▽ 不機嫌少女の考察
「葵っち葵っち! どう!?」
朝っぱらから机の上に広げられている、黄色、黄色、黄色のオンパレード。
メンズのファッション雑誌とやらを私の机に並べ、横から期待に満ちた視線を送ってくる大型犬に、溜息を吐きたくなった。
「何が」
「な、何か思わないっスか…? こう、格好いいとか、きゅんとするとか…!」
「私に何を求めてんの」
堪えることも馬鹿らしくなってはぁ、と溜めていた息を吐き出せば、あからさまにショックを受けた顔をする大型犬。
雑誌の中の顔とはまるで違うその表情をなんとなく観察し、そのしょぼくれた顔に免じてフォローくらい入れてやるか、と頬杖をつく。
別に、何も思わないでもないのだ。目の前の男の意に沿わないだけで。
「綺麗、だね。こっちのモデルは。自分の見せ方を理解してる」
「っ、え」
「きちんと仕事頑張ってるんだなぁとは思うよ。それで?」
「え、えっ!」
「なに」
「っ、葵っち、に、褒められた…!!」
うわあああ、と、嬉しいのか、真っ赤に染まった顔は驚きしか読み取れない。
だから、こいつは私を何だと思っているのだろうか。
「そもそも、格好いいとか胸キュンとか、私から言われたいわけ?」
「あああもうだから、葵っちはいいんスよねっ!」
「知らないけど」
「今は何言われても痛くないっス!!」
それはまた、よかったね。
満面の笑顔を浮かべる大型犬は、雑誌の中でポーズを決めているモデルよりも存在感がある。つまり、騒がしい。
爽やかな朝にキラキラし過ぎたオーラは若干目に痛いので、まだ静かな雑誌の方に視線を落とすことにした。
「黄瀬マジうざい」
「黄瀬くん煩い」
「黄瀬犬鬱陶しい」
「やっぱ心折れたっス」
「お疲れ」
しかしそれも僅かな時間で、クラスメートからの攻撃をまともにくらった犬は一瞬前の騒がしさを忘れたかのようにしょんぼりと蹲みこんだ。
その頭に垂れ下がった耳が見える気がして、何だかんだ絆されているなぁ、と心の中でだけ呟く。
本当に、厄介な犬に懐かれたものだ。
垣根を忘れさせて懐に潜り込むのが上手いのは、元来の性質かそれとも計算なのか。
その判断を下せるほど、私の方からは中身が見えない。
と言うより、私が信じきれないだけかもしれないが。
「うう…葵っち、みんながいじめるっス…」
「そういえば、その愛称? なんなの?」
「安定のスルー…! 愛称って、葵っちの『っち』の部分?」
「そうそれ。蜜果とかには付けてないよね」
「これは、オレが尊敬する人に付けてるんスよー」
へらっと笑いながら言ってくれたが、わりと失礼な回答だった。
つまり、このクラスで私以外の人間に尊敬できる人間はいないと、そういうことになる。
周囲の視線が更に鋭さを持ち始めるのを、こいつは気付いているのかいないのか。
その、隙の無くなった目を見ればどちらかなんて理解できるから、たまに中身が読めないのだ。この獣は。
「…尊敬するから愛称をつけるんじゃなくて、尊敬する人と親しくなりたいからつけてるんじゃないの」
そして、気づかれてもいいと思っている。
結構なレベルで己が排他的な人間だと、自覚しているのだ。しかもそれを悪いことだとも思っていない。
好ましい人間以外、どうだっていいと考えながら。
「…やーっぱ葵っちは鋭いっスわ」
にっこり笑う顔は根っこから嬉しげで、それを嘘だとは思わないけれど。
本当に厄介な犬に懐かれたものだと、二度目の溜息も飲み込まずに吐き出した。
とんだ狂犬なんじゃないの、こいつ。
不機嫌少女の考察「そうそう葵っち、オレ昨日すっげーいいもの見つけたんスよ!」
「はぁ? いいもの?」
「掃除時間にね! 渡り廊下から音楽室に向かう廊下に、多分新しく掛かったんだと思うんスけど、綺麗な絵が掛かってて! 生徒作品だと思うんスけど…めちゃくちゃ上手いっていうか、なんかすごくて」
「ふぅん」
「うっわ興味なさそう…葵っちも見てみてよ。絶対感動するから!」
「…ポチ、後ろ」
廊下に掛かった絵ねぇ…と、言葉だけは受け取りながらその背後を指差す。
「え? うし…ぐっ!?」
「黄瀬くぅーん? なに、私より先に、朝っぱらから依鈴と喋ってるのかなぁ…?」
「えええ!? ちょっとそれあんまりっ‥ス…ぐ、絞まってる絞まってる死ぬっ!!」
しなやかな細い指先が、ぎりぎりと犬の首を締め上げる。
背後から現れた蜜果の腕をばしばしと叩きながら呻くそいつは恐らくは自然体で、それなのにどこか他人を拒絶していて、何というか…
(阿呆らし)
愚かなことだと思うのだ。
この場で私以外に目を向けないなんて、本当に。
(ぐ、うっ…マジギブ……っ)
(だが断る)
(HR始まる前に終わらせなよ)
(どっちの意味で!?)
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