不機嫌少女 | ナノ

▽ 不機嫌少女の疑念と懸念



朝、必ず教室まで顔を見に来ると調子を聞かれる。移動教室の最中に見掛ければ、気付かれた時にはその場から消えるまでじっと見つめられる。
昼、部のミーティングがない時は必ずクラスまで訪れてちゃっかり同じ席で昼食を取る。それを面白くなさそうにしながらも、親友は咎めない。
夕方、こちらからはこまめに返しもしないのにやたらとメールが入る。大体が部活の終了時刻を問うもので、その日の気分によって長く居残る日には殆ど強制的に一緒に帰路に付かれる。

あからさま過ぎる対応の変化は、いっそ清々しかった。






「今日もセンパイにシゴかれたっスー」



疲れた、と言いながらも一々帰り際に捕まえられ、絶妙に断りづらいラインまで送られる。
いつからそこまで賢く立ち回れるようになったのかと訊ねたい気持ちもないではないけれど、無駄に突いて鬼や蛇を出すことこそ賢いやり方ではないので断念することが多くなった。

疲れるなら私にまで気を張るなと、本音では言いたいところなのに。



(私の方もらしくない)



最近は、うまくいかない。
どうでもいい人間には今まで通りの接し方ができるのに、少し親しみを感じてしまえば吐き出す言葉に躊躇いを覚える。
こんな自分は好きじゃないのに、もっと好きじゃない自分が出てこない為には、目を逸らしているしかなくて。

情けないな。
今私が何を口にしても、響かないだろう。そのことを自分でも理解しているから、傍を離れようとしなくなった隣歩く男の真意が見えなかった。

こいつが私に付き纏うようになった切っ掛けは、私が望む私らしさに好感を抱いたから、だったはずなのに。



「ん? 何スか葵っち」



歩調を合わせて気遣って、私の起こす少しの仕種にも反応を示す。
その目に私に対する失望が読み取れないから、逆に居心地が悪かった。



「別に…」



何でもない、と答えようとして止まる。板に付き始めている逃げを打つ癖に、眉を寄せる。

こちらを心配して行動しているのだろう男が、その態度からして分かりやす過ぎるから気付かないふりでは避けられない。
向き合いたくない。さらけ出されたくないと思うのに、その道を理性が塞いだ。

これ以上弱くなりたくない。



「…何で呆れないのかと思っただけ」



無様な態度を晒した、まだ遠くはない数日前を思い出して呟く。自然と肩に力が入った。

あの日私にらしくないと言った黄瀬は、そのくせこれまでより更に傍に居ようとしてきて。
不愉快に思うか失望するか、どちらかだと思ったのに。

結局は立て直したいプライドの為に藪を突く方向に向かった私の言動には、それだというのにぱちくりと、不思議そうな瞬きが返された。



「呆れ? 葵っちに?」



オレが?、と心底理解できませんとでも言いたげな顔をされると、張りつめている私の中から空気が抜け出していくような気がした。

間抜け顔さえ崩れない顔面が憎い。拍子抜けする。



「…あんた、私に近付くようになった頃に自分が何言ったか忘れたの」

「えっ! えー…っと、友達になりたい…とか?」

「他」

「うっ、え、えっと…ちょっと待って。思い出す!」



頭を抱えて真剣に悩み始める男の歩調が更に緩まり、それに今度は私が合わせる。
今日も帰宅時間が少し遅れそうだ。



「うーん…えーっと…オレの為じゃなくても、葵っちが言ってくれた言葉が嬉しかったこととか…?」

「それ」



相変わらず豊かな表情で悩む、そいつの口から出てきた答えを今度は肯定する。
そう、それだ。私が言いたいのは。



「確かにあんたが言ったこと。だけど…今の私に、あんたが惹かれるような要素はないと思う」



見たでしょ。あの情けない逃げ腰を。
小さな憧れくらい吹き飛ばしてしまえそうなほど、あの日の私は形を取り繕えず無様だった。
そして今も、それは続いている。



「格好がついてないのに、何で変わらないの」

「……うーん」



顎に手をあてながら眉間にしわを寄せる男は、特に気まずげな様子もない。ということは、素で何とも思っていないのかもしれない。
でもそれは、最初の切っ掛けや理由からはズレている。

私が嫌う私の弱さまで、見てしまったくせに何でもないという態度。
それがどうしてか悔しく、落ち着かなくて気に入らない。
誰にも知られたくなかったのに、掘り返す私も馬鹿らしいとは思うけれど。



