初めて彼を目にした時、なんて神々しく美しい姿なのだろう…と、そんな月並みな感想しか出てこなかったのを覚えている。三条宗近の最高傑作、天下五剣と呼ばれる刀の中でも一等美しいとされる彼の太刀は、柔和な笑みを面に浮かべて悠然と、私の目の前に立っていた。
感動が限界突破すると、人はそれを表現する言葉が浮かばなくなる。思い知らされたのはその時だ。あうあうと、赤子だかアシカだかのように言葉にならない何かを吐き出す私を見下ろして、僅かに傾げられる首。その動き一つにも洗練された動作を窺えて、此方の呼吸は見事に止められた。
さらりと流れる藍の髪、月の浮かぶ不思議な彩りの瞳。縁取る長い睫毛や、すっと通った鼻筋、微かに開いた唇の形から頬骨の作りまで……兎に角、どこのパーツをとっても非の打ち所がない。芸術品じみた容姿と滲み出るオーラに、暫く呆けたまま固まってしまったのは情けなくも懐かしい思い出である。そんな初対面にも関わらず、呆れる風でもなく鷹揚たる笑みを崩さなかった彼の懐の広さは、とても有り難いものではあった。

三日月宗近はその第一印象から感じていた通り、刀剣男士全体を窺うと割合物腰が柔らかで、穏やかな性質をした刀だった。
美しさに価値を置かれ飾られ慣れているからだろうか。見てよし触ってよし好きにしてよし、と常に鷹揚と笑っているばかりで、細かなことを気にしたり憤る様子なんて一度も見掛けたことがない。元から優しい気質をしているのだろうと、暫くは私も深く考えることなくそう思っていた。
違和感を覚えたのは、彼とそう変わらない年代に生み出された刀を鍛刀できた頃のことだったか。人生には驚きが必要だと、白い着物をはためかせながら空いた時間があれば悪戯にかまける一口の姿を見せ付けられた時に、雷に打たれたような衝撃を受けたのだ。
他の者が聞けば大袈裟だと言われるのかもしれないが、私にとっては、正に青天の霹靂と呼べるような事態だった。

三日月宗近は驚かない。
苛立ちもしなければ焦らない。
憤らないし、喜ばない。
何があっても、心動かされない。

たったそれだけの事実に、それでも小さくはない問題に気付いた私の心臓がどくりと蠢くのを感じた。
彼は確かに優しいが、懐が広いという話で済まされるものではなかった。ある種感情が欠落していると言っても過言ではなかったのかもしれない。そこまで考えが及べば、全身に細かな電流が走るような衝撃を受けた。

付喪神は本来、人に大切にされた物が長い年月を経て思念を宿らせて成り上がるものだ。その年月が長く宿る記憶や想いが強いほど、そのステータスに当たるものも自然と高くなってくる。
しかし、だ。そうだというのに、妖気や神気と言われるものを十二分に纏った彼は、何時でものほほんとした笑みを型どっているばかりで、自分の気持ちについてを語ることを全くしなかった。それどころか、垣間見せることすらしない。何かしら、人の身を得たからには蠢く感情だってあるはずなのに、穏やか過ぎるほど穏やかなまま欠片も外部に漏らしてくれない。
思念の強さから成る神であるはずなのに、何日、何週、何ヶ月と経っても片鱗すらなく、おかしいくらいに彼の中身は見えない。同じ空間で時を刻んでいるのに、笑顔の裏側では何を思い考えているのか分からない。本当に嬉しくて、楽しくて笑っているのかが私には判断がつかなかった。
たまに審神者と刀剣としての信頼感系すら疑ってしまいそうになるほど、私から見た三日月宗近はブラックボックス……と言うよりは、がらんどうだったのだ。
傀儡とまではいかないが、似たようなものに見えていた。底知れなさに、僅かな怯えすら抱いていた気がする。









