どれだけ人当たりも付き合いもいい人間であろうと、溜まるものは溜まるし吐き出したい時は吐き出すもので。
常日頃から明るいだの器用だのと周囲から割に好評価を得ている我が友人、高尾は今日も、おこである。
「もーっマジ意味解んねぇ! なんなのオレがおかしいの!?」
「まぁまぁ落ち着きたまえよ…大丈夫だよ高尾はそこまでおかしくないよ」
「待って。それちょっとはおかしいってこと?」
いやぁ、ちょっと人より笑いの許容範囲が広いよなー…とか思うのは仕方がないことだと…。
へらりと笑って誤魔化そうとしたのだけれど、常人以上に目敏い高尾には通用しなかったようだ。みょうじちゃんの顔、とぶすくれた表情で指摘された。
いや、でもこれは外してない感想だと自信があるんだよ。高尾の笑い上戸な点だけは追随を許さないものがある。今の彼からはその要素も消え失せてはいるけれども。
今日は何時に家に帰れるのかなぁ…と、氷で薄くなったアイスティーを吸い上げながらオレンジ色に染まった硝子の外に目をやる。
夏に近づく空は、日が沈むのが遅い。試験勉強の手伝いに来ていたはずが、いつの間にか愚痴大会になる中学からの友人は、もう三十分以上は部活の相棒の横暴な振る舞いについて語り続けていた。
これはもう、今日のところは勉強は諦めた方がいいかもしれないなと、気付かれないように溜息を吐く。
これまでに何度叩かれたか、数えきれていないマジバのテーブルが、またばしりと叩かれた。
高尾はおこだ。
「大体我儘が三回許されるったって、気に入らない連中はいるっつーの」
「まぁ…見るからに特別扱いされてちゃ、周りからは反感買うだろうね」
「買うんだよ! なのに平気な面して改めないから余計な敵意向けられるばっかでさー、もー」
「ご苦労ご苦労」
ごつん、と音を立ててテーブルに落ちた頭が痛そうだ。慰めによしよし、と撫でてやれば、言葉にならない呻き声が返ってきた。
これは相当溜まってるなぁと、苦笑いしか出てこない。高尾という男もどうしようもないお人好しである。
(ほっときゃいいのに)
中学最後の試合からずっと、ギラギラと敵意を燃やしていたはずの相手に、肩入れし始めている友人の姿は見ようによっては滑稽なものだ。
倒したかった相手と近くで張り合う内に、よく見える瞳はその人の努力まで映しきってしまったのだろう。
元々世話焼き気質のある、損な奴だから。
自分の評価する人間が誤解を受けたり、不当な扱いをされるのは面白くないのだろう。そういう気持ちには私も覚えはあるし、下手に突っ込むつもりはないけれど。
「変なところくそ真面目で融通効かねーし…無意識で言葉足らずで敵作ってさー…見てて手も口も出ししたくなるっていうか、何でもっとうまくやんねーのかね?」
撫でられる頭は上げずに、へろへろと疲れきった声が呟く。そんな友人を見下ろす私は生暖かい目を向けることしかできなかった。
つまり、何だ。高尾ははっきりと口にしないだけで、周囲から反発されやすい緑間くんを滅茶苦茶心配しているということだ。
ツンデレなのか無意識なのかは知らないが、お前もちょっとは素直じゃないところあるじゃないか…と微笑んでしまう。
私の友人マジ可愛い。浮かんだ気持ちはバレないうちに飲み込んでしまって、今は垂れ流された文句に答えることにした。
「何でもかんでもは持ってないんじゃない?」
「…ん? どーゆー意味?」
テーブルに伏せたままだった顔が、軽く持ち上がる。
見上げてくる瞳は普段より力が抜けた無防備なもので、警戒心の抜けた動物のようだった。
「これは嫌味になるかもしれないけど、緑間くんからしてみれば…そうだな。勉強とか部活とか、一定レベルできない人の方が解らないんじゃないかなーって」
「…あー。何故人事を尽くさないのか!、って感じ?」
「それそれ。できる人間にはできない人間の気持ちは完全には解んないもんでないかね」
斯くいう私にも、言えたことだけれど。
ぱちりと瞬いた高尾の目を見つめて、笑う。
努力が空回りする人というのは、大体が無駄に完璧主義であったり、融通が利かなかったりすることが多い。
