これと同じ設定






密かに鍵の壊れている資料室、図書室奥の本棚の影、中庭の窓からの死角、保健室のベッド。今日一日で、今までに集めた情報を随分と駆使してしまったと思う。
人の視線が、昔から苦手だ。目立つことも嫌いだから、所属する場では自然と人の集まらない位置を把握するようになっていた。まさかそれらの知識をここまで利用する日が来るとは、思っていなかったけれど。

一日中だ。移動教室でもなければ休み時間は常に身を隠して、たった一つの気配から逃げ回った。
高く響く、自分を探して名前を呼ぶ声が聞こえる度に、足音まで気を使って次の隠れ場所へ移って。
きっと、息を乱しながら走り回るその人を思い浮かべながら。放課後の部活時間まで、一度も顔を合わせることなく逃げ切った。

やりすぎだとは思わない。勿論胸も痛まない。
これくらいがちょうどいいと考えての行動に、後悔なんて僅かも湧かない。
外も内も普段と変わらない様子でボールを上げる自分に、度々物言いたげな幼馴染みの視線が突き刺さりはしたけれど。
だからと言って、部活中に部活外の事柄で突っ込んでくるはずもなく。端から見て不自然だっただろう今日のおれの行動に関して、話し掛けてきたのは案の定、片付けまで全て終えて制服に着替え終わった頃のことだった。



「お前今日みょうじ避けまくってたって?」



運よく、周りには人の話を盗み聞いて騒ぎ出すチームメイト達はいなかった。というか、帰ってしまうまで待ってから切り出されただけだろうけど。
幼馴染みであるクロと、別々に帰路につく日は少ない。別れて帰る意味が見つからないから、自然とどちらかがペースを合わせることになる。

今日のクロは、帰り支度に時間をかけていた。
理由は訊くまでもない。おれが一日逃げ続けたその人と親しい仲であるクロが、何も言ってこないとは最初から思っていなかったから、特にこれといった驚きもない。



「何か言ってたの」



あの人。

いつだっておれを見つけた瞬間に目を輝かせる人は、今日一日どんな顔をして過ごしたんだろう。
純粋な疑問を隣に立つクロにぶつければ、脱いだシャツをバッグに押し込んでいた横顔が微妙に歪んだ。



「研磨が捕まらない捕まらないって休み時間終わる度に呪詛のように机殴ってたな」

「へえ」

「その反応」



もっと興味持ってやれよ、と溜息を吐くクロは、そう言いながらおれよりずっとその人の喜怒哀楽で形を変える顔を知っているはずだ。
そんな格差をおれが感じていることには、多分気付いていない。気付かせたいわけでも、ないけれど。



「釣った魚にろくに餌与えないでいると逃げられるんじゃないのかい、研磨くん」

「クロ彼女いないじゃん」

「いや、そこはそれだろ。あれだ」

「あれって何」



釣ったも何も、彼女でも何でもないけど。

ただ一方的に、どういうわけか明け透けな好意をぶつけてくる…友達とも言い難い関係にある人だ。
益々微妙な顔になる幼馴染みの個人事情には突っ込まないことにして、目を閉じなくても浮かんでしまうようになった女子を思う。
聞いた調子だと、そうなると考えていたおれの想像から遠くない状態だったらしい。
ということは、やっぱりおれには絶対に見せない姿を晒してたんだろうな…と、ぼんやりした感想を抱いた。



「釣った魚に餌を与えないとか言ったけど…意味解んない」



そんなに楽しい気はしないけれど、今のところは釣れている内に入るのだろうか。
幼馴染みが振り向く気配がした。そっちと視線を合わせることなく、荷物を詰め込んだバッグの口を閉じる。



「そもそも魚は食べるものだし。わざわざ釣ったのに餌あげてどうするの。太らせて食べるの?」



結局食べて、消化してしまえるなら餌を与え過ぎても構わないんだろう。
けど、獲物は魚じゃなくて、人間だ。ややこしいルールやモラルに縛られながら生きる、自我も知恵も持つ厄介な生き物。
水を張った水槽では永遠に生きられない。餌だけ与えて生かしておいても、きっといつかは逃げ出してしまう。

