宗三左文字は、打ち拉がれていた。
いつもならば気怠げながらもぴんと伸びている背を丸めて、畳に両手をつき俯いたままの体勢をとっている。普段から口調や態度にも現れるプライドの高さは成りを潜め、見るからに落ち込んでいる様子の彼は充分な沈黙を保った後、漸く重苦しい空気を振り払わんとその口を開いた。


「何か、言いたいことがあるんじゃないですか」


沈みきった声は、すぐ傍から彼を見下ろす細身の男士へと向けられたものだ。


「言っていいのか」

「どうぞ。好きにすればいいじゃないですか。呆れるなり馬鹿にするなり笑うなりご自由に」

「そういった風だから失敗するんじゃないか」

「貴方一々五月蝿いんですよ」

「宗三……」


好きにしろと言ったのはそっちだろうに。溜息を吐きながら頭を掻くのは、ただの刀として扱われていた頃から浅からぬ縁のある短刀、薬研藤四郎だ。
審神者と共に訪れてきておいて彼女が去った後も宗三に与えられた部屋に残った彼は、世話焼きの気質を備え付けているが故に、打ち解けにくい面子に気を配り声を掛けることも多い。そして宗三左文字は、この本丸内ではその面子の筆頭に当たった。

久々に万屋へと足を運んだ審神者が、そこで購入した茶菓子を持って宗三の元を訪れたのは四半刻も前にはならない。本日は出陣や遠征の予定も組まれておらず、暇を持て余していることを察していたのだろう。よければお茶でもいかがですか、と純粋な好意だけを滲ませた笑みを向けてきた彼女を、鼻で笑って追い返した後の様子がこれである。女性らしい軽い足音が遠ざかっていった直後にずるりと畳に崩れ落ちた打刀の様に呆れつつ、自己嫌悪に浸るくらいならば攻撃的な物言いを控えればいいだろうに…とは、思っても口にしない昔なじみの短刀である。
そう、薬研は知っている。今日も今日とて審神者の好意を染み付いた皮肉っぽい言動で踏みにじり追い払ってしまった男の、真に口にしたい言葉は他にあることを。
刀としては短い付き合いではない宗三左文字の性質は、比較的理解しやすいものだ。付喪神として降ろされた後も、ただの刀であった過去を引き摺る様子が絶えないお陰で、型のある思考や感情といったものはある意味外からは把握しやすい。
常に態度や口ぶりに本質が出るということはないが、諦めた素振りをしながら案外と自我には素直な奴だ。そのように、薬研は宗三を評価していた。


「しかし、あの大将によくまぁきつく当たれるもんだと思うぜ」

「…今回はまだましでしょう」

「まし、ねぇ…『端金で用意した餌で僕を釣るとは浅ましいことをするようになったじゃないですか』」

「何復唱してるんですか嫌味か」

「いいや。ましだと心から言っているなら、落ち込みもしないんじゃないかと思ってな」


伏せられたままの肩が、ぐっと揺れる。痛いところを突かれた自覚はきちんとある辺り、確かにまだ救いようはあるのかもしれない。


「…彼女の金銭で得たものなら、彼女が食すべきでしょう」

「気遣いならそのまま言ってやればいいと思うがな……それに、あんたを誘いたがったのは大将の勝手だ。その意思は曲げられんだろうよ」

「物好きな人ですね」

「それには俺も同意見だ」


何せ、こんな場所に残って力を尽くすくらいだからな。
物好きなんてものではない。気違いじみていると、薬研は苦笑する。逃げ出しても投げ出しても赦されるだろう場所に、審神者は自ら残る決断をしてくれた。彼女には感謝してもしきれない恩があり、それと同時にいつまでも拭いきれない陰鬱な記憶が付き纏っている。非道な行いをしていたと自覚する今は、宗三が頑なに審神者を遠ざけようとする理由も解っていた。

