シリーズ | ナノ


他者と関わることを恐れて、気配を殺して生きたくて仕方がなかった、何年か前の私が今の私を見たら、驚くのだろうか。

乾かしたばかりの髪から香るのは、普段は自分には纏えない甘い香りだ。身体も暖まってふわりと込み上げる眠気は、完全にリラックスしている状態を知らせてくる。
欠伸を噛み殺した私を見て、帰ってきた部屋の持ち主は笑った。



「なに?」

「別に。なまえも随分慣れたなって、ちょっと思っただけ」



最初の頃なんてがちがちに固まって、親に会う度に噛みまくってたのに。
そうからかってくる潔子は、気の置けない相手に見せるくだけた笑みを浮かべる。
少しだけ意地悪で、子供っぽい、滅多に見られない表情に軽く眠気は飛んでくれたけれど、振られた話題には素直に笑い返せないものがあった。

特定の友人すらいたことがなかった私が、こんな風に誰かの家にお邪魔して泊めてもらうだなんて、少し前までは想像すらしたこともなかったのだ。
最初は本当に戸惑ったし、狼狽えた。そもそも、初めてできた友人の家にご厄介になるなんて、緊張するなという方が無理な話だと今でも思う。

外見的特徴からして、彼女とは随分と差がある自覚がある。ご両親に悪いイメージを持たれて、友人でいられなくなったら…なんて、私なりに悩みもしたのだ。
そんなことは起こらず、杞憂に終わったけれども。



「付き合い三年目ともなれば、私だって普通に……普通には、なれてないかもしれないけど」

「なまえは自信なさすぎだよ」

「潔子がからかうから」

「はいはい。ごめんね」



む、と恨みがましい目を向けた私に対し、クスクスと肩を揺らして笑う彼女は、濡れたままの髪から水気を拭き取り始める。
正に烏の濡れ羽色と呼ぶに相応しい艶のある黒髪は、永遠に私が憧れる美しさを見せつけてくれた。

日常生活の一仕種が、ここまで綺麗な人はそうそういない。
白い指先が黒髪を分け入って、梳き下ろす。取り出されたドライヤーの風に煽られて、ふわりと浮くセミロングの髪を見つめられるのは、密かな特権だ。
視界で一番近くにある色素の薄い髪と見比べて、憧れは募るばかりだ。彼女が綺麗だと言ってくれるだけ、昔ほどコンプレックスを感じることはなくなったけれど。



(あ…そうだ)



膝を抱えてぼうっとしていたけれど、あるものを思い出してバッグを引き寄せる。
その外ポケットから、細いリボンでラッピングを施した掌ほどの袋を取り出した。



「忘れるところだった。潔子、これ」

「くれるの?」

「うん。使えたら使って」

「もしかして、またなまえが作った?」



言いながら、すぐにドライヤーを横に置いた彼女の手により結んであったリボンが解かれる。
こういう、わりと直球なところはいつも少し心臓に悪い。

気に入らなかったら悪いかな…という気持ちは、いつだって笑ってくれる彼女によって払拭される。払拭されはするのだけれど…目の前で贈り物を開けられるのは、いつもドキドキしてしまう。



「あ、可愛い。シュシュ?」

「…簡単なものだけど」

「そうなの? でも、相変わらず器用」



なまえのセンス、私は好きだよ。
過度にははしゃがず、充分過ぎる気持ちを声音に滲ませてくれる、潔子の笑顔に嘘はない。
布で作った花飾りが一部分に集められたシュシュは彼女の手首に滑らされて、それを目にできた私の胸をぽうっと温めた。

よかった。喜んでくれた。
迷惑だなんて思われないことは分かっていても、確かな反応を貰えると安心する。



「ピンク色で、縁が切れ込んでるから…撫子かな。可愛い花」

「我が子を撫でるように可愛い花だから、撫子っていうんだって」

「調べたの?」

「資料に使った写真に添えてあった」



手首を上げてしげしげと観察する親友に、粗を見付けられないか少し不安になる。
全体的なバランスはいいとして、花の花心をどうするかには結構な時間悩んだのだ。
せっかく作るのだから、できるだけ本物に近付けたい。彼女が使ってくれるとするなら、見た目だけでもいいものにしたい、と。
私の力量では限界はあるけれど、彼女に贈るものにはいつだって相当の気持ちをこめている。



