積もり掛けたネガティブ思考は、圧倒的な西谷パワーにて吹き飛ばされた。とは言え、二度も同じ轍を踏みたくはないとも思うので、暫くは冷房完備ばっちりの家に引きこもり生活に浸ることにする。
高校生活も三年目となると、学校から出される課題も難易度が上がってくるものだ。受験対策にも本腰を入れなければならない時期だから、当然のことと言えば当然のことなのだけれど。
テキスト、参考書とノート、それから辞典までを揃えて机に向かっていた午後。秒を刻む時計の針の音だけに包まれていた室内に、唐突にインターホンが響き渡った。

例によって両親は不在なので、この家で腰を上げられるのは私しかいない。
学生は夏休みの期間でも、大人にとっては違う。平日の昼間に誰かが訪ねてくることは珍しく、宅配便か何かかな…と当たりを付けながら向かった玄関で、扉を開けた私は一瞬だけ動きを止めてしまった。



「よお」



扉の向こうに立っていた影が、片手を上げる。もう片手には丸く膨らんだ買い物袋が抱えられていて、その色の透け具合から中身がスイカだと判別がつけられた。
驚いて目を丸くしたままの私が余程間抜けに映ったのか、短く切り揃えられた黒髪の下の顔が小さく噴き出す。その瞬間に正気を取り戻し、慌てて扉を大きく開きなおした。



「びっくりした…久し振り、一くん」

「おー。これ持ってけって、親が」

「電話してくれればよかったのに…私がいなかったら暑い中歩き損だよ」

「いただろ」

「いたね。暇人ですみませんね」



顔を合わせる機会が減っていたというのに、気軽に言葉を交わしてくれる相手にほっと息を吐く。小さな動揺は悟られなかっただろうか。



「上がって、お茶でも飲んでいく?」



ぶわりと漂ってくる外の熱気を確認して問い掛ければ、私の元同校出身者兼遠い血縁に当たる岩泉一くんは、シャツの首元から風を取り込みながらあっさりと頷いて返した。



「おー助かる。さすがにこう暑いと喉渇くよな」

「夏だからね…あ、スイカありがとう。後でおばさんにもお礼言わないと」

「お裾分けっつってたから適当でいいぞ。それより…いたのはいいけどやっぱ引き籠もってたな」

「うっ…」



ぐさりと胸に突き刺さる一言に、痛いところを突くなぁ…と背を丸める。
脱いだ靴をしっかりと靴を揃えて私の後をついて来る彼は、分け隔てなく容赦がない。同じ校舎に通うことがなくなって頻繁に顔を合わせることもないのに、変わっていない性格に苦笑いしか浮かばなかった。




「相変わらず真面目に勉強一本、か」

「それしか取り柄がないもので…」

「んなこたねぇだろ」



んなことありまくりですけども。日々ちっぽけな自分と向き合っては落ち込んでいますけど。
勝手知ったる様子でリビングに向かう一くんには答えず、黙って冷たいお茶の準備するべくキッチンに向かう。頂いたスイカも、どうにか場所を空けて冷蔵庫に仕舞い込んだ。
それから氷を入れたグラスに麦茶を注いで、彼の座る目の前に敷いたコースターの上に置いてあげると、テーブル前のソファーという定位置に着いていた一くんはが小さくお礼を言って。そして更に、その流れに乗せるように口を開いてくれた。



「そういや、あいつと会ったんだって?」



ぎくり、と身体が強張ってしまうのは、これはもう仕方がないことだ。意識してしまうのはどうしようもない。
お茶を出すだけ。それだけで和やかな時間が終わらないかな…なんていう、私の微かな願いは遭えなく散った。当たり前だ。避けるのもおかしいので正面のソファーに座って向き合う彼という人は、私の血縁であり、中学時代の同輩であり、つい最近再会した当時の交際相手と浅くはない仲にある幼馴染みである。

