マンゴープリンの続きのような話
都心から随分と離れた高校に進学して、最初にできた友達らしい友達はちょっと可哀想な女の子だった。
その子と出逢ったのは春が終わるか終わらないかという季節の境目、放課後のこと。
部活前に空きっ腹を埋めるものを探している最中に、明らかにお菓子の気配を漂わせている袋を焼却炉に投げ込もうとしていた女の子を見つけた。それがなまえちんだった。
とりあえず勿体ないからと回収したカップケーキは見たところ手作りで、ふわふわの生地を囓ると優しい甘さが口の中に広がった。
期待以上の美味しさなのに、何で捨てようとしたのか。しかもその目が涙に濡れているのか。気になって訊ねてみれば、付き合っていた男にフラれたんだと投げやりに打ち明けられて。
しかもその理由も、なまえちんの背が女子の平均を上回っているからだとかいう、つまらないもので。
勿体ないなぁと思った。
彼氏にフラれてお菓子を捨てる意味は解らなかったけど、美味しいお菓子を、その子がもう作らなくなるかもしれないというのはとても勿体ない。だから、オレは珍しく自分から仲良くなれるように働きかけてみた。
悪い子でもなさそうだったし。美味しいお菓子のためになるかもしれないし。
そんな、ちょっとの打算から始まった関係ではあるけど、なまえちん自身のこともちゃんと気に入っている。
美味しいお菓子作ってくれるし、優しいし。普通に女の子として可愛いし、お菓子くれるし。小さすぎないから目を合わせるのも他より楽だし、器用だからやっぱりお菓子作るの上手いし。
いいところを探すのは簡単で、たまに凹んでうじうじしている時は少し鬱陶しいけど、それだって別に受け入れられない程じゃない。見ようによっては可愛いものだと思う。
いい子なのにね。
くだらない理由でなまえちんを振っちゃうとか、オレには未だによく解らない。解る気もないけど。
身長なんて、男ならまだこれから伸びるかもしんないじゃん。オレはもう伸びなくていいけど。
そんな馬鹿げた理由で、わざわざ相手を傷付ける振り方しなくてもいいじゃん。まぁ、だからって今更やり直されても嫌だけど。
(別れて正解だと思うけどー…)
意地悪かな。
オレとの関係に邪魔になるなら、振ってくれたのは逆によかったのかもしれないと、思うのは。
それでもなまえちんが泣いちゃったのは、やっぱりちょっと可哀想って気持ちもあるんだよ。
その分オレが一緒にいてあげて、帳消しになればいいんだけどな。
少しずつ、なまえちんの中に自分の居場所を広げながら、そんなことをずっと考えている。
「オレ誕生日もうすぐなんだー」
「え…そうなの? いつ?」
「十月九日ー」
長期休暇も明けて中弛みの時期になる九月、いつものように一緒に昼食をとった後、なまえちんの持ってきたマドレーヌに舌鼓を打ちながら切り出した。
ダイレクトにおねだりしなくても、こう言えば伝わると踏んでいた。
なまえちんは優しいし友達思いだから、仲の良いオレには絶対プレゼントを用意しようとするはずだ。
「十月かぁ…季節的にはカボチャのお菓子が増えるけど、誕生日まで一緒くたにはしたくないよね」
なまえちんの腕は信じてるし、別に何もらっても美味しくいただけるんだけど。
お祝いだから、特別だからと家族以外に祝われることなんてそんなにない。今年からは家族にも直接祝ってはもらえないわけで。
そうなると、きちんと考えて悩んでくれる人が近くにいるのは素直に嬉しくて、口の中に残るマドレーヌの味も一層美味しくなった気がした。
「一応訊くけど…何か欲しいものある?」
「うん、お菓子」
「だよねぇ」
分かりやすく寄せられた眉を解いて振り向いたなまえちんに頷けば、やっぱりね、といった顔で苦笑される。
見透かされても仕方がないことだから、別段嫌な気はしない。
「形に残るものじゃなくていいの?」
「んー…オレ物欲はそんなにないんだよねー」
「食欲は全開なのにね」
「ちょっとーなまえちん馬鹿にしてない? オレの身体動かすためにはエネルギーめちゃくちゃいるんだかんねー」
「わかってるわかってる」
肩を揺らしながら笑うなまえちんは、絶対言葉通り分かってはいない気がするんだけど。
むっと唇を引き結ぶと慌てて謝ってきたから、許してあげることにした。
誕生日まで、あと十数日といったところ。
ちょうどその頃、なまえちんの元カレというやつが新しい彼女と別れたという噂を聞いた。
偶然耳にした話だったし、特に興味が湧いたわけでもなかったけど…何となく、なまえちんの反応は気になった。
今更何かが起こるとは思わない。例えば元カレに唆されたとして、もう一度やり直したりするほど、なまえちんも馬鹿な子じゃない。
だから、気になったのはもっと個人的な、感情の触れ幅の方だ。
動揺していないといいな、と思った。記憶を掘り起こしたりして、嫌な気持ちにはなってほしくないから。