「いーい天気…」



ちゅんちゅんと囀ずる野鳥の類いは、何処から聞こえてくるものだろう。どんな仕組みをもって届いているのか、よくは知らない日の光の差す庭からは戦の匂い一つ漂わない。
戦地に斬り込む日々の中でも和やかな空気に包まれたままの空間に足を下ろして伸びをすれば、そうだなぁ、と呑気に同意する声がする傍から降ってきた。



「此処にいる時は嘘のように平和だ」

「較差が酷くて…歴代の将軍達のタフさがよく解りますね」

「主は戦のない世界で育ったらしいからな」

「そうですね……貧弱者で情けないです」



定期的に設けている休暇には、何処からか短刀プラスアルファの騒ぐ声が聞こえてくる。前線に出ずとも、戦に関われば独特の空気だって知ってしまう。殺気や闘気といったものにも慣れてしまった今は、元いた時代にも似た安穏とした昼こそ、嘘か冗談のように感じてしまうことも増えた。勿論、平和が一番だと思ってはいるけれど。
そんな今日は、特に用もなく廊下へ出たところを暇を持て余していたらしい三日月さんと出会し、散歩に誘われた。断る理由もなかったので彼の気の向くままの足取りに合わせているが、今日も彼の表情や態度は一辺倒。何事にも動じない穏やかさを纏ったまま、麗しさの際立つ笑みを浮かべたままだ。



「のどかなことは、いいことだろう?」



ふわりとした笑顔を向けられれば、ただひたすらに美しいとしか思えない。表現もできない。彼の風貌は言葉で賞賛すれば興が冷めてしまうほどだとも思う。けれど、常に浮かべられているそれは無表情と何が違うのかと、今日もまた考えてしまう。
私は、そろそろ本気で判らなくなっていた。彼の造りは確かに芸術品染みたものだが、極端に、奥にあるはずの感情が読み取りにくい。疑いたいわけではないけれど、彼が本心から言葉を紡いでいるのかどうかがどうしても気になって仕方がなくなる。
最近では、手が届かないから月の名が付いたのかとまで思えてくる始末だ。打ちのけという由来を知っていてもそんなことを思ってしまうのだから、随分と振り回されている。

こうして私が悩んでいることを、このひとは分かっているのだろうか。
緩く首を傾けて此方を見下ろす優しげな笑みに、返す顔をなんとか笑顔に保ちながら会話を繋ぐ。こんなことで疑心を抱く私の性格が悪いのだろうかとも思うけれど、頬が引き攣りそうになるのはどうしようもなかった。
分からないものは分からないのだから、必要以上に近寄らなければいいだけの話なのかもしれないとも思う。微妙な気分になりながら、彼の表情や仕種の一つ一つを注視しているのは疲れる。けれど、何だか、簡単に諦めてしまうのも悔しかった。
美しい傀儡のようにも見える彼の中身を、理解、したかったのだ。



「平和は好きですよ。まだまだ敵も減りませんし、そうなる日は程遠いけど」

「なに、そう長くはかからんさ。この戦を終えた暁にはその穏やかな世界に、主も帰還できよう」

「そこに、あなた方はいませんが」

「まぁ、そうだな。共には居られんだろうな」



そうだな、って。それだけか。
ほんの僅か、意地は悪いが鎌を掛けてやる気持ちで口にした言葉にも、彼は調子を崩さない。使うだけ使って、用無しになれば見捨てると言ったようなものだというのに。
そういうニュアンスを誤魔化すことなく刀剣に伝えたのは、これが初めてのことでもある。既に決まった末路と言えど、須く話して聞かせてしまえば一部の刀剣のプレパラート並みに薄っぺらな心が、呆気なくパリンと割れてしまうような気がしたからだ。決まっている別れを語らずにいるのもそれはそれで残酷なことだろうが、直面するまでは避けた方がいい問題として横に置いておく。ただ、その時になっても今隣を歩く男だけは引き留めはしないということが今はっきりと分かった。確信した。