嘗て、この本丸には現審神者とは異なる人間が着任していた。前任である審神者は戦績こそ優れていたが、いつからかそれを隠れ蓑に自らが呼び出した刀剣相手に勝手を働くようになっていった。最初の内は政府や同僚の審神者の目にも誤魔化しが効いていたが、その審神者の人間としての質はどう見積もっても誉められたものではなかった。
主であることを笠に着て、当然の顔をしてあらゆる無理を刀剣達に強いていた。人の身と感情を得て戸惑い苦しむ様を愉しみとしていた前任は、しかしある日、何処からか漏れた最悪の所業により殴り込み同然でやって来た役人に、その身を捕らえられた。
その時、取り押さえられる審神者を平手打ちした女が、現在の本丸を取り仕切っている審神者である。自分よりも随分と若い女から叩かれたことで呆然とした前任の正面へ仁王立ちをした彼女は、声に、眼差しに怒りを乗せて前任を睨み据えた。
神への尊敬や感謝、畏れの感情を忘れるとは何事か、と。仕えさせるではなく協力を請う立場の礼儀と心構えについてを小一時間近く懇々と語ってきかせた彼女は、前任が聞き耳を持とうとせず汚い声を喚かせようとする度に容赦なく平手を飛ばしたので、軽く二十は叩かれた前任の顔は最後の方には真っ赤な下膨れとなっていた。
そうして一頻り語って落ち着いたかと思えば、声を掛けることもできずに固まっていた刀剣達へと、ただびとによる数々の非礼を頭を深々と下げて詫びたのだ。前任はその日を以て解雇となり、罰則として然るべき処置も下される。今後は自分が本丸を立て直すといったことを彼女は口にした。

はいそうですかと、直ぐ様頷ける刀剣はいなかった。
本丸のヒエラルキーが一時倒壊した直後、最も信頼するべき主より受けた度重なる屈辱と植え付けられた悲哀や憎悪の記憶を容易に消し去ることなど出来るはずもなく、荒魂化一歩手前まで来ていた刀剣も存在したのだ。元は人に使われる刀としてあった魂を穢され、人のために我が身を振るうことを拒絶した。無礼に対する償いを求め、頭を下げる小さな女を愚弄し、散々と暴言をぶつけもした。主従関係の契りを結ばない内は、刀さえ抜いて脅しをかけた。全てが八つ当たりだったことを、今本丸に残る全刀剣は承知している。
新たな審神者は、怒りの矛先を求める刀剣達を避けることなく本丸に居座った。誰に頼ることもなく戦場に赴き資源を集め、冷たく当たる刀剣達の手入れに注ぎ込んだ。その都度脅され、欺かれ、存在を無視され、時には斬られもしたというのに、だ。着物を赤く染める姿を嘲笑うか見て見ぬふりをする者しかいない中で、それでも彼女は逃げも隠れもしなかった。ただひたすらに頭を下げ、常に柔らかな微笑を崩すことなく理不尽な罰を受け続けた。

最初にその剛胆さに畏怖を抱いたのは、誰だったろうか。彼女の発する、決して違えられることのない誠実な言葉に耳を傾け始めたのは。自分達の所行に既視感を覚え、泣き出したのは。自らが嫌悪した人間にも似た行いを、繰り返している現状に顔を覆ったのは。
比較的幼い心根を持った短刀達は、犯した過ちを受け止めることにも素直さを発揮した。今剣を筆頭に、今にも泣き出しそうな顔付きで口々に謝り倒した彼らは、大切に祀ってくれる人間への信頼を取り戻したからこそ見放されることに怯えたのだろう。弟が立ち上がったのならば躊躇っていてはならないと、一期一振も重い足を引き摺るようにして踏み出した。気まずげに後に続いたのが骨喰藤四郎、鯰尾藤四郎の二口。鳴狐はお供の狐を黙らせると、それまで固く閉ざされていた口から僅かに震える声を吐き出した。

