時は西暦2205年。歴史の改変を目論む「歴史修正主義者」の攻撃を阻止するため、時の政府はものに宿る想いを目覚めさせる能力を持つ、審神者という存在を過去へと送り出した。
審神者は託された命のため、その技によって刀に宿る付喪神を生み出す。彼ら付喪神を率いて戦場に立ち、またある時はズレの生じた歴史を正しい道筋をなぞるよう働きかける。
途絶えぬ襲撃、終わらぬ戦渦。その中でも数を増やし結束を固める仲間達。
これは、そんな彼らとの熱い絆に満ちた闘いの記録―――……ではなく。
「主ーっ、そろそろできてるんじゃない?」
「ああ、もうそんな時間でしたか」
「早く見に行こうよ! 新入り新入りーっ」
機嫌のいい玉を転がすような声音に促されて腰を上げれば、女性顔負けなほどに細く小さな手に腕を取られてぐいぐいと引っ張られる。
そんなに慌てなくても逃げたりしませんよ、と笑えば、儚げな桃の髪を揺らして振り向く彼(たまに彼女と呼びたくなるが、間違いなく彼である)は、可愛らしい顔できっと眉をつり上げ、真面目腐った体をしてみせているのだろう。
「善は急げ! だよっ!」
薄くはあれど一枚布で遮られた視界では、その表情をしっかりと目で見て確かめられはしなかったが。
そう、これは四六時中戦雲に囲まれる殺伐としたお話でも何でもない。
有り触れているとは表し難い家族未満の集団の、それなりに見掛けるような記録だ。
とは言え、政府の管轄下にある私が審神者であることは紛れもない事実。『さにわ』と記した一枚の白い布で顔を隠していること以外は、私自身はどこにでもいる至って普通の女でしかないのだが。
これは、そんな私と私の目覚めさせた付喪神達の日常を描いたお話。他愛のない日々の戯れ。
それでは刹那の縁、お付き合いいただければこれを幸いと致し、幕開けとしましょう。
はじまり、はじまり。
私『さにわ』と申します
藤四郎の中でも珍しい乱れ刀の乱藤四郎。乱ちゃんに手を引かれるままに向かった鍛刀部屋には、鍛刀を頼んでいた刀匠の他に二つの黒い影が佇んでいた。
否、正しくは片方は赤と水色も混じった影だとは分かっている。が、長い黒髪が特徴的で布を遮って知覚できるので、あえて一色に絞って言い表してしまった。
足音に気付いてこちらを振り返るような気配がする。恐らく、馴染みの方の彼の蒼い瞳が私の姿を捉えたのだろう。
「兼さん、来てたんですか」
珍しく、働き者の彼の御付きの姿はないようだが。
ああ、と頷いた和泉守兼定の方は軽く驚いている私には気付かず、話を振って返してくれる。
「今日は内番もねぇからな。新入りが来るっつってたから様子見だ、様子見」
「頼りになります。それで、そちらが?」
「同田貫正国だ。アンタが俺を呼び出したってわけか」
「はい。私が貴方を目覚めさせた審神者です」
身体の角度を変えて向き直ってみれば、その瞬間からじくじくと刺すような視線を全身に感じる。
握ったままだった乱ちゃんの手に力がこもるのも感じて、自分の口角が持ち上がるのが判った。
「つーことは、女が主人かよ。折角呼び出されたっつーのによぉ…」
視界に入る影ががりがりと頭を掻くように動く。荒々しい言葉遣いと態度、明らかに此方を見下す匂いを嗅ぎ取り、私は静かに呼吸を深めた。
随分とまた、可愛いげのない刀がやって来たものだ。
「あ、主…」
ちらりと横から覗き込んでくる乱ちゃんに軽く首を傾げて返したが、その声音が強張って聞こえたのは何故だろうか。
私が乱ちゃんと短いコミュニケーションを取っている間にも、不満たらたらといった風な口は止まらない。
どうやらこの刀、愚痴っぽい。
一人で溜め込むよりはマシではあるが、それを他者にぶつけて発散するのは如何なものだろう。
