「あるじさまは、きんじはえらばないんですか?」

「近侍…ですか?」


最低日に一度は全員で卓を囲むという取り決めの下、本日も集っていた本丸中の刀剣男士が今剣の発言を切っ掛けに一斉に口を閉ざしたのは、夕餉時のこと。途端にぴたりと静まった座敷内、集う刀剣全員から向けられた視線に審神者は緩い動作で首を傾げた。
何か、気になることでもあったのだろうか、と。

常ならば一汁三菜と整えられた膳に舌鼓を打ち、わいわいと賑わっている時間帯だというのに…彼女の目に映る面々は表情こそ柔らかなものだが、姿勢や口調に真剣さを漂わせている。
注目を受けて箸を止めた審神者の疑問に気付いたのだろう。短刀の数名を挟んで、比較的近い席に着いていた燭台切が口を挟んだ。


「それは僕も気になるな。部隊長を頻繁に挿げ替えるのは、全体の練度を極力ばらつかせないためだってことは解ってるんだけど……他の、例えば審神者としての雑務とかは、もう少し僕らに頼ってくれてもいいと思うんだ」


君は働き者だけど、だからこそあまり無理はさせたくないし。
無駄な緊張を煽らないよう、笑顔で口にする燭台切からは善意を感じられる。それをきちんと把握しながら、しかし審神者は困り気味に眉を下げた。


「無理はしてないつもりですけど……」

「う…うん。そうだね。でも、君にとっては無理とまでいかなくても、小さなことでも僕等に手伝えるならそうしたいんだよ」

「…お気遣いは有り難いのですが、近侍の方を決めてしまったら、その方は実質的に行動を私に縛られてしまいますよね」

「まぁ、多少はね」

「それって、窮屈な思いをさせてしまいませんか」


嘗て、この本丸は一人の心ない人間の所業によりブラック企業ならぬブラック本丸との烙印を押されていた。荒廃しきった本丸を引き継いだのは、年若い弱者たる女の身でやって来た、現審神者だった。
着任した当日から、彼女は実によく働いたと言っていい。その働きを否定する者がいれば、今や彼女に心酔する刀剣達が即座に斬り捨てるだろうと想像するに容易いほどだ。
恐怖と憎悪、不安といった負の感情の立ち込めた本丸に踏み込み、前任を追い出した彼女は、まず最初に本丸全体に漂い始めていた瘴気を瞬く間に払ってしまった。かと思えば、床や畳に染み付いた血や口にするのも悍ましい汚れを、せっせと拭き取って張り替えてしまう。前任の去った後に残されていた悪趣味な所持品は本丸裏の庭へと投げ捨てられ、その日の内に焼き払われた。それだけで薄暗く重苦しかった空気が浄化され、本丸の置かれるマヨヒガの空は晴れ渡った。その処置を刀剣達が知るのは、後任と打ち解けた後…その時点では、数ヶ月も先のことになったのだが。
齷齪と動き回っていた彼女が消耗しきった刀剣達の手入れを始めたのは、その夜が明けて後の朝。心身共に傷を負い人間不振に陥っていた刀剣達へ、また自らも傷を負いながらも手を差し伸べ続けることを彼女は止めなかった。
幾日幾週幾ヶ月、簡単には心を許さなかった彼等から口汚く罵られ、足蹴にされ、刃を受けることが度々あったが。常に笑顔と柔軟な態度を崩さず、住処を維持するために戦場にて己の身を削りまでして、彼女が尽くしきったからこそ今がある。
逆に言えば、そこまでしなければ彼等の心に染み着いた人に対する不信感は払拭しきれなかったのだ。

漸く刀剣達に前任の影がちらつくことがなくなった今日この頃。短刀達を中心とする明るい声が、澄んだ空気に響き渡るような日常が手に入った。
出陣や遠征といった勤めには、刀剣達が申し出てきた日より既に復帰してもらってはいたが、折角正常に本丸が機能し軌道に乗り始めたのだから、彼等が一番過ごしやすいスタイルを保ってあげたい……というのが審神者の偽りない本音だった。
刀剣側も、その心遣いは当然に理解しているのだ。と言うより、理解できないはずがない。新たに仕える主人の底のない優しさを、身を持って知り尽くした彼等である。
憎悪と侮蔑をその身に受けながら刀傷まで笑って赦した姿は、最早唯一無二の菩薩だった。神だった。神の末席とも名乗れる存在より、後任の審神者はずっと尊い人だった。
そんな彼女の慈悲深さを深く知り得ているからこそ、違うんだそうじゃないんだ!、と頭を抱えたい気持ちを堪えて誰もが拳を握りしめるのだ。今、この瞬間も。