ああ、やっぱり、その程度か。
身勝手な人間の事情でを受け入れて、少しも抗うつもりのなさそうな返事に、こちらの胸の方がぎし、と軋む。
本当に、この刀からは少しも執着を得られていないのをまざまざと思い知らされて、腹の底から悔しさが込み上げてくる。
いなくなっても“仕方ない”で終わらせられるような存在は、いなくても変わらないということじゃないか。



「たとえ、主の世界では飾られ眠るだけの日々だとしても…それを勝ち取るために打たれた物が、俺達だからな」



それが当然、道理だろう。
人のように呼吸をして、人の足で地を踏み締めながら落とされる言葉は笑えるくらい、抉ってくる。私の不在を嘆けというのは、彼らには酷なことかもしれない。けれど、こうして関わっているのだから、せめて覚えているくらいはしてほしいと思う。身勝手でも、我儘でも、人間とはそういう生き物だ。
ちらりと見上げて見た、真理を語るその澄ました横顔から彼自身の望みが一つも出てこないことにも背筋が震える。自然、唇を噛んでいた。

ああ、悔しい。悔しいけれど、寂しいだとか別れたくないだとか、今この場で甘ったるい返事を期待したわけではなかった。ただ、この戦に終わりが来た時に彼がどうしたいか、どうなりたいのか……ほんの少し、一摘まみ程度でもいい。小さな望みだけでも漏らしてくれれば、私は安心できたのだと思う。
けれど、三日月宗近は何一つ望みを口にしなかった。
叶えてあげられるかも分からない望みを聞きたがる私も大概だが、ここまで何も窺えないと不満も恐怖も通り越して苛立ってくる。

人としては大して生きていないくせに、最初からのらりくらりと躱されすぎた私の我慢にも限界が来る。
この男がやって来た日から、私はずっと、一人勝手に振り回されている。



「あなたはいつも、そうですね」



いつの間にか、本丸の敷地から裏手にある山まで足を進めていたらしい。野草を踏み鳴らしていた足が止まり、漸く此方を振り向いた顔は不思議そうに傾げられる。珍しく笑顔以外の表情を見た、と思った。



「そう…とは」

「他者の仕業は幾らでも笑って受け入れるのに、それだけ。自分から何かを望んだり、手を伸ばすようなことは絶対にしない」



酷いことを言っているだろうか。そんな思いが過るも、開いた口は止まらない。無防備に私を見返してくる瞳は丸く、その名に相応しい月が浮かんでいる。
人外らしい、凄まじい美しさだとは今でも思っている。けれど、人のように生活を共にしてきた時間が、彼を手の届かない存在だと思い込ませない理由になっていた。神やあやかしは恐ろしいものでも、人の器を得れば否応にもその身は近くなる。



「望まなくても手に入ったから? 望んでも伸ばす手がなかったから?…どちらかは私には分からないけど、三日月さんは……見ていてもどかしい。私が悔しくなるんです」

「…何故、憾む」

「何故って、あなたが…」



少しも、動こうとしないから。
与えられるものは受け取っても、欲しいものを求めはしないから。
人の身や感情を得ても、ちっとも揺らがず惑わないから。

放っておけないと思ってしまう。私は、怯えつつも気に食わなかったのだろうか。他の刀剣達とは異なる、あるはずのものが見えない、感じられない、彼という存在が。
一息に溢れ出てくる答えに、どうしてか今度は泣きたいような気持ちが込み上げた。どうしてまた、一方的に私の方が語っているのだろう。此方を見下ろしたままの三日月さんは、口を噤んでいるのに。情けない。口惜しい。私の声や言葉は、彼には取るに足らないものなのだろうに。



「人の声が、手が、足があるんですよ。何かを感じる気持ちがないなんて、あり得ないでしょう? 何か……何を、諦めているんですか?」



いくら言葉を掛けても、意味がないのかもしれない。けれど、一度堰を切ってしまえば途中で収めてしまうのも馬鹿らしい。

三日月宗近は付喪神となるだけの素質を持ちながら、きっと感受性が酷く鈍い。自発性が欠如している。若しくは全て、抑え込んでいるのだろうか。
見えないし、語られない。それでは、知れない。がらんどうだと思ってしまいそうなことが、悲しくて堪らない。



