえてこないし、目が覚めてしまったのは彼だけなのだろう。そのままもう一度褥につかなかったところを見ると、悪夢でも見たかと推測する。
ただの刀の頃には夢を見ることもなかっただろうから、気持ちの切り替えに時間が掛かっても仕方がない。特に、繊細な心を持った年若い刀だ。私の目も覚めてしまったことだし、すぐに寝直せないのなら少しの時間話でもしようかと声を掛ける。



「寝る前に温かいものでも飲もうかと、厨に向かってたんです。一緒にどうですか?」

「…いいの?」

「勿論。温かいものを入れると落ち着きますし、私も目が覚めちゃったので話し相手になってくれると嬉しいです」

「じゃあ…うん」



行こうかな、と頷いた大和守くんと隣り合って再び歩き出せば、今は布はしなくていいのかと問い掛けられたけれど。部屋に取りに戻るのも面倒だったので、夜闇で前も見えないのは流石に危ないということで誤魔化すことにした。清光くんには頻繁に見られているし、贔屓にならなくていいだろう。

二人揃って辿り着いた厨で、用意するものは最初から決めてあった。鍋を取り出した私を見た大和守くんは何をするんだという目付きで見てきたけれど、気にしない。別に悪いことをするわけじゃないんだし。いや、ある意味悪いことなのかもしれないけれど、これくらいのカロリー摂取は許されたい。私だってついさっきまで書類に掛かりきりでいて疲れているのだ。



「お茶じゃないの?」

「お茶は眠りにくくなるから寝る前にはよくないんですよ。白湯の方がまだマシですね」

「そうなんだ…でも鍋で白湯は沸かさないよね」

「そこら辺はお気になさらず」

「何を作る気なの」



適当に流しながら手先を動かしていると、疑惑の視線が強まった。解せぬ。大和守くんはそこまで私に信用を置いていないのだろうか。普段から厨にも入っているし、不味いものなんて食べさせた記憶ないんだけどなぁ。

微妙に切ない気分になりながら、戸棚から取り出した粉末と、砂糖を多めに鍋に放り込んで火にかける。先に少し炒っておくのが私好みだ。仄かに香りが立つまで待ってから水を入れて、だまのないペースト状になるまで木篦で混ぜていく。ここまで来たら私が何を作っているのか、常人であれば気付くものだろう。刀である大和守くんは慣れない香りに鼻をひくつかせて、未だに私を見つめ続けているようだが。気にせず振り向かず続行。取り出した牛乳を適当に分けながら鍋に注ぎ入れて、沸騰しない程度に煮詰めていった。全て目分量だが、わりと慣れた作業なので味は保証できるはずだ。



「よーし完成」



本当ならマシュマロも浮かべたいところだけれど、流石にそこまで揃っていないので我慢する。
日常的には使われることのないマグカップに溢さないよう中身を注ぎ込んで、じっと行程を窺っていた大和守くんの方に片方を向ける。恐る恐る受け取った彼はカップの中を覗き込み、神妙な顔で呟いた。



「…泥水、みたいな色してる」

「失礼な。餡子だって真っ黒でしょう」

「あれは小豆だから…」

「これも木の実の種子を加工したものですよ。ほら」



きちんと甘くて美味しいものだと、証明するために先に自分の分に口を付けてみせる。
まだ火から上げてすぐなので沢山は飲み込めなかったけれど、少し含むくらいはできるはずだ。湯気を上げるそれを半口ほど啜れば、鼻孔を撫でていく香りと苦味の滲む甘さに自然と自分の肩の力も抜けていくようだった。やはり、甘味は偉大である。
それを見て少しは疑いも晴れたのか、手元のカップに目を落として、もう一度ちらりと私を窺った彼も、そろりと口を付けた。



「っ!」

「どうですか、お味は」



まだ熱かったかな…と、そこだけ気になりつつ訊ねれば、ぱちぱちと目を瞬かせた大和守くんはまた私を見て、その後にカップの中身を凝視する。何だか警戒心の強い動物を見ているようで、少し楽しくなってしまった。



「わ…からない。これ、何?」

「ココアと言います。栄養価も高いんですが、就寝前には打って付けの飲み物で…人は甘いものを摂取すると気持ちが落ち着いたり疲れがとれたりするんですよ」



カカオの香りでリラックス効果、砂糖の甘さで疲労回復。ミルク成分が安眠効果…だったか。そんな話を思い出しながら、彼にも分かりやすいように噛み砕いて説明する。
どうやら苦手な味ではなかったらしい。二口目は気負わずにカップを傾けた大和守くんが、ほっと息を吐いた。



「甘い……温かくて甘い飲み物だね」



落ち着いた声にどこかしんみりとした響きを拾って、おや、と今度は私が目を瞠る番だった。
そういえば、彼を振るった主は甘党との俗説があったような。事実である確証はないけれど、彼が遠い目をする時に思い浮かべているものが何なのかくらいは、私もとっくに知り得ている。



「飲ませてあげたいですか?」



だから問い掛けることに躊躇わなかった。私自身が、気にしていないことだから。
けれど、彼の方はそうでもなかったらしい。はっと肩を揺らして此方を向いた瞳が、ゆらりと揺れたのが分かった。



「…それは……」

「眠り直せない程度には、悪い夢を見たんじゃないですか? あなたの見る夢なら見当もつきます」

「ごめん…ごめんなさい」

「えー…と、責めてるわけじゃありませんけど。謝るようなことでもないですし」



少し無神経すぎただろうか。見るからに落ち込んで俯いていく大和守くんの反応に、苦笑いしか浮かばない。清光くんのように私の言葉が届くタイプであればおちょくってやれるのだけれど(それもそれで意地悪だとは自覚しているが)、この子は少し難しい。過去というよりも人に囚われるほど、人に近く繊細なのだろうとは思うが。
別に怒っていないと言うのに、ふるふると首を横に振る彼は顔を上げてくれなかった。



「駄目だと思う。けど…どうしても消えない。何でうまくいかなかったんだろう、いなくなっちゃったんだろうって気持ちが、消えない。多分、ずっと」



ずっと。
付喪神として生き存えば、言葉通り、それは永遠なのかもしれない。彼のようなタイプは永遠に、引き摺られたままでいるのかもしれない。



「忘れられない」



血を吐きそうな声音をぼんやりと聞きながら、私はただ、壮絶だな…と思った。
人である私よりも、人情に溢れているかもしれない。いなくなった大切な者に執着し続けて永劫を生きるとは、考えただけでも途方に暮れてしまいそうだ。そんな煮え湯を飲み下し続けるような行為、到底真似できる気がしない。尊敬するし、きつそうだ。
しかも、だ。まるでそれが悪いことのように語る大和守安定に、仮の主人でしかない私が何を言えるだろう。彼が今の瞬間に何を求めているのかなんて、分かりようがない。責めることはもっと、出来るはずもない。

一口、落ち着くために適温になったココアを啜って考える。
考えた上で、結局出てきた答えは、お互いに当たり障りのないものでしかなかった。



「忘れたいんですか?」



辛くて苦しくて忘れてしまいたいと言うのなら、忘れても誰も責めやしないけれど。彼が本当はどうしたいのか、どうなりたいのか、確かめてあげることくらいしか私には出来ない。
微かに息を飲んだ気配が、しんと静まりかえった厨に響く。数秒か数十秒か、はたまた数分か。彼も戸惑って、悩んで、躊躇いながら考えたのだろう。間を置いて開かれた口から溢れた声は、今にも泣き出しそうに掠れたものだった。



「…忘れたく、ない」

「ふむ。じゃあ、忘れなくていいんじゃないですかね」

「え…」



思わずといった風に持ち上がった顔に、今日ばかりはきちんと目線を合わせてみる。つい先程まで寝床にいた所為で、結われていない長めの髪が肩に掛かっている。浅葱色の羽織もなければ、寝間着に身を包んだ学生程度の年齢に見える彼は、見た目以上に子供のような目をして此方を見返してきた。

ああ、可愛いな。清光くんとはまた種類が違うけれど、人間のように感情に振り回される神様というのも、中々どうして美しいし、愛しいと思う。危ういところもあるけれど、それも一つの魅力というものだ。悩みを抱えた相手の前で現金だが、いいものを見せてもらったような気持ちになる。



「別に、誰も、あなたの気持ちを否定したりしませんよ。忘れられないものは無理に忘れなくていいんです。思い返す度に辛くなったとしても、手放せないんでしょう? だったらそれはきっと、あなたが大切に持っていなくちゃいけないものだから忘れられないんですよ」

