親しき仲にも礼儀あり。
この言葉を、今ほど目の前で涼しい顔をしながら彩り豊かな弁当に手をつける幼馴染みに叩き付けたいと思ったことはない。
「征…今、何つった?」
「お前の耳は飾りか」
「あんまりにも現実からかけ離れた言葉が聞こえた気がしてね」
「バスケ部マネージャーの入部届けを出しておいた。そう言った」
「なるほど…って納得するわけないでしょーがあぁっ!!」
何勝手なことしてくれとんじゃい!!
ばん、と机を叩いて抗議すれば、食事中に騒がしいぞ、となんとも冷静な一言が返ってきた。
一体誰の所為だと思っているのか。間違いなくお前の行動が原因だろうが。
そう叫んでやりたい気持ちはあれど、どうせ何を言ったところでこの何様俺様赤司様が涼しげな表情を崩すことはないので、ぐっと堪える。
大人になれ、私。こいつの自己中は今に始まったことじゃないでしょ…!
(とは言え…マネージャーとか嫌すぎる…!)
うおお、と頭を抱える私の目の前、向き合って机を囲んでいる幼馴染みは、食事の動作すら洗練されて美しい。そこがまた更に腹立たしい。
その綺麗な髪を引っこ抜いて、ニキビ一つない頬を掴んで、無駄なく引き締まった身体に固め技をかけてやりたい…と奥歯を噛み締める私のことなど露も気にせず、征改め征十郎は今日も暴挙を振りかざしてくれるのだ。
「何で…ただでさえ恨まれてんのにマネージャーとか…私への拷問か何かなの!?」
そう、私はこの帝光中学において、既に取り返しがつかないほど悪意を買っていた。
何故か。勿論、今現在も目の前にいらっしゃる暴君のお陰様だ。
幼い頃より共に成長してきた赤司征十郎という人間は、それはもう出来すぎるほど出来すぎた人間で。
何をやらせても誰一人として敵にならない、しかも童顔気味ではあっても美形ということで、征十郎は多くの女子から人気があった。
その風格に恐れを抱かれ、近寄ろうとする人間は少なかったが、密かにかなりモテているのだ。
そしてそんな征十郎と幼馴染みという間柄の所為で、必然的に長い時間共に過ごしてしまう私という存在は、彼女らにとっては所謂目の上のたん瘤というやつで。
確かに私も、何の特性も持たない自分が征十郎と幼馴染みでいるなんて、引け目を感じないわけではないけれど。
でも、産まれる場所も環境も、自分で選べるものでもないのだから仕方がなくて。今更、報復が怖いから離れる、という選択肢が浮かぶはずもなく、ずるずるこの関係は続いている。
いや…過去に一度だけ、離れようと試みたことはあった。
思春期に友人らしき友人がおらず、女子集団から厳しく当たられるという苦しみに耐え兼ねて、もう征十郎に近づかないようにしよう、と決心したことはあったのだ。
何故か張本人に気づかれた瞬間望みは潰えたけれど。
「別にいいだろう。帰宅部なんだから」
「よかないわ! 征は女子の怖さを知らないんだよっ!」
今でさえ校舎裏呼び出しが絶えないというのに、これで部活時間まで一緒に過ごすとなるとどうなるのか。
恐ろしすぎて想像したくもない。
いじめとか、リンチとか、それ以上に最悪な展開が簡単に浮かんで心臓が縮み上がる。
もう一度言うが、私は本当に、何の特性も持っていない一般女子なのだ。
怖いものも苦手なものもいくらでもあるし、手を出されても必死に回避することしかできない。捕まってしまえばそこで終わりなのだ。
半泣きになる私に漸く目を向けた征十郎は、やはり特に気にした様子もなくふ、と小さな溜息を吐き出す。
嘆息したいのはこっちだ。
(部活の入部届けって、受理されたら取り消せないわけじゃないよね…?)
ああ、でもこいつが手続きしたって言うなら簡単にはいかない気がする。
ぐるぐると、そう賢くはない頭をなんとか動かして思考していると、食事を終えて弁当箱を仕舞い始めた征十郎は何故か唐突に語り始めた。
「黄瀬が入部してから、それ目当てのマネージャーや希望者が増えてな。うまく機能しなくなり始めたんだ」
「あー、あのモデル…でもそれ私に関係ないからね!」
ていうか今話しかけんな! 考え中!!
びし、と掌を向けてストップを表せば、何故か伸びてきた手に握られる。
え、こいつ何してんの?、と思ったのも束の間、征十郎はゆっくりと一度、目蓋を閉じた。
(あ、やば)
反射的に引き抜こうとした手にはがっちりと力を入れられて、嫌な予感がぶわりと広がる。
これは、まずい。
「信頼のおけるマネージャーが、殆どいないんだ」
「そ、れは大変だねー…」
「練習が機能しなければ試合は言わずもがな…だけどオレには勝利を勝ち取る責任がある」
「……が、頑張れ。応援してるから」
引き攣る顔を軽く背けて、視線を宙にさ迷わせる。
逃げたい。超逃げたい。
びしびしと突き刺さってくる幼馴染みの視線が、私の良心を突いてくる。
こういう時、絶対に征十郎と目を合わせてはいけない。合わせればその眼力に飲み込まれて、問答無用で頷かされてしまうから。
そんなことは理解できていたのに、くいくいと手を引かれて、つい視線がそちらに向いてしまった時、私の日常は完璧に終わった。
「なまえ…」
「…くっ」
「オレが一番信用できるのがお前だって、解るだろう…?」
捨てられた犬が、くぅんと鳴いているような。
悲しげな目に切望を抱かれて、しかもその童顔をこてりと傾げられて。
お願い、と口にするよりぎゅっと握りこまれた手に、完全に良心を突き刺された。
それが演技であると知っていても、決してこの幼馴染みを嫌いになれない私にとってはどうしようもなかった。
それが征十郎の計算でも、どうしようもなかった。
あざといんだよ!思わずこくりと頷いてしまった私は、その後目の前でゆるりと持ち上がっていく口角に、冷水を浴びせられたような気分を味わわされるのだった。
「それじゃあなまえ、今日から早速指導に入るから逃げるなよ」
「き、今日!? っていうか…あああ…私の馬鹿ぁぁあ…っ!!」
結局こうなるんじゃん…!
言質取ったり、と爽やかな笑みを浮かべる幼馴染みは満足げで、その長い足を踏んでやりたいと思ったけれど、結局できずに終わるのだ。
演技でも何でも、こいつが甘えを見せるのは私くらいのものだとも、悔しいことに理解させられているのだから。
20121021.