シリーズ | ナノ



突然だが、私の朝は刀剣達の中の誰かしらに起こされることで始まる。
これだけ聞けば、いい歳をしてだらしない、目覚ましでもかけて自分で起きろ…等と説教を食らったとしても仕方がないことだと思う。自分自身二十歳も過ぎて自己管理も出来ないような生活はどうかと思うのだ。だが、そうなったことにも理由がある。まずは呆れる前に此方の主張も聞いてほしい。

私は元来自分の面倒はそれなりに見れる質だと自負しているし、特別朝に弱いというわけでもない。本丸に移ってくるまでは目覚ましをしっかりセットしてから床に就くのが常であったし、子供の頃から寝坊なんて一年に数度、片手で数えられる程度はあったかな…と、それくらいのものだった。本丸に移ってきてからも当然忘れず目覚ましはセットしている。
なのに、毎朝刀剣達に起こされるのだ。この意味が解るだろうか。私は自力で起きられるし起きようとしている。なのに、毎朝やって来る誰かしらに起床を促されるのが習慣となっている。とどのつまり、可愛らしくも憎き奴らは目覚ましの鳴る数分前を狙って毎朝やって来ているのである。
別に早起きは嫌いじゃない。前の晩に夜更かしをして睡眠時間が極端に削られたりしなければ、数分早めに起きるくらい苦ではない。それはいいのだ。それはいいのだけれど…いい大人としてある程度染み着いたプライドは譲れない。
というわけで、目覚まし刀達の習慣に気付いて私も十日以上は粘った。目覚ましの時間を十分ずつ早めにずらして、先に起きようとした。しかし、結果は惨敗。駄目だった。そう変わらない時間に布団に入るはずの彼らは、私のその策をも打ち砕いた。
十分ずらしが十日続けば、百分だ。二時間近く前からスタンバイしてるのかよ、何で起床時間ずらしたことに気付くんだよ、君らはちゃんと寝てるのかよ…と頭を抱えた日のことはまだ記憶にはっきりと残っている。

結論を言おう。彼らの熱意(?)に、私は負けた。敵うわけがないと、早起きが二時間前に差し掛かる辺りで諦めた。数百から千年近くを知る彼らの前では、私のプライドなんて塵のようなものだったのだ。もう好きにすればいい。世話を焼きたい奴には焼かせればいいし、目覚まし係が楽しいなら続ければいい。でも休息は大事だから睡眠時間は増やしてくださいと訴えて、私より早く起床するにしても三十分程度までに縮めさせた。それが限界だったが、相互納得のいく形には落ち着いたので良しとする。

…ということがあり、目覚まし係の人選にはまた少し悩むところがあるが、概ね諦めて受け入れてはいたのだ。
それが、悪かったのだろうか。いっそ考えるのも面倒になって健やかな睡眠を優先した私の怠惰さが、この状況を生んだとでも言うのだろうか。
気が遠くなりそうなのを堪えながら、必死に頭を回転させる。いや、でも私そんなに悪くなくない? さじ投げても仕方なくない?

とりあえず、何時から障子を開かれていたのか縁側から入り込む朝日が眩い。色んな意味で眩い。そして地味に身動きがとれないのが辛い。それよりも更に、口から心臓を吐き出してしまいたいような動揺を朝一番に食らわされて変な汗が出てくる。
悲鳴を堪えて息を止めたまま、数十秒。かちんこちんに固まっていた私の身体が、掠れた音声によって大袈裟に跳ねた。



「んん…」



姿形に負けない艶やかな声を拾って、反射的に左に視線をやる。成る程国宝級の美貌、夜に限らず月はそこに在るだけで神秘的な美しさを主張する。
現実逃避する私の耳が、今度はまた右耳が異なる寝息を掴まえた。