「葵っちが言いたいことはなんとなく解るんスけど…でも、その…一度好きになった人ってそう簡単に嫌えるもんでもないし」

「…そう。あんた懐きにくそうだしね。一度懐いたら切り捨てられないか」

「んー…そうじゃなくて。確かに、オレが葵っちに興味持った切っ掛けはそれだけど…でも葵っちは突き放さないでくれたじゃないっスか。だからそれからまた違う面もたくさん見れた」



だから、葵っちの弱い部分は守りたいし、手助けになりたいと思うよ。

照れ臭そうに語る男は、まだそんな信頼勝ち取ってないけど、と笑う。
その表情が存外大人びていたから、私は一瞬言葉を失った。



「言葉だけじゃなくて、たくさんいい部分見て、知れたから。オレは葵っちに呆れたりはできないかなー…とか…」

「………」

「え…っと、納得できない…っスか?」

「…格好つけたと思ったら」



一気に情けない顔。

私の反応が著しくないと、不安げに見つめてくる様はやっぱり犬に似ている。
はぁ、と溜息を吐く私に、黄瀬はそれまでの空気を取っ払ってきゃんきゃんと噛み付いてきた。



「なっ、情けないって何スか…オレこれでも真面目に考えて答えたのに!」



知ってるよ。そのくらい。
顔や目を見て真剣度が量れるくらいには、憎たらしいことに親しくなってしまっている。
でも、認めて口に出すのはなんだか癪だから言ってやらない。



「で、それが過剰に付き纏う理由になるの?」

「うっ…それは、葵っち自分から頼らないし…何かと知らないと踏み込めないし守れないし、今まで通りじゃ何も変わらないと思って…頼られるようになるって、決めたわけだし」



自分から行かないと葵っちガード堅いんだもん、と唇を尖らせるこいつは、妙なところ鋭くて扱い難い。

放っておいてよ、もう。

身体の奥深く、私の中の一部が突き放したがる。
信じて頼る、それだけのことがどれだけ困難で恐ろしいことか、知っている私が。



(馬鹿だ)



どいつもこいつも、黄瀬も私も。



(救われたいくせに)



本音を隠したままどこまで虚勢を保てるだろうか。このまま続いていく先、最後に勝つのは誰だろう。
今そんなことを気にしても、未来なんて見えるわけもない。そもそもきっと、勝ち負けはない。

深い溜息を隠さずに吐き出しながら、私は鞄へと意識を落とした。



「ねぇ、今度の祭日はバスケ部休みって聞いたけど」

「へっ? あ、うん。そうっスね」



唐突に切り替わる話題に目を丸くしながらも、こくりと頷き返す男を確認して更に投げ掛ける。
バスケ部のスケジュールに関しては、幸男兄に訊ねて教わっていたものだ。



「予定あるの」

「走り込みはするけど…確かその日はフリーだったはずっス」

「そう」



部活、試合試合、仕事…その他友人付き合いもあるだろうから、可能性は低いと思っていた。けれど、そうでもないのならと半開きの鞄の中のファイルに手を伸ばす。



「じゃ、これあげる」



招待券の入ったファイルをそのまま突き付ければ、ぴたりと足を止めた男の視線がそれに落ちて固まる。



「…東京都美術展示会…え?」

「特別賞、貰ったから」

「っ…はああ!? え!? 葵っちが!? 特別賞!?」

「だからそう言ったでしょ」

「特別賞…ってどれくらいあるんスか…え…? これ年齢枠が…ない…」



チケットを確認して呆然と呟く男を、いいからとりあえず歩けと促す。
そこまで驚くようなこと…ではあるかもしれないけれど、アイデアと努力に結果がついてきただけのこと。真剣に作り上げたものには、それなりの評価は頂きたいものだ。



「見せられるなら、あんたには見せるべきだから」

「へっ…どういう…」

「とりあえず最寄り駅に10時ね」

「は、はい…ええっ!?」



せっかく歩き出した足がまた立ち止まる。いっそ殴ってやろうかという気分で振り返った背後には、顔を赤くして狼狽える黄瀬がいた。



「…いい加減落ち着いたら?」

「だだだって! だっていきなり…あ、柏っちも来るんスよねもちろん!」

「蜜果は別の日に来るらしいけど」

「うええ!? じゃ、じゃあまさか…二人で…葵っちとオレで行くの…?」

「嫌なの」

「嫌じゃないっス!!」



力一杯首を振るなら、尻尾も振って付いてくればいいだろうに。
呆れを全面に出して歩き出した私に慌てて並んだそいつは、ファイルを仕舞いこんでも暫くは挙動不審なままだった。








不機嫌少女の疑念と懸念




(何をそこまで驚くわけ)
(だっ、だって二人でそういうとこ行くのって…もうそれデートっていうか)
(今現在二人で帰ってるけど)
(それとは大分違うんスよー!)
(…乙女か)

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