▽ 不機嫌少女と部活近況
その結果を耳にしたのは、殆ど人伝のようなものだった。
「負けちゃったって」
「えー、残念」
B1パネルを机に寝かせ、筆を走らせていた時に耳に入った会話に顔を上げると、制作の手を止めて携帯を弄っている同級生の部員が溜息を溢した。
「黄瀬くん頑張ってたのにねー」
「あー…でもやっぱ観に行けばよかったなぁ」
それだけの会話で内容を把握できるから、あの男の名前も便利なものだ。
負け、ねぇ。
軽く息を吐き出しながらその結果を思い浮かべるも、私には今一実感が湧かなかった。
生まれてこの方運動とは無縁…というか避けて通ってきたものだから、その勝敗にどれだけの意味があるのかも、私にはうまく把握できない。
ただ、長らく見てきた幼馴染みがひたすらに打ち込んでいるものだから、きっと私の理解が行き届かないだけで、それだけの価値はあるのだろうとは思ってはいるが。
「あ、ねぇ葵さんって黄瀬くんと仲良かったよね?」
「…は?」
「結果報告とか来た? もしかしてこれから会うとか‥」
どちらにしろ私には無関係の事情だと、再び筆を進めようとしたところ、やたらと明るい声に名前を呼ばれて眉を顰めた。
あの男と少なからず関わりがあるということを部員に知られてからは、たまにこういう質問が飛んでくる。
大概があわよくば私をパイプにあの男との仲を深めようと目論む女子が多いので、その思考には辟易していた。
「ないけど」
好きでもない人間を利用するだけは利用しようとする、その考え方も私には理解できない。
微かな苛立ちには蓋をしながら、吐き出した溜息は深かった。
「ええー? ホントに?」
「幼馴染みがバスケ部のキャプテンやってるだけだから」
あの男とはその繋がりで知り合ったに過ぎない。それは事実だし、それ以上の何かがあるわけはない。
そもそも、連絡手段だって持ち合わせていないし。
それより、と視線を投げた先には、下書きすら終えていないパネルが放置されていた。
私の視線の先を読んだのか、近付いてきていた部員の顔がしまった、とでも言うように引き攣る。
「搬入まで二週間もないけど」
終わらせられるの、それ。
他の部の事情を気にする暇なんて、うちの部にもないはずだ。
言外にそう促せば、苦い顔をしながらも彼女らは元いた場所へと戻っていった。
(まぁ、間に合わないだろうけど)
間に合ったとしても、入選は難しいだろう。作品の出来はアイデアも大事だが、そもそも時間がななければ満足いくものは作り出せない。
これから下書きを終わらせて色を決め、満足いくものが出来たらレタリングを施しビニールで保護する。
作業手順を考えれば、今から火が点いても出来上がるものなど高が知れていることは、一目瞭然だ。
(嫉妬するくらいなら最初から真面目にやればいいのに)
或いは、真剣に取り組んだところで敵わないとでも思っているのだろうか。
好きでやっていることなのに、くだらない。
それとも。
(黄瀬効果か…)
マイナスに働いているのかもしれない。
無愛想な女がイケメンに構われていれば、それは不快にもなるのか。
利用できないなら尚更、突きたくも貶したくもなるのかもしれない。
何にしろ、くだらないけれど。
「…めんどくさ」
人の好意一つも、得られるかどうかは結局は運なのだ。
黄色のアクリル絵の具を絞り出した紙パレットを、筆で掻き回しながら溢した言葉を拾う耳はなかった。
不機嫌少女と部活近況でも、ああ、そうか。
(負け、か…)
勝敗一つに、盛り上がる気持ちはよく解らないけれど。
ただ、あの幼馴染みは酷く悔やむだろう想像ができるから、自分の心まで沈むような気にはなる。
そしてもう一つ頭を過った面影は、どうなのだろうか。それが気になる気持ちが、全くないというわけでもなかった。
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