「うー…んくぃ…」



イッツザスリーピングビューティー。眠りの森で王子を待つ姫君もかくあらんといった風に、皇室御物も筆舌に尽くしがたい美しさを見せ付けてくれる。敷布に散らばる白銀の糸に反射する朝日の凄まじさには、うっ、と目元を覆ってしまう。神々しすぎて涙が出そうである。
布、布がない。流石に起き抜けにそのまま顔布を被ることはないので、清潔に畳まれた複数の顔布は箪笥の中に仕舞われてある。何が何だかよく解らない状況に声だけは上げずにいるものの、正直冷静にいられるようなレベルを遥かに越えていた。口から心臓どころか五臓六腑が溢れ落ちそうな気さえする。謎のプレッシャーの所為で吐きそう。辛い。

何してるんだこの人達! 人じゃないけれども! 何で両脇で寝てるんですか! 寝る前はいなかったじゃないですか!…と、心の中で散々喚き散らしてみてから気付いた。寝る前にいたらもっと困るわ。いけない、完全に物事の判断が鈍っている。
落ち着け。一先ずは落ち着こう。相手は刀。しかも平安から生きたじじいどころではない年代の相手だ。片や普段からおじいちゃん扱いが板につき始めているような人外だ。深く考えなければいい。起きたら両脇に太刀が飾られていました。ある意味物騒ではあるがまぁ許容できない範囲ではない。
ふう、と息を吐き出して、もう大丈夫。見た目ではなく本質を見ればいい、と自分に言い聞かせて頷く。それからもう一度左を見る。
三日月宗近がすやすやと気持ちよさそうに寝ている。右を見る。鶴丸国永が擦りつくように私の胴に腕を巻き付けている。
残念なことに、本質なんか関係ねぇ!、と言わんばかりに死ぬほど麗しい男にしか見えなかった。私の精一杯の努力で損えるレベルの美しさではなかった。



「ああああアウトおおおおおおおおっ!!」



誰だこいつらを目覚まし係に組み込んだのは…!!

ピピーッというホイッスルの音を奏でたのは脳内に住む小人だ。レッドカードを挙げた彼らが頭の中から出て来れるなら、即退場の二口を今すぐこの場から引き摺りだしてほしい。
突然の大声に目が覚めたのか小さな唸り声が上がり、両隣の塊達がもぞりと動き出す。



「如何しました主!」

「奇襲か!?」

「すまん大将、入るぞ!」



同時に、スパンッ、と開かれた入口側の障子と顔を覗かせた面子に再度涙が出そうになる。
速い。あなた方も何処に控えていたんですかと怯えてもいいくらいには速すぎる到着だ。が、今はその素早さにも有り難さしか感じない。



「助けてくださいお願いします引き離してください今すぐに」



もう、審神者としてのプライドとか何とか気にしていられるような余裕はなかった。とにかく現状から逃れられればそれでよかった。
美麗な男の寝顔が至近距離にあるのは(しかも同じ布団に入っているという有り難くないオプション付き)心臓に悪すぎる。一瞬ぽかん、とした顔で此方を凝視してきたのは長谷部さん、山姥切くん、薬研くんの三口で、自分でも分かるくらい情けない顔をした私を目にすると直ぐさま室内に踏み込んできてくれる。

それにしても寝たままの状態で複数名の男を迎えるような体験は一度だけでいいな、と思った。ごりごりと削られたライフが残り僅かになりつつの現実逃避である。



「きっ…貴様ら何を! 主と褥を共にするなど、赦される行為ではないぞ!!」

「んん…五月蝿いな……」

「おいおい、ちょっと驚かせてみただけじゃないか。助けてとは随分な……いやしかし、主は温いし柔いから居心地がいいな」

「はっ?…あの、起きたなら離れてくださいよお願いですから勘弁してください肉を! 掴むのは!!」



私が連れ込んだように思われなかったことには素直にほっとした。職権乱用セクハラ言語道断。男二人を同時に閨に招く痴女とは思われたくない。けれども、受け手に回るのだって同じくらいには御免被りたい。
いやらしさを感じる手付きというわけでもないが、柔いからと言って腹を触られるのは辛い。そりゃあ、男の身体を持つ方からしてみれば柔いし触って楽しいかもしれないが。私としても女の身体の曲線美や感触は嫌いではないし気持ちは解らなくもないけれども、適切な距離は守っていたいのだ。無駄に寿命を縮めたくないという意味でも、本気で、真面目に、止めてほしい。

