不機嫌少女 | ナノ

▽ 不機嫌少女の些細な追求



私の中にはなかったアイデアに至るヒントを与えてくれた、一シーン。
それを見せてくれた張本人を隣に改めて向き合った自分の作品は、賞という箔が付いたことも上乗せされて余計に上等なものに見える。

自分の持てる全ての力をぶつけられたかは分からない。限られた時間や普段から手に馴染んでいる描写でもないこともあって、百パーセント実力を注げたかは怪しいけれど。
それでも自分の納得がいくまで構図も悩んで描きこんで、色の配置にだって神経を使った。手を抜いた部分は一つもないし、真剣に向き合った作品だ。

描き終えて時間の経った今でも胸を張れる絵を前に、ついのめり込むように制作に取り掛かっていた日々を思い出して頬が緩む。
そしてモデルとなった人間の反応はどんなものかと、振り向いて。

一瞬、面食らった。



「な…何、どうしたの」

「…へ?」

「へ?、じゃなくて。何泣いてんの、あんた」



サングラスを取り去った目元からほろほろと溢れ落ちる涙は、憎たらしいくらいに絵にはなるけれど。

真顔のまま振り向いた顔には不釣り合いだ。
言われて初めて気付いたのか、涙の筋を指で辿った黄瀬は驚きに目を瞠った。
その動きでまた一粒、目尻から雫が落ちた。



「え…あれっ? オレ…泣いてるっ…!?」

「だから、そう言ってるんだけど…」

「ど、どうりでなんか視界が滲むと…うわ恥ずい…っ」



ちょっと見ないで、と腕を目蓋に当てて顔を逸らす黄瀬に、私の方は何とも言えない気分になる。
喜ぶか驚かれる想像はしていても、まさか泣かれるなんてことは想定外で。



「…気に食わなかった? これ」



昔ながらの写真技法、ポスタリゼーションに似せて配色したことで誤魔化しは効いているはずだけれど。
制作中を知る人にしか分からないとはいえ、無断でモデルにしてしまったことには引け目を感じないでもない。

失敗、だったか。
休日ということもあって周囲の目線も集まり居心地の悪さに俯きかけた時、顔を隠していた腕取っ払った黄瀬が勢いよく振り向いた。



「そ、そんなわけないっ…!」



叫んだその声のでかさに、肩が跳ねた。
見上げなおしたそいつの顔は、火照って赤く色付いていて。



「これはっ…その、嬉しかったりびっくりしたりで、ちょっと混乱してっ」

「は……あ、そう…」

「そうっス! 葵っちに描いてもらえて嫌なわけないし、寧ろっ…何て言えばいいか判んないんスけど、オレ今すごく興奮してて…!」

「…解った。解ったから、ちょっと」



先程から寄せられる数が増え続けている視線から、逃れたい。
まだ何事か発言したげに開いたままの口を言葉で制して、慌てたように空を掻いていたその腕を捕まえて引きずった。

さすがに、他の観賞者の邪魔になるのはいけない。単純に恥ずかしさもある。
しっかりとした男の腕を力をこめて握って、とりあえず今は人目につかないことを優先して出口へと向かった。



「あ、あの、葵っち…っ?」



狼狽えながら、引かれるままに着いてくる黄瀬は状況が掴めていないらしく、目を白黒させている。
顔色を窺うに衝撃を引き摺ったままでいるようで、展示ギャラリーから遠ざかり申し分程度に設けられた休憩スペースに辿り着いて足を止めた私を、見下ろしてくる顔はなんとも情けなかった。

せっかくの整った顔が勿体ない、と思う気持ちが若干芽生える。けれど。



「美術館で騒ぐのは、よくない」

「え、あっ…ご、ごめん…っ」



静寂を重んじる公共の場だ。他人に迷惑をかけるのはいただけないので、そこのところは釘を刺しておく。

自分の行動を振り返ったらしく、はっと目を見開いた黄瀬は素直に謝罪を口にした。



「ちょ、ちょっとたがが外れて…葵っちに迷惑、かけるつもりはなかったんスけど…でも、すごい嬉しくて」

「…まぁ、その気持ちは私も嬉しいから、ありがとう」

「っ…いや、オレの方がありがと…ってあああ!」



言った傍から、また煩い。

思わず手が出そうになるのを今回ばかりは堪えてやると、再び情けない表情で来た道を振り返る。
その仕草でなんとなく事情を察することができて、私は溢れる溜息を我慢しなかった。

展示スペースから距離は開けてあるから、少しくらい騒いでも大丈夫だろうけれど。
さすがに、さっきの今で元いた場所に戻る気はしない。捕まえている手の力からそれを悟ったのか、頭を抱えた黄瀬はショックを体現するようにしゃがみこんだ。



「もっとちゃんと見たかったのに! オレのバカ…!」



出てきちゃった、と嘆く声に、引っ張ってきたのは私なので罪悪感がないではない。
けれどあのまま人目を集めていいこともない。



「一応、展覧会が終われば返ってくるけど」



受賞作品が家にまで持って帰れるかは分からないけれど、学校には返却されるはずだ。展示中しか観られないわけではない。

励ましの意味で掛けた言葉だった。けれど、しゃがんだまま頭を抱える黄瀬にはあまり効果がなかったらしい。
涙で湿ったままの声が、落ち込んだ響きを持って返される。



「それはそうっスけど…今飾られてるのも大事っていうか、葵っちの凄さをもっとちゃんと見ときたかったっていうか…あと、他の観るのも付き合ってくれるって言ったのに…」

「…さすがに、今日以外じゃ予定合わないだろうね」



私より、部活動やら仕事やらで忙しい男の旋毛を見下ろしながら息を吐く。
招待券が余っていても、時間が取れなければ意味がない。



「分かってるから、今日めっちゃ楽しみにしてたんスよ…なのに…オレのバカぁぁぁ」



何で騒いじゃったんだ、とそれなりに逞しい体躯の男が本気で嘆いている様はなんというか、滑稽だ。
けれど私が有無を言わさず連れてきたということもあり、馬鹿にするのも少し可哀想な気もして未だ握ったままだった手を離し、項垂れたその頭に置きなおした。

普段はこんなこと、絶対にしないけれど。



「勝手にモデルに使ったこと、チャラにしてよ」

「っ……へ…?」



苛立ちたくなるくらい指からすり抜ける金髪を、ぐしゃりと掻く。
びくりと肩を震わせてからすぐに見上げてきた瞳は、丸くなって私を写しこんだ。



「あっちに戻るのは恥ずかしいからなし。その代わり、夕方までは付き合ってあげる」



何処かへ移動するなり話をするなり、好きにすればいい。
そもそも最初から、残念がらせるのが目的だったわけでもない。本来は。



「ほ、本当に…!?」



ぱっと一瞬で輝きを取り戻した表情を確認して、静かに納得する。
自然と詰まった息を、有耶無耶にはしなかった。

ああ、恐らく、私は。






不機嫌少女の些細な追求



名目も、そこから生じる価値もない部分で。
打算も欲も関わらない、心の根っこで。ただ単純に、私は。

多分、喜ばれたかった。

それだけの些細な願いは、叶っていたのだろうか。

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