何を今更、と思うだろう。人を呪う神など慕われる存在ではない。その場で見守る誰もが心優しき審神者の化けの皮が剥がれ、今度は此方が突き放されることを予想して身構えた。
それだというのに……彼女は、珍しく丸く瞠られていた眼を弛ませると、非礼を詫びながら先頭を切った短刀の頭へとその掌を滑らせたのだ。
やっとちゃんとお話しできますね、と。慈愛に満ちた笑みを真正面から受けた短刀達は、漸くそれとして感じることのできた人の温もりに、とうとうぼろりと大きな涙の粒を頬に落とした。響き始めた盛大な泣き声に釣られるかのように、いくつかの他の影も目元を拭いながら寄っていく様を、冷たく見据える視線が一つだけ、残っていた。
誰も彼もが正直に、持て余し気味の感情と向き合うことが出来るわけはない。特に酷く彼女に当たった覚えのある面子は、苦々しい思いが口を塞ぎ、率直な謝罪を紡げはしなかった。
それでも、それならば代わりになることをと、それぞれの思い付く手段でそれと知れない償いをすることに決めたらしい。出陣を、遠征を、内番を、それ以外の細々とした本丸の管理を。それまで放置していた与えられた任に揃って着手し始めた刀剣達に、一人でこなしていた仕事を突如奪われた審神者は当然驚愕していた。が、それも長くは続かなかった。驚きつつもすぐに相好を崩した彼女が感謝の言葉を紡いだところで、逸る気持ちを持て余していた刀剣達は漸く一つ、安堵の息を吐き出した。
そうして、本丸を取り囲んでいた暗い陰は払われた。本来の姿形を思い出した彼らは生気を漲らせ、これまでの関係が夢幻であったかのように審神者の仕事に協力的になった。若しくは、償うことで忘れようとしたのかもしれない。彼女の身体の至る部位に残る刀傷を、思い出してしまうことを恐れる節もあった。
ただ、その様も、冷たく睨む視線が一つきり残っていた。

それが目の前で唇を噛み締める同類のものだと、薬研は知っている。


「全員が全員…調子がいいんですよ。同じ人間と括って蔑んできたくせに、悪い人間じゃないと分かるとあっさり掌を返して主従の契りを結んで…それまでに何度彼女を害したか、実際に刃を向けた者もいたくせに。今になってへらへらと笑って甘えたりして。慕うことでなかったことにできる神経が信じられない」

「…気持ちは解るさ。俺っちだって、あっさり赦されて納得がいかなかったところはある。けどな、言えねぇだろう。忘れた方が喜んでくれる大将の前で、『一言でもいいから責めてくれ』、なんざ」


言えるわけがない。そんな、自分を慰めるための勝手な言葉を吐いてしまえば、殊更に我が身を呪ってしまうだろう想像が付く。
笑ってくれるなら、その方がいいだろう。苦いものを無理をして噛み締めているような顔で笑う薬研を、宗三は見向きもしない。目にしなくともその心も表情も読める程度には、宗三も同郷の短刀の性質を知っていた。


「俺達もな…いや、全員そうとは断言できんが、罪悪感ってのが残ってる連中も少なからずいるさ。大将はあんな人だから笑って傍にいることも許してくれちゃいるが、実際はどれだけ信用されているのかも……気を許してないから口にしないのかと、俺だって疑っちまう時がある。本当は怯えたり疎まれたりしてねぇか、とかな」

「何を馬鹿なことを。彼女がそんな矮小な人間じゃないことは貴方も知っているでしょうに」

「…そうだな。悪い、今のは失言だ。失言だが……それだけ大将に信用を置いてるあんたは何で本人の前で言ってやらんのかね」

「それとこれとは話が別です」


床についていた珊瑚の髪を背中側へと払い、元から合っていなかった視線を更に遠ざけるように首を捻りながら吐き捨てる。
宗三は、唯一審神者に謝罪を紡がず、償いを理由に掲げて戦線に加わることもしなかった刀剣だ。一度蔑んだ相手に頭を下げることを、その高い矜持故に許さないのだと、周囲の多くは思い込んでいる。審神者にきつい言葉を掛ける度に厳しい目を向けられ批難が飛ぶようになっても、彼は態度を和らげることをしない。それを何たる傲慢さだと、狼藉であると責められようとも、意思を曲げることを良しとしなかった。