人道を保ったまま完璧に、人間を拘束することはほぼ不可能だ。



「食うってお前…いや、俺は単に愛想尽かされないようにってだけなんだけど」

「クロの言いたいことは解るけどさ」

「おう?」

「例えば、どんなに楽しめるゲームでも最初に慣れが来て、次に飽きが来る。最後に見向きもしなくなるんだよ」



人と物を比べるな、なんて言われるかもしれないけど、言葉の意味を理解はできても納得して自分に当て嵌めることはできない。

実際に、恋愛感情だって期限付きという理論が出回ってるんだから。



「おれはそんな風に扱われたくない。だからといってずっと新鮮さを保つ努力とかは、合ってないからしたくない」



だから、おれの行動制限は別に間違ったものではないし、寧ろ至極合理的な方法だと思うんだ。脅迫したり暴力に訴えたりせずに、依存を持続させるのは簡単なことじゃないんだから。
クロには、解らないかもしれないけど。



「飽きられたくないって…それお前、普通にあいつ好きなんじゃねーの?」

「嫌いなんて言ったことないし…今から離れられたりするのは嫌かな」



頷いて返せば、またクロは渋い顔をする。

言いたいことがあるんだろうなと、想像はついた。けど、多分何を言われてもおれは変わらないし、クロだって長い付き合いの中でそれくらい解っている。



「これが一番、都合がいいんだよ」



あの人は今日、諦めずに、おれを探して走り回ってくれたんだろうから。
きっと、今だって帰り道のどこかで待ち伏せしてるんじゃないかな。

そうなると、一つ重ねた歳を祝う言葉を一番最後に聞けるはずだ。
部員の数名から貰ったプレゼントは、明日以降に持って帰られるものはロッカーに残して、あまり重くないバッグを肩にかけた。






密かに捕らえて囚われる




ホットミルクはそのままでも充分甘いのに、蜂蜜やら砂糖やらで更に甘くしてしまうような甘党の人がいる。
そうすると彼らはその味に慣れきって、元の味を物足りなく感じるようになる。
充分に、それ以上に甘みがないと美味しいと感じないよう、鈍っていく。本人がどう思うかは分からないけれど、外から見た上での総合的な意見としては、喜ばしくはないだろう。

だからと言って、別に甘くしてはいけないとか、そういうことでもなくて。
たまに足すから、甘みが引き立つ。匙加減を間違えなければいいという話だ。



「見つけた! やっと見つけたぁぁっ!!」

「あ」

「マジで待ってた」



どんっ、と身体に走った衝撃で軽く踏鞴を踏んだ。
うわ、と小さく漏れたクロの声と同時に、左腕にしっかとしがみついた存在を見下ろす。

予想通り、潜ったばかりの校門の影から飛び出してきたのは朝から逃げ続けていた、幼馴染みの友達。いつもおれに満面の笑顔を向けてくる、その人だった。



「一日中探したんだよ…! 誕生日にかくれんぼなんて、おちゃめさんなんだから研磨くんはもうっ!」

「…ごめん」

「ううん、いい。いいの! こうして研磨くんを捕まえられたなら万事オッケー。寧ろ愛を試されてるみたいで個人的にはテンション上がっちゃうっていうかねっ!」

「躾られてんなー…」

「研磨くんになら喜んで躾られるからね」



ぐっと誇らしげに親指を立てて幼馴染みに返事をするその人は、そんなことより、とまたおれに振り向いて笑う。
疑いようもないくらい真っ直ぐに好意を表す笑顔に、自分だって慣らされていることは自覚していた。



「誕生日おめでとう、研磨くん!」

「うん」



だから、人を捕まえておくのに必要なのは、匙加減だ。
いつもより少し表情を崩して、声だって和らげて反応を返す。どれくらいの期間長持ちするかは、使いようだろう。

ありがとう、と返した言葉に、初めて笑顔以外の彼女の顔を見た。
ぶわりと一気に赤く染まった顔はそれこそ林檎みたいで、思い浮かべるとつい、好物が頭に浮かぶ。浮かんでしまうと食べたくなる。

多分、言う前からプレゼントに用意されている気がするけれど。



「作戦成功…ってか」



苦々しく落とされた幼馴染みの呟きは、聞かなかったことにした。


2014孤爪研磨birthday
20141017. 
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