※50万打フリタイリク『小さな変化、縮まる距離』と同じ設定です
寒さも深まる十一月下旬。冷たくなる指先に息を吹き掛けながら、友人の話を聞いている最中のこと。朝の騒がしい教室内に響く他のクラスメイトの声を拾って、ついついそちらに目が行ってしまった。
「でねー、近い距離で話せる相手は全くの脈なしってことはないと思うのー…って、なまえ聞いてる?」
「え? あ…うん。聞きはしてる」
親しい関係になると、会話する時の距離が近くなるって話でしょ。
意識を近くに戻して頷けば、前の席の椅子をちゃっかり横取りしている友人は疑わしげに細めていた目を瞬かせた。
何だ聞いてたの、と。
「気になることでも見付けたのかと思った」
「んー…」
確かに、少し気になる内容が耳に飛び込んで来たのは、来たのだけれど。
だからといって、今すぐそちらに加わってどうこうしようという気にもなれない。
友人から向けられる訝しげな目線には、曖昧に首を傾げて誤魔化すことにした。
(誕生日……か)
朝から明るい笑顔を浮かべていたクラスメイトが、おめでとう、と口にしていた。それに応える彼の方も、無理のない、本当に嬉しそうな顔をしていた。
高尾くん、誕生日だったのか。
知らずにいた情報を当日に耳にしてしまって、朝のホームルーム前から授業中を介してこの昼休みになるまで、私の頭の中はその事実一色に塗り潰されてしまっていた。
黙っているなんて水臭いじゃないか…なんて思いもしたのだけれど、そもそも高尾くんと私は特に普段から仲良く一緒にいるわけでもない。寧ろ、お互いの個人情報について殆ど語ったりもしたこともないのだ。知らなくて当然だったということに気付いて、少し寂しい気持ちに襲われてしまう。
(ショックだ……)
思っていたよりも、私と高尾くんの距離が遠かったことを目の当たりにして、肩が落ちた。
ずっと彼の人となりを観察してきて、その器用でいて損をしがちな性格や性質についてならよく理解しているような気でいたから、尚更。
仲良くしたいと思っている人なのに、その彼の生まれた日という基本情報すら握っていなかったとは…不覚過ぎて溜息しか出ない。
虚しさを犇々と感じながら、やって来た購買近くの自販機の前。重い腕を上げてボタンを押し、落ちてきたペットボトルを拾った時、背後から掛けられた声に身体が固まりかけた。
「みょうじちゃん?」
「え…っ」
ぎしり、軋んだ身体の芯を捻れば、片手を挙げた高尾くんが自販機から数歩ほど離れた場所に立っていた。
軽く明るい彼の声を、聞き間違えるはずもないとは思ったけれど。
「どーした浮かない顔しちゃって。珍しくね?」
まさか、このタイミングでばっちり顔を合わせることになるとは。
ちょうど君のことを考えていました、なんて言えるわけもなく、流れでそちらに歩み寄りながら私は何でもないと苦笑する。
「何でもなくねーっしょ」
しかし彼の目は誤魔化せなかったらしい。
オレには無理に笑うなとか言うくせに、と唇を尖らせられると、反論できなくなる。
全く高尾くんは痛いところを突くなぁ。
「ちょっとね、落ち込んでたんだ」
「落ち込み…何に、とか訊いても大丈夫な感じ?」
「…高尾くん」
「はい?」
「お誕生日おめでとうございます」
ぺこりと頭を下げて、とりあえず言葉だけでも届けてみる。折角正面から向き合う機会があるのに、逃してしまうのも勿体ない。
本当なら何かしら、あげられるものがあったらよかったんだけど…。
そう悔やむ気持ちを抱えながら顔を上げれば、驚きの表情でぽかんと口を開けた高尾くんが軽く固まっていた。
「え……ありがと…えっ!? みょうじちゃん知ってたのっ?」
「いや、朝から聞こえてきて…」
「あっ、そっか! 騒いでたもんなー」
でも嬉しい!、と、じわっと頬を染めながら目を細める高尾くんの表情には、やっぱり嘘はないのだろう。
本当に、喜んでくれているのは分かる。けれど、私自身がそれだけで終わることに不満を感じてしまう。
「だから、言ってくれてたら何か、プレゼント用意できたのになーと…落ち込んでた」
他のクラスメイトが、教室に入ってきた彼に真っ先に声をかけて、それ以外にも次々に、小さなものでもプレゼントを渡したりする様を朝から見せ付けられて。
便乗もできなかった自分が悔しいというか悲しいというか、言い様のない気持ちになってしまったのだ。
そんな心境を簡単に説明していると、掌で口元を隠した高尾くんに勢いよく顔を逸らされる。
「…高尾くん?」