遠慮のない手だけでも引き剥がしながらもがく私は必死なものだった。何せ、政府に引き取られ審神者としての教育を受け出したのは花も恥じらうような年頃だったのだ。それからは訓練や勉強に明け暮れていた所為で、実のところ異性経験なんてほぼ無いと言っていいくらいのものなわけで。
普段の会話やちょっとした接触くらいなら特に問題はないにしても、人の域を越えた美貌の男に張り付かれてみろ。自分から仕掛けるなら未だしも、仕掛けられれば動揺するに決まっている。そこまで男慣れしてはいない。刀と分かっていても無理なものは無理だ。
何だか妙にいい匂いがするとか、はだけた胸元から腕まで思ったよりもしっかりと筋肉がついているだとか、睫毛まで雪のように白いなんて情報は知りたくなかった。私が得たところでどうしようもない情報過ぎた。



「三日月と鶴丸の旦那、いい加減大将を困らすのはやめろ。度が過ぎると俺も抜かなきゃならん」

「ほう…いいねぇ。やるかい?」



先程から目を擦って未だ微睡んでいる様子の三日月おじいちゃんとは異なり、険のある表情をした薬研くんの台詞にしっかりと覚醒した鶴丸さんがにやりと笑う。
それでも距離は離れない。引き離そうとしたはずの手が絡めとられて、違うそうじゃない!、と起き上がり掛けていた身体がもう一度布団へと崩れ落ちる。人間離れした美貌の男に必要以上に近付かれている現実から目を逸らしたくて私は埴輪私は埴輪私は埴輪…と自分に暗示をかけ始めると、今にも刀を抜きそうな常識組と向き合っていた彼が堪えきれないように噴き出してくれた。



「あっはは! いや、すまんすまん。珍しく動揺したなぁ! 主は驚きに欠けていると思っていたが、こりゃあいい刺激に」

「ふざけないでください悪戯が過ぎます本気で横から叩き折られたいんですか」

「おっ……おお…」



衝撃、混乱、と来たら次に来るのは怒りである。いい玩具にされているのが分かっていて平気でいられるほど、私も出来た人間ではなかった。
もう、どう思われようと知ったことか。ぎろりと睨み上げる私に流石にまずいと思ったのかは知らないが、私よりも先に怒りの炎を瞳に燃やしていた長谷部さんによってそこで漸く引き摺りだされた鶴丸さんは、寝間着を正しながら布団の外で自主的に正座する。もう片側では山姥切くんと薬研くんが覚醒し出したらしい三日月おじいちゃんを布団から出るよう促していた。



「あー…怒ってるな?」

「そうですね心臓が止まるかと思いましたからね」

「いやぁ、本当に悪かった。三日月がいれば平気かと思ったんだが」

「何でそうなるんですか相乗効果で余計死にますよ」



何を言ってるんだこの刀。どういう思考回路をしているのかと真顔になってしまう。
三日月おじいちゃんは確かにおじいちゃん的安心感はあるが、どうせ外見は美青年だ。動いて喋らなければ美青年。それは鶴丸さんにも言えたことなので、ダブルで来られる衝撃と言ったら相当のものになる。そんな簡単なことがどうして解らないのだろうか。自分の容貌を鏡で百回確認してきてほしい。
私の方も今度こそ起き上がりきちんと座った状態でじっとりとした目を彼らに向ける。視界に入った山姥切くんまで渋い顔をしていたので、かなり見られない表情を浮かべているのかもしれない。が、今回ばかりは顔布を付けるのは後だ。寝床に勝手に忍び込まれても許せるような時代で私は育っていない。からかうにしてもやり方が悪い。絶許というやつだ。



