▽ 不機嫌少女の望まぬ機運
それなりに長かった夏休みも終わり、久々に顔を合わせたクラスの面々に一学期と大きく変わった部分は特にない。
そして、終業式近くから夏休み半ばまで定まらない態度を取り続けていた駄犬も、どうやら何か吹っ切れた様子で二学期始めからは再び以前のように顔を出し、躊躇いなく絡んでくるような日常に戻った。
「葵っち! 何で夏休み柏倉さんとは会ってオレとは会ってくれなかっんスか!?」
「愛の差に決まってるじゃない。黄瀬くんマジ図々しいわ」
「くっ…まだ、親友の座に届かない…だと…っ」
だんっ、と悔しげに叩かれる机に、眉を顰める。
会ってくれないも何も、自分から避けておいてよく言う。
そうは思うも掘り返すのも面倒なので、そこを指摘するという選択肢は排除した。
また面倒臭くなられるのは勘弁だ。
(完全に戻ったわけでもなさそうだし…)
辛うじて態度や行動までは以前に戻ったように見えるが、そこまで単純でもないことは少し観察していれば判ることだった。
極端に減った肉体的な接触に、気付いていない人間がいればそいつはかなりの鈍感だ。
抱き付くことも、擦り寄ることも。隙を見せれば直ぐ様犬のように飛び付いてきていたそいつは、今は意図的にそれを避けている。
別に接触が減ったからどうということはないが、気にするのは私ではなく、周囲であるということ。これがちょっとした問題で。
苛立ちを抑えながらにこにこと、他者が見れば気付かない愛らしいだけの、知るものが見れば刺々しい笑みを駄犬に向け続けている蜜果に、私は密かに嘆息した。
そしてその蜜果の不機嫌を軸に教室全体にじわじわと充満していく微妙な雰囲気に、気付いていないのは当の本人だけだ。
面倒事は御免被りたい。けれど、既に片足突っ込んでしまっているような気がしなくもない。
(放っといても構わないんだけど…)
私としては、違和感はあれど概ね元のやり取りに戻っていることだし、このままでも別に構わない。
というより、このままが一番楽だというのが本音というか。
変に態度を変えられて、振り回されたくはない。
あの時の自分に対する苛立ちを思うと、今にもまた吐き気に襲われそうだった。
それが逃げと呼ばれるような行為でも、今は別にそれでも構わない。
誰に迷惑を掛けるわけでもないのだから、逃げてもいいと、そう思う。
それでも、それは私の中だけの事情でしかない。
そんなことは重々理解しているから、がたん、と座っていた椅子から立ち上がった蜜果を止めるようなことも、私にはできなかった。
「悪いけど黄瀬くん、面貸してくんない?」
「へっ…?」
「昼休み。ちょーっと私とお話しようか。タイマンで」
欠片も悪いなんて思っていない顔付きで、にっこりと笑顔で喧嘩を売るような発言をする蜜果に、それまで喚いていた大型犬は呆気に取られたように固まった。
けれど、すぐにその表情は引き締まる。
「…解ったっス」
「そ。じゃあ依鈴、今日は私黄瀬くんと食べてくるね」
「まぁ…いいけど」
「ごめんね…本当は依鈴と食べたいんだけど…」
今回ばかりは、もう駄目だわ。
そう呟いた親友の瞳は、別人のように鋭く光っていた。
不機嫌少女の望まぬ機運対する男の、偽りを取っ払った真剣な瞳を垣間見た私の胸に、嫌なざわめきが走った気がした。
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