「や、何でも!…てか、気にしなくていーって。そんなわざわざ言ったり貰ったりするもんでもないと思うし、オレとしては祝ってもらえただけで充分!」
「…それは…高尾くんはそうかもしれないけど」
そうじゃない。そういうことじゃないのだ。
教室に帰るために私が歩き出すと、普通に後に続いてくる彼は何か用があって購買まで来たわけではなかったのか。
疑問を感じつつも、話を続けるには都合が良いので突っ込まないことにして言葉を選ぶ。
高尾くんがそれでよくってもね、
「私が、ちゃんとお祝いしたかったの」
それくらいの仲でいたいというか。誕生日も知らないなんて、いかにも無関心でいるみたいで自分が気に入らない。
でも、お祝いの日にムスッとした顔なんてしていちゃいけないよね。
頬を解そうかと持ち上げた手を、しかし背後から伸びてきたものに片方だけ掴みとられた。
みょうじちゃん、と私を呼ぶ声は、彼にしては抑えられたものだ。
「じゃあさ…今から一つお願いしてもいい?」
「え…あ、うん。私にできることとか、あげられるものがあるなら」
「…何でもいい?」
「うん?」
「本当に何でもいいなら、なんだけど」
廊下の隅で立ち止まった高尾くんにつられて、手首を捕らえられている私も足を止めるしかない。
振り返れば、至極真剣な目をして一度ごくりと喉を鳴らした彼の姿があって、何故か私の心臓が跳ねたような気がした。
「高尾くん…?」
「これ、ズルかもしんないんだけど」
「う、うん」
「みょうじちゃんの気持ちが、欲しい…デス」
胸の中で、何かが爆発したような感覚に教われる。
目の前で顔を赤くしていく高尾くんを、見つめたまま私の呼吸が止まってしまった。
「き、もち……ですか…」
それはどういう意味で…とは、問い掛けられなかった。
45センチ内で伝えてよもしかして。まさかとは思う。けれど、間違っていないような気もする。
今まで味わったことはないけれど、この嫌な感じはしない緊張感の正体は。
「高尾くん」
「うっ…はい」
「間違ってて、気まずくなったりしたらゴメンね」
「ん、え? どういう意味…」
一度深呼吸をしてから、彼に向かって足を進める。一歩、二歩、三歩。
背の高さを比べたり睫毛の数まで数えられるくらい、距離を詰めた。
特別な関係でなくても密接距離が近ければ、その二人は惹かれあっているという推論が立つそうだ。
朝からもう一つ、友人の口から聞いていた話を思い出しながら、狼狽える高尾くんを見上げた。
「ちょ、みょうじちゃんっ? ちょっと近いんじゃ…」
「私」
ほんの少し、過った恐怖は無視する。
大丈夫だ。高尾くんは優しい人だから、間違っていても空気を読んでフォローしてくれるに違いない。
何より、わたわたと慌てながらも、私の手首を握る手は力が込められるだけで突き放される様子がない。
計算ずくのようで卑怯かもしれないけれど、赤く染まっている彼の顔で確信した。
「私、高尾くんのこと、好きだよ」
プレゼントでも、何でもなく。
器用で何だかんだ優しくて献身的なところを、尊敬している。それだけじゃなくて。
男の子として格好いいし、いいなぁって思うよ。ずっと、思っていたよ。
「だから…その、プレゼントはやっぱり別のものがいいと思うんだけど」
「っ……マジでっ」
「え? 高尾くん?」
極度の緊張と恥ずかしさを堪えて、言い切った!、と内心拳を握ったところで、勢いよく高尾くんがしゃがみ込む。
一体どうしてしまったんだろうかと、一瞬前までの展開も忘れて慌てて私もしゃがんでみれば、渾身の悲鳴を頂いてしまった。
「みょうじちゃんは…ずりーだろっ!!」
「えっ」
予想外の反応に、今度は私が狼狽えてしまう番だ。
掌で覆われた顔は赤く、指の隙間からぎっ、と鋭い目を向けられる。
「言っとくけど」
「は、はい?」
「絶対オレの方が、みょうじちゃんのこと好きです」
「……それは、どうかな」
「これは絶対! 絶対譲んないから!」
捕まれた手をぶんぶんと振られて、とりあえずは嬉しさもあるので頷いてはおく。けれど。
(私の方が長く、高尾くんのこと見ていたと思うんだけどな…)
何せ、彼と話すようになった切っ掛けだって、私が作ったようなものだったのだし。
しかし高尾くんに譲る気がないことは、言葉や必死な雰囲気を見れば明らかでもある。
(まぁ、いいか。どっちでも)
どうせ、どっちでもそう変わらない。
惚れた方が負け、という言葉もあることだし、負けているはずの私は笑顔で彼の言い分を受け入れることにした。
2014高尾birthday
20141021.