不機嫌少女 | ナノ

▽ 不機嫌少女の帰り道



その行動に、特に意味があったわけでもなかった。

ただ、長らく取り掛かっていた作品の搬入も終わって、部活動にも自由な時間が出来たから少しくらい手を休めようかと思った。それだけのことで。
制作と向かい合っている時は楽しいし、熱中してしまうから時間を忘れてしまう。それで見逃してしまうようなことも少なからずあるから、たまには他にも目を向けようかと学校からの帰り道を少し遠回りに散歩しながら帰っている最中だった。



(……あ)



いつもとは違う道を歩いたから鉢合わせたのか、前方から走ってくる人間に気付いた。どうやら向こうも私に気付いたらしく、数メートルの距離で足を立ち止まらせる。
それまでに結構な距離を走り込んでいたのかもしれない。その呼吸は乱れていた。



「あ、葵っち…久しぶりっスね! 部活帰り?」

「そうだけど」



ぎこちないなりに、精一杯明るく勤めて話し掛けてきた男の顔は、貼り付けたような笑顔。
それに軽く不愉快な気持ちを抱きながら頷けば、そうっスか、と返された呟き以上に会話は繋がらなかった。

微妙な沈黙が気まずくて堪らないといった顔が、なんだか気に食わない。
忙しなく視線を彷徨わせていたそいつは、私の苛立ちを感じ取ったのか更に表情を硬くさせた。



「……あ、あの、ね、葵っち」

「なに」

「…もう多分、知ってると思うんスけど」



私より随分と高い身長、しっかりとした体つきなのに、私の返し方一つ一つに怯えるような様を見せる男は滑稽だ。



「試合、負けちゃったんスよ」



部活動中ではないのか。こんなところで立ち話なんてしていていいのか。それを私に言って、どうしろと言うのか。

様々な文句が頭に浮かんだことは事実だけれど、分かりやすく苦い、見様によっては痛々しい笑みを浮かべたそいつに、吐き出してやる気にもなれない。



「聞いたよ」



部活動中、騒いでた人間がいたから。

仕方なく、溜息は隠さずにそう答えれば高い位置にある肩がぴくりと揺れた。
予想できていたことにも、そんなに心が揺れるのだろうか。私のことだから、幼馴染みから結果報告を受け取ることも考えられたはずなのに。

そうしてすぐに落ちる肩に、自分の眉が顰められるのを感じた。



「で?」

「…へっ?」

「だから、それが何」



負けたから、何。

問い掛け返す私の言葉は、そんなにおかしかっただろうか。
漸く合わさった視線の先で、間抜けな声を上げて目を丸くするそいつに頭の奥でイラ、と煩わしさが揺らめいた。

相変わらず、全部言わなきゃ解んないわけ。



「悪いけど、私はスポーツの事情なんか分からないよ。あんたが何考えてるのかも、想像はできてもそれが正しいとは限らない」

「え、っと…」

「わざわざ結果を持ち出して、あんたは私から何が欲しいの?」



暑い夏の日に、好き好んで外に出る人間は少ない。
人通りのない路上の傍ら、立ち止まって会話する私とそいつしか、この場にはいなかった。

照り付けてくる太陽の所為で、立っているだけでも汗が滲む。
纏わり付く熱が不快なのに、立ち止まってまで話を聞いている私も何をやっているのかと、悪態をつきたくなった。



「…負けたく、なかった」



暫くの間呆然と私を見下ろすだけだったそいつは、唐突にぽつりと溢した。
勝ち負けがあるのが当然の世界では、誰もが胸に抱いているであろう欲を。

笑顔でも、苦しげな表情でもない。とっくに結果は受け止めているのだろう。その表情は静まっていたし、今更取り返しもつかないことも理解しているように見えた。
だから私も、特に感慨もなく軽く頷く。



「あっそ」



なら、次は勝てればいいね。

軽く、軽く。私の吐き出した言葉はそいつにも伸し掛かることはない。
何も知らない人間の言葉が重みになるなんて馬鹿らしいだろう。
私には運動部の考えなんて解らない。勝ち負けがあるのは当然で、負ければその場で今までしてきた努力が霧散すると言うなら、理解しようとも思えない。

でも、そうじゃないでしょ。
何に価値を置くかで考え方は変わってしまうけれど、少なくとも勝利が全てだなどとほざくなら、私はそいつを殴り飛ばす自信がある。



(努力、してたんだから)



幼馴染みもこいつも、バスケ部全体から、きっと。
だから一つの勝ち負けだけで全てが決まることも、意味がなくなるわけもない。



「私は別に、後悔がなければいいと思うけどね」



後悔がないよう、手を抜かずに向かえたなら、私はそれだけでも価値があることだと思うから。
勝ち負けなんて、気にすることでもない。

そう、締め括る私を見下ろしていたそいつの顔はぐしゃりと歪んでいた。
泣いているような、笑っているような。それはたまに見せられる雑誌の中で、気取った表情をしている人間と同一人物とは思えないくらい不器用な顔で。



「葵っちは、応援してくんないんスか…?」



なんとも情けない声を漏らす唇に、私まで深く息を吐き出した。



「馬鹿じゃないの」



応援は、力になるものでなくては意味がない。
無理を押し付けるためのものなら、ない方がマシだ。

何も知らないくせに頑張れ、次は勝て、なんて言葉を投げ掛けるような押し付けがましい人間に、誰がなりたいと思うのか。
私は、絶対に嫌だ。



「次があるんだから、次も精一杯やればいいでしょ。その上で勝てたら尚良いだろうけど」

「…葵っち」

「やったんでしょ、精一杯。それで悔しがってる奴に、私から言うことなんかない」



いつか、休日のストバス場で一人悩みながら自主トレに励んでいた男の横顔を思い出す。
報われないことなんて、この世にはいくらでもある。それでも素直に、報われてほしいと思わせられるくらいは、今目の前に立つ男は真剣だった。

なら、私が何を言うこともない。
そのままで充分だ。私が口出しできるのは、そこまで。



「それが私なりの応援なんだけど?」



まだ何か、文句がある?

首を傾けながら目を眇める私に、今にも泣き出しそうだった顔を更に歪めたそいつは、今度こそ笑っていた。

ううん、と強く首を横に振って、充分だと口にする。



「でも、次こそ勝つっスよ」



何もしていない私にありがとう、と笑顔を返したそいつは、最近感じていたぎこちなさも取り払ってそう宣言してきたのだった。








不機嫌少女の帰り道




それなら今度は口には出さなくとも、その勝利を願っていようか。

そう思わせるだけの努力を、私は既に知ってはいるのだから。

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