逃げられるわけがなかったわ……。
口の中に広がる謎の苦味を消し去るべく、自分用にも注いできたお茶を一口流し込んで、それでも最後にほんの少しだけ足掻いてみた。



「えっと…誰のことかな」

「……お前」

「嘘です解ってます。及川くんのことだよね多分」

「おう。そのクソ川だ」



私には出させた名前を自分は弄ってしまうのだから、一くんは酷い。これも幼馴染みの特権というものだろうか。
信じられない、という顔で凄まれてしまっては誤魔化し逃げることもできない。さっさと白旗を挙げた私に二度頷いた彼は、冷えたグラスから涼を得るように握り締め続けている。
あまり握っていると、氷が溶けて温くなってしまいそうだけれど…。冷たすぎる飲み物も身体にはよくないとは言うから、気にすることはないだろうか。目の前の現象よりも、彼には取り上げたい事柄があるのかもしれない。

上った話題が話題であることだし、私と話して何かが解決するわけもないと思うのだけども。
そこら辺も本人の自由なので、とやかく突っ込むこともできない。



「あのクソがお前に会ったって言ってたけど。迷惑かけたんじゃねぇか」

「…一くんは彼の保護者か何かなんですか?」

「お前までキモいこと言うんじゃねぇよ!」

「ごめんなさい!」



失言を刈り取るように勢いよく怒鳴りつけられて、反射的に頭を下げてしまう。一くんといると昔からこうだ。
相手が私であると、彼はすぐにやばい、という顔をして大声を上げたことを謝ってくれる。しかし、基本的に気性が穏やかではないのだ。男子相手だとこの程度のどつきは日常茶飯事なのかもしれないけれど、慣れない私は毎度毎度つい、驚いて身体が跳ね上がってしまう。

こちらはこちらで、定番のやり取りとなりつつあるんだけどね…。
相変わらず、やってしまったと言いたげな表情を浮かべながら謝ってくる彼に、私も苦笑と共にこちらこそ、と返すしかなかった。
彼に怒鳴られること自体には慣れて、一々傷付いたり恐かったりするわけではないから、別にいいのだけれど。

微妙な気まずさが漂ったリビングから気を逸らそうとしたのか、一くんの視線がつい、と室内を彷徨う。そうして、ある一点でその顔の動きが止まった。
彼が目を留めたのは、時計近くに下げてあるカレンダーだろう。リビングのそれには、家族全員の大まかな予定が書き込まれる。特に、外出日には自分の色でマークを入れるのが基本だった。
明日は八月十一日。日付横にはオレンジ色で塗り潰された丸が、書き込まれている。



「…一次予選、観に行くのか」

「んー……うん。やっぱり、観たいからね」



一瞬だけどう答えようかと迷って、結局素直に答えを口にした私に、そうか、と頷いた彼の表情は特に喜んでも悲しんでもいないものだから安心する。
一くんと同じ北川第一に通っていた中学時代とは違い、今の私が応援するチームは母校、烏野のバレーボール部だ。
青葉城西のチームに所属している彼とは、今や敵対するような位置にいる。とは言え、賢明に努力する姿をそれなりな時間を通して見知りしてきた相手だ。それを踏まえると彼のことを応援できないのは、少しばかり心苦しい気持ちはあった。



(でも、一くんは応援してほしいなんて言わない)



一度だけ。別々の高校に入学してすぐの頃には、訊ねられた覚えがある。もう俺達の応援はしないのか、と。
その時、首を横に振った私に残念そうに顔を俯けたのは、今テーブル越しに向き合っている彼だ。優しいわりに潔い一くんは、それ以降は同じ話題を切り出すことがない。気にしない様子でいてくれる、その配慮がいつだって有り難かった。

これが及川くんであれば、また何処か痛む部分を突き刺して抗議されていたかもしれない。



「まぁ、お前の好きにできる話だしな」

「うん。でも、及川くんには散々馬鹿にされた…のかな? 迷惑とかじゃなくて、キツイこと言われちゃったけど」

「あいつなー……」



何かを言い出そうとして、それから止めてしまう時のように、一くんの口元がもごりと歪む。
話に出すくらいだから、彼の方も何かあったのだろうか。首を傾げて続く言葉を待っていると、軽く頭を振った一くんはやっぱりいい、と続きを千切って捨ててしまった。



