好きだと言った部分を挙げて嫌になったなんて言う、男なんて本当に信用ならない。

高校三年、夏休み前。今度こそ信じ続けられると思った私の恋は、水に濡れた紙のように容易く破れた。



「だから…疲れんだって、お前の相手」



嫉妬も執着も激しいし、すぐ泣くし気持ち悪いくらい落ち込むし。
別にわざとじゃないんだろうけど、空気読めねぇのもイラつく。もうオレは付き合えない。無理だから。

数秒前まで春を引きずって弛んでいた頭を、横から思い切り殴られたようだった。
私を呼び出した男との交際期間は、もうすぐ三ヶ月というところ。最近は連絡が途絶えがちだとは思っていたけれど、まさか別れ話を切り出されるとは考えもしなかった。
うまくいっていると思っていたのだ。今までで一番優しい言葉をくれたから。私の全部を受け入れてくれる人が現れたんだと。だから今日も、途切れがちだった時間を取り戻すように一緒にいられると。

思っていたのに、また落ちる。



「そーゆーことだから」



そーゆーこと。とは、どういうことなのか。
少しも理解が追い付かない。

好きだって言ってくれたのに。全部可愛いって、言ったくせに。
わけも解らないまま、心臓が引き絞られるように痛んだ。壊れた涙腺からぼろぼろと溢れ落ちるものを目にしても、彼は鬱陶しげに眉を顰めるだけでそれ以上何も言わずに私に背を向ける。



「っ…まっ…」



待ってよ。そう、口にしたかった言葉は喉に引っ掛かって嗚咽に変わった。
身体中に痛みが散らばって、思考が黒く塗り潰されていく。

信じたのに。信じ続けようとしたのに。裏切られた。
離れていく背中を、それでも追おうとした。まだ私は納得なんかできない。
校舎の中へ消える姿を躓きそうになる足を引きずって追い掛ければ、渡り廊下に差し掛かったところで耳に入ってきた声に私の足は止められた。



「連敗やなぁ」



一体、いつからそこにいたのか。
自販機の陰に隠れていたらしい顔見知りの姿に凍り付く。中身の満タンなペットボトルを手の中で揺らしながら通り過ぎることができなくなった私を見下ろしてきた男は、普段と変わらない胡散臭い笑みを浮かべていた。



「い…っま、よし…くん…」



ぎくりと、少し違う感覚で心臓が痛む。この男には見られたくなかった。

同中出身で、何度かクラスが同じだったこともある今吉翔一とは、特別親しい関係を築いていたわけではない。
けれど、親しくないなりに大凡の性質は知り合った距離感を保っている存在ではあった。
連敗、という言葉もその数を数えられて吐き出されたものだろう。昔から変わらない私を、知っていての台詞だ。

賢く人を食うような性格をした男が、私は苦手だった。
見下されて、馬鹿にされている気分になるから。顔見知りとは本当に言葉通りのもので、必要に迫られなければ会話も交わさないような関係だ。
胸を引き裂いた痛みに、苦いものを飲み込んだような不快感が重なる。

弱味を晒したくなくて濡れきった頬を手で拭っていれば、トン、と肩を叩くものがあった。



「まぁ、ドンマイ。次また頑張り」



冷たいペットボトルの底が、肩から離れる。



「…ぎっ…」



何のために声を掛けたのか。同情か、揶揄か。どちらかは判らない。
けれど、踵を返した背中。それがつい先程の光景と重なって。重なり過ぎて、ぷつりと、何かの糸が切れてしまった。

馬鹿に、している。



「次って、何よ! 次なんかない…っ!」



もうこれで何度目の失敗かも分からない。分からないけれど、次なんてないことは知っている。
好きで大好きで、信じようとした目の前にいた人は、二度と帰ってこないのだ。
やっぱり好きだからやり直そうなんて、一度だって言われたことはない。

勢いよく、八つ当たりのようにシャツを掴んで引っ張れば、軽く驚いた声を上げた男が振り返る。
引き留めても意味はない。これは私が欲しい、彼じゃない。頭では解っているのに、ぐちゃぐちゃに壊された心が悲鳴を上げた。

何で誰も、私を好きでい続けてくれないの。



「可愛いって、言ったのに…!」



可愛いって、好きだって、言ったその口で、みんなして嫌になったと言うのよ。

嗚咽混じりの自分の声が、余計に胸を抉った。



「嫉妬しても、それだけ好かれてる気がするって! 抜けてるのも可愛いって…! なのに、何でよっ」

「…あー」

「そこが好きって言うくせに、そこが嫌になったって、何でよぉ…!」

「ええから落ち着き。ワシが泣かしとるみたいやんか」



壊れた気持ちが涙に混ざって、どろどろの液体になって身体に溜まっていく感覚がする。
崩れ落ちそうになる膝は、何故か捕まれた片手首に支えられるように立っていた。

もういっそ、死んでしまいたい。甘ったるい嘘で暴いて信じさせて、いなくなる男に期待もしたくない。
引き攣る喉の所為で呼吸をするのも苦しいのに、引き留めた一瞬以降、微かな動揺も見せない男にも胸を切りつけられた。



「まぁ、頭弱くてほいほい言うこと聞く女なんか、男にとっちゃ都合ええ玩具やしなぁ」



傷口に塩を塗られるどころじゃない。突き立てられたままの刃先をそのままぐるりと回されるよう。
馬鹿にしきった言い方に、一際大きな涙がぼろりと落ちていった。



「……な…っ」

「飽きが来た頃ポイっと捨てられても、なーんもおかしい話やない」

「っ……ひど…」



情け容赦の欠片もない。
食えない人間だとは知っていても、泣いている女を前に更に傷を深める口を利くなんて。
信じられない気持ちと、下に見られている怒りが混ざり合う。
潤んだ視界で睨み上げた先、私を見下ろす男の顔は予想通り中身の見えない笑みを貼り付けていた。

みょうじこそ、と。珍しくまともに名前を呼ばれる。



「甘やかして可愛がってくれる男なら、誰でもよかったんとちゃう」



昔っから適当な男ばっか引き連れとったやん。

冷たく蔑みも露な声に、ばくんと身体の奥が跳ねた。
捕まれたままだった右手首は、抑えられていなければ憎たらしく笑う顔を張り飛ばしていただろう。
見開いた目も、震えた唇も、見下ろしてくる男の前では誤魔化しが利かない。

咄嗟に何も答えられなかったのが、答えのようなものだった。



「っしかた…ないじゃない」



ああ、もう。
総崩れだ。

敵うわけがないことは解っていたけれど、まるで歯が立たない。
意地もプライドも潰されて、吹けば飛ぶごみくずのような自分しか、残らない。
解っていたけど、悔しくて、悲しくて堪らない。



「私は、馬鹿だし、面倒くさい女だって…それくらい自覚してるっ…」



ろくな男に捕まらないのだって、自分がろくでもないからだ。
信じたいと言いながら信じられなくて、信じさせてと泣き喚く。我儘で周りの見えない子供と同じ。他人を引っ掻き回して自分を自分で振り回しているんだから、ずっと質が悪い。

でも、変われない。私を愛してくれる人もいなければ、変えてくれる人もいなかった。
見捨てないで引っ張り出してほしいのに、みんな最後は手を離して、私を深い穴に何度も突き落とす。



「頭がいい人は、間違わないんだろうけど…っ」



私は馬鹿で、愚かなのよ。

あんたなんて、こんな気持ち、きっと一番解らない。



「なら、賢くしたろうか」



だからもう何も言わないでよと、続けたかった言葉は途切れた。
鼓膜を震わせた声、その意味をすぐには理解できなくて、詰まった喉がひくりと痙攣する。



「な…に…?」

「ずる賢く、なったらええやん。もっと楽にもなれるやろ」



確かにみょうじは馬鹿やけど、と口にする男は遠慮がない。

何が面白いのかつり上がる口角は、唖然と固まる私に向けてゆっくりと形を変えた。







再教育




「根っから教育しなおしたるって、言うとるんやけど」



繰り返される寸劇も見飽きてしまったと笑う男に、背筋に寒気を感じて逃げたところで今更手遅れだろう。
熱くなった目蓋にくっ付けられたペットボトルは気温に逆らうように冷たく、荒く波立っていた心を塞き止めた。

20140506. 
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