黒く鋭い気配を漂わせる新しい顔を、ほんの少しだけ布を上げて窺い見る。そこには想像から遠く離れない険のあるある意味男らしいと言えなくもない造形があった。
成る程。実用性重視の飾り気のない刀らしい風貌だ。
「女じゃまともに刀は振るえねぇ。刀は強いのが正解だってのに、お飾りにされちゃあたまったもんじゃ」
「兼さん」
私が振るうんじゃなく貴方が戦うんですよ、という指摘は後にして。
まずはそのよく囀ずる口を縫い合わせることが必要なようだ。
同田貫といった、確か兜割りを成功させられたという強度の確かさを誇る彼の声を一度だけ大きく物切れば、その場の注意は私に集まる。
口許の笑みは崩さないまま、呆れながら此方の観察に徹していた太刀の方へと、首を回した。
「兼さん、格好よくて強くて最近流行りの和泉守兼定さん、一つ質問をしても構いませんか?」
「あっ? おお、何だ?」
「格好よくて強くて流行りの兼さんなら判るかと思うので率直に答えていただきたいんですが、どう思います?……男尊女卑」
「今時流行らねぇな」
「流石兼さんは分かってらっしゃる」
ぱん、と手を叩いて褒めそやせば、気分を良くしたらしい彼は単純に胸を張ってみせる。
対して、流れを変えた空気に着いてこられていない新入りは次に紡ぐ言葉を選び倦ねている様子。その隙を、見逃すような私ではない。
「というわけで、女だからと私を見下すのは結構ですが、状況と立場を踏まえましょうか? あまりに無礼なならず者だと、うっかり手が滑って溶かして資源に戻しちゃうかもしれませんからね」
「っ…な……」
「四の五の言ってる暇があるなら敵を斬りなさい。それが刀の本分だと言うなら、その主張を裏切る真似を私はしないと約束しますよ」
半分ばかり脅しはしたが、勿論本気ではない。手に入れた力を個人的な好みや我儘でふいにするような真似をするわけがない。彼に掛けた資源も安くはないのだ。
声を失う彼は、今は鋭い目も瞠らせているのだろう。
私側からは、布を下げ直したので窺えはしないが。
「まぁその前に、今の貴方じゃお話にならないので…実戦で叩き上げてもらってきてくださいね」
「わー…主きっちくー」
「愛の鞭と言ってください」
調子を取り戻して茶々を入れてくる乱ちゃんを訂正していると、束の間愉悦に浸っていた兼さんが大袈裟に嘆息する。
「こりゃまた、長々と出陣させられそうだな」
「そうですね、編成も考えなくちゃ…顔も合わせましたし、兼さんと乱ちゃん行ってきます?」
「そりゃいいが、ちっと役者が足りねぇ気もするぜ」
「傷負っても治してあげますよ」
「負わせねぇ方向で組むのが仕事だろ」
「灸を据えるのも仕事かと」
うげ、と引き攣った声を漏らした兼さんは、素直な方だ。
でもまぁ、冗談です。だからそんなに引かないでくださいよ。
「大切に、優しく、我が子のように育てますとも」
差し当たって三日月おじいちゃんを助太刀に入れてあげようかと思うんですが…あら、どうして顔ごと目を逸らされるんです?
我が家で一番の出世頭、しかも同じ太刀とくれば悪くない組み合わせだろうに、馴染みの二振りの反応は著しくない。
理由を訊ねてみれば、距離を詰めて極端に潜めた声を返された。
「ボクはいいけど、だってそれさぁ…」
「プライド折っちまっても知んねぇからな」
「ああ、そういうことなら…」
それが狙いですから、なんて。
まさかそこまでは口にせず、一枚布の下でにっこりと笑った私の顔は、誰にも見えない。
けれど、何かしら感じるものでもあったのだろうか。微かに開いた視界で捉えたのは、不意にぶるりと肩を揺らした新入りの影だった。
20150221.
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