「鶴丸さんが発端というのは判りますけど、何でおじいちゃんまで乗っかったんですか」

「うん…? いや、俺は止めたぞ。ただ、主の顔を見られる回に差があるのを狡いと言われてしまうと、な」

「それは止めたとは言いませんよね」

「すまんな。全く見られないというわけではないが、俺も滅多に見れんから、ついつい」



ついで許されると思っているのか。ほけほけとした笑顔にもう少し悪びれろよと枕を殴りたくなる。彼らの顔面を殴れない時点である部分負けている。悔しい。これだから美形は得だ。許さない。
代わりに抜刀しそうな長谷部さんを手の動きで宥めながら、私自身も歯軋りしそうになっている時、不穏になものになりつつある空気を破る声が廊下側から響いてきた。



「はよー…って、揃って何やってるんだ?」

「……獅子王くん」



朝日を浴びて煌めく金髪がこれまた眩しいが、気持ち的には辛くない。天の助けになり得るのかよく判らない顔が室内を覗き込み、正座する平安生まれ組と仁王立ちする長谷部さん、腕組みする薬研くん、それから居心地悪げな山姥切くんを見回して首を傾げた。



「あー…っと。じいさん達、何やらかしたんだ? あんま好き勝手やって周り困らせちゃ駄目だぜ」

「そうは言うがお前も爺だろ」

「一緒にすんなよ!」



鶴丸さんが発したのは的確なつっこみだったが、確かに一緒くたにするのはよくないと思う。特に正座している二口とは年代が近かろうと絶対に一緒にしたくない。
更に増した人口密度に毒気を抜かれてしまいながら、そっと口を押さえる。そう、この場には癒しが足りなかったのだ。振り回されるだけ振り回されるわりに、可愛いものが足りなかった。じわりと染み込んでくる感動に震えそうになる。介護士(天使)が、来た……!



「獅子王くん……獅子王くんは、何故ここに…?」

「ん? ああ、そうだ。今日の稽古相手は俺ってことだから、その報告ついでに起こしにきたんだよ」



そっちは無駄になったみてーだけど、手合わせはよろしくな!

にかっ、と歯を見せて笑う獅子王くんの眩しさは他二口の眩しさとは異なる、遙かな温もりを持っていた。孫スマイル、尊い。遺産相続待ったなし。この邪気のなさで困らせおじいちゃんズと大差ない年齢であるというのが信じられない。神は存在したのだ。



「獅子王くん目覚ましなら毎日でもいいです…!」



寧ろ彼に起こされるなら毎日でも気持ちよく起きられる気がする。これでは私まで介護要員になってしまいそうだが、それでも構わない。構わないと思わせる力が獅子王くんからは流れ出ている。
思わず両手で顔を覆う私にはっきりと不満を溢したのは、差のある扱いを受けた二口だった。