「黒髪にピンクは、映えるから。潔子には似合いそうだと思って」

「なまえの分はないの?」

「私は、白の混じる色はちょっと」

「…確かに、なまえの髪ならはっきりした色が似合うかも」

「うん」



色の相性だけの問題でもないのだけれど、潔子が納得してくれたのに頷き返す。
黙っていれば美しさが強く主張してしまう彼女には、女の子らしい色もよく似合う。きっと可愛いと思っていたから、近くに添えてあげたかったのだ。

すっかり満足した私が落ちていたドライヤーを拾えば、当たり前のように近くまで寄ってくる潔子は小さな背中をこちらに向ける。
こんな無防備な姿を、他に何人が見られるのだろう。
少し湿った艶めく髪を、一房ずつ拾い上げられる贅沢は、今は私しか得られる人はいないはずだ。

ああ、綺麗だなぁ。
くしゃくしゃと掻き回すことすら躊躇われる黒髪と、時折隙間から覗く項の白さに溢れそうな溜息を飲み込んだ。



「でも、赤い花もあったよね、撫子なら」



私に好きに触らせながら、気持ちよさそうに目を細めていた潔子が、ふらりと首を後ろに傾けてきて唐突に囁く。
悪戯を企む子供のように。私だけに秘密を打ち明けるように、笑った。

ドキリとするくらい、近い距離で。



「これ、もう一つ作れない?」

「…作れはする、けど」

「じゃあお揃いにしよう。お願い」



お願い、なんて、滅多に言わないのに。

首を傾げたまま笑う彼女は、私に見えるところまでシュシュを付けた手首を持ち上げる。撫子の花も霞むくらい、可愛らしい仕種で。



「…仕方ないなぁ」



そんなの、断れない。断れるはずがないじゃないか。
眉を下げながら頬を弛めたって、きっと喜びは滲み出てしまっているだろう。
けれど、そんなことはどうだってよかった。バレてしまって笑われたって、何も怖いことはない。

仕方がないなんて思わない。
彼女が私を想ってくれるなら、傍にいさせてくれるなら…何を望まれたとしても嬉しくて、何をしたって私は、叶えてあげたくなるのだから。






花の終わりを憂う鳥




これは、人として純粋な愛なのだろうか。
判らない。ただ、募りきった想いが胸を満たしきっていることだけは分かる。

撫子の花の謂れのような、我が子に向ける愛などは、交際経験の一つもない私には到底想像できもしないけれど。
母が私に向ける感情とは、多分、違うのだろう。

小さな寝息の響く暗闇に、うっすらと浮かぶ白い輪郭。つい、伸びた指が隣に寝転ぶ彼女の頬を撫でる。
柔らかくもハリのある肌には傷一つなく、年頃の少女の中で一番と言っていいほどに綺麗で。
何故だか、息をするのが辛くなって、目頭が熱くなった。



(潔子)



ぐ、と詰まる胸元が苦しい。

誰より綺麗で可愛い、私の親友。
汚れのないこの人を、出会った春に、閉じ込めてしまえたらよかったのに。
でも、そうしたら、今はなかった。こんなに近くに横たわっていられる私にもなれなかった。
それも解っているから、本気では望めない。叶いもしないけれど。

滑らせた人差し指が薄く開いた唇をなぞって、最後に離れる。微かに濡れた指先を握りこんで、腕ごと毛布の中で抱き締めた。

こんなに美しい花なのに、いつか誰かに摘まれてしまう日が来ることだけが、いつだって私は恐ろしい。恐ろしいのだ。



#和の文字パレット 4番【撫子・花曇り・憂い】

20140830.

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