不機嫌少女 | ナノ

▽ 不機嫌少女の価値観



美術室に現れた人型犬は、何を思ったか一緒に下校すると言い出すとマッハで忘れ物とやらを取りに教室まで駆けていき、再び美術室に帰ってきた。

女子から敵意を買うのは心底面倒だけれど、犬を説得する時間も無駄なので好きにさせるかと、いつもより人数の残った室内で片付けに入る。



「油絵じゃなかったんスねー、あの絵」



キャンバスに描いた猫をまじまじと見つめている犬の図は、人型でなければ中々面白かったかもしれない。
部活時間は終わったということで、いつもよりも静かに口を噤みながら室内に入ってきた犬は、画材用具一式に興味深々だった。



「金もかかるしね…油は2年から始めるつもり」

「へぇー…でもオレ、この絵の具好きかも…あ、でもこの前の水彩? あれもめちゃくちゃ綺麗だった!」

「…そう」



ああ、失敗したかもしれない。

水容れから濁った水を流し捨てながら、内心呟く。
喜ぶことは予想していたけれど、まさかここまでとは。
アクリル絵の具の乗っかった紙パレットや、棚に収まったパネルをしげしげと眺め、最終的にクロッキー帳を捲り始めた犬には、もう何を言うのも面倒臭いので放置している。

ちらちらと向けられる周囲からの視線は黙殺して、キャンバスとイーゼルを準備室に片付けて戻ってきてみれば、その犬は周囲の女子の物言いたげな態度をすっぱり切り捨てて未だにクロッキーを捲っていた。



(何か変なもの描いてなかったっけ…)



たまに授業中にメモ代わり使っているから、少し気になる。
とりあえず今のところは特に反応がないので、大丈夫なのか。



「ポチ、返して」

「え? あ、はいっス」



箱椅子も片付けて、あとは細々とした筆記用具なんかを鞄に詰めながら促せば、それまで集中していた犬は素直にクロッキー帳を閉じて私の手に乗せてくれた。
試しにパラパラと最初の方を捲ってみれば、中学時代から描いているクロッキーや構図のエスキースしかない。
たまにメモも出てくるが、大して変なものは出てこなかった。



「やっぱり葵っちって絵上手いっスよね」

「上には上がいるよ」

「そりゃそーっスけど、何て言うか…好きなもの描いてるんだろうなって、それ見てたら思った」



それ、と指差されるクロッキー帳に目を落として、ああやっぱり失敗したなと思う。
当たり前のことだけれど、指摘されることは初めてだったのだ。



「そう」

「たまに出てきた女の子とか、葵っちの友達?」

「中学時代のね」

「ふーん…いいなぁ。好きなんスね、その子達のこと」

「蜜果もいる」

「えー…いいなー」



そろそろ終わりに近いので、次を買わなければいけない頃だ。
残り数ページのそれを鞄に仕舞いながら、かけられた言葉の真意も受け止めた。

好きだから、残したくて、描きたくなる。それは私にとっては自然な成り立ちで。
好きだから手抜きできなくて、納得できるまで描くから、上達だってしていく。



(誰だって、何だってそうでしょ)



なのに、納得できるまでやりもしないで才能が無いなんて弱音を吐く人間ばかり、褒める素振りで恨めしげに見てくるから、苛立って。



「だからオレ、葵っちの絵好きなのかも」



だから、そういう言葉は、慣れていなくて対処に困る。

普段の鬱陶しいほど飾った笑顔じゃない、夕陽に似合う柔らかな微笑を向けられて、軽く眉を顰めてしまったのは多分、悔しさからのことだった。



「アンタも同じようなものでしょ」

「へっ?」

「好きだから努力するし、納得できるまでやる。何でも同じなんじゃないの」



私が特別なわけじゃない。
ジャンルが違っても、同じような努力をしている人間はいくらでもいる。
三年もの間必死に部活に打ち込む幼馴染みの姿を見ていれば、同じ部に所属する人間だって見えてくるものだ。

美術室から廊下に踏み出し、振り向いてみればその犬は驚いたように目を瞠って立ち竦んでいて。
それからまたすぐに、照れたように頬を紅潮させながら満面の笑みを浮かべて見せた。



「そっスね!」



その背後、気まずげに私から目を逸らした数名の部員には、気づかなかったことにしよう。
“できない”のではなく“やらない”人間に、かけてやる言葉なんて私は持ち合わせていない。






不機嫌少女の価値観




「でもオレ、葵っちがさっき言ったような気持ち、最近思い出したんスよねー」



帰り道、然り気無く歩幅を合わせながら呟きを落とした犬を見上げれば、その表情は少しだけ弛んで、どこか遠くを見つめているようだった。



「思い出せたならよかったんじゃないの」

「そっスね。気づく切っ掛けをくれた友達には感謝っスわ」

「いるんじゃん、友達」

「いやー、今のは中学時代の友達の話だったり」



今度は僅かに、苦味が混じる。
そういえば随分と人間味の溢れる表情を見る機会が増えたなと、ぼんやりと思った。



「馬鹿だよね、黄瀬は」

「ええ!? 突然な……にっ!!?」



ぐりん、と勢いよく振り向いた顔には、やっぱり気づかないふりをしておこう。
歩調を速めて駅前を目指す私の耳に、慌ててついてくる足音が響いた。



(葵っち今っ…もっかい! もっかい呼んで!)
(何騒いでんのアンタ)
(うわぁああまたこの生殺しパターン!? もうツンはいらないっスよー!!)
(はぁ…今日だけね)
(え?)
(黄瀬)
(! は、はいっス!!)
(腹立つけど、ありがとう)
(は、え!? えっと、オレ何かしたっスか? てゆーか腹立つって…)
(解らないならいいよ)
(えええ!? なんかすっげー煮え切らないんスけどっ!)
(悩みたいなら悩めばいいんじゃない)
(教える気ゼロ…!!)

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