「主は酷いな。そういうのを差別と言うんだろう」

「もっと年寄りは労ってくれなきゃなぁ」

「労りますから私に構わず自室できちんと寝てください。あとこれは差別じゃなくて贔屓です」

「あまり変わらんだろう」

「変わりますよ大分。遊ぶのは好きですが遊ばれるのは嫌です」



あと、獅子王くんは勝手に寝床に入って来ない。普通に考えて誰も入ってくるはずはないけれど、そういう点は特に信用できる。人を困らせることをしない良い子なのだ。
主は我儘だなぁ、と呑気に笑っている三日月おじいちゃんは今は無視する。誰が何と言おうと可愛ければ許される。可愛いものは見ていて癒されるから好きだ。こちとら朝から心臓に悪い美しさなんて求めていないのだ。
因みに山姥切くんも普段から距離を重んじているし、障子の向こうから声をかけてくれる気遣いが可愛らしいので許容範囲。短刀達は見た目から可愛いので飛び付いてこられても許せる。脇差から上が危うくなってくるが、二口以外のここにいる面子なら悪戯を仕掛けようなんて考えもしないだろうから受け入れられる。
だが、この二口だけは絶対に駄目だ。何をしてくるか判らない鶴丸さんは勿論、三日月おじいちゃんも天然なのか態となのか判断が難しいところがある。疑わしきは遠ざけよ。近侍であろうとなかろうと、私の健やかな睡眠を害することは許されない。寝起きで会いたくない顔触れトップツーは今の瞬間に刻まれた。



「ああ、そうだ主、どうせだから着替えを手伝っ」

「獅子王くんおじいちゃん達をお願いします」

「よっしゃ、任された!」



ほら、やっぱり良い子は頼りになりますしね!
とんでもなく惚けたことを言い出しそうだった三日月おじいちゃんと、ついでに少しばかり大人しくなっていた鶴丸さんをしっかりと連行してくれる獅子王くんの背中は、ひょっとすると出陣時よりも頼もしく輝いていたかもしれない。自然と両手を合わせて拝んで見送った。
しかし、ずるずると床を引き摺る音と引き摺られる彼らの僅かな不満が遠くなる頃、思い出したようにどっとした疲れが襲いかかってくる。だらしないと分かっていても一気に力が抜けてしまうものはどうしようもなく、前のめりに布団に伏せてしまった。



「疲れた……」

「…朝から大変だったな」

「全くですよ。ええ、本当。堪りませんよ…」



ぽす、と背中に置かれた山姥切くんの掌は温かい。そう、これだ。これくらいの接触がちょうどいいのだ。
取り乱すことが滅多にないからだろうか。残った三口から向けられる気遣わしげな空気に泣けてくる。朝から私の心はあちこちへ振り回されっぱなしだが、今やっと少しだけ休まった気がした。



「侵入前に気付けず申し訳ありません。その、後で強く言い聞かせておきます。望みとあらば何かしらの罰も」

「あー、いや、気付くわけないですし、いいですよ。神に罰なんてそれこそ罰当たりでしょう」



一応それなりに本気で叱りもしたし。効いたかどうかは微妙なところだが、今になって脱力してしまうくらいには感情的になってしまった。
みっともないところを見せたなぁ、と若干自己嫌悪に陥っていると、不意に突き刺さる視線を感じる。そこで、ああそうか、と頷いた。まだ、顔布を被っていなかった。残念なことに顔も洗っていないから、このまま被ることもできないが。
普段隠されているものが晒されると、物珍しくて目で追ってしまうのだろう。山姥切くんはともかく、薬研くんや長谷部さんにもまだ見慣れられず、馴染んではいない顔だ。つい最近顔布が外れてしまった時にも主人と判断できずに申し訳なさげにしていたことを思い出した。



「大将、もう起きれるか?」

「起きます…すみません」

「いや、無理する必要はねぇさ。今日の予定を教えてくれりゃあ俺らだけでも回せはするんだ」

「やめて…甘やかさないでください……今起きなきゃそれこそ駄目になる…っ」



この本丸一番の男前兼駄目審神者製造器の言葉に甘えてはいけない。迫り上がる危機感に姿勢を戻せば、本当に大丈夫か?、と覗き込んでくる見た目は儚げな美少年にぐらりときそうになった。危ない。疲れている時に薬研くんが傍にいると、ごく自然ともたれ掛かってしまいそうになる。彼の性質がそうさせるのだろうが、主人側としてはあまりよろしくない癖を生みそうでたまに困る。
予定表だけなら昨晩の内に其々の実力に見合う編成を組んではいるが、戦場に絶対はないのだ。しくじる時にはしくじるし、一切誰も怪我を負わないという日もほぼないと言っていい。刃毀れ程度の損傷でも放置してしまえば続いた出陣時に余計な怪我を負う原因になる。練度を上げた刀剣達には最近では細々とした指揮は必要なくなってきたけれど、刀装の備蓄や手当てといった仕事はどうしても審神者の判断が必要となってくる。そうなるとやはり、自分だけのうのうと寝てはいられない。