『あなた様方の恨み辛み、憎しみを受け止めるに、私のような存在は都合がよいのです』


それは、新しい審神者が訪れた最初の夜に、本人の口より告げられた言葉だった。
本丸に集う刀剣全員が知らない審神者の秘密を、宗三が知った夜だった。

人は移り行く生き物である。新しい審神者も信用に足かは怪しいものだ。二度目の地獄を味わわされる可能性を残しておくくらいならば、いっそ直ぐにでも葬ってやった方が同胞の為にもなるだろう。
そのような思いを胸に、久しく自分の意思で部屋から足を踏み出した。手入れ資源や設備の確認に、審神者が奔走する姿は遠目から確認していた。時折微かに足音を拾えることから、日の沈んだ後も働き回っているのだろうと分かる。とは言え、別段心は揺さぶられなかった。
動揺や混乱、怒り憎しみを湛えながら全刀剣が籠城していた室内で、本体を手に立ち上がった宗三を引き留める者もいない。支配される恐怖を覚えている誰もが、保身に明け暮れていた。人間の命の重みに鈍感になっていた。
そして、ふらりふらりと、まるで幽鬼か何かのように板張りの廊下を進んでいた宗三は、闇に白く浮かび上がる着物の背を、とうとう見つけてしまった。

斬りかかるための一歩を躊躇うわけもない。確実にその首を捉えて刃を振るった。はずだった。
しかし想定していた肉を断つ感触は腕に掛かることなく、その一瞬で前方にあったはずの白い影が消え去った。そう思った瞬間、強かな衝撃を手先に感じて獲物を取り落とす。消えたと思った影は刀を避けてしゃがんだだけで、床に両手を叩き付けた拍子に蹴り上げた足が刀を弾いたのだと…気付いたのは、跳ね上げた足をすとん、と床に下ろした彼女がしまったと言わんばかりに目を瞠った瞬間である。
気が抜けていた。弱い女の身であることに、疲弊しきった精神も相俟り油断していた。息を詰めて固まる、己の命を狙った付喪神を見上げて直ぐさま立ち上がった審神者は、申し訳ありません、とまた深々と頭を下げてきた。
その拍子に、ぽたりと肩に濃い色が落ちる。頭を下げると床にも、ぽつぽつと。首を切り裂くことはできなかったようだが、耳に走る斜めの血の線が、彼女に一太刀届いたことを教えてくれた。


『避けるだけならまだしも、神様に足を向けるなんて…! 咄嗟のことと言い訳は出来ません。刀身を傷付けてはいないでしょうか?』


刀傷を負いながら、恐がりも痛がりもしない生きた人間を、それまで宗三は目にしたことがなかった。
怪我をしておいて、怪我をさせた刀の僅かな刃毀れに気を配る、彼女の瞳の真剣さに言い知れぬ感覚が背筋を走り抜けた。それは恐らく、恐怖にも似たものだったのだろう。
丁寧に両手で拾い上げた宗三の本体を、よい機だから手入れをさせてほしいと願い出た彼女を見る目は、異常者を見るものだったろう。何をしているんですか、と思わず訊ねてしまった宗三に首を傾げた審神者は、その視線の先を辿って汚れてしまった着物の肩が視界に入ったようだった。


『え?……あ、ああ…刃先が届いていたんですね』


言われて初めて気付いたというように、血を流す耳を覆うように手をやる動作は、とても傷を避けきれておらず痛みを感じているようにも見えない。
まさか本当に気付かなかったのかと愕然とする宗三の顔色を窺い、その意味を悟ったらしい彼女はほんの少し眉尻を下げて笑ってみせた。

少しばかり特殊な病を煩っている所為で、常人とは比べものにならないほど痛覚が鈍いのだと。だから我慢できる限界が広く、死にかけるような状態になって漸く僅かな痛みに気付くことが多いのだと。
それは、実際に何度か瀕死の状態に置かれたことがある者の言だった。


