授業が終わった後の清掃時間は、二週に一度の周期で分担場所が交代になる。
今回は私と私の他にもう一人、男子との組み合わせのようだけれど、こんな時は多くの場合すっぽかされるのがお決まりの展開だった。
遊び盛りふざけ盛りの年頃だから仕方ないのかもしれない。一人でできないことでもないからと、文句を言えない私もよくないのだろう。

とはいえ、言い争いになったら面倒だし。
当番になる場所の変更を確認して向かった階段で、溜息を吐き出しながら箒を動かす。さすがに一人で毎日水吹きするには時間が足りないかなぁ…と考えていると、背後から声を掛けられた。

岸本、と慣れない響きで呼ばれた名前に振り向けば、私の担当する区域ののすぐ上から見覚えのある顔が覗いていた。



「あ…菅原くん」

「久し振りだなー」



色素の薄い髪と左目の下に泣き黒子を持つ男子生徒が、爽やかな顔に似合う人当たりのいい笑みを浮かべてそこにいる。
彼には敵わないながら、へらりとした笑顔を貼り付けて久し振り、と返した。



「びっくりした。菅原くんも階段当番?」

「今週からな。会うの久々だけどクラスはどう? 旭が迷惑かけてたりしない?」

「あはは、まぁいいクラスだよー。切羽詰まらなくてすんでるし」



東峰くんについては、私の方が迷惑をかけていそうだけども。

そっと答えから逃げて笑って誤魔化す。それにしても自然に話し掛けられて、内心少し驚いていた。
二年時、同じクラスにいた時もそうだったけれど、菅原くんはそつなく人と接することに慣れた人だ。好かれやすい人間性をしているし、人の顔色を読んで会話を繋げるのが上手い。

クラス替えから三ヶ月近く、顔を合わせる機会もなかった元クラスメイトというだけの仲なのに、ぽんぽんと会話が続く。
相変わらずいい人だなぁと思いながら合わせていると、一層和やか笑顔を浮かべた彼はそういえば、と繋いだ。



「最近、二年の口から岸本の名前聞いてるよ。あいつらに勉強教えてくれてるんだって?」



あいつら勉強には頭回んない奴らだから大変だろ。

二年、という単語にドキリとしてしまう私には気付かず、菅原くんは少し困ったように笑う。
まさか彼らが私のいない場所で名前を出しているなんて思っていなかったから、速まってしまった心臓を押さえ込むのに苦労した。

だって、そんなの初耳だ。
何を言われているのか、ものすごく気になる。が、聞くのが怖いような気もする。
どっちにしろ深く突っ込む勇気はないけれど、自分の表情が固くなっていないかが心配になった。



「う、うーん…勉強は苦手みたいだけど…話は真剣に聞いてくれるし、いい子達だよ」

「そっか。岸本の迷惑になってないならいいんだ。旭が言い出したって聞いたし、試験前なのは全学年とも一緒だからさー」

「まぁ、普段は暇してる分復習はちゃんとしてるし…心配ないかなって」



私は菅原くん達のように、部活に心血を注いでるわけでもない。代わりに、暇な時間にだらけすぎない程度に学業はこなしている。
完璧とまでは言えないけれど、試験前には見直しに軽く勉強するくらいの時間がとれれば充分だった。

だからこそ、ちょっとした後輩の指導もできているのだ。
そうでなければ西谷くんと関われる機会もなかっただろうから、これまでの実績とそれをこなした自分を今は少し褒めてあげてもいい。

そんな正に幸せの絶頂期にいるであろう私に、そっか、と再び頷いた菅原くんは何気なく口にした。



「楽しいんだったらよかったな」

「え…?」

「西谷に、いつになっても話し掛けないなーと思ってたからさ」



にこやかに紡がれたその言葉に、私の思考は硬化した。



(えっ…?)



