▽ 不機嫌少女の苦手項目
「助けて葵っちぃいい!」
その駄犬が駆け込んで来たのは、4限が終了して昼休みに入ってすぐのことだった。
いつも通り近くの椅子を借りて蜜果と共に弁当を開こうとしていた時に響いた情けない声に、若干うんざりしながら視線を上げれば、毎朝見ている煌びやかな顔が弱りきった表情を浮かべて急ぎ足で寄ってくる。
上背がある男がそんな顔しても可愛くない…と言いたいが、崩れてはいない造形に内心舌打ちしたくなる。
あざといのは好きじゃない。
「ちょっと黄瀬くん私と依鈴のラブラブランチタイムを邪魔しないでよ」
「嫌っス! じゃなくて、それより葵っち助けて! このままじゃオレI・H出れない!!」
「は?」
うわん、と泣き真似をしながら抱き付いてこようとする犬の顔面を掌で押し留めれば、顔は止めて!、と叫ばれた。
だったら抱き付こうとするなと言いたい。
しかし悲しいかなタッパの差があるので、完全に回避できない奴の手が腕に絡み付いてくるのは止められなかった。
一瞬にして冷たくなった教室の空気に気付いているだろうに、その犬は意に介することもなくすりすりと頭を擦り付けてくる。
何か、遠慮がなくなってないか。
「きぃぃぃせぇぇぇ」
「死ぬか? ああ、埋まりたいのか?」
目の色を変えてゆらりと立ち上がるクラスメイト達の姿に溜息を吐きたくなるが、ここまで密着されていると逃げる余地がない。
未だぐずるポーズを崩さない犬と、今にもその手に持ったフォークを突き刺しそうな顔をしている蜜果を交互に見やり、仕方なく弁当を後に回すことにした。
「蜜果、ストップ。黄瀬は離れたら話聞いてやらなくもない」
「えー…」
「っ! はいっス!」
依鈴が言うなら…と渋々フォークは置きながら、それでも敵意を隠さない親友と、晴れやかな笑顔で直ぐ様離れていった犬。
そして熱り立つクラスメイトをどうどう、と片手で宥めながら結局どういうことなのかと訊ねてみれば、話は簡単。成績が著しくない所為で部活に支障を来しそうとのことだった。
「だから助けて葵っち!」
「アンタ私が何でもできると勘違いしてない?」
「えっ?」
だが、しかしだ。
内容が簡単とはいえ、簡単に助けられるかと言えばそうでもない。
眉を顰める私を床に座り込んだ姿勢できょとんと見上げてくるその犬は、何を言われたのか解らない、という顔をしていた。
正直自慢できることじゃないので声を大にして言えないが、私は別に勉強ができるわけではない。
だから、助けを求められてもどうしようもないのだ。
元より、求められたからと言って助けたかも定かではないけれど。
「言っとくけど、私の成績芸術に特化してるだけで他は国語以外平均。体育に至っては目もあてられないから」
「えっ嘘葵っち運動できないの!?」
「煩い論点そこじゃない」
細いし身軽そうなのに…と目を瞠る犬の頭を咄嗟に叩いた。
痩せていれば運動できると思うな。
「葵さま急に走ったら8割型躓くし転けるよな」
「機械運動も腕力とか足りないからすぐバランス崩して怪我するし」
「基本的に筋肉ないしねー」
「そこが依鈴の可愛いところだけどね!」
人が気にしていることをつらつらと並べ立てて和んだ表情を浮かべるクラスメイトと蜜果を、今ばかりは恨みたい。そこまで詳しく語る必要がどこにある。
「……人間、できないものはどうしたってできないんだよ…」
仕方ないじゃないか。
頑張ったって、センスがないものはどうしようもないのだから。
そして想像でもしたのか、妙にキラキラとした視線で見上げてくる犬が、とにかく鬱陶しい。
「葵っち…」
「煩い」
「可愛い」
「黙れ駄犬」
要らぬ弱味を握られて奥歯を噛み締める私の気持ちも知らず、勝手に楽しむ周囲の人間にほんの少しだけ泣きたい気持ちになった。
不機嫌少女の苦手項目可愛いなんて言われても、嬉しくないのだ。
(あっでも平均取れれば充分なんで、勉強教えてほしーっス!)
(………)
(ご、ごめん葵っち! でもオレ笑ってないし本当に可愛いと思ってて!)
(…………)
(依鈴ー、ごめんね? 機嫌なおして…?)
(……別に。本当のことだし気にしないけど)
(いやいやいや、完璧拗ねてるっスよね…!)
(許して依鈴ー! 私達依鈴が大好きだからつい楽しくなっちゃうだけなの…っ!)
(……ご飯食べよ)
(葵っちぃぃ!)
(依鈴ーっ!)
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