大勢の知っている近道を、知らないようなものだ。何故知らないのかと問い詰める意味はない。知らないものは知らないのだから、仕方がない。仕方がないくらい不器用で、真っ直ぐだということなのだろう。
例えば私は高尾を見ていて、思ったことがある。
もっと適当であれば、自分を追い詰めるような練習に明け暮れるほど、悔しさに苛まれることはなかったのでは、と。
中学最後の夏の大会、不本意な結果を突き付けられてギラついていた高尾は友人ながら、見ていて少し怖かった。苦しんでいることは分かっても、それならやめてしまう方が余程楽だろうにと、私は彼を見ていて思ったのだ。
「面倒臭いよね」
真っ直ぐな人間と付き合うのは、本当に面倒臭い。もっと楽になれと言い聞かせたくなる。
正してやりたくて、手も口も出したくなって。それでも、完全に同じ立場に立ちもしないで勝手なこともできない。そのもどかしさは私もよくよく味わってきたものだ。
にやりと口角を上げた私に何か感じるところがあったのか、高尾は気まずげに視線を落とした。
その頬が僅かに赤くなるのも、楽しい。
そう、気付いてくれたんだね、高尾。君も、そうなんだよ。
「あー…っと……ごめん?」
「別に? 私は好きで仲良くしてますから?」
「ははっ…はー、みょうじちゃんにも敵わねーよなぁ」
「耐えた月日が違うのでね」
「根に持ってんじゃん!」
ちょっと、と慌てた動作で姿勢を正した高尾の姿に、つい吹き出してしまう。
少し遊んでしまったけれど、私もそこまで真剣に根に持っているわけじゃない。ただ少し、どうしようもなさげにしている愛しい友人にアドバイスの一つでも送ろうと思っただけだ。
実例がある方が、安心できるだろうから。
「どうせ解んないものは解んないよ」
「え…それオレに当てられてるんだったら傷付くんだけど」
「話は最後まで聞きなさい」
一瞬で渋い顔になりかけた高尾に、投げ遣りな気持ちで言っているわけではないから、と掌を向ける。
胸にあるのが諦めだけなら、今こうして向き合う時間だってなくなっていたはずだ。
「解らないものは解らない。仕方ない部分はあるよ。でも、解ろうと歩み寄ることは無駄ではないだろうと思う。私は」
「……お、う」
「少なくとも私には無駄じゃなかった。どうよ?」
「うん。いや、何か…うおおやべぇ恥ずい!」
「おっとここで高尾くん貴重な照れ顔ですねー」
「みょうじちゃんそーいうのやめて!」
テーブルに置かれた腕めがけて、またもばったり倒れ伏す高尾の耳は赤い。というか、伏せる前の顔も赤かったし目は合わないようにうろうろとさ迷わされていたし…って、相変わらず私の友人は可愛いなおい。
自分は割りと気持ちに正直なくせをして、直球の好意にはとことん弱い男に、私は再び吹き出しながら手を伸ばしたのだった。
待たずに起こせと風は云う「高尾ー」
廊下を歩いていて反対側からやって来る影に声を掛けると、ぱっと振り向いた顔が気安い笑顔を浮かべる。
「おーす。どっか行くとこ?」
「いや、ちょうどよかったわ。高尾に渡すものがあってね」
「なーに…って、お守り?」
開いた手の上にほい、と乗せてやったのは、明るいオレンジ色の小さな袋だ。
霊験灼かと名のある神社まで、わざわざ出向いて手に入れてきたもの。説明してやればさすがに高尾も驚いて、おお、と目を瞠った。
「ん? でも何で二個も…」
「ああ、それ片方は緑間くんにあげてよ」
「はっ? 何で緑間!?」
意味が解らない、と顔中に書いてくる高尾に、私は首を傾げながら穏やかに笑い返す。
「何でって…そりゃあ、うちの高尾をよろしくって意味をこめて」
「だからっ…みょうじちゃん、そーゆーのやめて? その保護者の顔マジつらいからやめよう。な?」
「愛だよ、愛」
「半分面白がってんだろ!」
失礼な。面白がっていたとしても、きちんと愛情あってのことだというのに。
先程まで友人の隣を歩いていた男子が、何を騒いでいるのだよ、と顰めた顔をしてこちらに近付いてくる。
げっ、と頬を引き攣らせる高尾を含めて、私はその光景を、ただ笑いながら見守るに徹した。
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6番【丹色・薫風・空回る】20140901.