俺達の審神者が大事にさせてくれなさ過ぎてつらい。
それが大きく口に出せない、本丸の刀剣共通の悩み事だったりする。
数口の手元で真ん中からぽきりと、握力に耐え兼ねた箸が折れた。が、その音が響くより先に、審神者に近い席を勝ち取っていた打刀、短刀、脇差の数名が彼女の言を否定した。


「そんなことないよ! 窮屈とかないし、寧ろ主のためになれるのは嬉しいから!!」

「そうです! 主君の傍らで少しでもお力添えになれれば、それ以上の誉れなど…!」

「主に近侍を任命されて嫌がる奴なんていませんよー」

「然り然り! 主殿は慕われております故、皆様喜んでお力になります! 無論、鳴狐もそう思っておりますよ!」

「は…はぁ……そうなんですか…?」


あまりの勢いに押され気味になる審神者に、お供の頭を撫でる鳴狐がこくりと頷く。薬研を除く短刀と、愛されたがりの打刀、悪戯好きで世話焼きの脇差もぶんぶんと音が出るほど首を上下に振って肯定を示した。
席の離れている他の面子も、同意するように真っ直ぐな視線を審神者に向ける。伝われ、伝われ、頼むから伝わってくれ……そんな念の込められた気迫に負けた彼女は、ううん、と唸りつつも一応は納得したように頷き返した。


「えっと、とりあえず…皆さんのお気持ちは、解りました。私には勿体ない話ですが、ご厚意は有り難く思います」


実際、ここまで想ってもらえるようになるとは露にも思っていなかった審神者は、感慨深さに溜息を吐く。
彼女がこの本丸にやって来た当初は手負いの獣のようだった彼等からの、信頼に満ちた眼差しと言葉を受け取り、潔く食事を中断すると悩ましげにその手を頬に当てた。


「ですが…いざこの中からお一人を選ぶというのも、難しいですね…」


期待と不安を綯い交ぜにした瞳が、数少なくないことが問題だ。審神者が思うよりも、必ずや彼女の役に立とうと意志を定める刀が大半だったのだ。

あわよくば俺が!、いやオレが!、僕だって…!
水面下で今にも足を蹴り合おうとする刀剣達に、幸か不幸か彼女は気付かない。その中でも一口きり、我関せずといった風に……苛立ちを殺すよう、黙々と箸を動かす刀剣は存在したが。緊張と期待に盛り上がる空気の中ではその姿は誰の目にも入らなかった。


「主の好きにすればいい。俺達はそれに従う」


困惑する主と密かに牽制し合う仲間を見兼ねたのか、それまでは口を閉ざして会話に加わっていなかった粟田口の脇差がフォローを入れた。流石、トップレベルの忠誠心は伊達ではない。
気遣いでポイントを稼ぐとは…と歯噛みしたのは、取り入ることに必死な沖田組だった。無論、骨喰に打算はないはずなのだが。


「近侍であろうとなかろうと、主に掲げる忠誠は変わりません」

「そうそう! 別に近侍になれなくても何だって手は貸すし、主の好きな奴でいい…って、思ったんだけど……そういや、主ってどんな奴が好きだとか言わないよな」


引き継ぎということで初期刀もおらず、相手が誰であっても分け隔てなく接する審神者には、特別親しい刀剣男士といった存在はいないように思われる。
長谷部の宣誓に乗っかろうとした獅子王の発言に、大広間は一斉に静まり返った。

じっ……と。そんな音が聴こえてきそうな空気に、またも審神者は戸惑い眉を下げる。基本的に笑みを絶やさない彼女の感情の窺える貴重な表情にも、刀剣達の目は釘付けだった。
因みに、挙って凝視されると常人であれば逃げ出したくなるだろう異様な迫力を発していることには、本人達は気付いていないらしい。審神者は審神者で、そこにわざわざ突っ込む気質ではないのでスルーされた。

しかし、求められる答えにどう紡ぐべきかと、審神者は頭を捻る。
好き、というのがどの程度の範囲を示すのかは判らなかったが、実のところまともに人と関わるという経験が数少なかった彼女には、考えたところで在り来たりな答えしか思い浮かべられなかった。


「え、と…そうですね……優しい方は好きですけど…」


『○○くんはやさしいからすき!』と幼子が語るような、模範解答レベルのものしか。

流石に、子供のようなことを言ったという自覚はある。微妙としか言えない解答に審神者は微かな羞恥を覚え、軽く俯く。
が、聞き手に回っていた刀剣達には引っ掛かるものがあったらしい。そわそわと落ち着きなく耳を欹てていた彼等は、彼女の台詞を聞くと瞬時に顔色をなくして息を止めた。
広間の空調が、一気に低下した瞬間だった。


「優しい……」

「そうか…そうだな…そこは……大事なところだ」

「……無理」

「あー……そいつは…うちに限って厳しい理想だな」


この本丸に、彼女以上に慈悲深い存在がいただろうか。いや、いない。
近場の同類と目配せし合う彼等の目玉は、この上ない虚ろと化していた。

出会い頭から数ヶ月の、思い出したくもない思い出が彼らの心に押し寄せる。一同は何処からか降ってきた硬く重い岩に伸し掛かられたように、自然肩を落として前のめりになった。拭い去ることの出来ない罪悪感は、何時だって不意に襲い来るものだ。忌むべき記憶という魔の手から逃れる術を、人の感情を得て若い彼等は知る由もない。
しかし、ここでも短刀は強かった。持ち前の素直さに押され、真っ赤な瞳に涙を湛えた今剣が、そっと控えめに審神者の袖を引く。


「あるじさま…ぼくらのこと、すきじゃないんですか…?」

「え…えっ? どうしてそうなるんですか?」


振り向いた先にあった、今にも防波堤を越えて溢れ出しそうなほどうるうると潤みきった瞳に審神者は仰天する。皆さんいつも優しくしてくださるじゃないですか!、と。
しかし、その台詞は罪の意識を刺激されたばかりの刀剣男士達には逆効果である。自分に厳しく他人に激甘な彼女の一言に、遂にどたんばたんと卓に顔を伏せる者まで出てきた。主に年若い者や、忠誠心の高い面々が額を打ち付けながら肩を震わせる。
何処の世に自分に斬りかかってきた相手を優しいと称する人間がいるのかと、言いたくても言えない、自らの所行を思い出したくもない彼らは声にならない唸りを上げることしかできない。


「あのさ…因みにだけど。主が一番うちでまし…じゃないんだっけ。えっと…一番優しいと思う奴って……誰?」


端から見れば笑えないこともない光景の中、おずおずと問い掛けてきた大和守に、一斉に気落ちした様子の刀剣達に戸惑いで一杯の眼差しを向けながらも審神者は答えた。


「一番、は…宗三さんですね」


それは様々な意味で、幾方向にもとどめを刺す返答だった。

ゴトン。ここに来て名指しされた刀の手より、置き損なった湯飲みが倒れて卓に溢れた茶が水溜まりを作る。着物を濡らす前に空かさず隣に並んでいた弟刀が布巾を渡したが、ぎこちなく礼を述べる男の顔は強張りきっていた。
そして、失意に沈みながらも主人の声に耳を傾けることだけは止めなかった他の刀剣達は、指名された一口に揃って真顔を向ける。

やめろ挙って此方を見るな。
思い切り咳き込みそうになるのを堪え、袖で口元を覆う宗三はそろりと視線を逸らす。


「な…何っ……いきなり、何を言い出すのかと思えば。とうとう気でも違えたんですか」

「…口を慎め宗三。主を愚弄することは許さんと何度言えば」

「あ、待って。いいんです長谷部さん」


明らかに、主たる者を馬鹿にする態度に、流石と言うべきか主人を貶されたと受け取ったらしい長谷部の復活は早かった。他の面子が未だ審神者の答えを反芻する中、今にも斬りかからんと己の柄に手をやる。
そこでいち早く不穏な兆しに気付き、怒らないで、と両手を振ったのは突っ掛かられたばかりの張本人だ。


「はっ…しかし主…」

「せっかく美味しい夕餉があるのに、皆さんもさっきから箸が止まっていますし…冷めてしまったら勿体ないですよ」


ね、と笑いかけられてしまえば、心から慕う主に逆らうことなど忠犬長谷部に出来るはずもない。漏れ出す不満をぐっと喉奥に押し込めた男の様子を見るまで、短いとも長いとも言えない時間呆然とやり取りを見つめるだけだった面々がそこで漸くはっと肩を揺らした。


「あのっ……訂正は、しないんですか?」

「はい?」

「宗三左文字が一番優しいって…あんた本気で言ってんのかよ。あれだけ普段から突っ掛かられといて」


信じられない。信じたくない、と顔に書いたまま問い掛けたのは堀川と和泉守の土方組である。
意外なところで我より和を重んじる二口は、審神者がどの刀剣に親しみを感じて近侍としようと口を挟むつもりはなかった。己が選ばれればそれ以上の喜びはないだろうが、優先すべきは主人自身の心持ちだと深く納得している。年若い刀であるだけ、柔軟性には長けているつもりだった。

しかし、それにしたって。
彼女の人選に口を挟まずにいられなかったのは、名指しされたところで態度を改めない一口の所為である。主人を敬う気持ちも、助けになろうとする姿勢も欠片も感じられない。今尚忌避するように審神者から顔ごと視線を逸らしている宗三左文字を見れば、広間に集う刀剣の大半が彼らの主張に同意せざるを得なかった。
どう見ても、優しいとは言い難い態度である。おまけに、接触する度に嫌味な口調で審神者を貶す姿も日常的に見掛けているのだ。


「優しいですよ?」


それなのに、至極当然のことというように審神者は頷く。
訝しみを通り越して凝視されながら、だって、と微笑んだ。


「宗三さんが私に向けて刀を抜いたのは最初の一度きりです。その後は一度も、柄に手を伸ばすことすらなさいませんでした」

「は…」

「江雪さんと小夜さんの手入れができるよう、切っ掛けを取り計らってもくださいましたし…皆さんとこうして仲良くなれる前から状況改善への助言も沢山頂いたから、本丸の機能だけでも早期に復活させられたんですよ」

「っ…ちょっと、貴方」

「言葉や態度がきついと皆さんは仰いますが…その裏に悪意や害意は微塵も感じられません」


ぽやぽやと、何の邪気も疑いもない笑みを浮かべて淀みなく語りながら、ちょくちょく入る声を総無視するのは天然なのか。態となのか。
流石に見ないふりも聞こえないふりも出来なくなった宗三が呼び止めても、彼女は日溜まりのよく似合う笑顔を崩さずに首を傾げるばかり。


「私は昔からよく馬鹿だ阿呆だと言われて育ちましたが…悪意にも害意にも、ましてや殺意に気付かないほどじゃないです。宗三さんは優しい方です」


そう信じてやまない、とでも言うように掌を合わせた審神者に、今日一番の勢いで絶句する刀剣達。
そんなことは知らない、聞いていないという顔を、ぎぎぎ…と軋んだ音を立てながら今一度向けてくる彼らに、注目を受けた宗三は動かし難くなった唇を震わせた。


「ば」


現状に飲み込まれていない数少ない例外、気遣いを瞳に乗せた小夜が見上げてきても、静かに茶を傾けていた江雪が痛ましげな視線を送ってきていても、宗三には気付く余裕もなかった。
当たり前だ。そもそも近侍やら何やらの話に自ら名乗り上げる気もなければ、調子のいい同類の姿に本格的に気分が悪くなる前に、早々に退場してしまおうと目論んでいたのだ。
主人である審神者が自分に対して悪感情を抱いていないことも、本質を見抜く圧倒的なプラス思考を持ち得ていることも知ってはいたけれど。それでもここぞという時に自分の名が上がるとまでは思っていなかった。
かたかたと、握り締めた拳に震えが走る。


「ばっ……ほ、本当に、馬鹿じゃないですか貴方。知っていましたが極限まで馬鹿を極めていますね。ここまで来るといっそ尊敬しますよ。歴史上最高位の愚か者としか思えません」


優しい言葉なんて掛けたことがなかった。身内の傷を癒す目的があって、刀を抜かなかった。彼女のような存在でなければ穢れきった本丸は回復しなかった。まともな審神者が必要だという身勝手な事情を抱えていたから、細々と口出しをした。
全て身勝手を極めた、己のための行動だったと自覚している。済んだことに謝罪を重ねても意味はない。今更掌を返してすり寄れるほど、自分の面の皮は厚くないとも自負している。

なのに。宗三は、唇を噛んだ。
それだというのに、込み上げる感情の波に蓋をすることが出来ない。


「…顔色が言動を裏切っていますよ、宗三」

「兄様、赤い」

「っ……気分が優れないので失礼します!」

「えっ」

「おい、宗三…!!」


嗚呼、人の身の儘ならなさよ。
沸々と湧き出でる熱は怒りか、羞恥か、浅ましくも喜びに近しいものなのか。煮え茹だる脳では判断が下せない。
勢いを付けて立ち上がった一口を呼び止める声を振り払った宗三は、常ならば丁寧な所作を忘れないところを、足音も高らかに座敷を後にする。

水も空気も澄んで、宵闇の差す廊下にもおどろおどろしい気配は微塵も残っていない。時折舞い散る桜の花弁は文句なしに美しい光景と感じられる。
それだというのに、与えられた自室に辿り着いてみても宗三は落ち着かなかった。酷く息苦しく、心地が悪い思いが続いた。はっきりと示される好意と信頼に、一瞬でも感じ入ろうとした己の浅ましさに気付いてしまって、顔に熱が集まった。

なんて、汚い。見苦しい。己だけは後から取り縋るような真似はしない。絶対にああはなるまいと見下してきた面々と、同類に成り下がり掛けた思考に息が詰まる。
廊下に続く障子を閉め切り、そのまま、壁に凭れながらずるずると座り込んだ宗三は、暫く部屋から出たくない、引き籠もりたい…と、染み着いた性格性質がぶれるほどに自己嫌悪に沈んだ。

そもそも、審神者の隣に立つことが赦されると思っていた同類の神経が信じられなかった。
彼女が赦したとしても、彼女の傍らに少しでも穢れたものを置きたいとは思えない。今現在どれだけ親しみを寄せて懐いていようと、この本丸には確実に一度は彼女に悪意と刃を向けた刀剣達しか存在しないのだ。
優しくしよう、大事にしようと彼らが思う裏側には、彼女に向けた絶対的な親愛が潜んでいる。言うなれば下心であるそれが、どうしたって宗三には美しいものとは思えなかった。

愛されようとする態度が気に入らない。赦しを請う姿勢が穢らわしい。審神者の近侍として隣に立った時点で、選ばれたその一口は他のどの刀剣よりも醜い存在に成り下がるだろうことは確定している。
彼女の傍に控えれば控えるだけ、その身は堕ちていく。
容易に想像がつくというのに……優しいと、口にされた言葉と心の込められた声音に、心の臓を丸呑みにされた気持ちがした。
赦されてしまっていることを、思い知らされて。疑いようのない好意を感じて、口惜しさより先に襲い掛かった喜悦にぞっとした。

赦されたりしたら、冗談じゃない。
そう口ずさんできた気持ちに、嘘はなかったはずだった。


「宗三さん…?」

「っ!」

「すみません。ご気分を害してしまったのかと…気になって追ってきてしまいました」


乱れた思考と呼吸を整えていた所為で、障子に映り込む影に気付けなかったらしい。唐突に呼び掛けてくる女の声に、びくりと肩を揺らした宗三は暫しの逡巡の後、閉じた障子の向こうで膝を立てている審神者の影へと視線を向けた。


「何か、まだ僕に用が?」

「いえ…夕餉の途中で席を立つなんて、宗三さんにしては珍しかったので。私の言動が原因なのかと思いまして、だとするなら申し訳なかったな、と」

「別に、食事は済んだようなものでしたし。貴方の発言に気分を害されたわけじゃありません」

「そうですか?」


それならいいんですけど…と、納得したのかしていないのか、よく判らない相槌を返す審神者に、宗三は僅かに毒気を抜かれた。それと同時に、どうしようもなく苦い気持ちも迫り上がってきた。
気分を害したなら申し訳ない、と口にする彼女は、それでも、発言を取り消すこともしないのだ。慕う気持ちを嘘にしてはくれない。彼女の吐き出す言葉は全て本音から成り立っている。
殻に籠もったまま嘴だけを突き出して何度突いてみたところで、身体だけでなく心の痛覚まで鈍りきっている彼女には通用しなかった。悪意や殺意を抱いていなければ、攻撃とすら受け取られないのだ。