週休二日はしっかり取ってあるのだ。ほいほい有給を取れるほど社会は甘くない。この本丸を代表して回すのが自分だからこそ、休みなんてあってないようなものだと思わなければいけない。齷齪働く社員の前でだらける上司なんてろくなものじゃないだろう。私だったらそんな上司は嫌だ。同じように彼らに思われるのも絶対に嫌だ。
ご無理はなさらず、俺達だけでも何とかなるぞ…なんて揃いも揃って甘やかしてくる声に耳を傾けるわけにはいかない。自分のことを出来た審神者だとは思わないが、それでも出来損ないの審神者にはなりたくないと思うほどには今の生活も気に入ってはいるのだ。
というか、私が居なくても大丈夫みたいな言い方をされると逆にもっと必要不可欠と思われるよう頑張らなければいけない気にもなったりして。

うん、やっぱり休んでいられないわ。
深く深く、心の中で頷く。自分まで自分を甘やかしてしまったらおしまいだ。



「大丈夫…体調が悪いわけでもありませんし。仕事を終えたら今日は早めに寝ますよ」

「…分かった。迅速に終えられるよう、協力する」

「あとは、旦那達の立ち入りも禁じなきゃな」

「彼奴らに罰を下す時には是非この長谷部をお呼びください」

「ありがとうございます。あと罰は結構ですから」



やれと言ったら本当にやる刀のことは再度宥めておいて、漸く訪れた平穏に大きく息を吐き出す。
一日分のエネルギーを吸い上げられてしまった気分ではあるが、何だかんだこれも一種の幸せというやつだとは思っている。何時までも慣れる気はしないけれど。頭を掻きながら、広い範囲で温もりの残る布団から這い出した。






おっつかっつなぬくめ鳥




「っ…だあっ!!」



薙ぎ払われた太刀筋を読み、上体を屈めて避けきった瞬間に捉えた隙に、下から上へ、斜めに線を描こうとした刃がギン、と硬質な音を立てて弾かれる。うまくいなしきれなかった力に誘導されたと気が付き、一度体勢を整えようと引いた足がその瞬間に床を滑った。



「!!」

「隙あり! だな!」



咄嗟に手指に力を込め、身体の方は受け身をとる。足払いという定番の攻撃を食らってしまったことを理解するのは早く、単純な罠に引っ掛かってしまった悔しさと恥ずかしさに鍛錬上に転がったまま唇を噛んだ。



「いっ…つぅ……はぁっ、あー……負けました…」

「そりゃーここまで練度上げといて主人に簡単に勝たれたりしたら、俺らの面目丸潰れだって。な?」

「そりゃ、そうですけどね…今日はちょっと気合い入ってたんですが」



じんじんと痛む背中や尻に眉を顰めていると、黒い手袋に覆われた手が目の前に差し出される。素直に刀を握っていない左手を預ければ、軽く引き上げて立ち上がらされた。
他の太刀と比べれば軽量化された刀、付喪神の姿も男子学生程度の外見でも、その力は当然侮れるようなものではない。最低限の身を守る術しか知らないようなただの人間が刀剣達に簡単に傷を負わせられるとは夢にも思っていないが、訓練を重ねた分だけ一矢報いてやりたくなるのは…元から好戦的な性格をしていたのだろうか。
むっとしている私に少しばかり困り顔で笑う獅子王くんは、意外と気が利き、他のどの太刀よりも真っ当に手合わせを受けてくれる。今も、腐りそうになる私を察してさっくりと注意点を指摘してくれた。