「まぁ、あいつに関してはほっとけ。気にするだけ無駄だろ」

「その台詞は…幼馴染みが言っていいの?」

「いーだろ。お前だって血は遠いけど俺の血縁だべや」

「まぁ、それはそうですけども」



そうだとしても、だ。それでも、彼らの特別な関係性に私なんて異分子は入り込めないものを感じたりするから、私自身を尊重するようなことを言われてしまうと違和感を感じる。これは、幼い頃に知り合った当初から変わらないことだ。

ああ、だから話してくれないのかな。
私には立ち入れないものだから、相談するのに躊躇してしまうところもあるのかもしれない。私を思いやるような気持ちが全くないわけではないだろうが、簡単に事情を説明されない一番の理由は、彼らの繋げる輪の外に、私が存在するから。
そう考えた方がすんなりと納得できて、納得できれば追究しようとも思えなくなる。

元来私は諦めが早く、誰かに特別に想われるような人間ではないのだから。






熱冷ましに飲み込む氷




その後は比較的和やかに言葉を交わし、充分に涼むこともできた頃に一くんはソファーから腰を上げた。



「そういやぁ実星、お前何であいつと付き合ってたんだ?」



もう終わったと思っていた話題をぶり返されたのは、そんな時だ。

またしてもびきり、と固まってしまいそうになった身体を解しながら彼を見上げれば、純粋に疑問を抱いているという風に丸まった瞳に見据えられる。当時だって、ここまで突っ込んで聞いてきたことなんてなかったくせに。
何故今更…と思いつつも逃げられないことを悟った私は、せめて視線だけでも宙に逃がしながら、重たい唇を押し開けた。



「…何となく?」

「はぁ!?」

「あ、いや、ごめん。ちょっと語弊…!」



咄嗟に、誤解を与えるような言い方をしてしまった。これでは、まるで私が適当にお付き合いをしていたかのように聞こえてしまう。
慌てて掌を振って訂正を願うと、ぎこちなく彼も頷いてくれる。それを確かめてから、もう一度きちんと言葉を選んでみた。



「及川くんの方から、告白されたから……その時は、まぁいいかなって。興味とか、嫌じゃないしって理由で頷いちゃったんだと」

「…いや、それ適当だろ」

「あ、れ…?」



おかしい。話をしている私の耳にもとても適当に聞こえるような気がする。
一くんの突っ込みにごちゃっと掻き回され掛けた頭に手を当てて、それでももう一度、首を横に振った。
本当に、適当になんて付き合っていた覚えはないのだ。



「や、でもね、付き合い始めたら…ちゃんと相手を見て、良いところも見つけて……及川くんのこと、好きになったんだよ…?」



失敗しちゃったけど…と頭を掻いた私に、一くんはそれでも何か気に食わなかった部分でもあったのか、難しい顔で黙り込んでしまった。

気分を害してしまったなら悪いとは思うけれど、吐き出した言葉は偽りない事実だ。
何で、駄目になったんだろう。今だって、そう考えてしまう時がたまにある。
解っていることと言えば、今の私よりも過去の私の方が視野が狭まっていたということくらいだ。
あの頃は特に、及川くんが何を思っていてどうしたいのかが解らなかった。好きな人の気持ちが一番見えなくて、察せなくて、測り間違って、失敗するような状態だった。
不安になったり舞い上がったり、ふらふら地に足が着かなくなるようだったから、駄目だったのかもしれない。冷静な部分を何処かに残しておかないと、自分一人で空回ってしまう。
それだけは解ったから、独り善がりでいる内は、誰かとまた付き合うようなことはできないとも思った。

だって、今だって私は、西谷くんのことを考えただけで酔っぱらうようにふわふわと夢見心地になってしまうのだから。



「どっちにしろ、上手になれるまで恋愛はなしだよねぇ」



どんな形の恋なら、成功と呼べるんだろうな。
少なくとも、あっちにこっちに意識が散らかって、わけも解らないうちに終わるようなものにするくらいなら……次の終わりは自分で決めてしまいたいと、思うけれど。

それより先にお前は受験だろ、と頭を叩いてくれた一くんは、やっぱり優しい人だった。

20150119.

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