「貴方は、本当に馬鹿ですね」


今更。全て、今更のことだ。ぽつりと、自らの口から溢れ出た飾らない言葉に、宗三自身諦念を抱いた。
傷付いて怯えて遠ざかってくれたら、どんなに楽だろう。彼女がここまで慈悲深くなければ、己が身の穢れに気付き吐き気を催すようなこともなかった。
口先でどれだけ嫌味を囀っても、心の底から悪感情なんて抱きようもない。完全に追い払えもしなければ、本気で傷付けにもかかれない。糠に釘を打ったところで意味はない。表向きは冷たく当たっていても実際には嫌悪感の一つも持っていない心内を、見透かされているのでは。

完全にお手上げだ。嫌になる。
立てた膝に頬をぶつけながら、宗三は嘆息した。


「彼らは貴方を慕っているのに、その前であんなことを言うなんて…本当に、頭がどうかしている」

「はい」

「それに、自分を罵る相手に対して、信用が過ぎます」

「そうでしょうか」

「そうです。本当に、心底馬鹿で…愚かで、どうしようもない。貴方みたいな人は」


貴方に慈悲を返したいと思う存在を、堕としてしまう。穢くさせてしまう。無意識に比較させてしまう、どうしても勝たせてはくれない残酷な人だ。
伏せた目蓋がじわりじわりと熱をもつのを感じながら、宗三は震える息を大きく吐き出した。

これほど…愚かなほど純粋で、残酷なほど優しい人を、知らない。
神に等しいほどどうしようもない人間なのに、どうにかしなければ、傷を負って消えゆくことになっても笑って頷いてしまいそうな彼女を美しく感じてしまうことが苦しく、かなしかった。


「私がどうしようもない時に、宗三さんは叱ってくれますからね」

「本当に、貴方って人は」

「はい」


私、よく言われるだけあって馬鹿なんです。

酷い、非道い、うつくし過ぎる人が笑う気配がする。
弾んだ声に締め付けられるのは、罪悪感なのか。それとも別の何かなのか。まだ、宗三左文字は判断を下せない。





続・赦されたくない赦されたがり



「それで…近侍の件はどうしたんです」

「ああ、それは…保留でしょうか?」


宗三が席を立ってすぐに追い掛けてきたという審神者は、動揺していた刀剣達は放置してしまったらしい。どちらにしろ、彼女が指名しない限り争奪戦となることは目に見えている。今すぐに決まる話でもないだろうと、軽く痛む頭と疼く嫌悪感を宗三は堪えた。
多少は気分も落ち着いたので、遮っていた障子は横に滑らせて珍しくも顔を合わせている。


「必要なら貴方が決めてしまわないと、血を見るかもしれませんね」

「うーん…それは困りますね。仕事は一人でもこなせますし、私は今まで通りで一向に構わないんですが」

「それならそのまま言ってやればいいじゃないですか。実際貴方は何だって一人でこなせるでしょう」

「そうなんですけど…それはそれで悲しませてしまいそうで…」


信頼されたい、という思考が見え見えの刀剣達に気付いているからこその躊躇だろう。困ったと口で言う通りに眉間に皺を寄せる彼女の表情は珍しい。


「いっそ宗三さんなら過度に私を甘やかさずにいてくれそうですけどね…」

「嫌ですよ」

「近侍…」

「絶対嫌です」


期待の滲む眼から顔を逸らした宗三と向かい合う審神者は、ふう、と肩を落とす。


「残念です」


ふられちゃった、と戯けるような台詞を溢す声は言葉ほど重くもない。受け入れられなければ受け入れられないで構わない程度なのだろう。悩む間も取らずに拒否した宗三は、悩まずにいて正解だったと鼻で笑った。

これ以上傍に寄りたいなどと、思えない。


「調子に乗りたくなんて、ありませんからね」


それはきっと彼女に向けてのものではない。望まれたいと渇望する奥底の自分を嘲笑ってのものだった。

20150407. 
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -