初めてはっきりと異性に恋をしたのは、中学に入学してそう経たない内のことだった。
小学生上がりの、思春期に入ってすぐの頃。優しげな風貌でよく気の回る部活の先輩に、寝ても覚めても熱を上げていた。

たった二歳の差が大きなものに思える時期だった。年上に憧れやすい年頃で、憧れが恋に変わるのも珍しいことでも何でもない。
そして告げることすらできずに想いを枯らしてしまうのも、有りがちと言えば有りがちな展開だった。






そんな失敗の多かった初めての恋から三年以上の月日を経て、私は二度目の本気を経験している。
年上に夢見る時期は過ぎたのか、今目で追い掛けている相手は同級生。偶然にも二年から続けて同クラスに所属することになった男に、一度目よりも遥かに現実的に恋をしていた。

心で想っているだけでは、駄目だ。足りない。
そうやって胸に閉じ込めて、長い間綺麗に消化できずに燻らせるなんてこと、一度経験すれば充分だ。
恋愛にだってバイタリティーは必要で、欠かしたことを後から悔いても時間は戻らない。甘さより苦さの残った一度目の恋から、私は学んでいた。



(動かないから駄目だった)



初恋は実らないとは、よく言ったものだ。
駆け引きなんて手慣れるどころか考えもしないし、意地やプライドが邪魔をする。小さな選択が関係を後退させることに、気付きもせずに突き進んで自爆する。
待っているだけで好機が訪れるほど、世の中甘くはない。自分から食い付くつもりで構えていないから、巡ってきた好機に気付かず逃してしまうことも多い。

目も当てられないような未熟さから来る失敗を繰り返して、私はよくよく思い知ったのだ。最初からうまくいくはずがないと。
それでも、苦い経験を経て学んだ後なら。二度目なら、話は別だと思った。
思ったのだけれど。

普段ならわりと冷静に物事を見極められる私の脳は、こと恋愛に関しては賢さを発揮してくれないらしい。



「ねぇ、木兎」



どこかに呼び出したり、特別なシチュエーションに拘ったり、そんなベタな真似をするのはキャラでもないし、ハードルが高い。
だから、待った。不自然でなく、二人きりになれる状況を逃さないよう、アンテナを張り続けて雰囲気を読んだ。
元々物覚えもいいし、不器用でもない自覚がある。一度失敗すれば、それくらいのことはできるようになる。

それだけ私は気にしすぎていたのだ。
同じような後悔だけはしたくない。伝えずに終わらせなくちゃならなくなる、あんな思いをしなくていいなら他はどうでもいい。
想いを自覚してからはそれだけの気持ちがずっと胸に渦巻いていた。寧ろ、それしかなかったと言っていい。

だから適した雰囲気を、過去逃し続けた瞬間を見計らって、ここぞというところで口を開いた。後先を考えるという重大なポイントを見落として。

放課後に自然な会話で引き伸ばした時間、私とそいつ以外のいなくなった教室。
そろそろ部活行くか、と扉に向かう背中に呼び掛けて、足を止めさせた。
何を言われるかも知らない木兎光太郎という男は、とても気軽に振り向いた。それだけ親しい距離を感じて、浮き上がる心があるなんて想像もしていない顔で。

憎たらしいほど、揺さぶられる。
言葉は引っ掛かることもなく、喉元からするりと出てきた。



「私さ、木兎のこと好きなんだよね」



恋愛的な意味で、と付け足せたのは、その部分だけは本当に冷静だったと自分を褒められる。
それくらいは言わないと天然スルーされる相手だと解っていた。

きょとん、という擬態語がよく似合う表情で固まった男は、たっぷり数秒の間をおいて、丸く瞠っていた目を閉じる。そうして次の瞬間、何故か遅れてびくりと震えた。



「……マジか!」

「っ…え? あ…うん?」



身体ごと振り向いた木兎の勢いに押されて、今度は私までびくりと肩が跳ねた。

そこで微かに、気付くものがあった。
あれ?、と頭の中の私が首を傾げた気もしたけれど、それを気にするより先に大袈裟な動作で目元から上に手を当てた男に、意識が行ってしまう。



「くそぉ…それなら俺から言った方が絶対カッコよく決められたのに…っ!」



はい…?

それはもう悔しげにぐうう、と唸る木兎を見つめたまま私が固まる番だった。

あれこいつ何言ってんの?、と、漸く理性らしきものが主張を始める。
私は今、何を言ったのだったか。告白…そう、告白をしたのだ。目の前の男に。
それでそいつの反応と言えば、俺から言えばよかった、と悔しがっている。



(……ん?)