「あなたには、欲しいものがないんですか」



愛だとか、絆だとか、力だとか、個だとか、復讐だとか、平和だとか。決して綺麗なものでも、形あるものばかりではなくても、他の仲間達は何かしらの望みを示していた。
それが、欲しい。私は、三日月宗近から、それを知りたい。

ああ本当に、此方がとんだ我儘だ。
じわりじわりと熱を持っていた目蓋を袖で押さえる寸前、やれ困った、という風に眉を下げて笑う三日月さんが見えた。



「主に泣かれると、他に叱られてしまうな」

「……すみません…暴走しました」

「いや、俺が原因らしいからな。主は優しい。よく見てくれている…と、いうことだろう」



それは嬉しいことなんだろう、と他人事のように語る彼の腹に拳を突き入れたい衝動を堪えた。
やはり、通じていない気がする。悔しいけれど私では無理なのかと、鼻の奥のじんとした痛みを堪えながら俯きかけた時、不意に、彼の声音が高くなったことに気付いた。



「俺は刀だからな。物が願いを持ったところで、叶える術がないことはよく知っている。望む、ということも……そうか、思い付かなかったな。己を握れるくらいだから、今は叶うのか」



息が止まる。嘘だ、と思った。届かないものだと思ったのに、掠めていたのか。
驚いた瞬間に、堪えていたものがぼろりと頬に落ちる。まさかという思いを捨てきれないまま見上げた場所で、確かめるように握ったり開いたりと動かされていた手。それから、普段よりも光を取り入れて丸くなった瞳が私を捉えてとろりと、月を沈めて解けた。



「手も足も、口もある。そう思えば人の身は便利だな」

「……は」

「主を泣かせるのは困りものだが、溢れる涙を拭ってやれるのはいいものだ」



そう言った通り、伸ばされた手が近付いてきて慌てて目を閉じる。返ってこないものだろうと思っていた返事に戸惑い、まだ驚愕を消し去れない私へと歩を進めて覗き込んでくる彼は、笑っていたようだった。拭われた後に目蓋を押し上げれば、今目が覚めたとでも言うように彼の焦点がはっきりと自分に合わせられるのを自覚する。
目尻までをなぞり、そのまま頬に掛けられたままの手が視界の隅にちらつく。黒い手袋には、私の涙が滲んでしまったはずだ。よしよしと、幼子を慰めるかのように擦られる頬にまたどくりと、心臓が鳴く。けれど嫌な気はしなかった。初めて、その目にきちんと映し出されたような気がしたからか。



「望めば届く、か」



ぽつりと溢された声から、感嘆がにじみ出ていた。そこで私も悟る。この男は無意識だったのかと。
只の物である時間が長すぎて、人の器に感情が定着しきっていないのかもしれない。物としての意識が強いから、望むことに慣れていない。慣れていないから発露するまで昂ぶらない。不器用という話でもなく、器に中身が追い付いていない。これ以上にマイペースな刀剣男士はいないとの審神者間で共有されるデータを今頃思い出して、軽い目眩に襲われた。

どうしよう。とても無駄な涙を流してしまったような気がする。いや、涙に無駄も有益もないとは思うけれど。しかし。
頭を抱えたくなる私の目の前で漸く、人間じみた喜びを引き出すことができたらしい付喪神は声を上げることなく、眦を弛めもせずに笑っている。新しい玩具に目を輝かせる子供にも、少し似て見えた。