「ストレス発散に真剣振り回すのはちょっと危ないと思うぜ。変に肩に力入ってるし、視界が狭まってるだろ」

「ああ……これ、未熟者が調子に乗り始めて失敗する典型的なパターンですか」

「あー、それはあるかもな。あと、腕に身体がついてきてない感じか。まだ振り回されてるから暫くは大物は扱わない方がいいし……でもま、随分様になってきてるぜ!」

「うううん……精進します」

「まぁそう落ち込むなって」



無邪気な笑顔で慰めてくれる獅子王くんの優しさが身に染みる。これで今日は何度死んだだろうか。
そろそろ次の第二部隊の出陣準備だろ、と刀を納めて肩を叩いてくる彼に、同じように鞘に納めながら、お付き合いありがとうございましたと改めて頭を下げる。真剣を扱う時ばかりは視界が効かないと危ないということで、顔布はなしだ。汗の滲んだ顔を洗ったらすぐにまた普段の『さにわ』モードに入るわけだが、こうして手合わせをお願いしている刀剣達数名にはそろそろ私の顔も見慣れられてきた頃合いかもしれない。
元々審神者に求められる戦闘技術は最低限のものだが、私は本丸に来てそう経たない内からこうして週に何度か、彼らに剣技の指導を受けている。と言っても、今も囓った技能に毛が生えた程度の実力しかないのだが。
敵を倒せるまでとは言わない。せめて咄嗟にでも自分の身を守れる術は持っておくべきだろうという判断の下、短刀、脇差、打刀、太刀の中で適切な相手を選んでそれぞれに願い立てた。渋る者もいたが結果的には全員に受け入れられ、私の鍛錬も習慣化している。特定の刀と接する機会が増えた所為で、省かれた方からの視線がたまに少しばかり痛かったりはするのだが。

いや、でも、教わるならまともで真っ当な相手がいいじゃないですか。それから、女相手でもきちんと斬り込んできてくれる相手。そうでなければ実戦となった時に油断が生まれてしまいそうで、困るし。
今日もまたフェミニストな連中にはいい顔をされず、我の強い連中からは不満の目を向けられるのだろう。二重三重と疲れる日だな…なんて乾いた笑いを浮かべていると、鍛錬場から出て隣に並んできた獅子王くんが首を捻って覗き込んできた。



「で、気は晴れたのか?」

「はい?」

「三日月と鶴丸のじいさん達の件。足下疎かになってたのそれが原因なんだろ?」

「あー…はい、まぁ…そうですね」



あまり思い出したくはない一件を掘り起こされてしまったが、獅子王くんに悪気はないのは分かっている。苦い気分を噛み締めながら曖昧に頷けば本当か?、と重ねて問われた。
よもやここまで心を砕かれようとは。人の好い、と刀に向かって言うのもおかしいが、鼈甲のような色の獣じみた瞳はどこまでも真っ直ぐに此方を射抜いてくる。血を浴びることも仕事だろうに、本当に、なんて優しい刀なのだろうかと苦笑が溢れた。



「もう怒ってはいませんよ。というか、あまり怒ることに慣れてないので続きませんし……感情が起伏するとその分後からどっと疲れてしまうんですよね」

「それ、大丈夫かよ」

「さあ?」

「さあ、って…」



えええ、と唸る獅子王くんの少年とも青年とも言えない態度には癒される。本人は至って本気で心配してくれているのだろうが、そこまで深刻になることでもないため、彼には悪いがその反応を楽しませてもらった。



「まぁ、怒ってないならいいんだけどさ。今朝のはやり過ぎだとは思うけど、じいさん達のことは許してやってくれよ。武器でしかなかった分、構われたり構ったりできるのが嬉しいってのは俺も分かるんだ」

「……ああ」

「ん? どうかしたか?」

「いえ、そうですね……もう怒っていませんし、許すも許さないもないんですが」



一瞬、何かしらの感情が脳を掠った気がした。勿論、気のせいかもしれない。私が深く考える必要などないのかもしれないとは思う。
けれど、彼らは刀で、物であり。本丸という空間で付喪神として目覚めさせられるまで、自ら触れることも言葉を交わすことも、それどころか思考を巡らせることすら出来なかったのだと、唐突に思い出された。

人の魂としては、赤子も同然。そう、つい最近三日月おじいちゃんに対しても感じたことではなかったか。
まさか親兄弟みたいなものだとか、そこまで図々しいことは言えないが、私は私の呼び出した彼らにとって無視できない人間であることは確かなのだ。私が彼らの声を想いを聞ける人間になった。応えなければならない立場が、審神者だ。
笑っている人間が本当に心の底から感情を露わにしているか分からないように、彼らも人に似た身を持てば取り繕うことを覚えるだろう。素直なばかりの神ではいられない。何を考えているかは本人にしか分からない。知れない。けれど、ああ、つまり、彼方も此方も何奴も此奴も面倒くさい。






「怒ってはいません。が、平安生まれなら生まれらしく、忍び込む前にまずは文でも送るべきでしたよね」

「おっと…そこは確かに気が利かなかったな」



出陣していた一軍の帰還後、刃毀れ程度の軽傷を受けた面々には手入れ部屋で修復してもらい、私は私で本体である刀に打ち粉を付けていく。満遍なく付いた白い粉を奉書紙で拭った後は刀剣用油を刀身に滑らせればいい。何度も続ければ慣れる動作をそれでも丁寧に仕上げながら、口にしてみた言葉に、ぱちりと目を瞬かせた付喪神は一瞬の間を悟らせないように戯けてみせた。
三日月おじいちゃんの打ちのけを表す瞳も見事なものではあるが、此方も此方で神秘的な黄金が丸く輝いている。邪気なく好奇心を浮かべた表情は嘘ではないだろうが、今までよりは少しばかり違う風に見えた。とは言っても、顔布のおかげで、今まできちんと顔を見合わせて言葉を交わした回数の方が少なかったので、本当は何一つ変わったところなんてないのかもしれない。少しばかり、私の心境の方が変化しただけで。

言葉通り、表情通り、本当に楽しんでいるのかと疑うことを覚えた。
知ろうとしても知れないかもしれないが、知ろうとしなければもっと知れないことだ。



「ならば今夜にでもしたためるとするか」

「よに逢坂の関はゆるさじ、としか返せませんよ。歌には詳しくないんです」

「こいつは手厳しい。鶴の鳴き声でも駄目かい」

「騙されません。遊ばれるのは嫌です」



他の者にも言えたことかもしれない。この刀に限った話ではないだろう。けれど、もしかしたらとても難儀で拗らせていて面倒なのは、こういったタイプなのかもしれないと思った。
鶴丸国永は退屈だと死んでしまうと口にする。彼の欲しがる驚きは様々な形をしているのだろうが、一口きりでいた時を、見向きもされない時間を退屈と呼んでいるのなら。それを紛らす手伝いを少しくらいはしてやってもいいかと息を吐く。何せ、彼の、彼らの審神者は私一人しかいないのだから。

遊ばれるのは気に食わない。けれど、遊ぶのは嫌いじゃない。保っていた仏頂面を弛めて、胡座に肘をついている彼へと向き直り声を掛ける。
いいですか鶴丸さん、一度だけ言いますから聞き逃さないでくださいね。



「まぁでも、普通に誘ってくれれば、一緒に遊ぶくらいはしますよ」



今朝のような質の悪いからかいでなければ、そう本気で怒りもしない。何より、私だって面白いことは好きなのだ。
孤独という言葉を選んで口にしない変に拗らせた頑固な刀は、私以外へのドッキリなら手伝いましょう、という付け足しに珍しくもぽかんと口を開けて驚き、次の瞬間には大層好ましげに笑い出した。

20150305. 

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