ん? あれ? ちょっと待って?
そういえば、告白には返事が付き物だ。その後の流れを、私は考えていただろうか。
超高速で頭を捻ってみても思い出せない。考えた記憶がどこにもない。
つまりは、それが答えだった。

私がそのことに気付くと同時に、暫く頭を抱えていた木兎も吹っ切れたのか勢いよく顔を上げる。



「過ぎたことだ、まぁいい! とりあえず俺とみょうじは今日から両思いなわけだな!」

「……はっ?」



からりと晴れた空を思わせる笑顔で言い切られて、息が止まった。そのまま呼吸の仕方も忘れてしまいそうだった。

今回ばかりは決して木兎の思考回路がおかしいわけでもない。私が、大事な部分を忘れていたのだ。
告白することだけに重点を置きすぎて、した後どうなるかなんて考えもしなかった。
木兎の性格だから大して気まずくはならないだろうとは思っていたけれど、それだけで。両思いなんて耐性もなければ、想像すらしていなかったのだ。

とにかく、自分の中にあるはち切れそうなものを、発散できずに終わらせたくなかっただけだった。
だから、じゃあ付き合おう、とか、急にそんな展開を持ち込まれても、話が早すぎて話が見えないというか。



(は…早まった…?)



もしかして、やっぱりまだ時期を見るべきだったのか。
時間を置いていれば気づけたかもしれない点を見過ごしてしまって、喜びより困惑の気持ちが大きい。

そんな狼狽えるばかりの私に僅かに不思議そうながらも、喜びを露にする男に今更待ったなんてかけられそうにない。
付き合うって何だろうな、まずは名前とか呼び合うべきか、なんて見るからに浮かれている木兎を目にして、すみませんちょっとロードしていいですか、なんて言えない。さすがにそれは酷すぎる。

一度目の失敗よりは胸は痛まなかったけれど、焦りのようなものが残った。









そもそも私は、木兎光太郎という男のどこに惚れたのだろうかということも、よく判らないでいる。

顔…は、まぁ好みの問題だが、悪くはないと思う。がっしりとした体つきも加わって、総合的に男らしい。真剣な時にはぞくりとくるものがある。そんな雰囲気は嫌いじゃない。
性格…これも悪くない。馬鹿だけれど。限りなく単純で挑発に乗せられやすくて子供っぽくて我儘放題で馬鹿だけれど。
馬鹿なのに許されるキャラというか、何だかんだ慕われ愛されるお得なタイプだ。憎めないし、部活に入れ込んでいる時の好戦的な様子にはやはり少しどきりとするものがある。
馬鹿なくせに、格好いい。ちょっとどころでなく悔しいところだ。
残るは、人への接し方だろうか。基本的に壁を作らず、体当たりだ。
誰でも新密度で人間にも優先順位を付けるはずだけれど、それを他者に悟らせない素質がある。平等に振る舞っていると思わせるのに、本人は天然。だから嫌われにくいし、やっぱりお得な奴だ。

ここまで考えたところで、なんだか全力で腕を振りかぶって匙を投げたくなった。
時はお付きあい一日目、一限の現国の時間。練習問題を解き終えた傍ら、少し離れた席でうつらうつら船をこいでいる男を視界に入れながら展開した思考は、あまりにもあんまりな有り様だった。



(何だこれ…)



詳しく思い起こすにも限度がある。
本当にどうしようもないレベルの恋心を思い知らされて、ショックで目眩がした。ふらつく頭を、机に肘をつい腕で支える。

どうしてこんなに、不必要なほどぽんぽんと要素が浮かんでくるのか。
普段どれだけ、あいつを見ているのかという話だ。
悔しい上に自分が解らない。



(似てないのに…)



項垂れたままの視界の隅で、落ちた頭がハッとたように横に振られる。一限から眠気と戦うなよ、とツッコミたくなる間抜けな動作だ。
穏やかで優しくて大人っぽく、この目に映っていた先輩とは似ても似つかない。

初恋の人とはほぼ対極に存在しているような男なのに、どうして好きになってしまったのか。
どうしてか、気付いたら好きだった。理由は不明だ。
馬鹿でどうしようもない、放っておいてはいけない奴だと思う。なのに、他の女子と少し絡んでいるところを目にしただけで、胸の中にモヤモヤと黒い煙が広がるくらいには欲が芽生える。

好きだと思う。それは認められる。そうでなければ想いを口にしたりしない。
けれどいざ付き合うとなると、全くと言っていいほどにイメージは湧かなかった。
そこまで至れば、答えは出たようなものだ。受け入れられてわけが解らなくなったのだから、つまりは、そういうこと。

私、完璧にフラレるつもりだったんだわ。

授業終了を告げるチャイムと、ざわめきだす教室の喧騒が、膜一枚で隔てられたかのように遠くに聞こえた。









その日、お互いの部活終わりに時間を合わせて同じ帰路についた相手に、私は早々に白状することにした。
中途半端な気持ちを、長く自分の中に置いておきたくはない、いいこともないだろうと判断してのことだ。

一応、便宜的には変化したらしい関係を気にして緊張しているのか、少しだけ態度がぎこちない男に、前日と変わらない自然を装った声で呼び掛ける。

ねぇ、木兎。



「私さ、中学の時にも好きな人いたんだけど」

「…お、おう?」



会話が途切れて居心地悪げにそわそわとしていた男は、すっぱりと沈黙を破った私に虚を衝かれたと言わんばかり。振り向いて一瞬で訝しげな顔付きになった。

その反応には構わず、私は続けることにする。
今に至る過去を掘り出して、あまり賢くない木兎にも分かりやすいように並べようと頭を巡らせる。



「その人私が恋に恋して酔っちゃってる間に、他の女子に告白されて付き合っちゃったんだよね。それで結構後悔して、ちゃんと告白してフラレとけばよかったなーって」



最初の恋は、告げることすらできないまま、飲み下すにも時間がかかって、胸にこびりついた。
痛みも悲しみもなくなっても、行動の一つも起こさなかった所為で、後悔が纏わり付いて簡単には忘れられなくて。
消してしまうまで神経を使って、時間も無駄にしたように思う。だから二度は同じ過ちをおかさないようにと、気を付けていたはずの結果がこれだ。

結局私は、あれから殆ど成長していなかったのかもしれない。今回だって最初の失敗に気を取られすぎて、実るか実らないかは二の次だった。
だから木兎に好きだと告げたのも、無意識に崩潰を覚悟してのものでもあったのだ。

しくじっていれば、今のようには隣を歩くこともできなくなるところだったのに。
いくら嫌悪されることがないとは言え、木兎だって距離の取り方には戸惑ったかもしれないのに。

軽い自己嫌悪に襲われながら説明する。だから今度はちゃんと伝えようと思った、ただそれだけだったということを。
流石に怒るかな、と思いながら歩調の遅くなっている隣の男を見上げる。どんな反応が返ってくるかと少し気まずい気分でいれば、軽く空を仰いでいた木兎はぶち当たった難問に悩むように目を閉じて顎を撫でていた。それも、一秒ほどの短さだった。



「いや、それはしなくてよかった!」



ぱちりと目を開けた途端に強く頷いた男に、軽くジャブでも食らわされたような気がした。



「…へ?」

「だって、もしそいつがオッケー出してそれで続いてたりしたら、俺がフラレてたことになるだろ」



何だ。しなくてよかった、って。
そう訊ねる前に臆しない態度で言い切られた言葉に、今度こそ唖然としてしまう。
こっちは何年か引き摺ったというのに、自分にはその方が都合が良いと悪気もなく明言する男に、出てくるはずの文句も浮かばない。
ぽかんと口を開けて、間抜けな顔で見上げているであろう私に突き付けられる人差し指の向こうには、やはり満足げに口角を上げている男の顔があった。



「みょうじっ、じゃなかった…なまえはそいつに、告白しなくて正解だったってことだ!」



その瞬間、ジャブどころか威力最大のアッパーを精神に叩き込まれた私は、悟った。
賢かったはずの私の頭は、こいつの言動に殴られ続けてきた所為で馬鹿になってしまったに違いない、と。

今までの思考の殆どを吹っ飛ばされて、そうしてまっさらになった状態の私の中に込み上げてきたのは、悲観でも何でもない。
もう、小刻みに震え出してしまう身体を隠すこともできなかった。



「……ひど」

「えっ、酷いか!?」

「酷いわ…あんた、私の過去の失恋喜ぶとか…っ」

「喜んでるわけじゃ…ん? いや喜んでるのか? と、とにかく、今気にすることじゃないってだけでだなっ」



人の失敗を喜ぶなんて最悪だ。最悪にもほどがある。なのに、どうしても憎めないし、それどころか笑ってしまう。
子供じみているからこそ、ずるさを発揮する理屈だ。こんな男でなければそうそう通用しない。

顔を上げずにいる私に、わたわたと慌てて少しの間行き場をなくしていた手が伸びてくる。
込み上げる笑いで震える肩を掴んだ手は、その内面に不相応なくらい筋張っていて、胸に圧力がかかるくらい力強かった。



「俺が今ここにいるんだから、それが正解だってことだろ」



きっと、笑いと、悔しいことにときめきで真っ赤になってしまっている私に言い聞かせるように覗き込んできた木兎の表情は、ほんの少し照れを残しつつも生真面目なもので、似合わないのに胸が高鳴ってしまう。

木兎がここにいるから、正解。今の恋が叶ったから、正解だと言う。
酷いとも思うのに、失敗してよかったと思わせもする。それだけの力があるから、私はどうにもこいつに弱いのかもしれない。



(くそぅ)



的確に馬鹿にできる部分が浮かばない。悔しいけれど完敗だ。
思いを受け取ってもらえる現状を、素直に幸せだと噛み締められずにはいられないじゃない、こんなの。






セカンドステップに華めく




(馬鹿のくせに…)
(あ! 今馬鹿って言ったか!? 言ったな!?)
(その馬鹿が好きすぎる私も馬鹿だわ)
(なんっ!……え?)
(やめ、帰ろ)
(えっなまえ? なまえさん? 今好きって言いました?)
(昨日も言いました)
(俺も好きです)
(それは…まぁ、ありがとう、ございます)
(…おう! 好きだっ!)
(叫ばなくていい!)

20140708.
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