なあ、主よ。
掛けられた声は落ち着きを取り戻し始めていたが、それでも隠せない喜色が窺える。



「叶う見込みが僅かでもあるとなると、浮かぶものだな」

「え……と」

「変わらないものが、一つでいい。俺も欲しいと思うようだ」

「…変わらないもの、ですか」



それはまた、難しいことだ。溜め込んでいた分、大欲が育ってしまったのか。
何と答えるべきか迷っているうちに、ふ、と息を溢して笑った彼は眉を下げた。



「だが、まぁ…恐らくは途轍もなく、叶えるに難儀な願いだろうな」

「…そうですね。時間が流れれば、物は古びて人は老います。変わらないものなんて、この世にはそう幾つも……」



人の間に紡がれる絆だって、墓に入れば途切れるようなものだろう。形あるものもないものも、時間に呑まれて変化していく。それが理だ。
そうは思うも、折角彼自身の口から聞き出せた望みがこのまま消えていくのは惜しかった。叶えてやれるか判らない、なんて考えは何処かに飛んでいってしまった。包み込むように触れていた手が頬から離れようとする瞬間に、私の方からその手を掴み直す。
またも瞠られた瞳の中に、真面目くさった顔の自分が映り込む。宝石よりも価値の高そうなそれに見つめられると、今までは恐れ多い気持ちになることばかりだったのに、どうしてだろうか。気分が高揚しているのが自分で分かった。

やっと、この男の中身を引き摺り出せたのだ。
逃してはならないと、頭の奥で誰かが叫ぶ声を聞いた。



「一つだけ、浮かびましたけど」

「何?」

「変わらないもの」



あなたが、三日月宗近だということ。

大きく見開かれる夜空のような瞳が、恐ろしく美しい。見惚れずにはいられない。
私の言葉を拾い、今までになく驚嘆する男の姿にぞくりとしたものが背筋を駆け上がる。やっと、一歩分ほどは優位に立てたような気がした。



「与えられた名は、目に見えて残せるし、そのものが消えてなくなっても変わりませんね」

「……そうか」



そうか。笑みを消して、呆然と頷く様はとても、普段の神様然とした彼からは遠いものだ。
一泡吹かせることができたようで、私の胸もすっとする。握っていた手を離してしまえば、黒い布地に包まれた彼の手はすとん、と落ちていった。



「俺が俺であることは、永劫変わらない…か。そうか、確かにそうだ。納得した。が……それだけではまだ寂しいな」

「え……寂しいんですか?」

「うむ…可笑しいか?」



不思議そうな顔をして問い掛けてくる三日月さんは、発した言葉に違和感は覚えないらしい。
天下五剣が一口、それもどの一口よりも美しいと評価を受ける彼の口から飛び出すにしては拙く、現実的で、人間らしい望み。人ならば誰もが覚えのある感情を、察してしまえば身動きが取れなくなる。



「変わらずにいても、自分一つきりでは侘しいなあ…主よ」



今度は此方が目を丸め、息を詰める。ことりと片側に首を落とし、好いことを思い付いたんだが…と口ずさむ彼はまた柔和に笑む。まるで、汚れのない子供のような顔をして、美しい容を見つめ続けられなくなるほどに、近付けて囁いた。



「主の名を、俺にくれないか」



それが、三日月宗近の一番初めの最大の我儘だった。幼子のように純粋で、神と名乗るだけあって傲慢なそれに、何かを悩み考えるより先に答えを出した私は悟る。
そうですねぇ、と勿体ぶるように頬に手を添えながら。自分自身の望みまで、無自覚にも手を伸ばしていたことを自覚した。

この男の望みが欲しいと思った。それが私の望みだった。知恵ない神に知恵をつけてしまったと分かっても、悔やむ気持ちは生まれない。
三日月宗近を迎えて以降、彼の笑顔を疑った。隠された中身を求めていた。根刮ぎ全てを得られないことに歯痒い思いをした。傀儡のようには思いたくなくて、底が知りたかった。
つまりは、そういうことなのだ。私こそ、彼が欲しかった。人間染みた思考に、彼の心を堕としてでも。



「私が死ぬ時…若しくは、この世の何処へも居られなくなった時には」



月の盃、この名一つで満たしてやれるのなら、安いどころか充分に相償われる。

きっと私の浮かべた笑みは神職に相応しくない歪んだものだったろうに、答えを聞き逃すことなく綻んだ面差しは美酒に酔うような蕩けたものだった。





溢れ返れと徳利を傾け

20150317. 
第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
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