それから暫く、なまえちんの顔色を確かめて過ごす日々が続いた。
続いたの、だけれど。
「はい、約束の出血大サービス! ハッピーバースデー敦くん」
そんなオレの心配は、全く必要なかったみたいだ。
他に気を回す暇もない様子で、誕生日当日までうんうん唸りながらメニューに悩んでいたなまえちんから差し出されたのは、パンプキンパイにマカロンクッキー、ベイクドチーズケーキ、フィナンシェ…といった数種に渡るお菓子の山だった。
どれもすぐに解かれてしまうのに、一種類ごと綺麗にラッピングを施されたそれらに、思わず垂れそうになる涎を飲み込む。
「なまえちん大好き…!」
「現金だなーもう」
喜んでもらえて何よりだけど、と呆れ顔を装いつつ笑っているなまえちんには、首を横に振って否定してやりたい。
手作りのお菓子には時間や手間が掛かる。まさか数種類も用意してもらえるなんて、いくらオレでもそこまでは想像してなかった。あったとしても二種くらいかなと、見積っていたのに。
ホールケーキじゃ学校に持ってこれないから…となまえちんが悩んでいたのは知ってるけど、ここまで頑張ってくれるなんて。
それだけ優しくされるほどの関係だって、言われてるようなものだと思う。
「現金でも何でもねーし」
こんな風に、これ以上の優しさを貰っていたのかな。
ぼんやりと覚えている男の顔を思い浮かべて、溜息を吐きたくなる。本当、お菓子もなまえちんも勿体ねーし。
昼食もそこそこに、プレゼントされたお菓子に早速手を伸ばした。
少し肌寒くなってきたけど、まだ中庭のベンチは陽当たりがよくて心地いい。隣に並んで座るなまえちんの目の前で、最初に開けたのはマカロンクッキー。口の中に放り込むと、さくりとした歯触りの後に挟まれたクリームが混ざりあう。コーヒーとチョコレートの風味が絶妙だった。
そりゃあ、これだけ美味しければ頬っぺたも弛むってもんだけど。
オレの顔を見てほっと緊張を緩めるこの子には、一言だけ、ちゃんと伝えておかなくちゃいけないことがある。
「あのさーなまえちん」
「ん、なに?」
「なまえちんは、お菓子を差し引くと成り立たないって思ってるかもしんないけど。お菓子がなくてもなまえちんのことは好きなんだからね」
「は……」
は、って何だし。やっぱり分かってなかったし。
結構態度にも出してたつもりなんだけどなー、と思いながらクッキーを咀嚼する。いつも通り、なまえちんの優しさが詰まったような味がする。
自分の性格はそれなりに解ってるつもりだ。だからこそ、誰かに優しさを返したいと思うことがどれだけ稀有なことなのかも、気付いている。
「あ、え…っと、ありがとう…?」
驚き固まって、それから少し顔を赤くしながらきょろきょろと、何もない周囲に目を配るなまえちんは、オレにしてみればやっぱり小さくて可愛い女の子でしかない。
「どーいたしまして。でもなまえちんのお菓子は食べたいから、作るのはやめないでほしいかなー」
「…ちゃっかりしてるね相変わらず」
「そりゃあねー」
なまえちんは大事な存在だけど、だからこそ貰えるものは全部欲しくなるものだ。
お菓子はまた別次元だもんね、と笑ったなまえちんは、まだそこまで思考が至ってなさそうだけど。
「オレは、なまえちんからなら何でも貰うよ」
少しだけ意味を込めた言葉に、一瞬、小さな肩が揺れて見えたのは気のせいなのかどうなのか。
どっちにしろ、今暫くはこの空気を手離すつもりもない。
プレゼントのご予約はお早めに「あのね、前に付き合ってた奴、いたじゃない」
「いたねー」
「なんか、今更になってまた話し掛けて来たりしてね…やり直したいとか何とか言われたりして」
「アララー。でもなまえちん、振ってやったでしょ」
「あはは…分かる?」
「分かるよー。じゃなきゃオレ会えないだろうし」
「そう。今更だし、それはちょっと嫌だなって思ったから」
「ちょっとなの?」
「ちょっと…じゃない、かな…」
照れ隠しに髪の毛を弄るなまえちんに、オレはすごく嫌かなー、と返そうとしたら、遮られた。
うん。やっぱり、ちょっとじゃないかな。
「今は私、敦くんとこうしてるのが一番楽しい。居心地がいいんだ」
そんなことを、照れながら、それでも嬉しそうな笑顔で言われたら、せっかく新しく手をつけたチーズケーキの味も判らなくなる。
それ、不意討ちって言うんだよ。
悔し紛れにじとりとした視線を送ってみたけど、自分でも体温が上がったのを感じたから、多分顔に出たと思う。
証拠に、ぱちりと目を瞬かせたなまえちんはとても面白いものをみたように吹き出してくれた。
(顔、赤っ…!)
(自分だって赤いくせに笑わないでくれるー)
(だ、だって敦くんが、照れてる…ひぃっ!)
(人の誕生日なのに爆笑すんなし…!)
2014紫原birthday
20141009.