『痛みに鈍ければ、長く耐えられる。斬られて死ぬことになっても、きっと常人よりは辛くはないはずですから……あなた様方の恨み辛み、憎しみを受け止めるに、私のような存在は都合がよいのです』


それに、これでも生命力には自信があるんですよ。

悲しさ辛さを漂わせない、誰かしらを呪う心も持たないように、真っ直ぐに投げかけられる視線と柔い笑みは、条理の全てを受け入れたものだった。
利用されるがまま死に行く可能性すら憾まずに微笑む、彼女を斬ることができなくなったのは、決して哀れみから生まれた結論ではない。

―貴方はそれを受け入れようと言うのですか。


『天命であれば』


受け入れる以前に、天理には逆らえるものではないのだと。彼女は何一つ疑わずに、そう言い切った。
その目は不自然なほどに凪いだ様子で、迷いのない視線は一瞬も逸らされなかった。

硬直した宗三を僅かな間不思議そうに見つめていた審神者は、彼が消化しきれない衝動に見舞われ動けなくなってしまったのをいいことに、血濡れの片手を着物で拭うと何処に仕舞っていたのか資源と手入れ道具を取り出した。そのまま廊下に座り込んだかと思うと、前任時代から碌に手入れをされていなかった刀身に向かい合う。その時になって初めて、宗三は審神者の纏う膨大な霊力に気付いた。
手入れ部屋に向かうこともなく霊力を直接供給して修復する動作は、流れるような手際で終わりを迎える。未だ呆然とする宗三の目の前足下に息を吹き返した刀身をそっと寝かせた後、板張りに滴る血を自らの袖で拭いとって、何事もなかったかのような顔をして彼女は微笑んだ。それではお休みなさい、と軽く頭を下げて立ち去る背は小さく細く、その肩は濃い血の色で染まっていた。

その夜の邂逅は、宗三左文字に敗北の二文字を深く刻み込んだ。
神より彼女は神らしく、寛大であった。人に害され心を穢された神よりも、穢れなかった。



だから、宗三左文字は謝罪を口にしないのだ。澄みきった胸の奥まで覗いておいて、自己満足でしかない行為、償いを掲げる卑怯さに嫌気が差した。これ以上は神の端くれとして、人間以下の汚さを纏いたくはなかった。
彼女が弱音の一つでも溢すのなら、話は変わったのかもしれない。辛かった痛かった怖かったと、泣き喚いていてくれたならば謝れたかもしれない。若しくは、理不尽に傷付けられたことへの恨み辛みを抱き、ぶつけてくれるほどに彼女が穢れてくれたのなら……などと。

全て、相手の都合を顧みない勝手な願いでしかない。


「何度も殺されそうになった癖に…簡単に赦されたりしたら、堪ったものじゃないんですよ」


赦しを請うような汚らしい真似はしたくない。隣に立つに相応しくない穢れを背負うくらいなら、いっそ嫌われ疎まれてしまいたい。
けれど、宗三も既に知っている。どれだけそう願ったところで、あの審神者は笑みを絶やしはしないし、声を掛けてこなくなることもないと。
分かっているから、余計に身動きが取れなくなるのだ。避けるためには鋭い言動が口から飛び出し、心配りは一周回って盛大な嫌味に成り代わる。言いたいことの二割も正確に伝えることのできなくなった理由、その誠実さを勘付いている幼い風貌は、現場に鉢合わせる度に吐き出すことになる溜息を今日も躊躇いなく吐き出した。


「難儀なこった」


本当は気遣いの一つも向けてみたいと喚く心に蓋をして押さえ付ける、昔馴染みの不器用さに半分呆れ、もう半分は実のところ、敬意すら抱きながら。


「でもまぁ、好かれないのと悲しませるのは別物だ。あんまりつれない態度ばっかとってると、いつかは大将も泣き出すかもな」

「……それならばそれで、結構なことじゃないですか」


涙の一粒も落としてくれれば、慰めに手を伸ばす程度のことはできるかもしれないのだから。






赦されたくない赦されたがり




「ええと……『端金で用意した餌で僕を釣るとは浅ましいことをするようになったじゃないですか』…だったかな、確か」

「……主?」

「わあ!」


長谷部さん、いらっしゃったんですか!
肩を跳ねさせて驚いた審神者は、今の今まで開いていた手帳サイズのノートを閉じながら声を掛けられた方角へと首を捻る。屋敷の中心部に設置する庭へ縁側から足を放り出していた彼女の元へやって来たのは、朝から遠征の指揮を引き受けていたへし切長谷部だった。