「で、でも…それって、嫌にならないの」

「私のことなら…嫌になんてなりませんよ。あなた方を握って戦場を駆け抜けることもできませんし、本当なら主と呼ばれるのもおかしいくらいですから」



元の持ち主のように慕われても、それはそれで困るというものだ。
一人きりに仕えた刀の想いは重い。唯一と決めて送られる情に、適当なものは返せない。大和守くんにとっての元の主のような存在は、私にはいないけれど。いないからこそ、どうしたらそこまで苦しむほど入れ込めるのかも分からない。分からなければ、同じだけのものを与えられたところで返すことができない。
凄いなぁ、と月並みな感動を覚える程度だ。圧倒的に私の方が、人間味が足りていない気もする。だからといって、それをどうとも思わない。人も神も、在り方は様々あるというだけの話だろう。



「まぁ、ただ……もし万が一大和守くんが歴史の改変を望んだら、私はそれを誰かに斬らせてでも、止めなければならなくなると思います」

「……うん」

「あなたの気持ちを知っていても、それが私の仕事ですから」



そこだけ解っていてくれればいい。誰かの行動や心を、縛る権利を持っていても、必要以上にそうしたくはない。

両手で持てる温度になったカップを少しずつ傾けて中身を減らす。その間、私から目を逸らさずに暫く黙っていた大和守くんが、今日一番弱々しい声をぽつりと落とした。



「仕事でしか、ないの」



ん?、と首を傾げて再び目を合わせてみれば、これまた泣きそうに眉を下げた優男系の顔とぶつかる。



「僕達を扱うのは、そうだろうけど。裏切られても躊躇わないくらい、一緒に過ごすのも仕事の一環でしかないの?」

「……うーん…説明が難しいんですが」



そうか、そう来たか。そこ拾っちゃったか。いやまぁこの子なら拾うか。少し言葉選びがずさんだったな。反省反省。
ぽりぽりと頭を掻きつつ、少しだけ真面目に考える。仕事は勿論大事だ。けれど、彼が不安に思う要素は恐らくないと思う。それを正しく伝えるためには言葉は惜しんでいられないな…と、一度頭の中で口にするべき内容を順序立てた。闇雲に突っ走っても失敗するだけだ。



「本当のことを言うと、私は審神者の勤め自体は重く捉えてないんです」

「…どういうこと?」

「うーんと…歴史が変わったら、死ぬはずの人が生き延びたら、将又生きるはずの人が死に絶えたら……もしかしたら私も生まれなかったり、この場から消えてしまう可能性もあるかもしれませんけど」



ひゅっ、と聞こえた音は、大和守くんの咽から発せられたものだ。これ以上なく見開かれた目に、間違いなく私への情を感じた。



「それはそれで、運命かと。諦められたんです」

「……何、それ。死んでもいいって言うの…? 僕達は主を守ろうと努めてるのに、自分はどうでもいいって?」

「それです」



思わずといった風に詰め寄って来かけた大和守くんに掌を向けて、どうどうと宥める。勘違いはさせたくないから、最後まで聞いてほしい。そもそも過去形で語っているし、相手を傷付けるような事実をわざわざ語り聞かせるほど、私だって悪趣味じゃない。



「こんな酷いことを考えていた私のために……前の主を忘れられないという大和守くんですら、今は私のために憤ってくれている。だから簡単に死ねなくなったし、改変も許してはいけなくなったんです」

「…じゃあ、今は、消えてもいいなんて思ってない?」

「私も我儘でね……私を大事に想ってくれる存在ができてしまったから、それを手放すのは惜しくなっちゃいました。そうでなければお国だとか使命だとか、正直どうなってしまっても構わなかったんですけど」



家族や恋人、友人を盾にする形で政府より収集をかけられた審神者も少なくはないと聞く。私は幸か不幸か、其方には属しなかった。消えてしまって悲しむ相手はいない。実のところ、審神者になったのも殆ど流れに身を任せていたらそうなったようなものだ。
生きていくのに必要な衣食住さえ整っていれば、充分。常人に混ざって人間社会に関わらなくて済むなら、願ってもないことだと。それだけの、ちっぽけな理由で命を捨てても構わないと思うくらい、私は人らしくなかった。死んでも構わないから、死ぬまで苦しまない道を選びたかったのだ。

