本来ならば可愛い可愛い我が友人達に囲まれていたであろうランチタイム。
現実は虚しく、私は私を職員室まで呼び出した担任兼日本史担当教員と、お互い真顔で向き合っていた。



「1716年、享保の改革」

「徳川8代目将軍による、百姓以外にはわりと評価された政策」

「百姓に評価されなかった理由」

「凶作の時には年貢が少なく済んでいた検見法から、毎年一定の年貢を納めさせる定免法に切り替わったことですね。豊作であれば年貢が少なく済むところが運悪く江戸三大飢饉の中の一つ、享保の大飢饉が起こって百姓には餓死者が続出したとか」

「…なら、その将軍の働きで主に評価された部分は」

「目安箱の設置、公事方御定書という公平な裁判を行うためのマニュアルの制作。目安箱に集まった意見から病院や消防組織を作りもしてます。飢饉の時でも安定して収穫できるサツマイモも栽培させたり、工夫はしてるんですよね。忘れちゃいけないのは洋書の輸入を解禁したことで、国は鎖国していても文化的には開国されて大きく前進したはずで…ああ、でも目安箱なんかは保科なんちゃらとかいう人が過去既に執り行っていたらし…」

「もういい。で、その将軍の名前は」

「暴れん坊将軍」

「オイ」



すぱんっ、と鮮やかな平手を頭に食らった。
児童虐待だ暴力教師だと世間で取り上げられやすいこのご時世に、気持ちがいいくらいあっさりと手を上げられた私はじわりと遅れて痛みの滲む箇所に手を当てながら唇を尖らせる。
雑に扱われるのは別にいいし気にしないけれど、その場で形だけは暴力反対!、と訴えておく。

それに私だって、ちょっとは本気で向き合っているのだ。
さすがにさっきの解答はふざけていた自覚はあるけれど、それだってそれなりに事情あってのことで。



「だって、答えても間違いだって先生言うじゃないですか」



記憶にある正しい名前を述べても、ふざけていると受け取られるのだからどうしようもない。
強く不満を訴えれば、同じように荒い口調で当たり前だ!、と返された。
何だかんだ生徒に甘いところのある先生なのに、段々と私だけ扱いが雑になっていっているのは恐らく気の所為じゃない。

私がちょっとやそっとじゃ傷付かない図太い神経をしているということは、もう知られてしまっているのだろう。
慣れてくれたのはいいが、そこのところはとても遺憾だ。私だって女の子なんですよ先生。一応中身も年下なんですよ先生。



「徳川吉宗なんて人間は存在しない! 歴史の流れは掴んでるのに何で人名が全く正解しないんだお前!」



ぱん、とその手が叩いたのは、先日行われた定期考査の答案用紙だ。赤の入れられた用紙を覗きこめば、一ヶ所にペケが片寄って並んでいる。他は丸で埋まっているのに、人物名の欄だけがペケだらけ。これには私だって乾いた笑いしか出てこない。

そう、問題はこれだ。この認識差が誤解を生んでいる。
基本的には殆どの教科、悪くはない成績を修められたはずだ。何しろ人生二度目の中学生活なのだから、元々の知識がある。
社会科だって苦手教科ではないし、それなりの点は稼げるはずだった。いや、稼いではいるのだ。……人名以外の欄を全問正解することで。

だから、どうしようもなさげに頭を抱えた周防先生には悪いけれど、私の方が何で正解じゃないんだ、と突っ込みたいんですよええ本気で!



「私の教科書には宗さんがいましたもん。寧ろ吉朝って誰だよ…よしあさ? よしとも? Who is this?」

「8代目将軍だって言ってるだろ…っ」

「もうよっしーでよくないですか、よっしー。ほら、フレンドリーな感じでより一層歴史を身近に感じられますよ周防先生」

「ふざけるなよ…ふざけるなよお前……世界史の鈴田先生も怒っていいのか判らないと言ってたんだぞ」

「残念ながら私これでも大真面目なんですよ」

「嘘だろ…嘘と言ってくれ」



お前の脳の中身が解らない…とか細い声を出す先生には本当に申し訳ないが、私だって嘘だと思いたい。

今まで頭に蓄積してきた歴史上の人物名が、教科書内で九十パーセント近い確率で書き変わっていたなんて。



(聖徳太子が厩戸皇子に書き変わったとか、そういうレベルの話じゃないわ…)



