悩みが尽きずとも、時間は流れる。やるべきことも自然と増えて、一つの物事に拘っている場合でもなくなってくる。
不安があっても落ち込みきる前に切り換える性質でもあるし、分からないことは一先ずは横に置いておいて、後回しにするのが大事な時もある。
というわけで、今現在私は懐かしい公式や単語を反芻しながら昼休みの廊下を歩いていた。
何故か? 答えは簡単。来たる定期考査を乗り切るためだ。

数学系列は軽くテキストを読めば脳が刺激に応えてくれたのか、問題なくこなせるレベルということは把握できた。国語系列は日本人の勘でほぼいけるだろう。難しいのは暗記問題だ。
忘れ去った知識を淡々と詰め込み直すことで、自分の現状を気にする余裕がないのは幸いかもしれない。

そんなことを頭の片隅で考え、買ったばかりのペットボトルを手にうんうん唸りながら教室に戻っていると、階段の踊り場でぼうっと窓の外を眺めている巨体と出会した。

一瞬おっと驚くも、さすがにもう衝撃はない。相変わらず鮮やかな紫色の髪も、目に馴染み始めているから慣れとは恐ろしいものだ。



「やっほー紫くん」

「んふほー」

「お返事ありがとう。食べてから喋ろうか」



同じように返してくれたんだろうけども。どうにもやっぱり子供っぽい仕草の男の子だ。
くわえていたまいう棒を半分近く齧り、ごくりと飲み下す喉元はどちらかと言えば男性らしいのに。



「久しぶりー?」

「ちょっとぶりかな。相変わらずお菓子食べてるね」

「オレの正義だし。今日のは期間限定肉じゃが味ー」



帝光中に通い始めた日から、紫くんとはそれなりに交流がある。
たまに購買で鉢合わせたり、流れで買ったお菓子をシェアしたりする内にわりと仲の良い人間に分類されるようになった。
この子はいい具合に適当というか、会話のテンポが悪くないのだ。緩くはあっても頭は回るし、日常的な軽口が飛ばしあえる。



「スナック菓子にじゃがとは…」

「うん。ちょっとこれどー思う?」

「むぶっ」



突然ごすっ、と半開きの口を攻めてきたスナック菓子に、軽く仰け反る。危なく喉まで突かれるところだった。

悪い子ではない。馬鹿でもない。が、こういう傍若無人さにはたまに蟀谷辺りがひくつきそうになる。
まぁ、私も子供じゃないからそんな簡単にキレたりはしないけども。
口の中のスナック菓子を終わりまで素直に咀嚼して、息を吐いた。



「甘じょっぱい中に出汁の効いた味わいは悪くないけど、じゃが感は喪失してない? これ」

「やっぱじゃが的なパンチ足りないよねー」

「うん。でもその前に人の口にいきなりもの突っ込むのよくないからね」

「ごめーん。かなちんの言い方エロいね」

「ははは思春期男子め」



この野郎と軽く腹パンしてみても、いたーいとふざける紫くんにダメージはない。というか、びっくりさせられたのはこっちだ。ちょっとないくらいに彼の腹筋は硬かった。
見るからに大食漢で、お菓子ばっかり食べているというのに。太らない体質なのかとは思っていたけども…!



「これ中学生の腹筋…!?」



思わずシャツの上から二度三度叩いて確認したくなる。カーディガンの上からで我慢するけれど。
それでも微妙に眉を寄せた紫くんは、擽ったげに身を捩って私の手を避けた。



「ちょっとーかなちんセクハラっぽい」

「えっごめん発端は君の発言だけど…ていうか、紫くん何してるの。こんなとこで」

「コロッと切り換えるよねー。イジメ現場眺めてただけだよ」

「そっかーイジメかー…全く和んでる場合じゃないじゃん…」



驚きのユルさ…!

驚く前に脱力してしまう空気感に額を覆う。
かなちんもじゃん、と首を傾げる紫くんとこんな時ばかりは同列には並びたくない。
踊り場の窓は少しばかり高い位置にあるので、軽く下を見下ろせるのは背丈のある男子くらいだ。溜息を吐き出しながら彼に並んで背伸びをして、窓の外を見下ろした。

きつい体勢を我慢して視線をさ迷わせれば、斜め下に確かに十人には満たないほどの女子集団を見つける。
集団とかえげつないなぁ、なんてことを考えたのは一瞬。壁に追い込まれている少女の柔らかな髪色に、自然と眉を顰める。



「あれ…さっちゃん?」

「かなちんあの子知ってんの?」

「同じクラスだし…え、さっちゃんイジメられてんの?」



クラスにいる限り、そんなにうまくやれてない感じはしていなかったけれど。
観察眼には自信がある。だからこそ、目にした光景に僅かばかりショックを受けた。

若干呆然としてしまう私に対して、紫くんの態度は最初から一定して落ち着いたものだ。



「イジメってほどでもないみたいだけど、たまに呼び出し食らうらしいねー」

「はぁ…美少女故の周囲の嫉妬とか?」

「それもなくもないかもだけどー、うちの部のマネージャーでレギュラー陣とかとも仲良いからかなー」

「よく分からんがどっちにしろ嫉妬なわけね」



嫉妬からの集団攻撃なんて、お姉さん物語でしか触れたことがないよ。怖いな最近の中学生。
声を潜めているのか会話内容までは聞き取れないものの、激しく突っ掛かる態度は見てとれる。どこの世界も女の嫉妬は恐ろしいものだ。そして見ていてムカッとするものがある。

私も大人だ。理性はある。けれど、感情は枯れていない。



「紫くんは何もしないの?」

「こーゆーことには手出し厳禁らしいし。別にオレが特別仲良いわけでもないからねー」

「はぁ、なるほど」



マネージャー、と言うからには関わりがあると踏んで訊ねたのだけれど、返事は随分と軽いものだった。
私の関わらない場所で特別な事情があるのかも分からないから、何とも言えない。言えない、が。しかし。

集団の中の女子生徒の一人が振り上げた手が、激しく下ろされるのが視界に入ってしまった。



「あんな美少女が窮地にいるのにほっとけるわけないよねぇ?」

「は?……かなちん何する気?」

「大丈夫大丈夫、手は出させないよ」



オレは手を出せないよ、と言い出す寸前の口に伸ばした人差し指を押し付ける。



「口を、貸してもらうだけ」



にぃっと口角を上げた私に、息を飲んだ顔が戻りきる前に合わせて、と付け足した。

大きく息を吸い込む。



「先生! 大変です! こっち!!」

「!?」

「こっちに集団リンチしてる生徒がいるんです! 早くーっ!!」



突然の大声にビクッと身体を固まらせた紫くんを突けば、狼狽えながらもやりたいことは解ってくれたらしい。さすがは頭が回る子だ。
死角に身体をずらしながら、声を張り上げてくれた。



「えっ、と…なにー、どこのクラスの生徒だー!……とか?」

「やる気なさげな先生だなー」

「いきなり振っといて駄目出しとか何なの」

「あはは、でもほら、うまくいったじゃん?」



バタバタと複数の足音が聞こえた後、そっと窺い見た先程の場所には桃色の髪を揺らす彼女しかいない。囲んでいた生徒達がわざわざ逆側の校舎に逃げ込むのは、ギリギリ目視できた。



「手を出さなくても方法はあるのよ、紫くん」

「とんちじゃねーんだけど……かなちんって意外と破天荒だね」

「ごめんね振り回して」



ぶすくれる表情は変わらず子供っぽいもので、ついついその頭に手が伸びる。
悪気なさそー、と唇を尖らせる紫くんは、本気で機嫌を悪くしているわけでもないだろう。じとりとした半眼はすぐに私から逸れて再び窓の外へと向けられた。



「別にいーけど。面倒なことにならなきゃどーでも」

「面倒なことになっても、案外どうとでもなるよ」

「かなちんワイルド」

「やだ照れちゃう」

「褒めてねーし」



声がしただけで特に誰もやってこないことに疑問でも覚えたのか、辺りを見回していた桃色の頭が角度を上げる。

そして漸く私と紫くんの並ぶ窓を見付けた彼女は、ぱっちりと目を見開いて口を開けた。
残念ながら、声が小さすぎて何を言ったのか聞き取れなかったけれど。



「お昼休みなくなっちゃうよ、さっちゃん!」



私に作れる満面の笑みでこいこい、と手招きすれば、愛らしいその顔が一瞬だけ、くしゃりと歪んだようだった。







反則技上等




考え方を変えれば、やりようはいくらでもあるってことだ。



(っ、かな、ちゃん…)
(お帰り! 可愛い顔叩くとかないよねー。はい、ペットボトルしかないけど軽く冷やそうね)
(ムッくんも…あの、二人が助けてくれた…んだよね?)
(正しくはかなちんの独断だけどねー)
(っ…ご、ごめんね、迷惑かけて)
(独断って、自分勝手に物事起こすことだよ。あんなの怖いに決まってるし、さっちゃんは謝らなくていいの)
(っう…あ、ありがと…っ!)
(どういたしましてー。よしよし怖かったね)
(ふっぅー…っありがとぉぉー…っ)
(うんうん……美少女は泣き顔まで可愛いね)
(かなちん、台無し)

20140511. 



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