今、菅原くんは何を言ったのか。
解らない。いや、解らないというか、解りたくない。

西谷に、いつになっても、話し掛けない。
イコール、どういうことだ。
西谷くんに話し掛けておかしくないような態度を、見せていたということか。完全なる部外者で通行人Aレベルの認識であったはずの私が。



「っ…は、え、ええ!?」

「え? あっ…ごめん、言っちゃまずかったかっ?」

「や、ま、まずいっていうかっ…待って、東峰くん? 東峰くんが何か言ったの…!?」

「いやいや違う! これは俺が勝手に見てて気付いただけで…あ、でも確かに旭に確認した時はうまく誤魔化せずにいたけど…」



ジーザス。何てこと。
いくら観察眼があるとはいえ、単なる元クラスメイトであったはずの菅原くんにまでバレるとか…本当にどういうことなの。

焦った顔で手を振る彼に、もう恥ずかしいやら悲しいやらで目を合わせられない。



「わ、私そんな…分かりやすい…?」



ぐっと俯いた状態から問い掛ければ気まずげに軽く唸る声が降ってきて、この場にしゃがんで縮こまりたくなった。階段という不安定な足場でなければ、迷わずそうしていた気がする。



「えっ…あー…普段の岸本のテンション何となく知ってるからかな…西谷に対してだけ、こう、やっぱ違うべ」

「うわああぁ…! 表情筋ってどうしたら鍛えられるかなぁぁっ!」



菅原くんは一体どこから見ていたのか。分からないけれど、そんなに分かりやすい顔で接し続けてしまっては、相手にもバレずにいられる気がしない。
いくら恋愛事に疎そうな西谷くんでも、私の気持ちを見破る他者からの指摘があれば、気にするだろう。
何だかんだ思春期男子高生なのだ。何も思わないということは絶対にない。

でも、そんなのは困る。困りすぎる。絶対に避けたい。避けないと私の中の色んなものが死んでしまう。
両手で顔を覆いながら泣きたい気持ちを堪えた。胸の中は羞恥と絶望でいっぱいだった。

私がどんな状態であれ、少なからず懐かれているのは間違いないのだ。勉強会の後からちょくちょくと質問に来たり、偶然すれ違ったら挨拶をしてもらえている。
それなのに感情が顔に出まくりだとすると、これから彼と顔を合わせる時に私はどんな気持ちで挑めばいいというのか。待ち受ける試練に背筋が震える。



「ま…マスク? そうだ西谷くんと接する時は常にフルフェイスマスクを装備することにすれば」

「お、落ち着け岸本。本当にやったらまるきり不審者だから!」

「不審っ!? や、嫌だ…西谷くんに不審者だなんて思われたらもう学校来れないよ…どうしよう…っ」

「大丈夫だって。岸本が嫌ならできるだけ他の奴らには隠すし、気付いた奴は俺も口止めしとくし…」

「東峰くんがうっかりポロッとしちゃうかもしれないじゃん…じゃなくても取り繕ったりできないタイプじゃん…っ」

「うん…仕方ないけど旭って信用ないんだな」

「その点については全く以て信用し兼ねる」



隠し事に向いた人とは言い難い。東峰くんも分かりやすい人だ。
なんて、顔面から感情が滲み出てしまっているらしい私が言えたことではないが。

真顔で頷いてしまった私に、苦笑した菅原くんはまぁ大丈夫だべ、と慰めの言葉をくれた。



「旭には俺がフォロー入れられるし…万一バレても西谷だからさ」



単純だけど、人を傷付ける態度取るような奴でもないって。

そう、笑ってくれる菅原くんの優しさはありがたく思う。
菅原くんの言うことは尤もで、西谷くんは私の気持ちを知ったところで邪険には扱わないだろう。ざっくりしていても情には厚い人だ。
下手に誰かを傷付けたりしない器用さは持っている。そんなところも、眩しくて仕方がなかったから。

分かっている。馬鹿みたいに遠くから見つめ続けてきたから、知っているよ。彼のいいところは、たくさん。
知っている、けれど。



「でも、バレたくないの」



けれど、じゃない。だから、だ。
大切に抱え込んできたものだから、簡単には晒せない。
消せないくらいまで育ってしまったから、絶対に知られてはいけない。

私の気持ちは、何の役にも立たないのだから。







掃除時間に階段で会談




(東峰くん、菅原くんにバレてたんだけど)

(うっ…ご、ごめん)

(私自身の所為だからごめんはいいけど…お願いだから絶対に、西谷くん達の前で口は滑らせないでね)

(ぜ…善処する)

(絶対に、滑らせないでね)

(うっ…がっ、頑張るよ…)

20140529.

[ | ]
[ back ]

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -