「いい加減伝達事項くらい頭に入れといてください」



相変わらず物怖じせず、先輩相手にもズバッと言うものだ。
呆れの滲む視線を前の席に座っている友人に向けるのは、その友人が主将を務める男子バレー部の副主将だった。

目の前の光景をこっそり窺いながら、私はそっと肩を縮める。目立たないように、息まで殺して。
二年生にして副主将という立場に就くだけあって、彼はとてもしっかりした後輩らしかった。
無駄な話は一切せず、話をする時は要点を纏めて簡潔に述べる。ばか騒ぎしている先輩に乗っかるところも見掛けたことはなく、だからこそ笑顔を浮かべることも少ない。というか私が見たことない。
関わりが深ければ知れるような部分もあるだろう。接してみないことには、真実どんな人なのかまでは分からない。
けれど、なんというか、知らないままでもちょっとだけ近寄りがたいというか…怖いくらいだなぁという感想を抱く私は、実は彼、赤葦京治くんという人が少しだけ苦手だった。

配慮する部分は配慮されているけれど、彼の佇まいは親しみやすさがない。
ものの試しに話し掛けてみようか、なんて気は起きない。彼が近くまで来る時、いつも私は静かに気配を殺して、やり取りを聞いていることしかできないでいる。



「とにかく、忘れないでくださいよ。俺は戻りますから」

「おーう」



念を押す赤葦くんと、それに軽い声を返す木兎くん。会話が終わったタイミングを見計らって、私は俯く。
同時に、頭の上に視線を感じて身体の芯がピキリと凍るような感覚に襲われた。

これだ。私が怖いのは、この瞬間。
途中で視線を下げなければ、目が合う。だから私は毎度タイミングを読んで顔ごと逸らす。
木兎くんに向けられていた呆れのこもった冷ややかな視線が、時折近くにいる私にまで滑らされるのだ。
特に木兎くんと話している最中に彼が訪ねて来た時なんかは、気にしているのか目障りなのか何なのか、絶対に最後に私のことを写していく。

睨み付けられてる…とまではいかないけれど、居心地の悪さは拭いきれない。
どうも好意的な目付きではなさそうだから、もしかしたら嫌われてでもいるのかもしれないな…と、考えてしまってから彼のことが少し怖くなった。

別に誰からでも好かれたいなんて思っているわけでもないけれど、不快に思われるのはそれはそれで避けたいものだ。
教室の扉をくぐって消える背中を見送る頃、漸く私は大きく息を吐き出せる。そんな私の方へ椅子に座ったままぐるりと身体ごと振り返ってきた友人は、さすがというか全く凹んでもいなかった。



「俺が思うに、赤葦は真面目過ぎる!」

「それ、主に周りの人間の所為だと思うよ」



誰とは敢えて言いませんが。
むん、と腕組みをする木兎くんのめげなさに脱力しつつ、しっかりツッコミは入れておく。
その日常的な叱責に対するメンタルの強さ、ちょっと私に分けてほしいわ…。

こういう部分が友人のいいところと言われれば、それはそうかもしれないのだが。
やっぱり少しは気にしろと思ってしまうのは、私までとばっちりで彼の冷ややかな視線を受けているような気がするから。その所為だろう。









それにしても、今日は何か。おみくじでいくところの小吉レベルの運気でも背負ってるのかな、私は。
多分凶とまではいかない。が、運がいいとは思えない。前方にある影が休み時間に見たものとぴったり重なることに、ある程度近付いてから気付いた私の口元はヒクヒクと震えた。

放課後、六限の体育の後に忘れてしまっていたタオルを取りに、水道場を回るようにして帰ろうとしていたところだった。
ホームルームが終わってすぐに時間も潰さずに来てみれば、暑さを払うようにバシャバシャと顔を洗っている赤葦くんその人を発見してしまった。



(やばい)



体育館と部室棟の間に設置されている水道場を、バレー部員が使用することは何も不思議じゃない。何故気付かなかった私。何故部活時間に入ってから来なかった私。

頭を抱えて唸り声を堪えている私から、十数メートルほど離れた場所にいる彼はまだこちらに気付いていない。が、それも時間の問題だ。隠れる場所なんて何処にもない。
曲げていた腰を伸ばして、タオルで拭き取る前に軽く首を振って水を払う。
そんな動物的な動作を、どうするべきか迷いながら見つめていることしかできなかった。

案外と男の子らしい、粗雑な仕種が自然に馴染んでいる。
そんな感想を抱きながら立ち竦んでいる内に、彼の目がある一点を捉えてしまう。あっ、と心の中で声を上げたところで無駄なことだ。
私と違う、迷いのない動作で伸ばされた手に取られてしまったのは、デフォルメされた動物柄のミニタオルだった。



(う、わぁぁぁ…)



どうしよう。こんな展開、想定外にも程がある。
タオル一枚くらい見捨てて帰ってもいいだろうか。そんな考えもチラリと頭を過ったのだけれど、ここまで来てそれはちょっと馬鹿らしすぎる。
だけど、声を掛ける勇気が芽生えない。もしいつもより冷たく素っ気ない視線を頂いてしまったら、私は確実に傷付く。ある意味緩和材になるであろう友人はこの場にはいないのだ。

どうしよう、本当に。どうするべきだろう。
迷う時間が長かったのか、足音でも聞こえてしまったのか。それともただ単に移動するつもりだったのかは判らない。
とにかくその時、不意に振り向いた彼と視線が重なってしまった。

それはもう、バチリと。逸らしようがないほどしっかりと。



「あ…っ」



声を出したのは、私だろうか。彼だろうか。
一瞬、つい息が止まったし、鼓動も跳ね上がった。

しかも何故かお互い軽く固まって、数秒間無言で見つめあってしまう。
気になっていた彼の目は今は驚きに彩られていて、いつも感じているよりは幾分か柔らかい印象だ。



「あ……これ、忘れ物。もしかしてあなたのですか」

「えっ!? あ、ああはいっ、ごめんなさい私のです…!」



不自然な態度を先に崩したのは、彼の方だ。
はっとしたように私から外された視線はすぐにその手元に移って、それから私がここにいる理由を推測したらしい。
話し掛けられたことにドキリとしながら慌てて私も頷けば、手が届く距離まで近寄られる。仕種や顔から伝わる今の雰囲気は、特に厳しいものではなかった。

ほっと安堵しつつも、あれ…?、と首を傾げそうになる。



「確か、木兎さんのクラスの…」

「えっ」

「みょうじさんって呼ばれてましたっけ」



差し出されたタオルをドキドキしながら受け取っていた身体が、再びビキリと凍り付く。

名前を覚えられている…だと……?

よもや、知らない内に何か仕出かして、彼の中のブラックリストに私の名を連ねてしまっていたのだろうか。
一瞬の思考で、ブワァッと冷や汗が浮き出る。

どうしよう。やっぱり嫌われてるの? 謝るべき?
でも理由も分からず謝るのも失礼だし、嫌われているならそれはもうどうしようもないというか仕方ないことというか…。
改善の余地があるのなら私も努力するけれど、彼の気持ち的には余計なお世話だったりすることもあるだろうし…。



「いつも木兎さんが煩いでしょう」

「ふぇっ!?」



ああどうしよう気まずい怖い逃げたい…と内心唸っていたところに更なる言葉を投げ掛けられて、びくりと肩を揺らして反応してしまう。
そんな私を写して一瞬丸くなった黒目は、向けられると想像していたそれよりも険のないものだった。

それを確かめて、慌てて返答を探す。



「あ、えっと…木兎くん? は…まぁ、静かではないけど、友達だし…」

「…よく近くにいるの見掛けるんで、迷惑かけてるんじゃないかと思ったんですけど」

「えっいやいや、私なんてそんなベッタリなわけじゃないから! 寧ろ赤葦くんの方が部活とかで接する機会多いんでしょっ?」

「まぁ、俺も部活時間に留まらず昼の学校生活にまで食い込んでますね」

「うん……あの、大変だね、いつも…」

「多少は慣れましたけど」



はぁ、と吐かれる溜息の遠慮のなさは、親しさあってのものか。
二年生なのに大変だなぁ…と自然に湧いてきた思いに、私はそこで身体の強張りが解けつつあることに気付かされた。



(あれ…?)



あれあれ?
これ、意外と話せてる…?

度々私に留まったり外れたりする目を、こっそりと窺う。そこに嫌悪感らしきものは特に見当たらない。
木兎くんに対する適当な扱いを隠す気もない口振りも、だからといって険を含んだものでもなかった。



(何だ)



何だ、私、勘違いしてた。
気付いて力が抜ける。少なくともこれは、怯える必要はなかったみたいだ。

窮地に立たされた気分でいたのが、拍子抜けした。
ドッと押し寄せる安心感に、何だか笑えてきてしまう。



「悪い人じゃないんですけどね」

「ふっ…ふふ、いつもご苦労様です」

「…先輩も」



ご苦労様です、と同じように返される言葉は、落ち着いた声で発せられる。
緊張を解いて笑う私に数度瞬きをした彼の目は、意外と簡単に弛んだ。



(ああ、何だ)



嫌われていそうだとか疎まれているみたいだとか、感じていたのが嘘みたいだ。
多分、木兎くんに対しての少しばかりぞんざいな態度が、傍にいた私にまで流れてきていただけなのかもしれない。私は恐らくそれを、よく理解しないまま受け取った。

話し相手が私一人となると、随分と当たりは柔らかい。会話も気まずくならないよう、配慮されているのが分かる。彼は器用な人のようだ。



(やっぱり、接してみないことには分からないなぁ)



僅かばかり頬を弛めて私に合わせた彼の笑みは、存外優しげなものだった。

ああ、私はちょっと、今まで損をしていたのかもしれないね。






目は口ほどに物を言わない




これからは少しは話し掛けてみようかな。
単純極まりないけれど、そんな勇気が今更に芽生えた。



(木兎さんと関わるわりに、みょうじ先輩は常識的な人っぽいですね)
(んっ? どーゆー意味だ…って! 今どっからみょうじが出てきた!?)
(……忘れました)
(お前ら今までひとっことも喋ってなかっただろ!?)
(部活に集中してください。ストレッチ始めますよ)
(オイ! ちょっ…この俺を誤魔化す気か赤葦の分際でー!!)
(知りません)

20140622.
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