「はっ、も、申し訳ありません。決して主を驚かせようとしたわけでは…」

「あっ、いえいえ、こちらこそ大袈裟に驚いてしまってすみません。長谷部さんがそんな悪戯するわけがないんですから、謝らないでください。…遠征結果の報告ですよね、いつもありがとうございます」

「は…勿体ないお言葉です」


思いの外本気で主人を驚かせてしまったことに焦りを露わにした長谷部に、審神者はその軌道を修正しようと自分から話題を切り出す。彼の刀にはそれが効果覿面だったようで、じわりと嬉しげな雰囲気を醸し出す姿は褒められることを喜ぶ忠犬のようだと、無礼ながらにも審神者は思った。


「それで…その、先程何かを呟きつつ書き記していらっしゃったようですが」

「ああ、はい。お見苦しいところをお見せしました…」

「いえ、そのようなことは! その…あまり主の口から聞いたことのない口調が飛び出したので、不躾ながら気になってしまっただけなのです」


一体どういったものなのか窺ってもいいだろうかと、迷う素振りで軽く視線を彷徨わせる長谷部に、ああそういうことか、と納得した審神者は大丈夫ですと笑みを返す。咄嗟に閉じてしまいはしたが、別段隠し立てするようなものでもない。手元のノートをぱらぱらと捲りながら、審神者は答えた。


「これはですね、宗三さんとの会話録です」

「……は?」


会話録。
音にして五文字、確かめるように復唱した長谷部の目には、曇りない笑みでしっかりと頷いて返す敬うべき主人の姿が映っていた。


「そう、会話録です。宗三さんからは此処にやってきた当初より厳しいお言葉をよく頂いてたんですが、的を射た発言も多く、より良い本丸作りへの改善点にも沢山気付かされました。それで、忘れたりしないよう細々と記録する癖が付いてしまったというか……あっでも、最近は人間や本丸や刀剣男士の皆様についてだけでなく、私個人へも意見をくださるようになったんですよ! やはり人は日々反省を欠かさず学習を重ね成長していかなければなりませ」

「それは」

「んね…って、はい?」

「先程の言は、主に向かい奴が発したものだと、いうことですか」

「ええ…はい、まぁ、そうなりますね?」

「あっのっ…無礼者ぉぉぉぉぉ!!」

「えっどうしたんですか突然…何処へ行くんですかっ? 刀を抜いたまま廊下を走っては危ないですよー!?」


肯定を得ればそれだけで充分、と走り出した長谷部にただならぬ覇気を感じ、慌てて立ち上がった審神者が行く先まで追い掛けていくのはその直ぐ後のこと。辿り着いた先で圧し斬る!、と同胞へ斬りかかる長谷部と突然の奇襲に驚きながらも応戦しようと宗三が刀を抜くのも、これまた直ぐ後のこと。
何だかんだと彼らよりも練度の高い薬研が滑り込んで両者を宥め、現状までの一連の流れを審神者より説明を受けることも。今まで口にした嫌味の全てを記録されていたことを知って愕然とする宗三と憤る長谷部から、実のところ既に書記の存在を知っていた薬研がそっと目を逸らすのも。しかし、彼らの混乱を収めるためなのか何なのか、「そんなこんなで、宗三さんは本丸で一番初めから親切にしてくださった優しい方ですよ?」と収まりようのない一言を審神者が口にしてしまうことも。その言葉が信じられずに石のように硬直する宗三と軽傷を負う長谷部に、苦味の混じった笑みを薬研が落としてしまうのも。

全て。全て、四半刻にも満たない短い時間に成った出来事だった。

20150326. 
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