劇的な何かが降りかかったとか、非現実的な誰かが宣告を齎しただとか、そういったことは全くなかった。

昨夜私はいつものように風呂上がりのスキンケアを済ませて髪も念入りに乾かし、次の日、つまりは今日に当たる日の予定のために早めにベッドに入り、眠りについた。
そこに普段と変わった部分があったかと訊かれれば、殆どないと答える。
ベッドに入る時間はいつもより早かったかもしれないが、それだけでここまでのビックリ現象が起きるとしたらそれは最早私の知る日本…いや、地球ですらないだろう。

でも、それなら…これは一体どんな事情なの。



「…どうなってんの……?」



鏡に写る、幼さを残したその頬にぺたりと手を当てて確かめた。

これは、夢…?



(いや…夢って判る夢なら覚められる……)



夢なら意識して目を開ければ済む話だ。けれど、いくら意識してそうしてみても目の前の現実は変化の兆しを見せない。
ぺたぺたと何度か頬を叩けば、鏡の中の少女も同じように動く。鏡なのだから当たり前と言えば当たり前だが、それにしては像がおかしい。

だって、見るからに若いのだ。
そこまで歳を食っているわけではないけれど、私はもうお世辞にも少女と呼べる時期は過ぎ去った大人であったはず。
まさかそこまでの記憶の方が夢でした…なんてことは、さすがに受け入れられない。

夢というには鮮明すぎるほどに、就活と卒論のダブルパンチに耐えきり無事に単位も獲得して卒業した記憶が、入社式にも出席した記憶がありありと残っている。
でも、それでも、鏡に写る自分の姿には確かに覚えがあって。



「解らん……」



痛む頭を抱えて、とりあえずは鏡から遠ざかってみる。
そもそも私は大学からはマンションを借りて一人暮らしをしていたはずで、この見覚えがありすぎる…というか、中学から高校時代を過ごした実家の自室に帰った覚えもない。
目が覚めてまずその現実に驚いて、辺りを見回してみれば姿見に写ったのが若すぎる自分の姿だ。全く意味が解らない。

どうしてこうなった…と考えても、答えは出ない。心当たりもあるはずがなかった。
こんな妙な現象が起きることに心当たりがある方が怖いけれど。



「とりあえず……どうしよ…」



あははー、と乾いた笑みを浮かべながら、視線を向けた先には一つだけ、それだけは見覚えのない真新しい制服がチェストの取っ手に下がっていて。
中学か、高校か。どっちにしろセンスは悪くない制服だけれど、まさかこれは…と、再び悩む。

この部屋にあるということは、私のものに違いはないのだろうけれど。
しかし、制服を着る歳は疾うに過ぎ去った私には、それに袖を通すという行為は酷く恥ずかしいことのように感じる。



(でも、この外見ならギリ義務教育内…なのか…?)



いや、制服云々より先に気にすることは沢山ある気はするのだが。
でも、もうぶっちゃけ何から気にすればいいのかよく判らなくなってきたというか。

私これからどうすりゃいいの…?

内心泣きたい気持ちでベッドにリターンしてしまおうかと思った時、耳に馴染んだ声に呼び掛けられなければ心が折れていたかもしれない。



「奏ー? 奏ちゃーんっ? 起きてるー?」

「! はっ、はーい!」



扉の向こう、恐らくは階下から呼び掛けてくる母の声に、中学や高校時代にそうだったようにほぼ反射的に応えてノブを引いた。
やってしまってから一瞬びくつくも、先に続く廊下や階段、壁を飾る絵画の位置は記憶通りのもので安心する。
それに、母の声も。間違いなく別人のものではないことに、脱力しかけるくらいには安堵した。

とりあえず、ここは実家で間違いないらしい。どうして帰って来ているのか、若返っているのかはまだ、解らないけれど。
しかし、この現象を母に何と伝えよう。娘がいきなりワープして更に若返りました…なんて、普通に考えて受け入れられるはずがない。



(いや…待てよ?)



起きてる、と訊かれた。私がいることが前提で、声をかけられた。
ということは、それが母にとっては当たり前であるということではないか。



「………ヤバい。解らん」



だからつまり、どういうことよ…っ?

頭を抱えてみるも、既に考えるのも面倒になってきている。
なんだか投げ遣りな気持ちにもなって、えぇいくそ!、と階段を半分ほど降りてみた。
もう驚かれてもいいから状況を把握させてくれ。

すまぬ母よ、と心の中で叫びながら階段から正面に見えるキッチンを見下ろせば、朝食の準備をしていた横顔が振り向いた。

その瞬間、私は息を飲むことになる。



「おはよう…ってまだパジャマ着て! 今日から転入するって忘れてないでしょうね!」

「……わっかぁ!」

「は?」



明らかに顔のハリが違う母の姿に、思わず素直な感想が口から出てしまった。
22歳である私の母親として相応しい姿より、数年分は若い。

愕然としながら、私は無意識に溜まった唾を飲み込んだ。
首を傾げる母の年齢がおかしい。けれどおかしいのは私も同じで、しかも困ったことに、意味が解らないなりに解ってしまった気がするのだ。

おかしいのは周囲の状況でも母でもなく…私一人の、意識なのだと。



「ほら、早く準備して! 新しい中学楽しみにしてたのあんたでしょ?」

「あ、はい…うん…」



急かす母に押されるように階段を登り直しながら、私は更なる混乱と戦っていた。

どうしよう。若返っているのは私だけではなかったようだ。
そして話を聞くに、どうやらやっぱり制服を着るはめになる。

ああ、もう誰か、誰でもいいから教えてよ。



(何がどうして、こうなった…?)



昨日の夜は、いつも通りに過ごしていたのだ。これは、本当のはず。

なのに、どうして時間が退行してんの…!



「わっかんないわ…」



しかも、今の私は中学生…?
でも、制服のデザインには覚えがない。

まるで軸がずれたような感覚に、目眩がする。
確かに私は中2の時期に一度、両親が新居を構えたという理由で転校を経験していたけれど。



(単純な退行じゃ、ない)



私があの頃着ていたのは黒のセーラー。それに、“帝光中学校”なんて学校名は耳にしたこともない。
その文字が刻まれた学生証を机の上に見つけて、手に取ってみながら深く深く、疑問すら追い出すように溜息を吐いた。

わけが解らない。それでも一応、当たり前な振る舞いをするべきなのだろうか。








見知らぬ世界との邂逅




前触れもなく、唐突に変わった私の世界。
慣れる慣れないを考えるより先に、情報が不足し過ぎて頭が痛かった。

20130110. 



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