短い休み時間中、所属するクラスも別らしいのに、二人揃ってやってきた後輩達の手から突き出されるノート。
未だ内心ではどぎまぎしているのだけれど、表情に出ないよう必死に取り繕いながら相手をする。
定期考査までに残る時間は少ない。部活のために苦手な勉強に食い付いている彼らのために、私もよこしまな気持ちばかりに振り回されてもいられなかった。
私にできることがあるなら、してあげなくちゃ。少しでも力になりたいと思う気持ちに嘘はなく、訂正や解説一つ一つに頭を悩ませる。
その甲斐あってか、今のところは二人とも少しずつコツや知識を吸収してくれている。
今もまたうんうんと唸り声を上げている西谷くんに引き寄せられる視線を、無念夢想の境地に至りながらノートに食い止めていると、先に疑問を解決させてそれを見守っていた田中くんが、そういえばと顔を上げた。
「実星さんって、旭さんと仲良いから試合見に来たりしてたんすか?」
「え?」
何故、唐突に東峰くん?
前ふりのない質問に、つい素で首を傾げてしまう。
「いや、どっちなのかちょっと気になったっていうか…」
そう言いながら頭を掻く田中くんが気になるというのは、私がバレー部の人間に詳しくなるに至った順序らしい。
特別親しいわけではなくても、一年から三年までほぼメンバーの顔と名前を記憶しているということは、勉強の合間の雑談中に彼らにも話したことだった。
けれど、はっきりとした理由が分からないと、やはり少し不自然なのかもしれない。
(自分でもストーカーみたいだと思うしなぁ…)
東峰くんと仲良くなったから、バレー部に詳しいのか。バレー部に詳しかったから、東峰くんと仲良くなったのか。
どちらにしろ今の友人関係は変化しないが、順序によって双方に対する私の中での重さが変わってくる。よって、答え方を間違うと間違いなく襤褸が出る。
ドキリと跳ねた心臓がバレないよう、無理矢理唇を持ち上げて笑顔を保った。
お願いだから痙攣するなよ表情筋…!
「え、えーっと…東峰くんと知り合った方が早い…けど」
嘘を吐くわけにもいかないので、記憶を辿りながら慎重に言葉を選ぶ。
軽く、世間話のように流してしまえればいいのだけれど。
「バレー部の練習とか、見てから仲良くなったのも本当かな…」
練習を見てからというか、ぶっちゃけ西谷くんを知って恋してしまってから急激に仲良くなったというか。
真っ直ぐこちらを見つめてくる二組の綺麗な眼差しが苦しくて、そっと視線を逸らす。不純な動機で申し訳ないです、はい。
「? どーゆーことっスか?」
「!」
ひょい、と視界に入ってきた顔に、またもやバクン、と心臓が跳ねる。
逃げたものはとりあえず追う、そんな習性でもあるのだろうか。私が惹かれてどうしようもない、大きな瞳をぱちりと瞬かせて覗きこんできた西谷くんの所為で、勢い良く驚き仰け反ってしまった。
その拍子に、扉の柱に強かに背中をぶつける。
「いっ」
「実星さん!?」
「ちょ、大丈夫っスか!?」
「だ、大丈夫…大丈夫」
慌てた様子でまた一歩近寄りそうな足に気付いて、素早く手を前に出して制した。
無理。無理だからそれ以上近距離は! 背中より心臓が致命傷を負ってしまうから…!
そこまで酷くぶつけたわけじゃないから…と笑って誤魔化す、私の胸はマラソンでも走りきった時のようにドックンバックン跳ねていた。
胸を押さえて息を整える私の、間抜けな図と言ったらない。
(何か私こんなのばっかだな…)
自販機といい柱といい、もう少し物体から距離を保つべきなのかな…。
じわっと広がる痛みを感じながら、二人にバレないように小さな溜息を吐く。
会話するだけなら少しは慣れられた気がしていたけれど、急なアクションはやっぱり心臓に悪い。
慌てた表情でこちらを見てきていた二人に一言ごめんねと謝って、突っ込まれてしまったことへの答えも慎重に紡いだ。
「二年の時に、東峰くんと委員活動が一緒で。それでたまに話すようになったの」
「あ、じゃあそっから俺らのことも知ったとかですか!」
「や…えーと…バレー部の試合、観る機会があってね。そこから興味を持って、自然と東峰くんと話をすることが増えたというか…」
誤魔化せてる? 誤魔化せてるよね…?
