※なんちゃってホラー要素あり






ヤバい。これは本気でヤバい。
淀んだ空気にムカムカと込み上げてくる吐き気を堪えながら、今私は必死に室内に目を走らせていた。

普段両親が帰宅するまで、凡そ一時間半。つまりは西日も弱まる夕刻。
この時間帯は必然的に一人で過ごさなければならない時間とあって、普段から充分に警戒していたつもりだった。

何故ならば。



「おーい」

「っ!」

「なまえー? 中にいるんだろ? ちょっと用あるから開けてくんねー?」



こつんこつんと叩かれるリビングの窓に、ソファーの上で転た寝していた身体をゆっくり起こしてから目を向けた。
少しだけ、ほんの少しだけ期待していたのだけれど…やっぱり、駄目だった。裏切られた期待に涙が溢れそうになる。

庭に繋がる大窓から聞こえてきた声は、物心がつく頃から仲のいい幼馴染みのもの。だったのだけれど。
些細な隙間からどろりと濁った液体か影か判らないものが、床にまで這い出してきていた。

思わずヒィッと情けない声が出る。



「もうやだぁ…っ」



キモい! 怖い! そして寒い!!
ぞわっと身体を襲う悪寒に、急かされた私の行動は速かった。

こんな時の為に手元に置いておいた、除菌もできる衣類用消臭剤様を近付いて来ていた影に吹き掛けて勢いを弱めたところで距離をとる。それから自分には肌身離さず持ち歩いているオードトワレを吹き掛けて、窓とは逆位置にある扉へと方向転換した。



(っ! こっちも…!)



途中キッチンを横切る際に溢さないように塩を握り混み、玄関へ走り出てまた心が折れそうになる。
外へ繋がる扉を塞ぐように佇む黒い影はゆっくりと人の形をとり始めるものだから、込み上げる恐怖心も割り増しだ。
しかし、逃げ場はここしかない。突っ切りたくなくても突っ切る他に私が無事にいられる道はないのだ。

大丈夫これくらいなら突っ切れる! 女は度胸だ頑張れ私…!
引き攣りそうな喉を撫で、息を吸い込んで溜め込む。呼吸を止めてスリッパを引っ掛け、おどろおどろしく姿を変えつつあった影を走って通り抜け、扉を開けた。すぐに玄関は閉めたけれど、鍵まで掛ける余裕はなかった。
こちらの動きを待っていたように、途端にどろりとした影も庭側から回って来たからだ。

走り出す前に自分に塩を振り掛けて避けたけれど、これも万能とは言い切れない。とにかく避けることしかできないから、避けまくっているだけだ。
襲ってはこない得たいの知れないものからダッシュで逃げ出し、走り込む先は決まっている。

目当ての場所は、数件の家を挟んだ先にあった。
敷地内に走り込んだ瞬間にスッと軽くなった肩に反動で泣きそうになりながら、一応インターホンは押したものの返事は待たずに扉の取手を握る。



「毎度すみません! お邪魔させてください…っ!」

「はーいって、あらぁなまえちゃんいらっしゃい。和成ー、なまえちゃんが来たわよー!」



玄関先へと出てきてくれた女性は、ふわりと暖かな空気を纏っている。漸く安心して崩れ落ちかかる私の奇行に、長い付き合いで慣れている幼馴染みの母親は何の疑問もツッコミも入れずに部屋の奥へと声を掛けてくれた。

入れ違いにやって来たのは今度こそ間違いない、ちゃんとした人間で私の幼馴染みだ。
帰ってきてシャワーでも浴びた後なのか、部屋着に適当なパーカーを羽織って少し湿った頭を掻きながら廊下の奥から現れたそいつに、私は遠慮なく突撃した。いや、抱き着いた。



「かずぅぅぅっ!」

「おー和だぜー…っと。またヤバいのでも来たん?」



締め付ける勢いで背中に腕を回しているというのに、特に文句もなくぽんぽん、と肩や背中を叩いてくれる手付きに涙が滲む。
よかった、助かった。そう思うと全身から力が抜けてしまいそうになる。



「ごわがっだぁぁぁぁっ」

「ぶっ…声やべぇ!」

「笑い事じゃないぃぃーっ」



塩を被った時よりもよっぽど効果のある掌に助けられながら、小刻みに震える背中を叩く。



「こっちは! 死ぬかと! 私はっ!」

「あーうん、ごめん。で、やっぱ出たんだ?」

「か、和の声で誘き寄せようとしてた…っ」

「うわマジ? えげつねぇなー」



ぼろっと溢れた涙にさすがにまずいと思ったのか、笑いやんでくれた幼馴染みの顔はすぐに真剣なものになる。
今更ガクガクと震えだす私を撫でながら、とりあえず帰って掃除するか、と言ってくれる声に冗談やからかいの色はない。



「それにしても、最近やけに来るよなー」



しっかりと手を繋いで家まで送り届けてくれる和成は、私と同じく敏感な質だ。
二人とも人ではないものが見える特性を持っているのだけれど、私と和成ではそれらに対する影響力に格差があった。

私は敏感な上に危ないものを引っ掛けやすく、和成は逆に追い払いやすい体質とでも言うのだろうか。陰陽で分ければ確実に陽のパワーが満ち溢れているらしく、悪いものを感知したとしても、憑く憑かない以前にあちらの方から避けられるタイプなのが和成だった。

スペックの低い私がそれらから逃げるために、昔から幼馴染みに引っ付いて回っているのも必然というやつだ。
和成といれば危険な目には絶対に遭わないし、和成が整えたものは長い間汚されにくい。掃除というのはそういうことで、一度汚された家の中へも和成が入ってくれさえすれば自動的にクリーニングされる。ルンバなんかより余程便利な人間洗浄機ならぬ人間掃除機だ。
全く、幼馴染み様々というやつである。今こうして無事に存在している私であっても、こいつがいてくれなかったことを思うとゾッとする。



「しっかし引っ掛かるよなー。別に掃除欠かしたとかじゃないんだろ? お守りも壊れてねーし…」

「命に関わるかもしれないのにそんな無謀なことしないよ…」



難しい顔をしながら訊ねられたことに、まさかと首を横に振る。けれど、左手にはめてある数珠も和成が触ってくれるまでは随分と淀んでいた。
確かにここ最近妙な影に付きまとわれることは増えていて、気を休める余裕がない。だから今日も転た寝してしまって、寸前まで逃げ遅れてしまったのだ。



「だーよなぁ…でもなまえが昔と比べて格段に憑かれやすくなってるのは間違いねぇし…学校とかは? オレいなくてヤバくねーの?」

「あー、学校では和並みに寄せ付けない人がいるから、早めに通って暫くの間その人の席に座らせてもらってる」

「そっか。まぁ対処できてんならいいけど…家がこうだしなぁ」



夜の闇の所為だけではなく、どんよりと重い空気を立ち込めさせた我が家に辿り着くと、先程の光景が蘇ってつい尻込みしてしまいそうになる。
それに気付いたのか、ぎゅっと力を込められる右手のお陰で留まることはできた。

私は本当に、こいつがいないと生きられない気がする。



「よーし、さっさと片付けて落ち着こーぜ」

「うん、高校は一緒に通おうね」

「おー…いや、え? 突然どした?」

「学校でもやっぱり和がいないと、死ぬ気がするから」



そんな話してなかっただろ、と言いたげな顔つきで振り向く幼馴染みの手は、今も今までも私を外敵から守り続けてくれているものだ。

有り難いだけでなく愛しいんですよ。そんなこと、口に出すのはとても恥ずかしくてできるわけがないけれども。



「和、私頑張って稼ぐから結婚しようね」

「ロマンねぇ! つーかそこはオレが稼ぐだろ!」



ぶほおっと吹き出す反応なんて予想通りだ。
私が口に出せるのはせいぜい笑い飛ばされる冗談程度だから、それで構わない。
構わなかったのに。



「料理上手になってくれた方がオレは嬉しいけど」

「…じゃあ家事を万全にこなせる嫁を目指そうかな」

「よし、それで行こうぜ」



軽口を飛ばすようなやり取りは妙に、軽さをなくす。けらけらと笑う声は長くは続かなくて。
悪寒を感じるわけでもないのに重量を増したような空気に、必要もないのに出てきた時と同じように息を止めて玄関を潜った。








手離さないよマイヒーロー




帰る家が一つになれば、きっと囲って守ってもらえる。
少しばかり歪んだ喜びを抱いてしまうから、付け込まれるのかもしれないなんて、密かに考えたりもして指に力を込めるのだ。

怖いのは嫌いだけれど、あなたがずっと傍にいてくれる理由になるなら我慢できるよ。なんてね。

20140510. 
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