甘かった。わりと得意な教科だからと適当に内容を復習った所為で、人名まで目を通していなかったのは私のミスだ。
だけど、だけどさ…こんなこと起こると思わないじゃない…?
現代で会うことができなくなった人がいるだけに収まらず、まさか歴史上の人物まで書き変わっているなんて誰が思うの。

その方針や出来事まで変わっていたら、私は確実に歴史の教科は落第点だっただろう。
そうでなくても、今からまた人名詰め込みなおすことを考えると目眩しか覚えない。上書き前にしっかりと情報が詰まっているからこそ、余計にこんがらかるに決まっている。
その作業が容易でないことも優に想像できた。
もうやだ、めげる。よっしーでいいじゃん…駄目か…駄目だよな……。



「おい……」

「ん…?」



はぁ逃げたい現実から目を逸らしたい、なんて内心駄々を捏ねていると、固い声が背後から投げられた。
気だるさを感じながらも振り返ってみれば、高い位置にあった見知った顔が眼鏡の向こうで強張っていた。



「わー緑間くんだー…元気ー?」



職員室で顔を合わせるとは珍しい。用事でもあったのだろうか。この顔を見るに、今までのこちらの会話が聞こえたのかもしれない。
緑間くんに限って悪い意味で呼び出されはしないだろうと考えていると、軽く手を挙げた私の挨拶はスルーして、彼が口を開いた。



「…お前、今までのは素で言っていたのか」

「素ですよ大真面目ですよ」



ああ、やっぱり聞いてたのね。

引き攣る頬を観察しながら、嘘を吐いても仕方がないので素直に頷く。
ふざけているように聞こえてしまっても、私は至って本気である。



「…確か、今回の定期考査でオレのすぐ下に浅縹の名前を見たのだが」

「あ、そうそう。緑間くんやっぱ頭いいんだねー。学年二位とかすごいじゃん」

「お前は三位で…いや、三位で、何故そんな馬鹿げた間違いを犯してるのだよ! 素だとしたらあり得ないだろう…!」

「記憶にある歴史的人物の名前が悉く間違ってたからかな…ぁぁぁぁ三半規管に負担がかかるっ!」

「お、落ち着け緑間!」



あり得ちゃうんですよねこれがまた、なんて答える余裕もなかった。

がしりと捕まれた両肩が痛い。そして揺さぶられると目が回りそうになって辛い。
私一応女子! 中身はともかく、身体は間違いなくか弱い女子だから…!

ばしばしと私の肩から伸びている腕を叩いて訴えれば、横からの周防先生の声にも反応して、はっと目を瞠った彼の手が離される。
すまない、と詰まりながらも謝ってくれたから確実に悪気はない。足に力を入れて平衡感覚を保ちつつ、へらりと笑い返すことしかできなかった。

でも、本当に、本気なのにな…。



「私の教科書には三成さんも吉宗さんも大塩さんもいたんだよ…」



信じられないと言いたげな顔ばかり向けられて、私も結構ショックを受けている。
悩ましげにううんと唸った周防先生と、納得まではできないのか渋く顔を歪める緑間くんに挟まれて、私は襲い来る虚脱感に耐えるしかなかった。







上書きしますかできますか




(あ? お前ら何で並んでんだ?)
(職員室で会ったから…って青峰くん、緑間くんとも知り合いなんだ)
(部活が同じなのだよ)
(つーか職員室ってアレか。カンニングでもバレたか?)
(ははは誰がよ。大概失礼だな君も!)
(さつきがスゲースゲー騒いでたけどよ、浅縹が学年三位とか嘘だろ。お前絶対オレと変わんねーくらいだと思ってたわ)
(確かにオレも、すぐ下にあった名前を確かめて暫く自分の目を疑ったのだよ)
(緑間くんまで! 傷心してるところにあんまりじゃない…!?)

20140620. 



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