当たり障りなくソフトに言い換えるのは、中々神経を使う。
まさか馬鹿正直に西谷くんのことが知りたくて身近で話しやすい友人に突撃しましたなんて……言えない。言えるわけがない。便宜を求めて袖の下まで準備する心意気だったなんて、言えない!
幸い東峰くんも気のいい人だったから、そんなことまでしなくてもよかったのだけれど。それにしたって彼らの澄んだ瞳を見せつけられると、自分の汚れが身に染みる。
私はもっと二人の純粋さを見習うべきだわ…。
そんな考えに一人で軽く落ち込んでいると、それまでふむふむと相槌を打っていた田中くんが再びガバリと顔を上げた。
「はっ!」
「えっ?」
「何だ? いきなり大声上げて」
どうした龍、と目をぱちくりとさせる西谷くんには構わず、視線を私に固定した田中くんは爛、と目を光らせる。
「もしや実星さん…部員の中に好きな奴でもいるんじゃないですか!?」
そして放たれた言葉は、見事に私の頭をガツンと横殴りしてくれた。
「……っ!?」
「! マジっスか実星さん!」
「は、え!?…いいいややややっ、まさかそんなっ…私はそんな気持ちでっ…いたわけ、じゃ…っ」
ない、わけがない。紛れもない事実だ。
カーッと顔面に血が集まっていく気がする。まずいと思うのにうまい否定の文句が浮かばない。
まさか田中くんに見破られるなんて思っていなかったから、対処法なんて用意していなかった。
(私の馬鹿ぁぁぁ!!)
ちょっと前に菅原くんにも指摘されたのに、すっかり油断して…!
激しく床を叩いて嘆きたい気分だ。心の中では既に泣き喚いている。
自分でも分かるくらいあからさまな反応をしてしまった所為で、色事にはそこまで鋭くなさそうな彼にまで、正否を見極められてしまったらしい。
驚いて丸くなった目と、ばちりと視線が重なってしまった。
もう、本気で泣きたい。
「ま、マジですか…おい龍、誰だ?」
「やっぱ三年が有力じゃないか…旭さんが一番仲良いみたいだが」
「いや、でもスガさんとか大地さんもカッコイイしな」
「や、あ、あの、詮索しないでいいっ! しないでくださいお願いだから!!」
名前を出して消去法に出られては、いずれ袋小路に追い込まれてしまう。
頼むからそんな無体な真似だけはやめてくれ、と半泣きになりながら頼み込めば、何だかんだ優しい後輩達は気持ちを察してくれたのか、慌ててこくこくと頷いてくれた。
「すっスンマセン詮索しません! なぁノヤっさん!?」
「お、おう! それに、誰であっても見る目あると思いますよ実星さん!」
「…は…あはは……ありがとう…」
誰も何も君なんですけどね…!!
内心で叫びながら、握りしめすぎて手汗をかいてしまった拳を解く。
うちの部員はいい奴ばっかだから、と胸を張る西谷くんは、それはそれで憎めないから困る。同意する田中くんにも悪気はないから、責める気にもなれない。
(ああもう…駄目だ)
もっと私自身が気を付けていないと。
こんなんじゃ、いつか本当にバレてしまいかねない。
情に厚い後輩達と知っている。だからこそ、首を突っ込まれないように気を引き締めておかないと。
藪を突いて蛇を出すような真似は、させられない。
それぞれの教室に戻る二人の背中を見送って、まだ熱の残っている頬を両側からバチンと叩いておいた。
落ち着こう。まだ大丈夫だ。
とにかく今は、定期考査を乗り切らせないと。
三限間際、教室扉
(ただいま…)
(おーおかえり…って、また随分疲れた顔してるけど。あいつらと何かあった?)
(……とりあえず田中くんは結構侮れないと学んだので以後気を付けようと思いました)
(お、おう……お疲れ…)
20140626.
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