だから、大切な人…と呼べるのかは定かではないが、いつまでも親しくしていたいと思わせる存在は、此方側に足を踏み入れて初めて得たもので。一度手に入れたそれらのものを喪うことがどれだけ恐ろしいことなのか、漸く身をもって知れた。
審神者になった私を、少しでも人間らしく作り替えてくれたのは、付喪神の面々。これは中々洒落の効いた構図だと思う。



「一応まともな感性も持ってますから、好きなものを傷付けたり失いたくはないです。だから私はあなた達のことをぞんざいに扱えない。そうなると、自分の身も守る必要も出てきたってことです」



仕事を真面目にこなしていないと、今の生活がなくなってしまう。そう自覚したら、どれだけ嫌気が差そうとお上に噛み付きたくなろうと、ある程度は頑張るしかないだろう。自分の身を守ることにも意識が向かう。
私が消えたら、死んでしまったら、残された彼らに手を伸ばせない。慰めることもできなくなるのに、傷付けようとは思わない。



「今はもう、自分のためにあなた達を指揮している…と言ったら、呆れますか?」



喪わないために。大事なものを、壊してしまわないように。そんな意識が根付いてしまったからには、何にも執着しなかった元の自分には戻れないだろう。彼らと出会わず触れ合えない過去になど、戻りたくもない。
首を傾けながら笑って問い掛ければ、全ての言葉を噛み砕いたらしい大和守くんは小さく嘆息した。



「自分が、大事なんだね」

「あなた達が大事にしてくれますから」

「そう」



目蓋を下ろして、一度頷く。
そっか。と、確認するようにもう一度声に出して、彼は漸くほんの少しだけ表情を和らげてくれた。



「自分は、大事にして。疎かにするよりずっといいから」



大事にされていると分かる言葉だ。彼はきっと元の主を思い出しながら、私を案じてくれる。忘れられないものを抱えたままでも、確かな情も送ってくれる。
それでいい。それくらいで、私にはちょうどいい。傾倒することをイコールして絆と呼ぶわけじゃない。たまに本音を溢し合える、一緒に休憩できるような関係だって大切なものだ。
“一番”以外に、罪責を感じる必要もない。



「これ……沖田くんが飲んだら、喜んだかな」

「そうですねぇ…最初はびっくりするかもしれませんね」

「うん…びっくりして、でも、好きになるんじゃないかな」

「飲ませてみたいですね」

「うん」



沖田くん、か。
その名を彼の口から聞くのは初めてだなぁと思いつつ、相槌を打つ。本当に慕っていた主人なのだろう。羨ましさが全くないわけでもないけれど、私の前でも心を綻ばせてくれたことは嬉しい。大事な思い出を振り返ることを、悪いことだと思わないでいてくれるならそれが一番いいのだ。



「でも、美味しいから僕が一人占めする」

「……そう」



些細な願いは、届く場所にいても届けられない。割り切ってくれる大和守くんも、本当にいい子だ。なんて、つい子供を見守るようなことを思ってしまう自分に苦笑する。

随分ぬるくなってしまっただろうココアは、一息に傾けられて彼の喉を下り落ちていった。






御為倒しに優しい子




「それじゃあ、ゆっくりお休みなさい。明日もまた忙しいでしょうから」

「うん」



使い終わったカップを洗い、一応口も濯いだ後で厨を離れた。その場で別れてしまっても構わなかったのだけれど、自室の前まで送ると先に宣言されてしまったので、大和守くんの好きにさせている。
まぁ、打刀勢の部屋はそこまで離れていないし、また少し心を開いてくれたようだから喜ぶところだろう。そんなことを考えながら辿り着いた部屋に一歩踏み入った時、主、と呼び止められた。振り向けば、僅かにはにかんだ様子の顔が見えて軽く驚く。



「ありがとう」

「…いえ、どういたしまして。また眠れない時があったら来てください。ココア一杯くらいはサービスしますから」



お休みなさい、大和守くん。

一瞬呆気にとられてしまったが、じわりと込み上げた嬉しさに此方の頬も弛む。いいのかと目を丸くした彼に頷いて返したこの夜以降、密かに二人でココアを傾ける習慣が出来ることを私は未だ知らない。けれど、きっと既に予測していたようなものだった。

20150329. 

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